日本の面影

Glimpses of Japan
失われる日本人の精神性に、将来を憂う  リンクフリー

満州は日本の生命線だったのです
~ 押しつけられた、日本軍による南満州鉄道爆破 自演説の虚偽

 ←はじめにクリックお願いします m(__)m

(2018.1.22)
英霊の思いに通じる、先の戦争についての日本人としての正しき認識

南朝の武将たち、後醍醐帝の思いを知っておかないと、英霊たちの思いに通じることはできません。
そして東京裁判の欺瞞などについても、うちの子にはいろいろ教えてますし、小学5年生の頃から本も読ませてましたが(子供でも読みやすい本についてはまた後ほど紹介させていただこうと思ってます)、後に学校より先に塾で教えられて、「日本軍は満州鉄道を爆破したの?」って聞いてきました。「日本軍は偉い」と思ってた子供は、そんな話を耳にした時、大変なショックを受けたようですね。私に尋ねてきてた時も動揺してる感があったし、とても悲しそうに聞いてきました。
私は即座に答えました。「日本軍が満州鉄道を爆破したなんて記録はどこにもない。当時のシナは日本軍に攻撃を仕掛けてたし、それこそ東京裁判で押し付けられた捏造の歴史なんだよ」って。
そして下の戦前の教科書を見せてあげ、コピーもとってあげました。それを読んだ子供は目の色も変わって急に元気になり、「これを先生の机にコッソリ置いてくる!」とまで言ってました ^▽^) 「こんなものを先生の机に置いてたりしたら、誰が置いたんだって大騒ぎになるから」とやめさせましたが(笑)

下写真は昭和14年(1939年)発行 三省堂「新女子国史」から(当時の高等女学校歴史科用 文部省検定済教科書)。

【満州国の独立】(画像クリックで拡大できます)
「支那は諸条約を軽視し我が国の満州に於ける権益を侵害、遂に南満州鉄道を爆破したので満州事変が起こり、両軍の衝突を見るに至った。満州住民は独立して満州国と称す。我が國は東洋平和を確保し共存共栄の実を挙げるため正式にその独立を承認し、両国共同防衛に当る」

塾で教わる前から、東京裁判の欺瞞についての本は読ませてあったので、日本をワルモノにするための東京裁判について子供は詳しく知っています。
日本本土には資源がない。石油も鉄も欧米に止められ、日本は独自で資源国を目指そうとしただけ。満州は日本の生命線でした。
日本軍が満州鉄道を爆破したなんて記録は軍のどこにもないのに、戦後、さもそれが事実のように教えられてます。
関東軍の将校だった板垣征四郎や石原莞爾らも、満州鉄道爆破はシナによるもので日本は自衛戦争をしただけだと東京裁判時も明言していたのに、彼らが死んだ後、花谷正という朝鮮臭い軍人と秦郁彦という南京大虐殺の存在などをも主張する売国学者、つまりアメに買収されたクズ共が共謀してストーリーを作り上げ、満州鉄道爆破は日本軍によるものだと、河出書房や朝日新聞とかで大々的なデマを広めていきました
。だからその時まで、東京裁判が終わってもしばらくは日本軍が満州鉄道を爆破したなんて話は存在していなかったのです。今のように日本軍による自作自演なんてのが正史として教えられるようになったのは花谷が言い始めた1955年からなんですよ。(ちなみに昭和天皇の死後に発表され、昭和天皇がA級戦犯の悪口言ってたとする捏造の富田メモが本物だと主張したのも秦郁彦)

戦後、満州鉄道の爆破は日本軍の自演とされたことで、反日自虐史観のルーツとなる

私がここをやりはじめた時は、満州鉄道爆破事件について、Wikiにもシナやソ連による陰謀説とかキッチリ載っていたのに、今見たら戦後ずっとあとに書かれた朝日新聞や講談社等の反日捏造書籍などからの引用を根拠に関東軍による爆破説が完全な事実として書かれていて、ひどい内容。今のWikiは嘘八百、デタラメばっかり。慰安婦強制連行とか南京大虐殺とかより、日本の捏造自虐史観の最初の楔が打ち込まれたのは、この満州鉄道の爆破が日本軍による自演とされてしまったところからですよ。それまでは、一方的に断罪されたデタラメの東京裁判でさえも証拠不十分で日本軍による自演との確定はされなかったのに、1955年以後、南満州鉄道の爆破が柳条湖事件として日本軍による自演だというのが固定事実とされてしまったところから、今のすべての自虐史観につながっていってるのです。今の日本人は皆、それに洗脳されてます。

大体、満州事変の発端となった南満州鉄道爆破がシナ軍によるものと信じて死んでいった英霊たちに、どのツラさげて「あれは日本軍の自作自演だった。あなたがたは皆、ダマされていたのですよ」なんて言えるのですか! もしそれが本当というなら東京裁判で多くの将校たちが処刑されたのは当然って風になってしまいますよね。それならアメリカ、連合軍によって裁かれた東京裁判史観こそ正当で、当時の日本軍の指揮官たちが処刑されるのなんて当たり前ではないですか。
英霊たちに「あなたがたは皆ダマされてた」なんて言えるはずもないし、「満州鉄道の爆破はあなたがた日本軍の自作自演!」なんて言うことほど英霊を侮辱するものはありません!
当時の教科書通り、南満州鉄道の爆破はシナ軍によるものだったのです。そこを理解しておかないと、いくら靖国に行っていようが、国を信じて命をかけて散った英霊たちの思いに、貴方がたの心は何一つつながることは出来ないのです。

私には日本を守るなんて大それたことは出来ない。でも、英霊の思いなら、ここで一人でも守れる。私は当時の英霊の思いを今でも知る数少ない日本人。絶対的な自信がある。だって私は当時の人々がリアルで読んでた本をこんなに沢山読んでるんだもの。そして、このサイトさえあれば、ここを読んでる貴方も、今日から英霊と真に思いを通じ合える仲間になれる。私がここで数百人にその思いを伝えられているのなら、ここを見た皆さんがさらに家族や大事な人たちにそれを伝えることができれば、その思いは数千人数万人にも伝わっていけることでしょう。貴方も主役になれる!

戦時童謡 – 守れよ満洲 (1931) 詳しくは右画像クリック
歌:平井英子 作詞:西条八十 作曲:松平信博
出だしからショッキングな歌詞ではじまります。当時の日本人の満州への痛切な思い。聴いてください。

  ← 応援クリック宜しくお願いします m(__)m

—————————————————————————–
◆陛下の靖国参拝こそが核心。総理や閣僚の参拝は本質問題ではない

◆大東亜戦争(太平洋戦争)の起こったわけ (完答)

◆戦争を煽って日本を破滅に追いやった朝日新聞 ~戦後は日本弱体化扇動の急先鋒

◆日本女性の魅力を引き出す、着物での美しい所作、歩き方 ~ 映画『忠臣蔵』より

◆大日本帝国の唱歌を歌い継ごう! ⑧ 10月30日は教育勅語発布日 ~ 教育勅語を称える、唱歌『勅語奉答』を10歳の子供にピアノ弾き語りで歌ってもらいました!

◆ヒトラーが画家を目指していた頃、ナチス台頭期のドイツに行ってみよう ~ 帝政崩壊とルール占領、ハイパーインフレ

◆戦前の絵本から ~ 真実の日本軍。最強だったその勇姿 ②

◆戦後の歴史教育を捨てよう。 歴史教育 再興 ① 永久保存版 戦前の国史(日本史)学習年表

◆“神”、“カリスマ” 左翼プロパガンダの常套手段 ~ 本物の神を貶め、“神”を安売りする貧脳 左翼メディア

◆フェミ左翼、グローバル反日勢力に乗っ取られた大相撲 ~ 悪の巣窟 評議員制度、協議会、第三者委員会、放送倫理委員会BPO等も

◆日本人の歴史の血と骨であった仇討ちについて真剣に考えてみよう

◆フランス革命ネタです。“暗殺の天使”シャルロット・コルデーと「マラーの死」

◆朝日新聞の売国職員の処刑方法はどれがいい? ~ 反日 朝日新聞には命をもって償ってもらう以外ないだろう

トップ | 日本・世界の正しい歴史 | permalink | comments(1) |

未来の歴史教科書より ~ ルーツを守らない日本人の未来

 ←はじめにクリックお願いします m(__)m

(2018.7.4)
「日本史」でなく「国史」に戻せ、と主張してくる方がいます。確かに戦前日本では、日本の歴史教科名は「日本史」でなく「国史」とされていました。でも、今の歴史教科を「日本史」と呼ばせず戦前の通り「国史」とするよう戻すべきだと、なぜかその程度のことで攻撃的な方がいるようです。まるで日本史の「日本」という言葉が気に食わないのではないか、私はそんな気がしてならなかったわけですが……
そうした後、わかったことです。今の韓国の歴史教科は「国史」となってるのはご存知? そして戦前日本の呼称は大日本帝国、対して韓国の正式名称 大韓民国。つまりあの国名は明らかに大日本帝国をモジってるわけです。小韓民国の方が正しい呼び名ですね(笑)。そして韓国で、歴史は「国史」という科目名が現在使用されている。やっぱり戦前の日本と同じ。マネしてるんです。
ずっと前、私が戦前の国史教科書等資料を集めていた時、日本の古本屋で「国史」と検索して、購入しようとよく見たら、内容が韓国語だと書かれてあった。何か変で、もっとよく見たら韓国の教科書ではないですか。危うく間違って買ってしまうところでした。韓国という国は元々ない(北朝鮮なんて国も)。だから韓国史という言葉はおかしいし、国史になるのでしょうか。日本の古本屋で「国史」と検索すれば、韓国の教科書がたくさん出てきますよ。
写真は韓国の歴史教科書、何と読むと思います? ククサと読み、意味は「国史」です。韓国の教科書画像がどっかにないか探して見つけたものですが、写真が出ても最初は読みも意味もわからず確認に苦労しました。
「日本史」を「国史」に戻すべきだと強く言ってきてた人たちへの違和感の原因が完全に解け、あらためて私の勘の鋭さに自信持った次第です ^▽^) だから、「日本」と呼ばず「わが国」と呼べ、なんて変なこだわり言ってくる人たちってのも……

  ← 応援クリック宜しくお願いします m(__)m

—————————————————————————–
(2011.6.14)    (戻る)
20××年、未来の歴史教科書の記述より
(上:教科書記述、 下:生徒たちの声)

【天皇は世界最古の王家】
「天皇スゲー、世界最強!」

【聖徳太子】
「わぁー、頭いいー! 半島からいろんな文化が伝来してきたんだねー」

【南京大虐殺なんてなかった。】
「あったりまえだよ!」

【従軍慰安婦の強制連行なんてなかった。】
「決まってるだろ!」

【特攻隊】
「先人って、スッゴイ勇敢だったんだなー」

【わが民族は、白人欧米列強諸国にアジアで唯一対抗した民族で、世界を相手に戦いを挑み、当時、欧米の植民地とされて奴隷同然だったアジア系民族を白人支配から解放した。】
「へー、まるで世界の救世主じゃねえかよ!」

いやあ、ホント、朝鮮人の歴史ってスゴイんだなー     ・・・ん?

この教科書の表紙タイトルには、

『大朝鮮国史 (韓日国史) – 偉大な朝鮮人の歴史』
【パート1】 朝鮮半島から日本列島に渡った、優秀な朝鮮人の歴史

(教科書の1ページ目)
古代において、数多くの優秀な朝鮮人が朝鮮半島から海を渡って日本列島へ到達して定住、日本人と呼ばれた。

海を渡った朝鮮人は、豪族として日本列島各地を支配、その中から最も偉大な王は天皇と呼ばれ、日本全土に君臨することとなった。


その後、朝鮮民族の一派として世界を股にかける倭国、日本を作った・・・

◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆

前に、「国を守れ!」というだけでは、右翼だかソ連のような共産主義国家の左翼だか区別がつかないと書きました。
似たような類で、明らかに偽装保守と思えるところで、日本人の枝葉末節的な偉人や歴史を賛美して大騒ぎしているところが非常に多い。
このことが、以前まで不可解で解せなかったのですが、日本のルーツに大きく関わることとして、このところ古代 朝鮮半島において日本(倭国)が領有していた任那の重要性を何度も主張してきたのは、その理由がわかったからです。

奴らは一見、日本の歴史を肯定的に見て、日本や日本人を賛美しているように見えます。
そして、その内容は、日本人に非常に心地よく感じるものが多い。
しかし、よく見てください。奴らは古代日本史、朝鮮半島史の部分で重大な捏造をしています。

一見、日本や日本人を賛美する、奴らの古代日本史における主張、
「任那 日本府なんてなかった」
「文化はすべて朝鮮半島伝来」
「数多くの朝鮮人が、朝鮮半島から日本に渡って豪族となって日本を支配した。もちろん天皇だって。」
さらには、さんざん日本人をマンセーしていながら、「日本人の新羅が、朝鮮人の百済を滅ぼした」とか、全くもってメチャクチャ書かれてる有名保守サイト(エセ)もあります。
本当は新羅こそ朝鮮人の国で、もちろん任那は日本人で、百済も日系に近いのです。

つまり、肝心な日本人のルーツの部分を、奴らはすべて奪っているんです。
ある意味、南京大虐殺や従軍慰安婦、近代の自虐史観なんて大した問題ではない。
だけど日本人、天皇のルーツを奪われたらおしまい。
奴らは日本人の栄光を妬んでいる反面、それを丸ごと手中に収めることも企んでます。
日本人や天皇のルーツさえ奪えば、あとはどうにでもなること、奴らはわかってるんです。

しかし、日本人は奴らの魂胆に気づいていない。
偽装保守、エセ右翼サイトが氾濫する中、ダマされてのめりこむ愚かな日本人たちを見て、奴らはほくそ笑んでます。

古代 朝鮮半島南部に日本領があって日本人が住んでいたこと、その範囲は任那はもちろん、百済にまで多大な勢力を及ぼしていた事実を守らないと、日本人は奴らに根こそぎ奪われます。

偽装保守、朝鮮系エセ右翼の目的、わかりましたか?
放っておくと、未来の教科書の話、フィクションでは済みません。
大マジメな話、完全にやられてしまいます。

たとえ自虐史観からの脱却が出来て、日本人はスゴイんだと教えられるようなっても、奴らは日本人や天皇のルーツさえ奪っていれば痛くも痒くもありません。

ルーツを守らない日本は、韓国に併合されます

今や歴史教科書ではすべてが朝鮮由来、ネットではエセ右翼が蔓延り、マスコミは韓流ゴリ押し。
既にマスコミや政治は奴らに乗っ取られていますよね。
韓流ゴリ押しは、明らかに日本の韓国への同化、併合を目論んでのものです。

