反シナ・反朝鮮というだけの短絡的なネトウヨがマンセーする、日本における拝金主義・フェミニズムの権化 福澤諭吉について ①
(2021.2.7)
『福沢諭吉「学問のすすめ」は金儲けのすすめ』、出された当時から気づいていた記事ですが(文芸春秋 2018年6月号)、慶應義塾大学教授が書いたものなんですよ。この教授は福沢先生のことを本当によくわかってらっしゃる。私がここで書いていることにウソ偽りないこと、おかわりでしょう? 慶大教授がこんなこと書いて大丈夫なのかと正直、心配しましたし、これをあんまり広めてこの教授がバッシング受けたりクビにされても困るので、これまで控えていましたが、本日、載せさせていただきますね。(下画像クリックで拡大)
尚、福沢諭吉の今の一万円札が、日本で初めて銀行を設立して資本主義(=拝金主義)導入の大立役者となった渋沢栄一に変わります。
さらに千円札が北里柴三郎になりますが、北里柴三郎は日本医師会の設立者であり(1923)、慶應義塾大学医学部の創設者(1917)でもあります。当初の北里氏の理念とはまるで異なるであろう、すでに伝染病・ワクチン利権まみれの日本医師会設立者を日本の偉人の代表として、これからお札の顔にしていく。新型コロナ=偽パンデミックで苦しめさせられていく、日本の未来を象徴、暗示しています。すべてはずっと前から計画されていたのです。
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(2012.12.4)
今日の記事は、ある人々にとっては衝撃的かもしれません。
けれども財界にも非常に強い影響力を持つ福澤諭吉(1835-1901)を唯一の師、先生とする某大学関係者でありながら、これを知らないとすれば問題だと思うし、耳の痛くなる驚くべき内容でしょうが、あの大学が福澤のDNAを引き継ぎ、彼のイデオロギー基盤を元に社会・政治活動を進めてるのだとすれば……学問を学んでもカネにならないなら意味がないなんて、そんな風に学生に教えることを是の一番とする学校であるのなら、もはや売国確信犯とも言えてしまいましょうぞ。
今の日本では福澤諭吉といわれても、ただ偉い人というイメージあるだけで、『学問のすゝめ』(詳しくは右画像クリック)という本を書いたことぐらい知っていても、福沢が具体的に何をやった人物であるのか答えられるという人はほとんどいないように感じます。福澤は政治家のように何か国への大きな功績があるわけでもないし、いわば福澤は一思想家にすぎないのですが、その福澤がこれほど日本で大きく扱われるようなっていて、実際に今の日本へ絶大な影響を与えている思想家であったところに大きな問題があります。そもそも福沢の思想には、“日本のルソー”とでもいうべき恐ろしいものが秘められているからです。
福澤諭吉『学問のすゝめ』(1880)の冒頭には、
「わが国の古事記は暗誦すれども今日の米の相場を知らざる者は、これを世の学問に暗き男と言うべし」
とあります。つまりこれは、古事記を暗誦出来る人より、コメの相場を知る人の方が偉いんだって福沢は言ってるわけで、“学問のススメ”というより“拝金主義のススメ”と言った方がいい。(右写真はイメージ)
この福沢の言葉を、フランス革命は金融勢力の陰謀とする“保守主義の父”バークの言葉「革命の主たる目標は、偉大な王国だったフランスを巨大なカジノに作りかえ、全国民をギャンブラーにすること」に当てはめれば福澤のポジションがお分かりでしょう。福沢が目指した方向とは、正にバークのフランス革命を評した言葉に見事にピッタリ当てはまります。
『学問のすすめ』では、さらにこう続きます。
『経書史類の奥義には達したれども、商売の法を心得て正しく取引をなすこと能わざる者は、これを帳合の学問に拙き人と言うべし。数年の辛苦をなめ、数百の執行金を費やして洋学は成業したれども、なおも一個私立の活計をなし得ざる者は、時勢の学問に疎き人なり。これらの人物は、ただこれを文字の問屋と言うべきのみ。
国のためには無用の長物、経済を妨ぐる食客と言うて可なり。』
つまり『学問のすすめ』では、いくら学問やった者でもカネに結びつかないなら意味がないと、しきりに主張されてるわけですが、いったいこれは、当時の状況を勘案として具体的には何を言いたいのか。
そのヒントとして、新渡戸稲造の『武士道』(1900)に、このようなことが書かれています。
『サムライは土地からその禄を得ていたし、もしその気があれば家庭菜園で農耕をすることもできた。だが銭勘定ごとと算盤(そろばん)は徹底して忌み嫌っていた。
モンテスキューは、貴族を商業から締めだすことは権力者に富を集中させないためのほめられるべき政策である、と明言した。
多くの清廉潔白なサムライたちには、手練手管を弄する下層階級の競争相手と伍して、抜け目なく商売をやっていく力がまったく欠落していた。商業や工業というなじみのない新しい分野で、彼らは取り返しのつかないくらいの大きな失敗をした』
