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(2011.11.22)
今の私はほとんど本を読みません。逆に読まないほうが、ある種のコントロールを受けることなく、素直によりいいものが書けるところがあります。
それでも中にはいい本もあるのですが、やっぱりそれらは戦前につながってるものが多く、そういうものこそ、誰もの頭にスゥーッと入ってきやすいようですね。
教育に関する本、これまで殆ど紹介することもありませんでしたが、今日は戦前の「修身」(道徳教育)の精神を受け継いだ戦後の数少ない教育者であった、森 信三氏(1896-1992)の『家庭教育の心得21』(詳しくは右画像クリック)を紹介させていただきます。今日のタイトルはこの本の副題をそのまま引用してあります。
森氏に関する代表的著作は、戦前の修身教育についての講義内容がまとめられた、今もベストセラーとなっている『修身教授録』などがあります。
最近、致知出版というところからいくつかの著作が復刊され、この『家庭教育の心得21』はその一つで、主に家庭内における母親のあり方について書かれてます。
この本にあることは、これまで私がここでずっと言い続けてきたようなことに非常に似ています。むしろ、森氏がこれを発刊した1979年当時は、今ほどフェミや左翼のフシダラ堕落洗脳が進んでいなかった分、このサイトで私が書いていることの方が、恐らく現代の皆さんには馴染みやすいように思えます。私が本なんか読まなくても、ここまで書き続けていたというのには、やっぱり私には何かが宿ってるからなんだろうなって、勝手にそんな風に考えたりもしてます。
この本では、女として、母親としてのあり方はもちろん、子供の躾け方からオヤツのあげ方、テレビやゲームの危険性にまで触れられ、現代を予告する様々な内容にも満ちています。
さらに女が股を閉じる躾けの重要性、元から学校なんかに期待すべきでないことなど、私がここで書いてることと、いたるところまるで同じ。森氏の頃は、主にX型に閉じた脚を注意してるわけですが、今はX型どころが平然とO型で脚を開いて座ってる女がゴロゴロいますよね・・・
ただしこの本では、男は子育てを完全に女へ任せるのが前提となっているので、男はあまり子供の教育に口を挟まず、子供を叱ってもいけないようなことが書かれてますが、これは女の側がこの本に書いてあることを完璧に成し遂げてるような母・妻であればそれでうまくいくのでしょうが、現代のように女がガタガタな状況で男まで子供に対してそんな放ったらかしの態度とったら、それこそ壊滅してしまうので、その点はご注意ください。
そういう部分に注意すれば、正にこの本は一家に一冊、子供たちに家宝として代々受け継がせていくべき書物であるように思います。
以下は、この『家庭教育の心得21』より。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆子供のシツケは母親の全責任!!
普通には、教育というものを大きく分けて第一 家庭教育、第二 学校教育、第三 社会教育というふうに考えられていますが、しかしこのうちで真の「人間教育」の場は家庭だけであって、残念ながら学校教育にはあまり多くを期待できないというのが実情です。ではどの程度かと申しますと、まあ1、2割からせいぜい3、4割程度と考えたらよいでしょう・・・