このままでは、朝鮮系右翼の“韓日友好”が示す通り、奴らによる日本併合が起こります。
奴らは天皇は朝鮮人だと信じてるし、既に韓国では、朝鮮人が海を渡って古代 日本を支配する豪族になったとまで教えられています。

このままでは東アジア共同体よりも先に、“韓日国”(朝日国=大朝鮮国)出現の可能性が高いでしょう。
最初は韓日共同体とか、緩やかなものから始まるかもしれない。
サッカー・ワールドカップの日韓共催なんて、そのプレ・イベントだったってこと。

そうなれば、南京大虐殺とか従軍慰安婦問題なんてどうだってよくなります。
日本人のルーツさえ奪えば、奴らはすべてコト足りるわけですから。

日本人のルーツを守らないと、民族としての根幹を揺るがされ、根こそぎ奪われることにつながります。
日本のルーツ、古代 日本史を守らなければ、何もやってないに等しいんです。
カギは近代よりも古代史。
日本のルーツ、天皇のルーツ、そして古代 朝鮮半島の日本領 任那、日系 百済を守りましょう。
これは日本を守る上で、最も重要なことです。政治家、教育界などへ強く進言していかなければなりません。
皆様、このこと有力者の方々へ、ぜひお知らせくださいませ。  (続く)

雅楽  『越天楽』
雅楽(詳しくは右画像クリック。但し下の動画と右のDVDは関係ありません)、その由来は大陸発祥とされてはいますが、日本独自で発展、継承されてきたもので、その旋律は明らかに日本のものです。楽器等は古代、当時からの伝統が今も活かされ、大陸や半島側には楽器も楽章も現存しておらず、世界で唯一、日本にしか残っていません。世界に誇る日本の文化です。

  ← 応援クリック宜しくお願いします m(__)m

—————————————————————————–
(2013.5.6)
日本海表記問題をはじめとして、奴らは「日本」という文字・言葉の消滅を図ってるわけで、それに倣えば、「“日本史”を“国史”に変えろ」や「“日本”と呼ばず“我が国”と呼べ」等、変なこと言ってる連中……これらはあっち側の“日本消し”工作活動に叶ってしまうので、妙な理由つけて、この種のこだわり見せる人々、グループ、相当怪しいです。
「国史」や「わが国」になれば、日本だか朝鮮だかわからなくなってしまいますからね。

英国人が「英国史」、アメリカ人が「アメリカ史」という形で自国の歴史を学んで何がまずいというのか。それを「英国」や「アメリカ」という文字を消して単に「国史」あるいは「歴史」にしろ、なんて変なこだわり見せる方が変。
戦前は「日本史」という呼び方がなかったとか、巧妙な理屈つけて奴らは“日本”消しを図ったりもするわけだけど、たとえかつて「日本史」と呼んでなかったにしても、「世界史」というものもなかった当時と違い、グローバル化した現代では「日本」を連呼していないと、日本はこのまま消え去ってしまうことでしょう。

アメリカ人とかと話せばよくわかりますが、彼らはやたら自分達のことを「アメリカ人」(American)って言いますよ。欧米はじめ他諸国と違い、今はともかく、かつて日本には外国人が少なかったし、当時は外国にでも行かない限り自分が日本人であることを認識する機会もなく、普通は日本人がわざわざ「日本人だ」なんて言うこと自体、滅多になかったわけですね。
でも今なら当然、日本人なら「日本」という言葉を多用連呼すべきのはず。この言葉を嫌がる時点で怪しんでしかるべき。

  ← 応援クリック宜しくお願いします m(__)m

—————————————————————————–
(2012.4.14)
ほらほら、奴らはこんな風に子供に向けて日本は朝鮮ルーツだって洗脳工作やりまくりだよ!
東京芸大にしろ東大にしろ、ひどいとこばかりですね。こんなものを日本の国税つぎ込んでやってんですよ。
それを報道するマスコミも工作員の吹き溜まり。
*************************************************************
ニュースな歴史館:古代の北朝鮮は進んでいた!  2012.4.13 毎日小学生新聞

東京芸術大学のチームが2月、北朝鮮にある世界文化遺産「高句麗古墳群」の古墳の壁画を独自のデジタル技術を使って、世界で初めて原寸大で復元したというニュースがありました。
北朝鮮と言えば、「人工衛星」と言いながら実際は軍事ミサイルの実験を行うのではないか……と疑われている怪しい国のイメージがあります。 しかし、こうした不可思議な国になったのは第二次世界大戦後のこと。しかも、日本の戦前の支配も原因の一つでした。
紀元3~5世紀頃に全盛を迎えた「高句麗王朝」の頃は、日本よりもはるかに進んだ文明国家があり、仏教などの宗教、学問の中には当時、高句麗を経て中国から伝えられたものもあります。

復元された壁画は、切手などでも知られる飛鳥時代の高松塚古墳(奈良県明日香村)の美しい壁画とそっくりなのが分かるでしょう。当時の日本は高句麗の美しい文明をそのまま、コピペしながら輸入し、やがて独自の文化を生み出していったのです。【森忠彦(もりただひこ)】
*************************************************************

昨日の記事の通り古代日本人が朝鮮半島南部を支配していた史実を知れば、今の教科書のように朝鮮人が日本へ文化を伝えたなんてのは全くのウソッパチであること、おわかりでしょう。
ただし新羅の朝鮮半島統一によって高句麗も滅び(668)、この時は高句麗から日本に逃げてきた(北)朝鮮人も多数いたといわれていて、日本と違い高句麗は石の文化であって、高松塚古墳(700年頃)が石窟古墳であり、その壁画に高句麗人が関係した可能性は前から言われており、高句麗系人物の墓と主張する学者さえいます。たとえ高句麗人が関係してたにしても、だからといって朝鮮の文化から日本文化が生まれたとする、1のことを100のように言う、この記事の書き方は朝鮮人や左翼の論法そのもの。
いずれにしろ高松塚古墳については、日本の華麗な飛鳥や白鳳文化の本流とは少し異なるように私は感じてます。

  ← 応援クリック宜しくお願いします m(__)m

—————————————————————————–
(続き)◆こないだまで、古代日本は朝鮮半島南部を支配していたと教えられていたのに ~ 日本府 任那を消し去った売国奴学者列伝 実は朝鮮人か!?

(戻る)◆消し去られる朝鮮半島の日本府 任那 ~ 子供を日本人でなく地球人に育てる驚愕の社会科教科書

(始めから)◆竹島を武力行使で即奪回せよ! そして、まずは容易に取り返せる古代における朝鮮半島の日本府“任那”を日本史上に奪還し、日本人に再教育せよ! ~ 韓土の日本領も奪回! 朝鮮半島にある前方後円墳

◆古代日本史における朝鮮半島の倭国領を歴史から取り返さなければならない! ~ 朝鮮に文化をもたらし、古代朝鮮半島南部を支配した倭人

◆朝鮮人は、朝鮮半島に住んでいた古代日本人を蹂躙した侵略者!

◆古代日本が朝鮮半島を領有していた事実をもっと広めなければなりません

◆『日本書紀』より、「(古代朝鮮半島の日本府)任那滅亡」

◆『ぐりとぐら』 『こどものとも』の児童書 福音館は反日出版社 ~ 天皇を貶め、自虐史観に満ちた子供向け絵本

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前教科書 尋常小学 国史より ⑨ 第三十 上杉謙信と武田信玄

◆戦前の小学歴史教科書準拠 学習問題から ⑤ 仁徳天皇

◆『昔の日本はアメリカと同じくらい広かった!』~ 日本人としての自信を持たせた祖母の言葉

◆朝鮮人の家族のお父さんキャラには何がいい? ~ マスコミの大八百長に比べれば、相撲八百長問題なんて子供の遊び

◆ソフトバンク、電通とかってクズ企業だろ

◆反日企業の雄 ヤフー、ソフトバンクの正体 ~ 男をイヌに仕立て貶める!

トップ | 日本・世界の正しい歴史 | permalink | comments(1) |

大東亜戦争(太平洋戦争)の起こったわけ (完答)

 ←はじめにクリックお願いします m(__)m

(2017.7.6)
偏向管理のtwitter、弾圧がひどいのでやめようとしたのですが、アカウント削除に一か月もかかるとか……腹立たしいですが、一応、残しておくことにしました。既に貼ってる画像のためにも。
Instagramを使おうともしたのですが、そっちもスマホがないとアップ出来ないとか、ひどいですね。それでは私には使えませんから。

【(2019年2月)システム改善し、下のいずれかの画像クリックで拡大、画像上にマウスポインタを置いたら表示される をクリックし続けていけば、その内容、各画像を続けて見れるようにしました。言論弾圧SNS 悪徳twitterにはアカウント停止されました】

  ← 応援クリック宜しくお願いします m(__)m

—————————————————————————–
(2016.8.9)
「大東亜戦争(太平洋戦争・第二次世界大戦)って、どうして起こったの?」
この質問、子供たちに何と答えればいいでしょう。
ここに、その答えのすべてがあります。(各画像クリックで拡大されます)
「今まで支那や蘭印などで、とても勝手なことばかりしていたアメリカやイギリスは、段々それが出来なくなるからでした」


大東亜戦争(太平洋戦争)の起こったわけ、その完璧な答えですね。
当時の人々、日本の偉大な先人たちの思いに通じましょう。
◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆

講談社の絵本 『大東亜戦争』より  昭和17年(1942)3月発行

【大東亜戦争のおこったわけ】

昭和16年12月8日は、わたくしたち1億の国民がいさみたち、ふるいたった忘れることの出来ない日であります。それは悪いアメリカ、イギリスに対して、戦いを開く天皇陛下のみことのりが下った日です。そうして、この日から、大東亜戦争が始まりました。
支那事変が起こってから、もう五年、わが軍は勇ましい戦いを続けてきましたが、蒋介石の軍は、まだ支那の奥の方にこもって、日本に手向かうのをやめません。それはアメリカとイギリスがものを送ったり、お金を貸したりして助けるからです。
それはなぜかというと、日本が強くなって支那や南の方に力が伸びると、今まで支那や蘭印などで、とても勝手なことばかりしていたアメリカやイギリスは、段々それが出来なくなるからでした。
そこでアメリカとイギリスでは、石油だの鉄だの、どうしても日本でいり用なものを売らないことにして、日本を苦しめました。いや、自分の国で売らないばかりではありません。オランダやその他の国々を誘って、日本にものを売らないことにし、四方から日本を弱らせていこうとしたのです。
何という、憎いアメリカとイギリスでしょう。今こそ、この二つの国は、日本の敵であるばかりでなく、アジア全体の敵であります。どうしても、この二つの国を打ち破らなければなりません。
けれど、おそれおおくも天皇陛下は、出来るだけおだやかにことをお治めなさろうとあそばされ、わざわざアメリカへ遣いをおつかわしになりましたが、国が大きくてお金をたくさん持っているのを自慢にしているアメリカは、日本をバカにして、勝手なことばかり言ったり、おどかしたりして、日本をひっこませようとしました。何という無礼なやり方でしょう。
「もう、がまんが出来ない。」
日本は、かんにん袋のををきりました。
「たたかえ。」と、天皇陛下はお命じになりました。こうして大東亜戦争は始まったのです。12月8日、皆さんは新聞やラジオや学校の先生のお話で、あのすばらしいハワイの空襲や、フィリピン、マレーの攻撃をお聴きになったでしょう。
アメリカの軍艦は、たちまち太平洋の海の底にうち沈められました。
つよいつよい、日本の軍隊は、そののち陸に、海に、空に、めざましい戦いを続け、2月15日には、イギリスが一番大切に守っていたシンガポールを攻め落として、輝く日の丸の旗を打ち立てました。
けれども戦争は、まだまだこれからです。「勝って、カブトのををしめよ」という、たとえの通り、今よりももっともっと心をひきしめて、たとえ十年、百年かかっても、最後まで勝ち抜かなければなりません。 (終わり)

  ← 応援クリック宜しくお願いします m(__)m

—————————————————————————–
◆戦後の歴史教育を捨てよう。 歴史教育 再興 ① 永久保存版 戦前の国史(日本史)学習年表

◆仁・義・礼・智・忠・孝……五倫、四徳、五条、四端の心から道を修むる ~ 侍が学んだものを学び、偉大な先人たちと志を一にす

◆親次第で自虐史観なんてどうにでもなる ~ 日本のおかげでアジア諸国の独立が早まった・・・そんなことで喜んでるのも自虐史観の亜種にすぎない

◆特攻隊の青春群像 映画『決戦の大空へ 』と、フィリピンの神風記念碑

◆大日本帝国の唱歌を歌い継ごう!⑥ ~ 神武天皇が即位、日本建国の日とされる『紀元節』 9歳 ピアノ弾き語り

◆飛行可能な零戦展示中! ~ マニアでなくても感無量!所沢航空発祥記念館

◆天皇陛下万歳! 大日本帝国万歳! ~ 愛国者なら大ヒット作『明治天皇と日露大戦争』は必見!

◆見ておきたい戦争映画の名作

◆朝日新聞の売国職員の処刑方法はどれがいい? ~ 反日 朝日新聞には命をもって償ってもらう以外ないだろう

◆あなたは反米? 親米? それとも反ユダヤ?③ ~ 日露戦争を勝利させた高橋是清とユダヤ人銀行家 ジェイコブ・シフ

◆忠臣の象徴 楠木正成公を称える唱歌『青葉茂れる桜井の』(櫻井の訣別)を10歳の子供にピアノ弾き語りで歌ってもらいました!