この『武士道』の記述通り、明治維新後は数多くの武士たちが否応なく、このような“転職”を余儀なくされ、その多くは「武士の商法」と呼ばれ失敗しました。
つまり福沢は、そのような元サムライたちの失敗をあげつらい、忠義や君臣のような古い慣習だけにこだわる、銭勘定・金儲けすら出来ない武士や封建制度など国家の無用の長物にすぎず、役立たずのバカバカしい存在だと断じたわけです。
これらのことから、福沢諭吉の思想というものが、それまでのカネにこだわらない日本的で誇り高い武士道精神からすれば、如何に汚らわしく革命的なものであったか、おわかりのことでしょう。
しかも、それまでの献身的な日本女性育成のための女子教育規範とされた『女大学』までも、欧米的なフェミニズムと拝金主義にかぶれた福澤諭吉は男尊女卑・封建的だと断じ、『新女大学』なるものまで作って徹底的に否定してしまいます。
福沢は明治維新後、J.S.ミル の『婦人論』をはじめとする欧米諸国の女性解放思想をいちはやく日本に紹介、『女大学評論』 『新女大学』でも革命的な男女平等の自論を展開しました。つまり福沢諭吉は、日本にフェミニズムを輸入・紹介して、さらにそれを推し進めようとした最初の人物であるわけです。
加えて『学問のすゝめ』は、米国左派 現 民主党系のジェファーソン起草の独立宣言の訳「天は人の上に人を作らず」という極めて平等左翼的なメッセージで始まるのは周知の通り。
福沢諭吉は、正に日本における革命的な共産主義イデオロギーの教祖とも言えてしまうわけで、その功罪は非常に大きいのです。
さらに『女大学評論』(1899)では、江戸時代の女子教育指南書『女大学』や日本における総合教育学の始祖とされる貝原益軒がコキおろされ、その中身は、ヒステリー起こした女が屁理屈こねてギャンギャンまくし立ててるような内容が延々と続きます。あのフェミ学者 田嶋陽子が同じことをヒステリックに喚き立てたものと言われても、まるで違和感ないほど。
頭だけで考えたような小理屈ばかりクドクドとあり、「もうわかったよ」と言いたくなるような内容です。
そして『新女大学』(1899)には、こう記述されてます。
『正にこの機に乗じ決起して男尊女卑の陋習(ろうしゅう)を退治するに非ざれば、わが日本の国光に永く一大汚点を遺すの憾(うらみ)あらんとす。』(「女大学評論」序文 男 一太郎 謹記 より)
『しかるに男尊女卑の習慣は其由来久しく、習慣漸く人の性を成して、今日の婦人中(なか)、ややもすれば自から其権利を忘れて自から屈辱を忍んでついに自から苦しむ者多し。ただ憐む可きのみ。
されば今婦人をして婦人に至当なる権利を主張せしめ、以て男女対等の秩序を成すは、旧幕府の門閥制度を廃して立憲政体の明治政府を作りたるが如し。政治に於て此大事を断行しながら人事には断行す可らざるか、わが輩は其理由を見るに苦しむものなり。』
『元来、日本の婦人は婚姻の契約を無視せられて夫妻対等の権利を剥奪せられ、常に圧制の下に匍匐(ほふく)して男子に侮辱せらるゝ者なれば、人間の天性として心中不平なからんと欲するも得べからず。』
この通り福沢の頭の中は、日本は昔からずっと男尊女卑で、女は奴隷のような扱いを受け続け、常に被害者のような存在だったという、日本のフェミ・左翼の思考回路と全く同じ前提ありきなのです。
福沢の父は3歳で他界し、福沢は母子家庭育ちであるが、母子家庭育ちだと何かこう、概して理屈っぽくなりやすそうに思えてしまいます(もちろん全部そうなるわけではない)。
福沢には、威厳と存在感ある父親像のイメージがなかったから、心より頭でしか考えなくなるんだね。だから男と女は一対、二人で補いあって一つを作り上げるものであるということ、その大切さがわかっておらず、男と女を別個の二人の人間として捉えることしか出来ていない。
加えて、
『女子少しく成長すれば男子に等しく体育を専一とし、怪我せぬ限りは荒き事をも許して遊戯せしむ可し。』(「新女大学」序文より)
なんていう、まるで男と変わらず格闘技のような野蛮で危険なスポーツまで、女もどんどんやってしかるべきみたいな、現代のジェンダーフリー教育に通じる、女としての恥じらいや奥ゆかしさなんて欠片もない、野蛮な“(女子サッカー)なでしこジャパン”的なものさえ出現させる予感、それを推進させるべきであるかのような記述まであります。
そして『女大学評論・新女大学』(講談社)巻末の解説(林望)で、福沢はこんな風に評されてます。
『骨髄に徹したリベラリストであった福沢にとって、したがって、四民平等の西欧型市民社会は、一つの理想であり、そのスローガン「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずといへり」ということを、家族や、男女の問題にまで及ぼせば、男尊女卑という弊風の清算は、生涯の大きな課題であった』