ではそれは、なんで決まるかというと次の二つです。一つは運よく校長さんが立派な方な場合であり、もう一つは担任の先生に運よく立派な方に巡り会えたという場合です。校長先生が偉い方だとなぜよいかというと、直接教わりはしなくても、学校全体の雰囲気が軌道に乗ってくるからです。また担任の先生がご立派ですと、やはり子供が変わってくることは皆さん方も既に十分ご経験でしょう。
そこで、わが子を「人間」としての軌道に乗せる八割以上の責任は、結局生んだ者の責任として親自身で背負うほかないわけです。では学校はどういう役目かというと、結局「知識」を授ける所ということです・・・ですから、誰が何ときれいごとを言おうと、わが子の「人間教育」の本当の正味は家庭教育のほかないというわけで、この点をこの際改めて心の底にはっきりと刻み込んでいただきたいのです・・・
【躾けの三か条】
第一 朝必ず親にあいさつをする子にすること。
第二 親に呼ばれたら、必ず、「ハイ」とはっきり返事のできる子にすること。
第三 履物を脱いだら必ずそろえ、席を立ったら必ずイスを入れる子にすること。
以上、三つの躾が真に徹底すれば、もうそれだけで「人間」としての軌道に乗るというわけです・・・
ではなぜそんな分かりきったことを徹底させたら、それでわが子を「人間」としての軌道に乗せられるかというと、第一と第二で“我”がとれるからです。つまり、「あいさつ」と「返事」で一応人間としての“我”を抜く、これが秘訣なのです。ですからこの二つの躾けが徹底しますと、子供はいつの間にやら素直になって親のいうことをよく聞くようになるのです。
躾けの方法
ではこの躾の仕方のコツはと申しますと、それにはまず母親自身が、ご主人に対して朝の挨拶をはっきりするようにし、また、ご主人から呼ばれたら、必ず「ハイ」とはっきりした返事をするように努力するのです。そうしますと、子供もいつしかそれをまねてやりだしますから、そうしたら必ずほめてやるのです。これがまた大事な秘訣です。そしてこれを一か月も続けますと、家中がすっかり変わってくるから不思議です。
そこで、そうなりますとご主人がびっくりされて、初めは冗談に自分をからかっているとか思っていたのが、いつまでたってもはっきりしたあいさつと返事が続くので、「これはどうも…」とご主人が驚くようでなくては、真の子供の躾はできないのです。
もっとも皆さん方の中には、「そんなことをしたら、それでなくても主人になめられかけているのに、いよいよなめられますわ」と、おっしゃる方もおありかと思いますが、それはケチな根性というもので、皆さんがご主人に呼ばれて「ハイ」という返事ができないとすれば、それは我が抜けていない何よりの証拠です。ですから子供が言うことを聞かないのも当然です。
と申すのは“我”のとれていないような人間が小言を言ったら、それだけマイナスになるわけです。ですからご主人に呼ばれて返事のできないような母親には、わが子に小言などを言う資格はないわけです。したがってわが子が母親の言うことを聞かないのも当然です。ですからわが子に対して「人間教育」をする資格などないわけです。
ですから躾の問題は、お母さんがご主人に対してあいさつをしておられるかどうか、またご主人から呼ばれた際、はっきりした返事ができるかどうかが、その分かれ目ということです。
躾けの時期
それから第三の履物の躾ですが、これは前の動作の“しめくくり”であると同時に、次の行動への準備というわけで、この点、古来この履物の躾が特に重視されてきたゆえんです。同時に以上の三つが立派にできるようになったら、わが子の躾は一応完了というわけです・・・
その時期というのは、遅くても「小学校入学まで」に躾けないと、後日どんなに努力してみても駄目なんです・・・
父親を立てよ!!