◆戦争を煽って日本を破滅に追いやった朝日新聞 ~戦後は日本弱体化扇動の急先鋒

トップ | 日本・世界の正しい歴史 | permalink | comments(1) |

戦前の道徳教科書『修身』に見る加藤清正の武勇伝
~ 自虐史観の正反対から見る豊臣秀吉の朝鮮侵攻

 ←はじめにクリックお願いします m(__)m

(2012.5.16)
右のオススメにも載せてある、前にもご紹介した戦前の道徳教育『修身』教科書(詳しくは右画像クリック)、いつも学校へ行く前に子供と読んでます。
うちの子は毎朝、「行ってまいります」と言って学校に出かけてますよ~
時々、「行ってきます」になることもありますが、「“行ってまいります”の方がカッコいいよ」ってヨイショして、「行ってまいります」と言って出かけるのを見ると、わが子ながらホレボレしてしまいます ^▽^) もちろん毎朝、玄関で送ってあげてます。毎日が、戦時下で出征する子供を送り出すようなのとほぼ変わらない厳粛な気分で、1日が始まります。

毎朝、「お母さん、行ってまいります」と言って出かける子供を見てると、きっと皆さんの気持ちも変わっていくだろうと思います。逆に、お母さんがご主人を送り出す時は、毎日、敬意を示して送ってさし上げてくださいね。そして、ご主人が帰ってきたら必ず出迎えて上着をとってあげたりするだけで、家の中に全然違う空気が生まれますよ。

今朝の『修身』教科書は、日本の武将を代表する勇猛果敢な加藤清正の朝鮮侵攻にまつわるエピソード。テーマは「信義」(右写真クリックで原文や槍を携えた豪快な清正の挿絵が見れます)。ただ、この話は私も詳しく知らず、この内容だけではわかり難いところも多かったので、よく調べてみたので後に子供にも補足しようと思います。

それにシナ(明)と朝鮮を敵として戦う話なので、学校で子供が気安く話してしまうと余計なトラブルに巻き込まれかねないので、子供には注意しておくよう言いつけてあります。
でも、“世界はお友達”でなく、昔の日本の武将がシナ・朝鮮と命がけで戦っていた・・・リアルな日本の歴史の話だし、子供はノリノリで聞いてましたよ。

加藤 清正(かとう きよまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。肥後国熊本藩初代藩主。別名 虎之助(とらのすけ)
豊臣秀吉の家臣で、賤ヶ岳の七本槍の一人。その後も各地を転戦して武功を挙げ、肥後北半国を与えられ、秀吉没後は徳川の家臣となり、関ヶ原の戦いの働きによって肥後一国を与えられて熊本藩主となりました。
**************************************************************

朝鮮侵攻(文禄・慶長の役)における加藤清正の痛快な活躍  2012.5.16 wiki参照

豊臣秀吉の命により、文禄元年(1592)に始まる文禄・慶長の役で、日本は朝鮮へ出兵した。

文禄の役では二番隊主将となり鍋島直茂、相良頼房などを傘下に置いた。同じく先鋒である小西行長率いる一番隊とは別路をとり、4月17日の釜山上陸後は行長と首都漢城の攻略を競い、5月3日南大門から漢城に入城した。漢城攻略後は一番隊や黒田長政の三番隊と共に北上し臨津江の戦いで金命元等の朝鮮軍を破る。その後黄海道金郊駅からは一番隊、三番隊とは別れ東北方向の咸鏡道に向かい、海汀倉の戦いで韓克誠の朝鮮軍を破り、咸鏡道を平定。現地の朝鮮人によって生け捕りにされていた朝鮮二王子(臨海君・順和君)を捕虜にした。
更に清正は朝鮮の国境豆満江を越えて、満洲のオランカイ(兀良哈)へ進攻。しかし当地は明への侵攻路から外れている上に得る物が乏しいため、早々に朝鮮領内へ引き上げ、咸鏡北道を帰順した現地朝鮮人の統治域とし、日本軍は吉州以南に布陣した。日本軍の去った咸鏡北道では朝鮮人の義兵が起こり、吉州を攻撃したがこれを撃破する。その後、明軍が現れた京畿道方面に配置転換が命じられ咸鏡道を引き払い漢城に入った。

文禄2年(1593)6月の第二次晋州城の戦いで加藤軍は北面からの攻城を担当し、亀甲車を作り、配下の森本一久・飯田直景が、黒田長政配下の後藤基次と一番乗りを競い城を陥落。

明・朝鮮と本格的な交渉が始まると、清正は主に惟政らに秀吉の講和条件を伝えた。だが秀吉の条件は明にも朝鮮にも到底受け入れられるものではなかった。このため、秀吉の命令を無視してでも和睦を結ぼうとする小西行長・石田三成らは、清正が講和の邪魔になると見て、彼を秀吉に讒訴。清正は京に戻され謹慎となる。増田長盛が三成と和解させようとしたが、清正は断っている。しかし慶長地震の際、秀吉のいる伏見城へ駆けつけ、その場で弁明したことにより許された。

慶長2年(1597)からの慶長の役では、左軍の先鋒となった小西行長に対し、右軍の先鋒となる。再び朝鮮に渡海する際、行長は明・朝鮮軍側に清正の上陸予想地点を密かに知らせ、清正を討たせようとしている。しかし敵の李舜臣はこれをワナだと判断して出撃せず、清正は攻撃を受けなかった

日本軍の作戦目標は先ず全羅道を徹底的に撃滅し、さらに忠清道へも進撃することと、その達成後は後退して拠点となる城郭群を建設することであった。西生浦倭城を発った清正は全羅道に向かって西進し、朝鮮軍の守る黄石山城を陥落させると、全羅道の道都全州を占領。次に忠清道鎮川まで進出し、ここに最初の作戦目標を達成した。

日本軍の諸将は築城予定地まで後退。清正は西生浦倭城の東方に新たに築城される蔚山(うるさん)の地に入り、自ら縄張りを行った後、加藤安政等を配備して西生浦倭城に移った。蔚山倭城の建設は帰国予定の浅野幸長と宍戸元続等の毛利勢(毛利氏は他に梁山倭城の築城も担当)が担当した。加藤清正は西生浦倭城に加え蔚山倭城の守備担当であった。

慶長2年(1597)12月、完成が間近に迫った蔚山倭城へ5万7千人の明・朝鮮軍が攻め寄せて蔚山城の戦いが始まると、清正は急遽側近のみ500人ほどを率いて蔚山倭城に入城した。未完成で水も食糧も乏しい状況で、毛利秀元や黒田長政等の援軍の到着まで明・朝鮮軍の攻撃に10日ほど耐え、この戦いを明・朝鮮軍に2万人の損害を与える勝利へと導いた。慶長3年(1598)9月にも再び蔚山倭城は攻撃を受けるが、この時には城も完成しており、前回ほど苦戦せずに撃退した。

清正は朝鮮の民衆から「犬、鬼(幽霊)上官」と恐れられた。なお、朝鮮出兵中に虎退治をしたという伝承が残り、そこから虎拳という遊びの元になった。セロリを日本に持ち込んだとされており、セロリの異名の一つが「清正人参」である。

京都市左京区の大徳寺総見院には清正が朝鮮より持ち帰ったとされる朝鮮石を彫り抜いて作られた掘り抜き井戸が残る。
**************************************************************

ちなみに加藤清正を明・朝鮮軍に売り渡そうとしたり、奴らのスパイになっていたようにさえ思える小西行長について。

◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆

小西 行長(こにし ゆきなが)  2012.5.16 wiki参照

泉州堺の商家に生まれ、一時期は宇喜多氏に仕え、後に豊臣秀吉の家臣となったキリシタン大名。
朝鮮での戦いが長引き、戦意を喪失した明軍と兵糧不足に悩む日本軍との間の講和交渉の際、行長は石田三成と共に明との講和交渉に携わり、明側の講和担当者・沈惟敬らと共謀し、秀吉には明が降伏すると偽り、明には秀吉が降伏すると偽って講和を結ぼうとする。この時、行長家臣の内藤如安(明側の史料では小西飛騨)が日本側の使者として明の都・北京に向かった。
この結果、明の使者が秀吉を日本国王に封じる旨を記した書と金印を携えて来日する事になった。これは日本国王が明の臣下になることを意味するもので、秀吉が求めていた講和条件は何ら含まれないものだった。これを秀吉に報告する段階で行長は、書を読み上げる西笑承兌に内容をごまかすよう依頼したが、承兌は書の内容を正しく秀吉に伝えた。このため講和は破綻、この講和交渉の主導者だった行長は秀吉の強い怒りを買い死を命じられるが、承兌や前田利家、淀殿らのとりなしにより一命を救われる。
文禄・慶長の役の際、加藤清正と先陣を争った。関ヶ原の戦いにおいては西軍の将として奮戦したが敗北し、切腹を拒否して斬首された。

  ← 応援クリック宜しくお願いします m(__)m

—————————————————————————-
◆家庭内における戦前の教育再現 ~ わが家で使ってる子供用教本

◆古代日本史における朝鮮半島の倭国領を歴史から取り返さなければならない! ~ 朝鮮に文化をもたらし、古代朝鮮半島南部を支配した倭人

◆『昔の日本はアメリカと同じくらい広かった!』~ 日本人としての自信を持たせた祖母の言葉

◆親次第で自虐史観なんてどうにでもなる ~ 日本のおかげでアジア諸国の独立が早まった・・・そんなことで喜んでるのも自虐史観の亜種にすぎない

◆保守は教育勅語の復権で一致団結を!~左翼価値観に風穴を開けるべし

◆失われた日本人の精神性と天皇の祈り① ~ 信仰とは信条を持つこと。神を信じる否かは関係ない ~ 母と子が父の無事を祈る『里の秋』

◆日本人の美意識が結集!溝口健二『雨月物語』~ 品が悪くなった日本女性

◆日本神話の絵本について ~ 子供たちに日本と天皇へ愛着を持たせましょう

◆自虐史観は日本人共通の唯一の宗教だった ~ 自虐史観からの脱却は日本における宗教革命

◆東京都の尖閣諸島買い取りがヌカ喜びにならないように ~ 目立つ情報に踊らされず、左翼の次なる手を常に警戒しよう

◆性善説的な視点に立った教育勅語、「修身」道徳教育の補完としては、「毒をもって毒を制す」のマキアベリズムこそ最適

トップ | 日本・世界の正しい歴史 | permalink | comments(1) |

古代日本史における朝鮮半島の倭国領を歴史から取り返さなければならない!
~ 朝鮮に文化をもたらし、古代朝鮮半島南部を支配した倭人

 ←はじめにクリックお願いします m(__)m

(2013.10.22)
白村江の戦い(663)で倭国・百済連合軍を滅ぼした新羅マンセーは論外ですが、私は新羅も高句麗も、日本人からすればどっちも朝鮮人だと思ってるので、高句麗人のことを「朝鮮人ではない」とムキになって言うような人は、北の工作入ってる人ではないかと疑います。私は、北朝鮮は高句麗、南朝鮮(韓国)は新羅のゆかりで今につながってると考えてるし、日本人(倭人)からすれば、新羅人も高句麗人も外国人でしかなく、私からすれば共に朝鮮人でしかありません。
高句麗の支配域は北朝鮮に、百済を滅ぼした際の新羅の支配域は韓国にほぼ重なります。だから朝鮮は元から決して同一民族なんかでなく、北と南で二国に分かれているのは理に叶ってるわけです。韓国特有の火病については、北朝鮮より新羅系の韓国に多いのでしょうね。

百済はもともとプヨ族中心だったところに、高句麗などとの対抗上、倭国が強力に支援し始めてから、倭人中心の国になり、王家も倭系になったと見なしてます。百済王族には多くの倭人が嫁いだと思いますし、百済の王を代表する武寧王も倭国の生まれであり、倭人同然といえましょう。

逆に新羅の建国が一部の記録通り、初期の王族 朴氏・昔氏が本当に倭系だったとするなら、後の金氏が今の朝鮮人であり、事実、金氏の代から新羅と倭国の対立は激しくなり、新羅は完全に金氏朝鮮人に乗っ取られ、百済を滅ぼして朝鮮半島を統一したのだと見なしてます。
わかりやすく言えば、百済は倭人が乗っ取った国、新羅は朝鮮人に乗っ取られた国とも言えましょう。だから結果として百済は倭人の国であり、新羅は朝鮮人の国なのです。

そして新羅には女王が治めていた時期があります。優秀な宰相がいればまだいいのですが、女王はいろんな意味でアチコチからちょっかい出されて利用されやすい。対外政策をコロコロ変えながらも後に滅んでしまった新羅はじめ、これら古代朝鮮の歴史を見ていくと、当時から日本ではどうして男系継承にこだわっていたのか、古代の日本人、天皇の思いが貴方にも見えてくるかもしれません。

  ← 応援クリック宜しくお願いします m(__)m

—————————————————————————–
(2012.4.13)  (戻る)
有名保守サイトとされてる偽装愛国工作サイトで、上っ面では日本人をさんざんマンセーしていながら、肝心な日本人のルーツの部分をよく見ると、日本人が海を渡って新羅の民族になり朝鮮人の国 百済を滅ぼしたとか、古事記の編纂者 稗田阿礼の書いた字がハングルになってたりとか、メチャクチャされてることに気づいたので、古代朝鮮半島に関しての話をこのところTwitterで書き綴ってました。

元々、古代朝鮮半島南部の支配者・先住民は倭人であったのに、高句麗らの朝鮮人が南下してきて新羅がいち早く高句麗に従属し、後に強大な唐と結んだ新羅の勃興で徐々に半島が朝鮮人に押さえられ、日本は日系 百済と共に白村江の戦いで敗れて朝鮮半島の覇権を失ってしまった
半島に取り残されてしまった倭人(日本人)のうち男は殆ど殺されたろうが、残された女子供が奴らの好き放題されたとすれば、朝鮮人の側に、倭人(日本人)のDNAを持った末裔が多数残されていることになる。

日本本土で朝鮮人のDNAを持つものは少数だろうが、あっち側には日本人のDNAを持ったものが多数いるとなれば、中には優秀な朝鮮人もいるのは、こういった理由からに思える。

すべてが朝鮮人起源と主張する、あっち側のファンタジー史観では、朝鮮半島から海を渡った朝鮮人が日本本土で豪族となり天皇も現れて日本を支配していった・・・しかし事実は全く逆で、現実はもともと先に半島にも多数いた日本人を、奴ら朝鮮人がシナと組んで侵略し、日本人のDNAを持った人々が朝鮮半島内、今の奴らの側に多数残っていることになるわけで、すべてが朝鮮起源なんてバカげた主張してる奴ら朝鮮人が、朝鮮半島での文化も実は日本人起源だったなんて、それを認めることになってしまえば、奴らの方こそ民族の根幹が揺るがされ、天地がひっくり返るような事態になってしまう

奴ら朝鮮人がこれほど必死になって日本人を貶め、朝鮮優位・朝鮮起源説を執拗に騒ぎ立てるのは、こういった、実際は古代朝鮮半島における文化発祥が日本人起源である歴史事実を完全に否定しないと、奴らの存在基盤が否定されることになりかねないからであろうように思える。

朝鮮人、特に朝鮮マンセー史観の識者なんかがこれ読んだら、図星でファビョる人が続出しそう。
古代朝鮮半島における日本人の歴史を取り返さないと、寝惚けた日本人はルーツをまるごと朝鮮人に奪われますよ。ねぶたや剣道どころでなく、あらゆる日本文化も天皇も日本人のルーツから何から何まですべて奴らに奪われます。

以下は昨日、古代朝鮮半島における倭人と朝鮮人の情勢について、twitterで私が呟いたものの一覧。

*************************************************************
百済・任那・新羅の勢力圏内で大量出土のヒスイ製勾玉。古代において東アジアには日本の糸魚川周辺のヒスイ工房しかない。化学組成検査により朝鮮半島で出土のヒスイが糸魚川周辺のものと同じと判明。倭国から朝鮮半島へ文化が流れていたことは明らか、というより当時の半島南部の支配者は倭人だった