福沢の『女大学評論・新女大学』では、女が嫁に行くのも男が婿養子に入るのもまるで同じだと主張され、そして女らしさや男らしさの大切さなんて全く説かれておらず、男と女の役割意識や、異なった性質を備えもつ男と女の調和という概念がまるでないし、男も女も同じただ一人の別個の人間にすぎないという前提で一貫して論じられてるわけ。
つまり福沢諭吉は、完全に男女は同権・平等と主張する過激なリベラル左翼・フェミニストなんだってこと。福沢のイデオロギーポジションは当時の時勢により微妙に変わってますが、『女大学評論・新女大学』は晩年に書かれたものであり、なぜか福沢の女権拡張、フェミ・イデオロギー浸透にかける執念だけは凄まじいものがあったようです。
尚、明治民法の家族法の草案段階では、福沢の男女同等論に近いものだったようで福沢もそれを支持したのですが、士族系の反対があったため家父長制のものに書き換えられるという経緯がありました。
『新女大学』でも、福沢はもっと過激なフェミニズムを主張しようとしたところ、当時の士族の猛反発を喰らい、幾分抑えられて収められたようです。
元の内容は、「一度きりの人生だから、もっと自由に自分らしく、女としての人生を楽しもうよ」といった、今のフェミと同じ、それこそ完全に超リベラル、刹那主義的な人生観を女に植え付ける、ずっと過激なものだったのではないかと私は察してます。
今の日本における拝金主義、四民平等、男女平等、フェミニズム・・・これらはすべて福沢が提唱したものと同じであり、つまり、現代のいわゆる“日本革命”というものが引き起こされるにあたっての思想基盤は、すべて福沢諭吉のイデオロギーに同調しているわけ。堕落した現代日本の思想基盤はすべて福沢の思想に端を発してると言ってもいいくらい。
要するに、そのイデオロギー中身も知らず福沢諭吉なんかを軽々しくマンセーしてる人なんてのは、某金融勢力の手の平で踊らされてるだけ。
『脱亜論』にあるような福沢諭吉のシナ・朝鮮人叩きだけマンセーして、福沢のイデオロギーになんて無知なくせ、保守・愛国を気取って「さすが福沢諭吉!」なんて言ってる奴らがいるとするならピエロである。
あるいは福沢のイデオロギーを熟知していながら、「福沢先生スゲエ!」これを誇張して福沢を持ち上げてるのは明らかに確信犯たる、日本に拝金主義を持ち込みながら偽装右翼・エセ保守勢力をのさばらせ、ユダ金の手先として攪乱情報を発信し続けてる本尊であろう。
そしてネット上にもよくある、ユダヤだのイルミナティだの・・・明治維新は白人金融勢力に支配された層による革命で坂本龍馬はグラバーの使い走りだっただのの一面的な陰謀論を信じていながら、これに気づけてさえいないとするならただの“サル”である。
また、聖徳太子だった一万円札の肖像が福澤諭吉に替えられた(1984)直後に電電公社(現NTT)や国鉄(現JR)の民営化が立て続けに決行されました。以後、日本には拝金主義が蔓延りだし、一瞬のバブルの後、これまで見事に凋落の一途を辿ってます。
福澤がお札の顔になった1984年頃から日本でユダ金の支配が強まったっぽいわけで、一時のバブルから拝金主義に洗脳された日本人の凋落、これは偶然ではなく、金融勢力の露骨な日本侵攻はあの頃から始まり、紛れもなく福沢諭吉はユダ金・拝金主義者のシンボルとして利用されてます。
カネが好きな福沢だからこそ、一万円札の顔というのは非常にお似合いでもあるし、2004年の紙幣変更でも福沢だけ残されたのも、あっち側の意図するものを象徴してます。
(続く)
『リラックス』フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド(1983)
Relax (Body Double) – Frankie goes to hollywood
バンド名は「都へ出てきて堕落する」というニュアンスの慣用句的隠語に由来(詳しくは右画像クリック)。今世紀初頭にもレズビアンユニットとして大ブームを引き起こしたロシアのt.A.T.u.をヒットさせた、トレヴァー・ホーンの音楽プロデュース。ヴォーカルをはじめとするメンバーがゲイであることを公言、過激で性的な歌詞も話題となり、このバンドは一大センセーションを引き起こす。また冷戦期の米国 ロナルド・レーガン大統領とソ連 コンスタンティン・チェルネンコ書記長のそっくりさんが土俵上で殴り合いをする『トゥー・トライブス』のビデオも大変な話題となった。
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(続き)◆反シナ・反朝鮮というだけの短絡的なネトウヨがマンセーする、日本における拝金主義・フェミニズムの権化 福澤諭吉について ②
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