要するに母親自身が、「ウチのお父ちゃん、もっとしっかりしてちょうだい!!」と言ってるだけで、肝心のわが子を駄目にするということが分からんようではどうにもならんわけです。こういう浅知恵では、何が女子大卒といえましょうか。何が家庭教育といえましょうか。まるでわが子に「父親軽視」の種まきをしているようなものです。子供に「父親軽視」を仕込んでおって、子供の人間教育なんて、まったく笑止千万だからです。
奥さん方が、まずご主人を立てることによって、家の中心が立ち、この母親の態度によって、言わず語らずのうちに子供がこれを学ぶわけです。年端もいかない子供には父親の仕事の内容とか、勤務先のつらさなんか、分かりっこないんです。分からそうったってそれは無理というものです。ただ母親が父親に対する態度いかんから、父親の偉さがなんとなく感じられるものです・・・
ですから、母親たるものは、何よりもまず男の世界のつらさをよく察し、主人がこれだけの俸給を得るために、どれだけ下げたくない頭を下げ、言いたくないお世辞を言っているかということが、身にしみてよく分からねばなりません。またかくてこそ聡明な奥さんといえるわけです・・・
こう申しますと皆さん方の中には、「そんなことをすると亭主関白を増長することになりかねない」と、ご心配なさる方もおありかと思いますが、いかなる事情がありましょうとも父親軽視の種まきだけは絶対にいけません。と申しますのもわが子が「父親軽視」になり、やがて「父親」に対する不信感に陥りますと、わが子を根本的に駄目にしてしまうからです。ですから、わが子が真に可愛いのでしたら、「父親軽視」の言葉や態度は絶対に根こそぎにしなくてはなりません。
女子教育の重大さ
・・・「わが子に対して人間としての性根を養うには、結局腰骨を立てさせるよりほかない」ということを力説しましたが、これは男女を問わず我々人間は、何よりもまず身・心相即的な存在だという点から来る当然の真理なのです・・・
ところで女子は、この立腰のほかにも一つ重要なことは、膝頭から“くるぶし”までの間、両脚をきちんと合わせて、絶対に開けないように――ということです。これが女子においては最も重要な躾けであり、女子教育の最大の基礎はこの一点にあるとも言えましょう・・・
わが子の教育には、母親は絶大な忍耐心が要る
・・・母親としてぜひとも心得ていなければならぬと思われる大切な心掛けを、原理的に次に列挙してみましょう。
① わが子の家庭教育は、まず朝のあいさつから――。そしてその呼び水は当分のうちはまず母親から――。
② かくして母親は、毎朝ご主人はじめ、家中の者に向かって、心から爽やかに挨拶をすること。これが躾の根本第一条です。
③ 躾は、お説教ではできない――これが第二の根本原則。かつ躾の根本責任者は母親であり、母親自身の実行以外にない――というこの鉄則を、通身徹骨わが身に体すること。
④母親自身が、ご主人に呼ばれたら必ずすっきり、「ハイ」と返事をすること――。もしこの一事が徹底的に行えたら、もうそれだけで子供は、一応親の言うことを聞く子になりましょう。
⑤子供の盗みは、親の愛情の欠乏が根本原因であって、これにはただの一度も例外のあったためしがない。
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⑧お客さまからいただいたおみやげの品は、仏壇または神棚があれば、そこへ供えるのが最上。もしそれらがない場合は、タンスの上の一部にご主人の両親の写真を飾って、簡単な仏壇代わりとし、そこへ供えて、なるべく主人が帰ってから、一家そろっていただくのが望ましい。
真の愛情は、母親の“人間革命”によって
・・・では母親として、わが子にそそぐ真の愛情とは一体何か――という問題について、もう一度顧みてみたいと思います。
そもそもわが子に対する真の愛情とは何か。
① わが子の一言一行に注意して、わが子の気持ちをよく察してやれること。
② 常にわが子の将来を見通して、真の人間にするには、どうしたらよいかを考えること。そして、そのための躾の方法については、仔細によくわきまえていること。
③ そして、それにはわが子のために最善の持続的努力を重ねて毫も厭わぬこと。
・・・改めて申すまでもないことながら、真の愛情とは、子供の気ままな要求を安易に受け入れたり、わが子の欲しがるものを、たやすく買い与えることなどとは、天地の差ほども違うわけです。
したがってたとえわが子の気にそぐわぬことであろうとも、それがこの子の将来のためにぜひ躾けておかねばならぬと信じるようなことについては、もちろん子供の気持ちは汲みつつも適切な方法をもって、あくまで持続的に努力を重ねるというのが、真の愛情と言えましょう・・・