朝鮮半島で見つかった日本固有の前方後円墳は5~6世紀のもので、日本本土には3世紀から前方後円墳があり、日本から朝鮮半島へ高度な文化が流入したことは明らか。百済・任那・新羅一体の朝鮮半島南部の支配者は倭人だった。高句麗らの朝鮮人が南下してくるまで

狗邪韓国(くやかんこく)は、3世紀中ごろ、朝鮮半島南部に存在した倭国の領土で倭人のいた地域。中国の正史「三国志」「後漢書」に登場。日本府 任那の前身。狗邪韓国は倭国の北岸であり、韓(馬韓・辰韓・弁韓の三地域)と倭は接している(陸続きである)と記述されている。当時は海の向こうも日本

倭国領 狗邪韓国(くやかんこく) http://bit.ly/IFg9PN のみならず、古代朝鮮半島の三韓地域(馬韓・辰韓・弁韓)には、多数の倭人、倭人の風習を持つ民族が各所にいた http://bit.ly/HzKT9q 当時から朝鮮半島南部全体が日本文化圏にあったのである

百済は朝鮮半島の倭系豪族が強大化して王族になったものと考えればいい。本土倭国の属国だったともいえる。高句麗を撃退した武寧王は九州で生まれ(日本書紀)、百済人は日系であり、渡来人なんて呼ばれてるものは半島にも多数いた日本人だったにすぎない。百済の優れた仏教美術も日本人。朝鮮人にそんな技術はない

新羅の地は南下した高句麗に早くから従属、朝鮮人にいち早く乗っ取られ、ソウル一のホテル「シーラホテル」に代表されるように、新羅(シーラ)は朝鮮人のシンボル的存在。韓国には新羅(シーラ)を冠したものが多数あるが、百済を冠したものは殆どない。朝鮮人は新羅が好きだが倭系の百済が嫌い

新羅も402年、倭国に奈忽王の子 未斯欣を人質に送って倭国の属国となり(三国史記)、一時は百済・新羅とも日本の属国だった。百済と新羅は友好関係にあったこともあるが後に激しく対立。新羅と高句麗は敵対したり手を結んだり、倭国・百済についたりシナ側についたり、当時から動きが激しい

百済も一時、高句麗の進撃に押されて高句麗についたことあるが、日本から送った武寧王の出現で高句麗を撃退した(6世紀初め)。倭国(日本)は古代においても当時から朝鮮半島諸国を服属させ、支配権を得るほどの強国だったのだ

高句麗・新羅は共に朝鮮系で、百済は日系に近いと考えればよい。新羅の朝鮮半島統一で日系 百済のみならず高句麗も滅ぼされるが、その後の新羅を滅ぼした高麗は高句麗系の末裔のようで高句麗復興を図った。朝鮮人には当時から北系(高句麗)と南系(新羅)があったと考えればよい
*************************************************************

上記、『後漢書』(5世紀初頭)にある「狗邪韓国は倭国の北端」とする東夷伝倭人条の記載。
「倭は韓の東南、大海中の山島によっており、およそ百余国ある。(前漢の)武帝が(衛氏)朝鮮を滅ぼしてから、三十余国が漢に使訳を通じてきた。国では皆が王を称することが代々の伝統である。そこの大倭王は、邪馬臺国に居する。楽浪郡からその国(邪馬台国)へ去ること一万二千里、その(倭の)西北端の拘邪韓国へ去ること七千余里。その地はだいたい会稽郡東冶の東にあり、朱崖や儋耳と相似しており、その法俗も多くが同じである」

また、倭国領 狗邪韓国があった3世紀頃の三韓(馬韓・辰韓・弁韓の三地域)時代についての記録は魏志韓伝にも残ってます(くわしくはこちら参照)。
当時の三韓諸国(全部合わせると80カ国ほどになる)の人々が、倭人と共通・関係すると思われるいくつかの記述は下の通り。

辰韓 ・弁韓とともに鉄の産出が多く、韓は無論、倭もワイ(高句麗人)も採取にやってくる。
    ・男女とも倭(人)に近く、文身をしている。
    ・戦いは歩戦で行う。
    ・城柵がある。

弁韓 ・馬韓や辰韓には無い城郭がある。
    ・衣(食)住は辰韓と同じであり、言葉も法俗(しきたり、慣習)もよく似ている。

馬韓 ・各国には長帥がいて、大国の君主は「臣智」、小国 の君主は「邑借」という。
    ・国中の邑々には「天君」という司祭がいる(「天君=あめぎみ」と読む可能性がある)。

尚、辰韓は後の新羅、馬韓は後の百済、弁韓は後の任那の地域に、ほぼ重なります。
ちなみに狗邪韓国は朝鮮半島の最も対馬に近い位置にあったと思えるし、そこから邪馬台国までの道筋についての記録は右図のように残っている。

尚、フェミや左翼が女王だったと大騒ぎして利用しようとする邪馬台国の卑弥呼ですが、実は卑弥呼が女王だったわけでなく、女神 天照大神を祀る今の天皇であったにすぎないのではないかという件について。
実際は下の投稿内容のような感じだったように私も思えてしまう。シナが邪馬台国と呼んだのも、倭国(大和国・ヤマトコク)のことでしょう。
邪馬台国が、九州だの畿内にあっただの、どうでもいい論議で大騒ぎしてるのも左翼の攪乱工作っぽいし・・・

戦前の歴史教育の識者と思え、この方の歴史に関する投稿は注目に値するものが多いです。
***********************************************************
2012/ 3/30 18:08 [ No.4789587 / 4813097 ]  天命  (Yahoo!掲示板より

邪馬台国の卑弥呼というのは【日の御子】で、天照大神をお祀りする現存の天皇であった。

このことを日本の古代の役人が、歴史と伝承を混ぜ合わせながら、いまの福岡県の入り口まで来た中国からの使者に語った。それが魏の国の使者には、歴史のように聞こえたのであろう。 それをもとにして【魏志倭人伝】が記された。

不確実性の上にファンタジーを繰り広げれば、そう理解することもできる。
(投稿者のID/ニックネーム:tennmeitennmei)
***********************************************************

【古代日本史 関連記事】

(戻る)◆こないだまで、古代日本は朝鮮半島南部を支配していたと教えられていたのに ~ 日本府 任那を消し去った売国奴学者列伝 実は朝鮮人か!?

◆未来の歴史教科書より ~ ルーツを守らない日本人の未来

◆朝鮮人は、朝鮮半島に住んでいた古代日本人を蹂躙した侵略者!

◆消し去られる朝鮮半島の日本府 任那 ~ 子供を日本人でなく地球人に育てる驚愕の社会科教科書

◆古代日本が朝鮮半島を領有していた事実をもっと広めなければなりません

(続き)◆『日本書紀』より、「(古代朝鮮半島の日本府)任那滅亡」

(始めから)◆竹島を武力行使で即奪回せよ! そして、まずは容易に取り返せる古代における朝鮮半島の日本府“任那”を日本史上に奪還し、日本人に再教育せよ! ~ 韓土の日本領も奪回! 朝鮮半島にある前方後円墳

◆『昔の日本はアメリカと同じくらい広かった!』~ 日本人としての自信を持たせた祖母の言葉

  ← 応援クリック宜しくお願いします m(__)m

—————————————————————————-
(2012.11.2)
日本人の、縄文人と朝鮮半島から渡ってきた弥生人混血説を裏付け 遺伝子解析で
2012.11.1 中国新聞
日本列島の先住民である縄文人と、朝鮮半島から渡ってきた弥生人とが混血を繰り返して現在の日本人になったとする「混血説」を裏付ける遺伝子解析の結果を、総合研究大学院大(神奈川県)などのチームがまとめ、日本人類遺伝学会が編集する1日付の国際専門誌電子版に発表した。
これまでも同様の研究結果はあったが、今回は1人当たり最大約90万カ所のDNA変異を解析し、結果の信頼性は非常に高いとしている。
チームはこれまで公開されている本土出身者(主に関東居住者)、中国人、欧米人など約460人分のDNAデータに、アイヌ民族と沖縄出身者の計71人分を新たに加えて解析した。その結果、アイヌ民族と遺伝的に最も近いのは沖縄出身者で、次が本土出身者と判明した。本土出身者は韓国人とも近かった。
この結果は、日本人全般が縄文人の遺伝子を受け継いでいる一方、本土出身者は弥生人との混血の度合いが大きく、混血しながら北海道や沖縄方面に広がっていったと解釈できるという。
日本人の起源は縄文人がそのまま各地の環境に適応した「変形説」、縄文人を弥生人が追い出して定着した「人種置換説」も知られているが、総研大の斎藤成也さいとう・なるや教授(遺伝学)は「研究結果は混血説のシナリオに一致した」と説明している。
チームは今後、縄文遺跡で見つかる人骨のDNAを分析するなどし、日本人のルーツの解明を進める。

◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆

ホラホラキタキタ 日本人の朝鮮由来説の捏造持ち上げ!
どこの誰かも知れない胡散臭い研究集団、こんなことまで必死に各誌で報道して、奴らはこうやって、日本人のルーツを根こそぎ奪っていくんだよ。ルーツさえ奪えば日本がどんなに立派な文化を持っていようとも、奴らはすべて朝鮮由来だって教えられるからね。
だから慰安婦や南京問題なんかより、こっち古代史の方が何百倍も重大なの。古代史に敏感であれ!

「今から千年以上前の古代史なんてどうだっていいじゃん。本当かどうかも怪しいものだ」なんて思ってる人いそうだけど、古代の歴史書を冒涜するのは、今、現代のことで教えられてるものが1000年経ったら「こんなのウソ、きっと作り話ばかり。」なんて言われて、今リアルに起こってる歴史についての記述がすべて葬り去られるのと同じことなんだからね。
日本書紀にしろシナの歴史書にしろ、当時の人々がリアルで書いたものなわけで、古代当時の彼らがどれだけ精魂込めて、真剣な思いで書き綴ったものであるか、それをよく考えてね。だから古代・過去も現代も未来も、全部同じ、つながってるんだよ。古代を大切にしないのは、現代人の思いを未来で葬り捨て去るのと同じなんだよ。

大体、上の報道の弥生人が朝鮮半島から海を渡ってきたなんてのはデタラメだし、古代当時は全く逆で、史実の通り、日本本土から海を隔てた朝鮮半島南部にかけて日本人が支配していたというのが事実。

古代でこれだけの史実が残っていて、朝鮮人と日本人は何の関係もない全く別の人種だ、なんてのはありえないんだよ。
奴ら朝鮮人側の主張は日本のルーツがすべて朝鮮にあるのだと・・・ネトウヨや情報弱者は短絡的に反発して、「日本人と朝鮮人は全く別の人種で何の関係もない」なんてヌカスけど(確信的な攪乱工作員もそう持っていく)、本当は奴ら朝鮮のルーツこそが日本人由来のものが多数あるのだということ。古代朝鮮半島の覇権争いで日本が勝利していれば、今の朝鮮半島も日本人の国だったわけだろうけど、要するに今の朝鮮人ってのは日本人になりそこなった、中途半端にしか日本人の血の混じってない、いわば出来損ない民族なんだってこと。この事実を知れば奴らはファビョるし、それが広まるのを恐れて、ありもしない朝鮮ルーツの捏造プロパガンダ、日本叩きをあれだけ必死にやってるってこと。そうしないと、奴らのいう“朝鮮民族(韓民族)”というのは消滅してしまうわけなんだから。

それと、古代朝鮮半島の日本領 任那が新羅(朝鮮人)に滅ぼされたこととか、子供たちにシッカリ教えろよ! 欽明天皇の命の元、新羅と戦って散った古代日本の英雄 イキナのことも!
そして、日本はイザナギ様とイザナミ様によって作られた国であるぞよ。

  ← 応援クリック宜しくお願いします m(__)m

—————————————————————————–
◆戦後の歴史教育を捨てよう。 歴史教育 再興 ① 永久保存版 戦前の国史(日本史)学習年表

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑦ 朝鮮半島の変遷。韓土の形勢 任那 日本府の滅亡

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑤ 朝鮮半島の内附 神功皇后の征伐 文物の伝来

◆天照大神が女神だからと女系天皇を主張するノーナシ左翼を一網打尽に論破、撃沈さす! ~ 男系継承を堅持したアマテラスとスサノオの子供たち

◆仏教も乗っ取る、反日・フェミ・同和・在日朝鮮人 キチガイ勢力の猛威~ 部落差別につながるからと、廃止が進められる“お清めの塩”

◆誰か石原慎太郎さんの朝鮮史観洗脳を解いてあげて! ~ 石原さん、日本人のルーツ観が間違ってますよ!

◆萌え系 日本神話がひどい件

◆亡国のシナリオ ② ~ 日本を、過去に滅んだロマノフ朝やハプスブルク帝国になぞらえたパターン

◆エセ保守 捏造ノスタルジーの映画『ALWAYS 三丁目の夕日』について

◆国旗、国歌だけあっても最低の入学式 ~ 追記 仕組まれたコロナウイルス騒ぎによるシナのシステム Zoom強制導入によるオンライン授業開始と9月入学制度

トップ | 日本・世界の正しい歴史 | permalink | comments(3) |

この上なく高貴だった日本女性 ~ 明治の武士

 ←はじめにクリックお願いします m(__)m

(2020.1.15)
明治天皇の崩御に続いた乃木将軍夫妻はよく知られていますが、下記は、前にも紹介した、小泉八雲『東の国から・心』(恒文社)より(詳しくは右画像クリック)。
◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆
【勇子】
――ひとつの追憶――
    明治二十四年五月

誰か世に烈婦を見いだしべけんや。烈婦は価高くして、津津浦浦にいたるも、容易にあることなし。 ――ラテン訳聖書

「天子様御心配。」天の御子が宸襟(しんきん=天子の心)を悩ませたもうておられるのである。
町には、いつにない、異様な静けさがあった。万民、ことごとく喪にあるごとき、粛然たる静けさである。
(略)
「天子様御心配。」このお触れを聞いたとき、とっさに勇子の心に、響きの応ずるごとくにうかんだ考えは、自分もなにか献上したいという、燃えるような願いであった。――この願いは、矢も楯も待っていられないほど、抑えがたいものであったが、しかし、自分はいま、他家に奉公中の身である。自分のものといっては、一物も持っていないのだから、せめてお給金のうちから、ごく少しずつでも貯金でもしないことには、とうていそれは、望んでも甲斐ないことであった。けれども、それでもなんとかして、という願いは、かたときも念頭を去らない。
(略)
夜が明ける。勇子は、お日さまをおがむ。さて、早朝のしごとをすませてしまうと、勇子は、しばらくお暇を下げていただきたいと申し出た。それが許された。やがて、勇子は、とっておきの一張羅の晴着を着て、よそゆきの派手な帯をしめ、はきおろしの白足袋をはく。天子様に自分の一命をささげるのに、これならこどから見ても恥ずかしくないという身なりをととのえるためである。それから一時間ののちに、勇子は、すでに京都をさして旅にのぼっていた。汽車の窓から、勇子は、うつりゆく景色を眺めて行く。天気は上上吉である。はるか遠いかなたの方は、うっとりと眠くなるような春霞が、うす青くたなびいて、よもの眺めはいかにものんどりとしている。勇子は、遠い自分の先祖がそれを見たと同じように、生まれた国の美しい景色を眺めながら行った。西洋人の目には、古い日本の絵巻物に繰り広げられる、妖しい美しさによる以外には、見ることのできない、この国の美しさである。勇子は、しみじみ、生きていることのよろこびを感じた。が、しかし、その生が、自分が生きながらえることができた場合、さきゆき、どんなにそれが貴重なものになるだろうかということは、夢にも考えないのである。自分が死んだのちも、世界はあいかわらず、いままでのとおり美しいままでのこるだろうと考えてみても、べつに、どうといって悲しい気持もおこらない。仏教徒の厭離遁世などという考えも、べつだん、勇子の心を圧してはいない。ただひとすじに、勇子は、昔からある神道の神々に、わが一身をゆだねているのである。その神々は、いまも車窓から見える、鎮守の森のうすぐらい奥、小高い山の上の古い社から、にこやかな微笑を勇子におくっている。それが、みんな、あとへあとへと飛んでゆく。そうして、おそらく、そうした神々の中で、ただひと柱の神だけが、いま勇子のからだに宿っているのだ。
(略)
自分が死んで、黄泉(よみ)の国の家の広座敷で彼女の来るのを待っている身内のものに逢えば、まっさきに、こういわれるだろう。――「おぬし、よくぞやったのう。――それでこそ、サムライの娘じゃ。さあ、上がれ!こよいは、そなたのために、神々もわれわれとごいっしょに御会食下さるぞ!」

勇子が京都に着いたのは、昼であった。彼女は、なによりもまず宿を見つけて、それから、腕のきいた女髪結の家をさがした。
「おそれいりますが、これをよく研いでいただきたいのですけど……。」そういって、勇子は女髪結に一挺の小さな剃刀をわたした。(剃刀というものは、女の身だしなみには、なくてはならぬ道具である。)「研ぎ上がるまで、わたくし、ここで待っております。」そういって、勇子は、いま買ってきたばかりの新聞紙をひろげて、帝都の記事を読みはじめた。勇子が新聞を読んでいるあいだ、店のものたちは、親しずからにうっかり声もかけられないような、しとやかなうちにも、どことなく犯しがたい、凛としたところのある勇子のようすに気おされて、みな、ものめずらしそうに、彼女のことを遠巻きに眺めていた。勇子の顔は、がんぜない三つ子のそれのように無心であったが、新聞に出ている聖上御憂慮の記事を読んでゆくうちに、肚(はら)のなかでは、しきりと先祖の御霊(みたま)がちくちくとうごいていた。「早くわたしにも時節がくればいい。」これが、先祖の御霊に答える、彼女の存在であった。「でも、なにごとも、早まっては駄目。じっと待つこと、じっと待つこと。」やがて、注文どおり、手落ちなく研ぎ上げられた小さな剃刀をうけとると、勇子はわずかばかりの代をはらって、それから宿へ帰ってきた。
宿で、勇子は、二通の書面をしたためた。一通は、自分の家にあてた書き置き、一通は、帝都にある高官にあてた、りっぱな訴願状で、これには、自分は数ならぬ賤(しず)の身であるが、正(まさ)なき非行のつぐないのために、みずからすすんで、うら若い一命をささげまつる。願わくは、わが微衷のほどを酌まれて、どうか天子様には御宸襟のおん悩みをしずませられ給えかしと、切々の祈りが書きこめられた。
勇子が、ふたたび宿をたちいでたのは、夜の引きあけの、ちょうど空もまだ今が暗いさなかという時刻であった。おもては、墓地のようにしんとしずまりかえっていた。町の灯かげもちらりほらりで、その光りもうすれていた。自分の下駄の音だけが、いやに高く耳につく。見ているものは、星のかげばかりであった。
まもなく、御所の奥ふかい門が、勇子の目のまえにあった。まっくらなその影のなかへ、勇子はそっとしのびいって、口のうちに祈祷をとなえながら、そこにぴたりと跪坐(きざ)した。それから、古式のとおりに、丈夫で、しなやかな絹の腰紐をほどくと、着物の上からぎゅっとそれでからだを結わえて、ちょうど両膝の上のところで結び目をとめた。それは、かりにもサムライの娘ともあろうものが、自分には無意識な苦悶の刹那に、たとえどんなことが起ころうとも、手足をとりみだした、見苦しい死にざまを見せてはならないためであった。支度がすむと、勇子は心を澄まし、手もと狂わず、ひと突きに、吭笛(のどぶえ)をかき切った。切り口からは、血がどくどくと脈を打って噴きでた。サムライの娘は、こういうことに、けっして手もとをあやまるようなことはない。動脈と静脈のありかを、ちゃんとこころえているからである。

日がのぼったころ、巡査が勇子を発見したときには、彼女は、もうすっかり冷たくなっていた。例の二通の遺書と、それに、五円なにがしかはいっていた(この金で、勇子は、自分を埋葬してもらうつもりでいたのである)貧しい小さな財布とが発見された。やがて、死体とこまこました遺品とは、人の手によって取りかたづけられた。

ことの顛末は、ただちに、電光のごとく、数百の都市につたえられた。
帝都の各大新聞は、この報道をうけとると、冷眼皮肉な、世の中の裏ばかり見たがる記者たちは、思い思いに、あらぬ想像を馳せて、こうした犠牲的行為にありがちな動機――かくれた罪状とか、家庭の悩みとか、失恋とか、そういうものを探しだそうとして躍起になった。けれども、そういうものは、なにひとつ発見されなかった。勇子のひとすじな生活の中には、匿された秘密も、弱味も、汚名も、なにもなかったのである。ひらきかけた蓮の花の清らかさ、それさえ、勇子の操にくらべれば劣るものであった。そこで、冷酷皮肉な記者たちも、サムライの娘にふさわしい、りっぱなことだけを、記事に書くよりほかに手がなかった。
天の御子も、このことを聞こし召されて、民草が、いかに陛下のことを愛し奉っているかを知ろし召されて、おそれ多くも、以後、宸襟を悩ませられることをとどめられたもうたのであった。
時の大臣たちも、王座のかげで、たがいに囁きあった。「将来、いろいろに物は変ってゆくだろうが、しかし、国民のこの赤心だけは変るまいな。」[赤心(せきしん)=嘘いつわりのない、ありのままの心]

それにもかかわらず、政府は、例の高等政策というやつで、頬かぶりをして、いっさい知らぬ顔をしてすましたのである。

  ← 応援クリック宜しくお願いします m(__)m

—————————————————————————–
◆高貴だった日本女性 ~ 子供の想い出を胸に生きる 阿弥陀寺の比丘尼 小泉八雲『心』より

◆陛下の靖国参拝こそが核心。総理や閣僚の参拝は本質問題ではない

◆本物の“大和撫子”入門 ③ ~ 我の否定、徹底した自己犠牲精神 新渡戸稲造『武士道』より

◆敗者の名誉を重んじた日本人 ~ 日本で切腹が存在した意味

◆日本人の歴史の血と骨であった仇討ちについて真剣に考えてみよう

◆ヘナチョコ男とパッパラパー女はいらない ~ 命とは尊く儚いもの

◆日本女性の魅力を引き出す、着物での美しい所作、歩き方 ~ 映画『忠臣蔵』より

◆戦後の歴史教育を捨てよう。 歴史教育 再興 ① 永久保存版 戦前の国史(日本史)学習年表

◆本当の浦島太郎は……

◆戦前の絵本から ~ 真実の日本軍。最強だったその勇姿 ②

◆特攻隊の青春群像 映画『決戦の大空へ 』と、フィリピンの神風記念碑

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前教科書 尋常小学 国史より ④ 第二十五 北畠親房と楠木正行

◆さよなら“政治”。 民主主義を掲げる奴を信用するな! ~ “民主主義”による選挙とは、「こんなクズしかいないけど、こんなかから選んでね」というのが本質的な正体

◆“恥の文化”から“恥知らずの文化”に成り下がった日本

トップ | 日本・世界の正しい歴史 | permalink | comments(0) |

朝鮮人は、朝鮮半島に住んでいた古代日本人を蹂躙した侵略者!

 ←はじめにクリックお願いします m(__)m

(2018.9.30)
言論弾圧のtwitter、アカウント停止で見れなくなっててtwitter貼ってるとこ全部なおさんといかんね。めんどくさ。あんなクズシステム使わんどきゃよかったわ。朝鮮人はやることが汚い。

  ← 応援クリック宜しくお願いします m(__)m

—————————————————————————–
(2016.1.23)
昨日、で紹介しましたが(詳しくは右画像クリック)、明治天皇の信頼が厚く、教育勅語に大きな影響を与えた儒学者 元田永孚(もとだながさね)が明治天皇の勅命を受けて作成した勅撰修身書『幼学綱要』にある、伊企難(いきな)のエピソード挿絵です。『幼学綱要』については、またいつか詳しく取り上げたいと思ってます。

  ← 応援クリック宜しくお願いします m(__)m

—————————————————————————–
(2012.10.23)
ここで紹介の『国語副読本』や戦前の道徳教育『尋常 小学修身書』をずっと子供に読ませてましたが、小学校高学年向けにまで進んでくると、ちょっと一年生には厳しくなってきたので、もっぱら今は『日本人を育む 小学国語読本 低学年用』(詳しくは右写真クリック。高学年用もあります)という本を子供に毎朝、読ませてます。これには日本の昔話から日本神話、平家物語のような古典、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』のような近代文学までいろんなお話が収録されていて、しかも全文フリガナ付きなので子供だけで声を出して読み進めることだって出来るし、親にとっても非常にありがたいです。国生みの部分は話がハシ折られて物足りないところもあるのですが、日本神話は他の絵本や本で補足すればよいでしょう。
この本は日本人的な感性を育めそうな材料がいろいろちりばめられていて、平易で短い文章だし、別に小学生に限らず、中高生とかに入門用で読ませるにもなかなかよさそうです。

今日はこの本にある、古代当時の日本と新羅の生々しい関係が伺えるエピソードをご紹介します。
*************************************************************
新羅と戦った古代日本軍の将 【伊企難(いきな)】  (『日本書紀』より)


欽明天皇の二十三年、日本が新羅を攻めた時のことです。
伊企難は大へん勇敢な武士でしたが、不幸にも捕虜となり、新羅の大将の面前に引き立てられました。
「その方、もし褌(ふんどし)をはずし、尻を日本に向けて、日本の大将! わが尻を食らえ! と叫んだら許してつかわそう」
と言われました。伊企難は、
「よろしい! 申しましょう!」
と、早速尻をまくって、新羅の大将の方に尻を向けて、
「新羅の大将! わが尻を食らえ!」
と二度も三度も大声で叫びましたから、伊企難はとうとう殺されてしまいました。

*************************************************************
私は最初、内容も知らず何気なしに子供に読んでもらっていたのですが、話の重さを知って感動のあまり涙がこぼれそうになりました・・・
「いいぞ、いいぞ、偉いぞ、イキナ。これが本物の日本人、日本男児だー! おのれ、憎っくき新羅、朝鮮めー!」って思いでいっぱいに・・・

これこそ本物の歴史、忘れてならない、古代日本人の新羅(今の朝鮮系)への思ひなんですよ!
正史とされる『日本書紀』に記載、こういう凄く大事なことを教えない現代日本の学校教育というのは犯罪的なんですよ。
私も含めてですが、日本人が自国の歴史を知らなさすぎるってこと、思い知りました?
偉大な先人の思ひにつながることが出来ましたか? 日本人は古代史、日本のルーツをシッカリ守りましょう!
(尚、欽明23年は西暦562年、任那(みまな)が新羅に滅された年であり、欽明天皇は最後まで任那復興を夢見ながら亡くなりました。)

  ← 応援クリック宜しくお願いします m(__)m

—————————————————————————–
(戻る)   (2011.5.14)
古代において、日本は朝鮮半島の一部を領有し、当時の半島にはたくさんの日本人が住んでいました。
古代 日本人が住んでいた日本文化圏といえた地域は日本本土のみならず、朝鮮半島でも日本府 任那(みまな)を中心に、当時の親日国 倭人の支配していた百済にまで及びます。

そして、任那と百済は、当時の大国 唐と朝鮮人の国 新羅の連合軍によって滅ばされ、その後、朝鮮半島は新羅に占領されることとなります。

そして更には、唐・新羅の連合軍が日本本土にまで侵攻してくる恐れがあったため、日本(倭国)を守ろうとした当時の古代日本人の遺跡が九州にはたくさん残っています。

私は九州生まれで、実家の近くには古代日本の外交舞台となっていた広大な大宰府政庁跡はじめ、当時の日本を取り巻く状況を生々しく語る史跡がたくさんあります。もっと古い吉野ヶ里遺跡など、数多くの遺跡も残されてます。

九州に大宰府政庁が置かれたのは7世紀初め(日本書紀)。当時、朝鮮半島内にいた日本人は、唐と手を結んだ新羅の侵略に追い詰められます。白村江の戦い(663年)において、百済・倭国連合軍と唐・新羅連合軍は陸・海に亘って激しい会戦を繰り広げますが、倭国(日本)は敗れ、百済も滅びます。日本は翌664年(天智4年)、筑紫・壱岐・対馬に防人を置き、大宰府から約1.5kmの場所に防衛戦としての土塁、長大な「水城(みずき)」も築きました。

朝鮮半島から命からがら日本本土に逃げ延びた古代日本人は、その後も残忍な唐・新羅連合軍の脅威に怯え、防波堤となる九州にたくさんの防衛線を張ったのです。
古代日本人がシナ・朝鮮人に抱いていた感情、日本人は決して忘れてはなりません。先人の築いた防衛拠点は、後の元寇ではもちろん、そのまま現代日本の国防にも通じているように思えます。

海を渡ってきた日本人を今では渡来人(帰化人)などと呼んで、奴らはすべての文化が朝鮮から渡ってきたような主張をしてますが、もともと渡って来た彼らは朝鮮半島に住んでいた当時の日本人。
奴らは日本のルーツを根こそぎ奪おうとしています。われわれ日本人はそれに対抗するため、日本本土のみならず朝鮮半島内にいた先人たちの残した日本のルーツを守らなければなりません。