ともかく、母親の「ハイ」という“我”を捨てた一語の威力たるや、いかなるものも及ばぬ絶大な卓効を発するのでありまして、これこそ真に知る人ぞ知る無上の真理と言えましょう。
どうして母親の「ハイ」の一語がかくまで偉大な力を秘めているのでしょうか。それは、この「ハイ」の一語に、諸徳の根源ともいえる「愛敬」という根本精神が込められているからです。ご主人に呼ばれた時の「ハイ」の返事には“敬”の一念がおのずからこもり、お子さんに呼ばれた時の「ハイ」の返事には、“愛”の一念が含まれているからです。そしてこの敬愛こそは生命の呼応循環の根本原理なのだからです・・・
家庭の太陽
そもそも女性というものは、何よりもまず家族の人々の心を温かく包んで、わが子を素直な、かつ人に対して温かい思いやりのある人間に育てねばならぬのに、心なき女性にかかりますと、まるで嵐が冬枯れの野原を吹きまくるように、家中の人々の心を吹きさらすのであります。
女性の徳として最も大事なことの一つは、昔から「堪え忍ぶ」ことが貴ばれてきたのは、女性は常に自分の激情を抑え、そうすることによって、家族全員の心を吹き荒らすようなことのないことが、何より大事だからであります。
ですから、世の心ある人々によって「女性は家庭の太陽である」と言われるのも、実はこうした心理をいうわけです・・・
それゆえ、もし太陽であるはずの女性に、そうした自覚が欠けているとしたら、その家はまるで曇天のようであり、あるいは夕暮れ時のようであったり、さらに甚だしい場合には、夜中に寒風が吹き荒れているような家庭さえ、時にはないでもないわけであります。
母親の幸せ
そこで一転して、女性の幸福とか、母親の幸せというものは一体どういうところにあるのでしょうか。その前に参考として男の幸福とは、と考えてみますと、結局自分の仕事に対して、一切後顧の憂いなく打ち込めるということだといってよいでしょう。そしてこうしたところから、男性に必要な性格としては、「勇敢」とか「大胆」とか、さらには「剛毅」「果敢」とかいうような徳性が必要とせられるゆえんでしょう。
ところが、これに反して女性のほうはどうかというと、その幸福は、これも結局は二つに分かれるわけでありまして、それはただいま申したように、勇敢で強くて頼もしい男性を夫として持つということであり、同時に、そうした頼もしい男性との間に生まれたわが子を正しく育て、かつ教育するということでありましょう。
すなわちこれによってもわかるように、女性の幸福とは、直接自分の特徴とか個性を発揮することよりも、夫をして後顧の憂いなく、雄々しく敢闘させるとともに、子女を健全に育成するという任務を、立派に果たすことだと言ってよいでしょう。
わたくしはこういう幸福感こそは、女性の幸福感として最も本質的な原型というべきかと考えるのですが、この頃ではこの原型からかなり逸脱し、変質しかけてきた傾向が見られるようです・・・
そもそも女性というものは、家庭における太陽であるとともに、民族における「大地」にも比すべきものと言えましょう。なんとなれば、女性は子を産みかつ育てるという民族の神聖な使命を負わされているがゆえです。したがって、女性の弛緩は民族の弛緩となり、女性の変質は民族の変質につながります。言うなれば、民族の将来は女性のあり方如何によって決まると言っても決して過言ではないわけです・・・
かくして民族の将来という点からも、はたまたわが家・わが子の将来という点からしても、母たり妻たる女性の責務は重大であり、わが国の教育再建の根本も結局は母親の叡智と愛情によると申せましょう・・・
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『若草の髪かざり』 チェリッシュ (1973)
夫婦デュオ、チェリッシュ(詳しくは下画像クリック)。この歌、実は運動会のフォークダンスで使われてた曲で、淡い想い出のある、とっても思い入れある曲なんです ^▽^) (2013.9.7 追記)
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◆本物の“大和撫子”入門 ② ~ 貝原益軒『和俗童子訓』【女子を教ゆる法】より
◆武士の子女教育カリキュラム ~ 貝原益軒『和俗童子訓』より
◆“奥さん”と“ダンナ” 乱れる日本語 ~ 正統派なら“主人”と“家内”
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◆DVやセクハラは存在しないが、虐待は存在する ~ 女権洗脳の次に来る、子供の権利洗脳
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