朝鮮人を身近に感じる必要はないでしょうが、日本が領有し、多くの古代日本人が住んでいた朝鮮半島を、日本人はもっと身近に感じなければなりません。日本府 任那を歴史教育に復活させましょう。
日本が領有していた朝鮮半島を侵略し、歴史の歪曲・捏造まで図る奴らへ、徹底した対抗意識を持ってください。

やたら朝鮮半島への嫌悪感を持たせ、「朝鮮には手を出すな」と騒いで日本本土と半島の境界意識を煽ろうとするのは、古代日本が半島を領有していた事実から目を逸らさせるための、奴ら朝鮮系エセ右翼の攪乱戦略です。奴らが守ろうとしているのは、日本ではなく朝鮮半島、それにまんまと乗せられないでください。
(続く)


博多の方から太宰府市に入ってまもなく、道路や線路を横切って木立に覆われた丘が続きます。それが664年、唐・新羅の侵攻に備えて築かれた防衛施設 水城、いわば日本版 万里の長城。今も水城跡に咲いては散る“桜花” 、美しい。

  ← 応援クリック宜しくお願いします m(__)m

—————————————————————————–
(続き)◆消し去られる朝鮮半島の日本府 任那 ~ 子供を日本人でなく地球人に育てる驚愕の社会科教科書

(戻る)◆古代日本が朝鮮半島を領有していた事実をもっと広めなければなりません

◆『日本書紀』より、「(古代朝鮮半島の日本府)任那滅亡」

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑦ 朝鮮半島の変遷。韓土の形勢 任那 日本府の滅亡

◆人権侵害救済法案 ~ どうしてこんな売国法案が日本政府から出されるのか

◆『昔の日本はアメリカと同じくらい広かった!』~ 日本人としての自信を持たせた祖母の言葉

◆日本の民謡ばとっても明るい気分にしてくれます ~ 東北への応援歌

◆イザナギとイザナミに見る、日本における男女のあり方 ~ 日本神話を題材に

(始めから)◆竹島を武力行使で即奪回せよ! そして、まずは容易に取り返せる古代における朝鮮半島の日本府“任那”を日本史上に奪還し、日本人に再教育せよ! ~ 韓土の日本領も奪回! 朝鮮半島にある前方後円墳

◆自虐史観は日本人共通の唯一の宗教だった ~ 自虐史観からの脱却は日本における宗教革命

◆「 日本は朝鮮人のもの!」 朝鮮人が参政権獲得に決起 ~ 亡国 民主党政権

◆少子化は自虐史観に関連性あり!? ~ 日独伊 敗戦三国のみが異常な少子化傾向

◆「国を守ろう!」、「一つになろう!」 ・・・これって左翼のスローガンにもなるってわかってます?

◆言論弾圧企業 思想統制ファシズムの twitter

トップ | 日本・世界の正しい歴史 | permalink | comments(2) |

高貴だった日本女性 ~ 子供の想い出を胸に生きる
阿弥陀寺の比丘尼 小泉八雲『心』より

 ←はじめにクリックお願いします m(__)m

(2020.10.27)
【あみだ寺の比丘尼(びくに)】
おとよの夫は、おとよのまたいとこで、たがいに思い思われた中で婿にきた男である。その夫が、領主に呼ばれて京へのぼった時、おとよは、ことさらさきざきのことなど案じもしなかった。おとよは、ただ心ぼそいと思った。が、両親もそばにいることだったし、それに、このことはじぶんではおくびにも出さなかったが、おとよには、生みの親よりもはるかに愛着の深い、小さなせがれがあったのである。のみならず、おとよは、ふだん自分のする用がたくさんある体だった。いろいろ家の切りもりにも当たらなければならなかったし、絹や木綿の機を織る仕事もいっぱいある身だった。
おとよは、日に一度ずつ、いつも決まった時刻に、留守の夫のために、夫がふだん寝起きしていたなじみのふかい部屋へ、きれいな塗りもの膳に手落ちなく整えた、蔭膳をすえた。蔭膳というのは、先祖代々の霊や神棚にそなえる、お供え膳のまねことのようなものである。このかげ膳は、いつも必ず、座敷の東側に供えられた。そして膳の前には、型のように、夫の敷きなれた座ぶとんが敷かれた。膳を東向きにするのは、夫が東の方へ旅立ったからである。おとよは、膳のものを下げる前に、いつも忘れずに、小さな汁椀のふたをとって、そのふたの内側に湯気がたまっているかどうかをあらためて見た。供えた汁椀のふたの内がわに湯気がたまっていれば、旅に出ている人は無事息災だというのである。湯気がたまっていないと、その人は死んでいるのである。つまりそれは、その人のたましいが食べ物を求めに帰ってきたというしるしなのである。おとよは、来る日も来る日も、椀のふたに、湯気のしずくが大きな玉になっているのを見た。
子供は、おとよが常住(じょうじゅう:永遠不変なこと)のよろこびであった。まだやっと三つであったが、この子は、よく神様でなければほんとの答えは御存知ないようなことばかり、好んで聞きたがった。子供が遊びたいといえば、おとよはいつもしかけた仕事の手をおいて、いっしょに相手になって遊んでやった。子供が眠くなると、おとよは、きまっておもしろい話をしてきかせたり、余人にはとてもわからないようなことを尋ねる子供の問いに、いちいち克明に答えてやったりした。夕方になると、仏壇や神棚に、小さなお灯明があがる。すると、おとよは、片言まじりに、子供に父親の無事を祈ることを教えてやるのである。そんなことをしているうちに、やがて、子供が床に寝つく。するとおとよは枕元へ仕事をもってきて、がんぜない子供の寝顔を、いつまでも、いつまでも、見守って飽きないのである。どうかすると、眠っている子供が、夢の中でにっこり笑ったりすることがある。それを見ると、おとよは、これはきっと観音さまが夢の中で、坊やといっしょに遊んでいらっしゃるのだとこころえて、「世上一切の祈願の音声(おんじょう)を常住に観じ給う」あの処女菩薩に向かって、さっそく口の中でお経の文句をとなえるのだった。
春になって、毎日、うち晴れた天気が続くようになると、おとよは、よく子供を負ぶっては、ダケヤマ(嵩山)へ登った。こういう遊山を、子供は大へんよろこんだ。あれは何、これは何と、母親からおもしろい物を見せてもらえるほかに、いろいろのおもしろい物を聞かしてもらうことができたからである。爪先あがりの細い径(こみち)が、藪や森の中を抜けて、だらだらとのぼっていく。ときには、草の生えた斜面を通ったり、そうかと思うと、おもしろい形をした岩の根かたを回ってゆくこともある。そうして、そこにはさまざなの物語をしべの奥にひそめた花だの、木精(こだま)を宿した大きな木だのがあった。山鳩がクルー、クルーと鳴いているかと思うと、土鳩がオワォ、オワォと悲しそうな声で鳴いていたり、蝉が、ミンミン、ジージー、カナカナ鳴いていたりした。

(略)

こうした参詣の日に、おとよと子供が家に帰りつくのは、いつもたいてい、夕闇が静かにあたりを立ちこめる頃であった。道のりもかなりあったし、それに往きも帰りも、町をかこむ渺々(びょうびょう)とした水田を小舟で渡らなければならなかったので、ずいぶんお練りの道中であった。そんなわけで、どうかすると帰りみちには、星かげや蛍火がふたりを照らすこともあったし、ときには月さえのぼることがあったりした。そんなとき、おとよはいつもしずかな声で、お月さまを歌った出雲の国のわらべ歌を、子供にうたって聞かせるのだった。

ののさん(あるいは、お月さん)いくつ
十三 ここのつ
それはまだ 若いよ
わかいも 道理
赤い色の 帯と
白い色の 帯と
腰にしゃんと 結んで
馬にやる いやいや
牛にやる いやいや

すると、あたりがとっぷりと水いろの夜に暮れきるまで、幾里も幾里も果てしなくつづく、一面の水田から、しずかに泡立つような蛙の合唱がわきおこってくる。まるでそれは、大地の底からわきおこるような一大合唱であった。おとよは、蛙のことばを、いつも子供に言ってきかせるのだった。――「ほらね、メカユイ、メカユイ。――目がかゆいよ、ねむくなったよって、蛙が鳴いてるだろ。」
そうして、こうしているうちは、なにもかもがほんとに楽しい時であった。

やがて、そうこうしているうちに、わずか三日のあいだに、永遠の神秘に属する生と死とをつかさどる神の摂理が、つづけざまに二度までも、おとよの心を打ちのめしたのである。まず最初に、おとよは、自分があんなにいくどとなく無事を祈ったやさしい夫が、とうとう不帰の客となった――この世の借りものである一切の形骸から、もとの塵にかえってしまったことを知らされたのである。それからまもない二度目の時には、おとよは、自分の子供が、漢方医の手でも醒ますことのできない、深い眠りについたことを知らされたのである。おとよがこれらの出来事をさとったのは、一閃(いっせん)、キラリとひらめく稲妻の光の中で、物の形をパッとさとったのと同じであった。そして、この二つの稲妻の閃(ひらめ)きと閃きの間も、それからその先も、ともにいっさいは神の慈悲なる絶対無明の闇であった。
やがて、その闇もいつとなしに去ってしまうと、ようやくのことで起き上がったおとよは、こんどは、「おもいで」という百年の仇敵に行きあった。この仇敵以外のものの前では、おとよは、あいかわらず依然と同じように、いつもにこやかな、愛くるしい顔をしていられたのである。けれども、この「おもいで」という客と差し向かいになると、おとよは、つくづく自分の無力を感じた。おとよは、よく畳の上に小さなおもちゃを並べてみたり、小さな着物を広げてみたりして、じっとそれを打ち眺めては、小声でなにか話しかけたり、物も言わずにひとりでにたにた笑ったりした。けれども、その微笑は、いつもかならずその果ては、激しいむせび泣きに終わるのが常だった。そうして、畳に頭をすりつけては、たわいもない問いを神仏にかけるのが癖のようになった。

(略)

こうして、春は去り秋は来たり、いくどかの季節が去っては来たりして、やがておとよの父親は、娘にもういちど婿を迎えてやろうと思い立った。そして、母親にいった。
「うちの娘にも、あれでもういちどせがれでもできたら、あれにとっても大きな喜び、わしらにとっても大喜びだがのう。」
ところが、物のわかった母親は、それに答えていった。――
「あの娘は、けっこうあれでしあわせでいますよ。再縁するなんて、とてもあの娘には思いもよりません。この節じゃ、すっかりもう、苦労も罪もなんにも知らない、ほんのねんねえになってしまいましたもの。」
おとよが、真の心の痛みを覚えぬようになったことは、事実だった。ところが、だいぶ前からおとよは、どんな品にかぎらず、きわめて小さなものに、ふしぎな嗜好を見せはじめていた。最初はまず、自分のふだん寝起きする蒲団が、どうもこれでは大きすぎると言いだしたのである。おそらくこれは、添い寝する子を亡くしたあとの、空虚な感じからいうのであったろうが、そのうちに、だんだん日がたつにつれて、他の品でも、何によらず大きすぎるように思われてきだしたのである。げんに、住んでいる家からしてがそれで、長年住みなれた座敷やら、見慣れた床の間やら、床の間にある大きな花瓶やら、――しまいには、日常つかう膳椀のような什器までが、大きすぎるように思われてきた。飯をたべるにも、おとよは子供の用いるような、ごくちいぽけな椀から、お雛さまのような箸で食べたがった。
こうしたことにも、おとよは、家では親たちから慈愛ふかく、なにごとも気まかせにされていた。そうして、ほかのことにはかくべつ変った選り好みはなかったのである。そんなわけで、年とった親たちは、暇さえあれば、しじゅう娘のことで、折につけては談合した。とうとうしまいに、父親がこんなことを言いだした。
「うちのおとよも、あの分じゃ、いまさら見ず知らずの赤の他人といっしょに暮らすのも辛かろう。といって、わたしたちももう寄る年なみだ。おっつけ、あれを跡にのこしてゆくことは知れている。まあ、あれひとりで身すぎとでもいうことになれば、まず尼さんにでもするよりほかに、道はあるまいぞ。どうだな、ひとつあれのために、小さな堂でも建ててやることにしては。」
そのあくる日、母親は、おとよに尋ねてみた。――
「おまえね、尼さんになるのは、おいやかい? 尼さんになって、小さな須弥檀(しゅみだん)だの、小さなご本尊さまをお供えしてさ、ごくもうちんまりとしたお堂で、おまえ、暮らす気はないかい? お父っあんやおっ母さんも、しじゅうそばにいてあげるんだよ。おまえがもしその気がおありなら、お坊さんにお願いして、おまえにお経をおしえていただくようにするけどねえ。」
おとよは、それを希望した。そして、ごく小さな尼の法衣を一枚こしらえてくれ、といって頼んだ。けれども、母親はいった。――
「そりゃおまえ、ほかの物なら、なんでも小さくしてこしらえて上げられるけれど、法衣だけはだめだよ。尼さんというものはね、大きな法衣を着なければいけないものなんだよ。お釈迦さまが、そうおきめになったんだからね。」
そういわれて、おとよはようやくのことで、よその尼さんたちと同じ法衣を着ることを承知したのである。

やがて、両親はおとよのために、むかしあみだ寺という大きな寺のあった境内に、一宇の小さな庵寺を建立した。そして、この庵寺も、おなじようにあみだ寺と呼び、名のごとく、あみだ如来を本尊に安置し、ほかの諸仏も勧進した。堂には、ごく小さな須弥檀に、おもちゃのような仏具をそなえた。ちいさな経机に、ちいさな経本、小さな衝立、ちいさな鐘、小さな掛け物などが、そこに並べられた。そして、おとよは、両親のみかまったのちも、この庵寺でながく暮らした。ところの人たちは、おとよのことを、あみだ寺の比丘尼と呼んだ。
おとよは、毎日、朝の托鉢(たくはつ)をすませてしまうと、小さな機台の前に坐るのがならわしであった。けれども、おとよの織る手織りの布は、とても満足な用には立たないような、織り幅の狭いものであった。それでも、おとよが織った手織り地は、彼女の身の上を知っている幾軒かの商店主が、きまって買いとって行った。そういう商店主たちは、おとよに、ごく小さな茶わんだの、小さな花瓶だの、庭におく枝ぶりの変った盆栽などを贈り物にした。
このおとよが、一ばんおおきな楽しみにしていたことは、子供たちと仲よしになることだった。それには、おとよはいつも事欠かなかった。いったい、日本の子供の生活というものは、たいていはお寺の境内で過ごされるもので、このあみだ寺の境内でも、ずいぶん多くの楽しい幼少年時代が過ごされたものである。おなじ町内の母親たちは、みんなこの寺の境内で、自分たちの子供を遊ばせることを好んだ。そのかわり、比丘尼さんのことを決して馬鹿にしてはいけないよと、子供たちにくれぐれもよく注意してやった。母親たちは、よく言い言いした。「どうかするとね、妙なまねをなさるようなことがあるかもしれないけれど、それは前に一度、あの比丘尼さんは、ご自分にかわいい坊ちゃんがおありになったのを、お亡くしになったもんだから、その辛さが、お母さんとして胸いっぱいにおありになるんだからね。だから、おまえたちも、比丘尼さんには、ようくおとなしくして、失礼のないようにしなくちゃいけないよ。」
子供たちは、みなおとなしかったけれども、相手を敬うという意味では、あんまり礼を欠かない方だとはいえなかった。固苦しい行儀を守るよりも、子供たちは、万事よろしきようにやることをこころえていた。それでもかんしんに、おとよのことを「比丘尼さん、比丘尼さん」と呼んでは、ていねいにお辞儀だけはするのだが、それはその時こっきりで、そうでない時は、自分たちと同じ仲間並みにあつかった。そして、一緒に仲間に入れては、いろんな遊びをするのだったが、おとよの方では、子供たちに小さな茶わんでお茶を出したり、豆粒ぐらいな餅を山とこしらえてやったり、そうかと思うと、子供たちの人形の着物に、木綿や絹の布地を、わざわざ織ってやったりした。そんなわけで、おとよは子供たちにとって、肉親の姉のようになった。
ところで、そうやって毎日のように、おとよと一緒に遊んでいた子供たちも、いつのまにか、おとよと昔のように遊ぶには、もうすっかり成人した大人になってしまい、あみだ寺の境内を去って、それぞれ世の中の辛い仕事にたずさわるようになり、やがて父となり母となって、こんどは自分たちの子供を代りに遊びによこすようになった。そして、そういう子供たちも、親たちがしたと同じように、みんな比丘尼さんのことを好くようになった。こんなふうにして、あみだ寺の比丘尼は、このお寺が建てられた時分のことをおぼえている人たちの、子供や、孫や、曾孫たちといっしょに遊ぶまで、長生きをしたのである。
近所の人たちも、おとよが不自由な思いをしないようにと、何かにつけてよく目をかけてくれた。そんなわけで、おとよのところには、いつでもおとよが自分一人で事足りる以上の、余分な喜捨があった。したがって、おとよはそれらの子供たちに、なんとか思うままの親切をつくしてやることができたし、犬・猫のような動物などにも、ありあまるほどの餌をやることができた。小鳥たちは、お堂の中に巣をつくって、おとよの手から餌をついばんだ。おとよは、そういう小鳥たちに、仏さまの頭などに止まってはいけませんよ、といって教えた。

おとよの葬式がすんでから、幾日か経った後のことである。ある日、わたくしの家へ大ぜいの子供たちが、打ちそろって訪ねてきた。九つばかりの女の子が、みんなに代って、次のように述べた。
「おじさん、わたいたち、お亡くなりになった比丘尼さんのことで、お願いがあってきたんやで。比丘尼さんのお墓に、大へん大きなお石塔が立ったの。とても立派なお墓やわ。でも、わたいたちも、みんなして、ごく小さな小さなお墓をひとつ立ててあげたいと思うんです。比丘尼さんがまだ生きてござった時分に、お墓ならごく小さなお墓が好きやて、よくいうてござったでね。で、石屋さんに聞いたら、お金さえ出せばこしらえたる、いいのをこしらえたる、いうんです。そげすて、おじさん、おじさんもいくらか出してごすなさいな。」
「ああ、出しますとも」とわたくしは言った。「でも、あんたがた、これから、遊ぶところがなくなってしまったでしょう。」
すると、女の子は、にこにこ笑いながら、答えた。
「いいえ、わたいたち、やっぱりあみだ寺の御境内で遊ぶわ。比丘尼さんは、あすこに埋められてござるでね。きっと、わたくしたちの遊んでいるのを聞いて、喜んでごしなさるわ」

◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆

ずっと前から載せたいと思っていた、私がとても心をつき動かされたエピソード。何度か紹介していますが、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の『東の国から・心』(恒文社)より(詳しくは右画像クリック)。

昔は独身となった女性は出家して尼になる人も多かったわけですが、今はその選択肢さえ難しくなりました。こんな時代でも、実際に尼になれたような人はある意味、恵まれてるように思えます。

  ← 応援クリック宜しくお願いします m(__)m

—————————————————————————–
◆この上なく高貴だった日本女性 ~ 明治の武士

◆本当の浦島太郎は……

◆“男の浮気” と “子供の死” には覚悟をしておいた方がいい ~ 本当に強い女性とはこういうこと。女としてのポジション確認

◆武士の子女教育カリキュラム ~ 貝原益軒『和俗童子訓』より

◆子育て、死生観が変わる。読んでおきたい日本の古典 ~ 『土佐日記』と、一茶の俳句

◆失われた日本人の精神性と天皇の祈り① ~ 信仰とは信条を持つこと。神を信じる否かは関係ない ~ 母と子が父の無事を祈る『里の秋』

◆「イケメン」なんて言葉は朝鮮語! 日本語にそんな言葉ありません!~ 貧脳になる、マスコミが流行らせた使ってはいけない言葉

◆ヘナチョコ男とパッパラパー女はいらない ~ 命とは尊く儚いもの

◆ブースカとロボコンを見てる子はいい子に育つ!

◆映画『Sayonara』 愛を貫いて死を恐れない、ヤマトナデシコ~ 変れば変るもの。日本人の美意識

◆幼い子には、やっぱりお母さんの子守歌を毎晩、聴かせてあげましょうね!

◆失われた日本人の精神性と天皇の祈り③ ~ 日本人の精神性は世界随一であった

◆フランス革命ネタです。“暗殺の天使”シャルロット・コルデーと「マラーの死」

◆アバズレ主婦増産のため、左翼マスコミからの贈り物

◆わが子の育て方、しつけの仕方 ~ 母親のための人間学 家庭教育の心得

◆そもそも、生きるとは辛いもの ~ ピープル・ハブ・ザ・パワー

トップ | 日本・世界の正しい歴史 | permalink | comments(2) |

『日本書紀』より、「(古代朝鮮半島の日本府)任那滅亡」

 ←はじめにクリックお願いします m(__)m

(2020.10.9)
今の歴史学者と呼ばれてる連中は、明らかに学者というより、歴史屋にすぎません。
政治家が、金儲けのため商売で政治を利用する、政治屋になってしまったのと同じです。
私は解説本なんかより、出来るだけ原本を読むようにしてます。それはたとえば武士道とかにしろ、ガイドブックを読んだら知った風な気持ちになるでしょうが、原本(といっても邦訳ですが)を読むとかなり違っていることも多いからです。だからここの皆さんにも、それなりに知識を持たれている方は、出来るだけ原本から入っていった方がいいように感じます。原本さえ読めば他を読む必要もありません。原本といっても原文で書かれているものでなく、現代語に訳されているものでかまいません(ただ最近は古典や外国本の訳書もかなりひどいものが多いので注意が必要)。昔の古典はさすがに原文では普通の人にはしんどいでしょうから。それでも、ここで紹介している『和俗童子訓』とかは原文でも現代日本人が十分理解できるほど平易ですよ。
日本書紀についても、全部読むのはさすがに大変ですが、関心ある部分については、現代語訳を読んでおいた方がいいです。

  ← 応援クリック宜しくお願いします m(__)m

—————————————————————————–
(2013.7.4)   (戻る)
『日本書紀』(720年)は、日本最古の正式な歴史書(詳しくは右画像クリック)。
これには、倭の官家(みやけ)が治める古代朝鮮半島南部の任那や百済はじめ、新羅や高句麗などとの激しい攻防の記録が、実に生々しく記載されてます。

以下は『日本書紀』の任那(みまな)についての記述から。
新羅の侵攻により、徐々に倭国は朝鮮半島内の勢力圏を失っていきます。きっとこれを読めば、当時の朝鮮半島に支配域を持っていた古代日本人、天皇陛下らの無念の思いが痛いほど伝わってくることでしょう。
古代日本と朝鮮半島の関係、民族の根幹に関わる、これだけ詳細な史実を教えないどころか、デタラメの捏造朝鮮史観を教えている日本の学校教育は狂ってます。朝鮮スリ寄り歴史学者らは万死に値します。
*************************************************************
【聖明王 任那復興の協議】
百済の聖明王は任那の早岐(かんき)らに語って、
「日本の天皇(すめらみこと)の意志は、もっぱら任那の回復を図りたいということである。どんな策によって任那を再建できるだろうか。皆が忠を尽くして御心を安じようではないか」といった。
任那の早岐らが答えて、「先に再三新羅とは話し合いましたが、まだ返事もありません。また相談したことを新羅に告げても、回答することもないでしょう。今皆で使いを遣わして、天皇に申しあげましょう。任那を復興しようということの大王(聖明王)のお考えに異議はございません。しかし任那は新羅に国境を接していますので、恐れることは卓淳(とくじゅん)らと同じ滅亡の運命にさらされないかということです」

・・・(聖明王は)「昔、新羅は高麗(当時の高句麗のこと)に助けを乞い、任那と百済を攻めたけれども、勝てなかった。新羅がどうして独力で任那を亡ぼすことができようか。今自分がお前たちと力と心をあわせ、天皇の威力に頼れば、任那はきっと復興できる」といった。

【新羅謀略の戒め】
聖明王は任那に対して、
「世の中でもあとをつぐ者は、父祖の業を担って、それを盛んにし、功績を成し遂げることを尊ぶ。だから今からでも、先祖の図った親交を尊重し、天皇の詔勅に従って、新羅が掠めとった国、南加羅・喙己呑(とくことん)らを奪いかえし、もとの任那に返し、日本を父とも兄とも立てて永く仕えようと考えている。これこそ自分が物を食べても旨からず、寝ても安からぬ程の気掛りである。過ちを悔い今後を戒め、気を配って行こう。新羅が甘言を用いて策略することは、天下周知である。うっかり信用して、すでに計略にはまっていた。

任那の国境は新羅に接しているから、警戒をおろそかにはできない。計略にはまれば、国を失い家を亡ぼし身は虜となる。自分はこれが心配で安心できない。聞くところでは任那と新羅が策を決定する際も、(新羅は)土壇場で蜂や大蛇のような本性を表すと、世の人はいう。
禍いの兆しは、人々の行動を戒めるために現れるのである。天災は人々にその非を知らせる。天の戒めはまさに先祖の霊の知らせである。禍に遭ってから悔い、亡んでから興そうと思っても及ばない。今われと共に天皇の勅を承って任那を立てよう。

・・・誠心を尽して任那を栄えさせたい。天皇に仕えることは昔のように、今後のことを充分配慮し、はじめて安泰がある。
今、日本府が詔のまま任那を救えば、天皇からもほめられ賞禄もあろう。日本の諸卿は長く任那の国に在って、新羅に交わり、新羅の実状はご存知である。任那を侵し、日本の力をはばもうとするのは久しいもので、今年のみではない。だがあえて新羅が動いていないのは、近くは百済を警戒し、遠くは天皇を恐れてである。朝廷を巧みにあやつり、偽って任那と親しくしている。新羅が任那の日本府に取入っているのは、まだ任那を取れないから、偽装しているのである。今その隙間をうかがい兵をあげ討ちとるのがよい。天皇が南加羅・喙己呑を建てよと勧められることは、近年のことだけではない。新羅がその命に従わぬことは、卿らもよく知っている。天皇の詔を承って、任那をたてるためにこのままでよいことはない。卿らが甘言を信じて偽りにのせられ、任那国を亡ぼし、天皇を辱めたてまつることのないよう充分慎んで欺かれないように」
といった。

【日本への救援要請】
五月八日(552年)、百済・加羅・安羅は、中部徳率木刕今敦(ちゅうほうとくそつもくらこんとん)・河内部安斯比多(こうちべのあしひた)らを遣わして奏上し、「高麗(高句麗のこと)と新羅と連合して、臣の国と任那とを滅ぼそうと謀っています。救援軍を受けて不意を突きたいと思います。軍兵の多少についてはお任せします」といった。
(天皇は)詔して、「今、百済の王、安羅の王、加羅の王、日本府の臣らと共に使いを遣わして、申してきたことは聞き入れた。また任那と共に心を合わせ、力を専らにせよ。そうすれば、きっと上天(あめ)の擁護の福を蒙り、天皇の霊威にあずかれるであろう」といわれた。

【任那の滅亡】
二十三年(562年)春一月、新羅は任那の官家(みやけ)を打ち滅ぼした。総括して任那というが、分けると加羅国(から)、安羅国(あら)、斯二岐国(しにき)、多羅国(たら)、率麻国(そつま)、古嵯国(こさ)、子他国(こた)、散半下国(さんはんげ)、乞きん国(こっきん)、稔礼国(にむれ)の合わせて十国である。

夏六月、(天皇は)詔して、
新羅は西に偏した少し卑しい国である。天(きみ)に逆らい無道で、わが恩義に背き、官家をつぶした。わが人民を傷つけ、国郡(くにこおり)を損った。
神功皇后は、聡明で天下を周行され、人民をいたわりよく養われた。新羅が困って頼ってきたのを哀れんで、新羅王の討たれそうになった首を守り、要害の地を授けられ、新羅を並み外れて栄えるようひきたてられた。神功皇后は新羅に薄い待遇をされたろうか。わが国民も新羅に別に怨があるわけでない。しかるに新羅は長戟(ながきほこ)、強弩(つよきゆみ)で任那を攻め、大きな牙、まがった爪で人民を虐げた。肝を割き足を切り、骨を曝し屍を焚き、それでも何とも思わなかった。

任那は上下共々、完全に料理された。王土の下、王臣として人の粟を食べ、人の水を飲みながら、これをもれ聞いてどうして悼まないことがあろうか。太子・大臣らは助け合って、血に泣き怨をしのぶ間柄である。大臣の地位にあれば、その身を苦しめ苦労するものであり、先の帝の徳をうけて、後の世を継いだら、胆や腸を抜きしたたらせる思いをしても奸逆をこらし、天地の苦痛を鎮め、君父の仇を報いることが出来なかったら、死んでも子としての道を尽くせなかったことを恨むことになろう」
といわれた。

【伊企儺(いきな)の妻 大葉子】
捕虜にされた調吉士伊企儺(つきのきしいきな)は、人となりが猛烈で最後まで降伏しなかった。
新羅の闘将は、刀を抜いて斬ろうとした。ムリに褌(はかま)をぬがせて、尻を丸出しにし、日本の方へ向けさせて大声で、「日本の大将、わが尻を喰らえ」と言わせようとした。すると(伊企儺は)叫んで言った。「新羅の王、わが尻を喰え」と。責めさいなまれても前の如く叫んだ。そして殺された。
その子の舅子(おじこ)も、また父の屍を抱いて死んだ。伊企儺の言葉を奪えぬことこのようであった。諸将もこれを惜しんだ。

その妻の大葉子も、また捕虜にされていたが、悲しみ歌って、

「からくにの きのへにたちて おほばこは ひれふらすも やまとへむきて」
韓国の城の上に立って大葉子は、領巾(ひれ。肩にかけた飾りの白布。これを振るのは惜別の行為)を振ろう。日本の方へ向って。

ある人がこれに和して歌った。

「からくにの きのへにたたし おほばこは ひれふらすみゆ なにはへむきて」
韓国の城の上に立って大葉子は、領巾を振っておられるのが見える。難波の方へ向いて。
伊企儺について詳しくはコチラもご参照を


夏四月十五日(571年)、(欽明)天皇は病に伏せられた・皇太子は他に赴いて不在であったので、駅馬を走らせて呼び寄せた。大殿に引き入れて、その手をとり詔して、「自分は重病である。後のことをお前にゆだねる。お前は新羅を討って、任那を封じ建てよ。またかつてのごとく両者相和する仲となるならば、死んでも思い残すことはない」といわれた。
この月、天皇はついに大殿に崩御された。時に年(みとし)若干。
五月、河内国古市に殯(もがり)した。
*************************************************************

この通り、欽明天皇は最後まで任那復興を夢見ながら亡くなられます(百済の聖明王は554年に戦死)。
任那十国は、天皇を奉る藩のようなものだったといえましょう。
日本書紀には任那、当時の朝鮮半島の情勢が詳細に記述されており、上記は一部引用にすぎません。
任那(日本府)滅亡後も、日本は百済を拠点に朝鮮半島内における勢力圏を持ち続けますが、白村江の戦い(663年)で倭・百済連合軍と唐・新羅連合軍が対決、日本(倭国)は敗北し百済も滅亡。それにより日本は朝鮮半島内における覇権を完全に失ってしまいました。

  ← 応援クリック宜しくお願いします m(__)m

—————————————————————————–
◆朝鮮人は、朝鮮半島に住んでいた古代日本人を蹂躙した侵略者!

(戻る)◆古代日本史における朝鮮半島の倭国領を歴史から取り返さなければならない! ~ 朝鮮に文化をもたらし、古代朝鮮半島南部を支配した倭人

◆こないだまで、古代日本は朝鮮半島南部を支配していたと教えられていたのに ~ 日本府 任那を消し去った売国奴学者列伝 実は朝鮮人か!?

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑦ 朝鮮半島の変遷。韓土の形勢 任那 日本府の滅亡

◆神棚と天照大神について ~ 日本神話 “アマノイワト”伝説の美しい絵本から

◆イザナギとイザナミに見る、日本における男女のあり方 ~ 日本神話を題材に

◆日本神話の絵本について ~ 子供たちに日本と天皇へ愛着を持たせましょう

◆失われた日本人の精神性と天皇の祈り① ~ 信仰とは信条を持つこと。神を信じる否かは関係ない ~ 母と子が父の無事を祈る『里の秋』

◆性善説的な視点に立った教育勅語、「修身」道徳教育の補完としては、「毒をもって毒を制す」のマキアベリズムこそ最適

◆日本の童謡の世界は比類ない最高のもの ~ それと子供には神話絵本も!

◆日本が好きな親なら子供には教育勅語! ~ 小学生以上なら暗唱できるよう覚えさせてみませんか?

◆日本神話が題材のスペクタクル巨編 映画 『 日本誕生 』について

◆天照大神が女神だからと女系天皇を主張するノーナシ左翼を一網打尽に論破、撃沈さす! ~ 男系継承を堅持したアマテラスとスサノオの子供たち

トップ | 日本・世界の正しい歴史 | permalink | comments(1) |

消し去られる朝鮮半島の日本府 任那
~ 子供を日本人でなく地球人に育てる驚愕の社会科教科書

 ←はじめにクリックお願いします m(__)m

(2011.6.6)
ちなみにNTTドコモがイメキャラ使用する韓国アイドル KARA(から)の名前の由来ですが、これは加羅(から)から来ています。

かつて古代日本は朝鮮半島を領有し、その地域は任那(みまな)と呼ばれていました。日本が朝鮮半島を領有していた事実は、日本書紀はもちろん三国志などにも記録されています。
このことは1980年代まで日本の学校でも定説として教えられていたのですが、古代 朝鮮半島に日本領などなかったとする朝鮮捏造史観の押し付け教育が始まって以後、教えられなくなってしまってます。なので今の30代以下の殆どの方が、この歴史的事実を知りません。

古代の朝鮮半島に日本領なんてなく、まとまってない地域があっただけというのが朝鮮側の歴史観であり、その地域のことを捏造 朝鮮史観では加羅(から)や伽耶(かや)と呼んでいます。
つまり、KARA=加羅とは、かつての日本領 任那と呼ばれる地域の、朝鮮半島に日本領なんてなかったとする韓国側の呼称
奴らが日本へ強力にプッシュする、朝鮮アイドル KARAのネーミングには、このように極めて政治的、朝鮮捏造史観を日本に定着させる教育上の狙いなど、深い意味があります。

日本では今後、朝鮮半島を任那半島とでも呼んでいったほうがいいですね。
加えてオホーツク海は北日本海、東シナ海は南日本海、いっそのこと太平洋も東日本海とでも呼んでいいくらいでしょう ^^)
次はこちらから、MIMANA=みまな(任那)というアイドルでも送り込みましょっか。

  ← 応援クリック宜しくお願いします m(__)m

————————————————————————
(戻る)  (2011.5.16)
このところ古代日本が朝鮮半島を領有していた事実を強くPRしてますが、そんな昔のことなんて、どうだってよさそうに言ってくる人が多いのに、案の定という感を覚えます。
恐らく、古代日本が朝鮮半島に領有していた任那にこれほど触れたサイトは他の保守系サイトにはなかったよう思うし、偽装右翼にとって、この話はとっても痛いはずだからです。もちろん朝鮮系エセ右翼のみならず、今では正確な古代日本史が教えられていない日本人も非常に増え、ことの重要性もわからない多くの天然工作員が生まれてしまっている模様。

そもそも古代日本のルーツを侵されることは、日本民族の存立に関わってきます。わかる人にはわかるでしょうが、このことは枝葉末節的な南京大虐殺や従軍慰安婦等の戦争責任問題等より遥かに重要であり、奴らは古代日本と朝鮮半島の歴史、つまり日本のルーツを壊すことに最大限、力を注いでいます。
そして日本のルーツを奪われるということは、ズバリ、天皇を奪われることにも直結します。奴らは天皇まで狙っているんです。

いくら日本国内で「朝鮮人は最低だ!」とか騒いでも、それだけでは国際的に見ても何の効力もありません。
しかし、古代日本が朝鮮半島を領有していた事実を強くアピールし、このことが日本及び世界に向けて再度広まることは、現代日本における歴史教育はもちろん、国際的に見ても、いろんな意味で日本の正当性を主張することにつながり、奴ら朝鮮人の捏造史観も完全に論破できるようなります。

このところ任那に関する記事を書き続けて、古代日本が朝鮮半島を領有していた事実を教えられていない、知らない方が如何に多いか、あらためてよくわかりました。しかし20数年前まで、このことは定説として教えられていたんです。ここに無関心でいることは、完全に奴らへの敗北につながります。

これらのことから、奴らが歴史教育で本当に目をつけられたくないところ、古代日本史の重要性が見えてきました。
変な風にやたら日本はスゴイとか騒いでる偽装右翼の目的が、何となくわかってきたのです。それだけでは日本人がマスターベーション的にやってるだけで、奴らにとっては痛くも痒くもありません。子供たちへの教育にも関係なく、これでは今の子供たちに対して何もやってないに等しいです。
しかし、朝鮮半島に日本府 任那があった歴史に触れられると、奴らにとっても対岸の火事では済みません。子供たちの教科書にだって大きく関わってきます。
このことに気づいたのは、実は私もつい最近です。

日本府 任那を日本史に取り返さないとマジやばいよ!
すべては朝鮮由来!? 教科書での“渡来人=朝鮮人”マンセーも深刻!

韓国で初めて万博が開催された時(大田EXPO1993)、私は初めて韓国へ取材で行きました。その時は、あるイベントで知り合った韓国人の紹介で、梨花女子大という日本のお茶の水女子大のような韓国の名門大学の日本語を専攻していた学生を、経費も安くなりそうに思って通訳スタッフとして採用しました。もちろん当時の私は今のような嫌韓的感情は持ってなかったし、日本人を嫌ってる韓国人がこれほど多いことなんて知りませんでした。ソウルのカラオケパブで私は日本語の歌を堂々と歌ってきましたが、普通の韓国人が日本人に持つ感情を知っていたなら、そんなこと恐らくしなかったでしょう。

通訳の卵だった学生の彼女に、私が朝鮮半島で古代日本が領有していた任那の話に触れた時、彼女が言うには韓国ではそういう風に教えられておらず、伽耶(かや)と呼ばれる当時はまだまとまっていない地域があっただけと教えられてると言われました。
私が“伽耶(かや)”という名称を初めて聞いたのはその時です。“伽耶(かや)”は今の日本では加羅として教えられ、韓国どころか今や日本の学校教育でも日本府 任那とは教えられていません。
しかし伽耶とは、あくまで現代の韓国人が名づけた名称であり、考古学上の文献に“加耶”という文字は一切出てきません。
朝鮮半島内の一部地域が当時の日本 倭国の一部(任那)であったことは、日本書紀はもちろん、中国の三国志にも記載されてます。

Tatsuyaさんが、中学生のお子さんの社会の教科書を調べてくださいました。
以下は現代日本の教科書からの引用。

新編 新しい社会 歴史 (東京書籍) より
(日本の中学校の半分は、東京書籍の歴史教科書を採用しています)

【古代までの日本】
1 文明のおこりと日本の成り立ち
大王の時代  中国・朝鮮との交流
大和政権は、百済や、小国が分立していた加羅(任那)地方の国々と結んで、高句麗や新羅と戦いました。

この通り、日本が領有していた日本府 任那を教えないどころか、さらに史実と逆に、日本が新羅らを攻撃して脅かしたような記述になってます。実際は古代日本人が住んでいた地域を唐・新羅連合軍に滅ぼされてます

次に渡来人についての記述。

【大陸文化を伝えた渡来人】
朝鮮の諸国との交流がさかんになると、朝鮮半島から日本列島に、一族でまとまって移り住む人々が増えました。
こうした渡来人は、鉄製の農具を広め、かんがい用の大きなため池をつくる技術のほか、かたい質の土器(須恵器)や高級な絹織物をつくる技術を伝えました。
渡来人はまた、漢字を伝えて、朝廷の記録や外国への手紙の作成にあたるなど、財政や
政治でも活躍しました。
漢字とともに、儒教の書物も伝えられました。
6世紀半ばに仏教を日本に伝えたのも渡来人でした。

この通り「渡来人マンセー!」、まるですべてが朝鮮人から伝わったように、完全に朝鮮人を褒め称えてます。
既に韓国では、古代において韓国人が日本本土に渡っていくつかの地域を支配したとまで教えられてます。いずれ日本でも、朝鮮人が海を渡って天皇となり、日本を支配したと表立って言われだすでしょう。日本の朝鮮系右翼は今でもそう信じてますし。

そして、最後に「現代の日本と世界」についての記述。

第7章 現代の日本と世界  2 国際社会と日本  これからの日本と世界
【世界の一体化と日本の役割】
世界の一体化が進むなかで、日本がどのように生きていくのか、これが21世紀の大きな課題となっています。
日本国民として、同時に国際社会に生きる人間(地球市民)として、よりよい社会づくりを考えていきましょう。

この通り、今の教科書は完全に、子供たちを日本人でなく “地球市民 = 地球人” に洗脳するためのツールと化してます。

今の日本の歴史教育が如何にひどいものであるか、よくおわかりでしょう。小さな頃からこんな風に教わってきた私より下の世代では何の違和感も持たないでしょうが、私から上の方々だと、違和感どころか大変驚かれるはずです。
近代の自虐史観からの脱却も大切ではありますが、それより最重視すべきはルーツとなる古代日本史です。正しい日本人の歴史を取り返さなければなりません。それと、“子供の地球人化”を防がなければなりません。
お子さんお孫さんをお持ちの方は、至急、子供の教科書をチェックして、歴史観を修正させましょう。子供の教育は親がするしかないんです。   (続く)

これら歪んだ朝鮮史観のプロパガンダを図っていたのが朝日新聞であったこと、さらには古代の朝鮮半島内に倭国(日本)が支配していた地域があったことを示す、日本にしかない前方後円墳や日本原産でしかないヒスイが半島内の遺跡から出土していることも、ここに詳しく書いてます。

  ← 応援クリック宜しくお願いします m(__)m

——————————————————————————
(続き)◆未来の歴史教科書より ~ ルーツを守らない日本人の未来

(戻る)◆朝鮮人は、朝鮮半島に住んでいた古代日本人を蹂躙した侵略者!

(始めから)◆竹島を武力行使で即奪回せよ! そして、まずは容易に取り返せる古代における朝鮮半島の日本府“任那”を日本史上に奪還し、日本人に再教育せよ! ~ 韓土の日本領も奪回! 朝鮮半島にある前方後円墳

◆韓国アイドル KARA のギュリが、「福山雅治に惚れさせたい!」とラブ・コール

◆『昔の日本はアメリカと同じくらい広かった!』~ 日本人としての自信を持たせた祖母の言葉

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑤ 朝鮮半島の内附 神功皇后の征伐 文物の伝来

◆排外デモで逮捕者が出たっていうけど ~ 日本が韓国へ謝罪、日韓慰安婦合意・安倍政権糾弾デモに行ってきました!

◆“地球” “平和” “命” に注意! ~ 左翼に乗っ取られる保守系団体の典型例

◆『ぐりとぐら』 『こどものとも』の児童書 福音館は反日出版社 ~ 天皇を貶め、自虐史観に満ちた子供向け絵本

◆今の宮崎駿/ジブリ作品は本当に日本のアニメなのか!?~ ディズニーだって、創価の配下?

◆日本人で韓国好きが62%!・・・って ~ NHKの偏向報道どうすればいい?

◆反日マスコミの本丸は電通!~メディアをウラで操る電通を攻撃すべし

◆反日企業の雄 ヤフー、ソフトバンクの正体 ~ 男をイヌに仕立て貶める!

トップ | 日本・世界の正しい歴史 | permalink | comments(1) |