日本の面影

Glimpses of Japan
失われる日本人の精神性に、将来を憂う  リンクフリー

大東亜戦争(太平洋戦争)の起こったわけ (完答)

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(2017.7.6)
偏向管理のtwitter、弾圧がひどいのでやめようとしたのですが、アカウント削除に一か月もかかるとか……腹立たしいですが、一応、残しておくことにしました。既に貼ってる画像のためにも。
Instagramを使おうともしたのですが、そっちもスマホがないとアップ出来ないとか、ひどいですね。それでは私には使えませんから。

【(2019年2月)システム改善し、下のいずれかの画像クリックで拡大、画像上にマウスポインタを置いたら表示される をクリックし続けていけば、その内容、各画像を続けて見れるようにしました。言論弾圧SNS 悪徳twitterにはアカウント停止されました】

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(2016.8.9)
「大東亜戦争(太平洋戦争・第二次世界大戦)って、どうして起こったの?」
この質問、子供たちに何と答えればいいでしょう。
ここに、その答えのすべてがあります。(各画像クリックで拡大されます)
「今まで支那や蘭印などで、とても勝手なことばかりしていたアメリカやイギリスは、段々それが出来なくなるからでした」


大東亜戦争(太平洋戦争)の起こったわけ、その完璧な答えですね。
当時の人々、日本の偉大な先人たちの思いに通じましょう。
◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆

講談社の絵本 『大東亜戦争』より  昭和17年(1942)3月発行

【大東亜戦争のおこったわけ】

昭和16年12月8日は、わたくしたち1億の国民がいさみたち、ふるいたった忘れることの出来ない日であります。それは悪いアメリカ、イギリスに対して、戦いを開く天皇陛下のみことのりが下った日です。そうして、この日から、大東亜戦争が始まりました。
支那事変が起こってから、もう五年、わが軍は勇ましい戦いを続けてきましたが、蒋介石の軍は、まだ支那の奥の方にこもって、日本に手向かうのをやめません。それはアメリカとイギリスがものを送ったり、お金を貸したりして助けるからです。
それはなぜかというと、日本が強くなって支那や南の方に力が伸びると、今まで支那や蘭印などで、とても勝手なことばかりしていたアメリカやイギリスは、段々それが出来なくなるからでした。
そこでアメリカとイギリスでは、石油だの鉄だの、どうしても日本でいり用なものを売らないことにして、日本を苦しめました。いや、自分の国で売らないばかりではありません。オランダやその他の国々を誘って、日本にものを売らないことにし、四方から日本を弱らせていこうとしたのです。
何という、憎いアメリカとイギリスでしょう。今こそ、この二つの国は、日本の敵であるばかりでなく、アジア全体の敵であります。どうしても、この二つの国を打ち破らなければなりません。
けれど、おそれおおくも天皇陛下は、出来るだけおだやかにことをお治めなさろうとあそばされ、わざわざアメリカへ遣いをおつかわしになりましたが、国が大きくてお金をたくさん持っているのを自慢にしているアメリカは、日本をバカにして、勝手なことばかり言ったり、おどかしたりして、日本をひっこませようとしました。何という無礼なやり方でしょう。
「もう、がまんが出来ない。」
日本は、かんにん袋のををきりました。
「たたかえ。」と、天皇陛下はお命じになりました。こうして大東亜戦争は始まったのです。12月8日、皆さんは新聞やラジオや学校の先生のお話で、あのすばらしいハワイの空襲や、フィリピン、マレーの攻撃をお聴きになったでしょう。
アメリカの軍艦は、たちまち太平洋の海の底にうち沈められました。
つよいつよい、日本の軍隊は、そののち陸に、海に、空に、めざましい戦いを続け、2月15日には、イギリスが一番大切に守っていたシンガポールを攻め落として、輝く日の丸の旗を打ち立てました。
けれども戦争は、まだまだこれからです。「勝って、カブトのををしめよ」という、たとえの通り、今よりももっともっと心をひきしめて、たとえ十年、百年かかっても、最後まで勝ち抜かなければなりません。 (終わり)

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◆戦後の歴史教育を捨てよう。 歴史教育 再興 ① 永久保存版 戦前の国史(日本史)学習年表

◆仁・義・礼・智・忠・孝……五倫、四徳、五条、四端の心から道を修むる ~ 侍が学んだものを学び、偉大な先人たちと志を一にす

◆親次第で自虐史観なんてどうにでもなる ~ 日本のおかげでアジア諸国の独立が早まった・・・そんなことで喜んでるのも自虐史観の亜種にすぎない

◆特攻隊の青春群像 映画『決戦の大空へ 』と、フィリピンの神風記念碑

◆大日本帝国の唱歌を歌い継ごう!⑥ ~ 神武天皇が即位、日本建国の日とされる『紀元節』 9歳 ピアノ弾き語り

◆飛行可能な零戦展示中! ~ マニアでなくても感無量!所沢航空発祥記念館

◆天皇陛下万歳! 大日本帝国万歳! ~ 愛国者なら大ヒット作『明治天皇と日露大戦争』は必見!

◆見ておきたい戦争映画の名作

◆朝日新聞の売国職員の処刑方法はどれがいい? ~ 反日 朝日新聞には命をもって償ってもらう以外ないだろう

◆あなたは反米? 親米? それとも反ユダヤ?③ ~ 日露戦争を勝利させた高橋是清とユダヤ人銀行家 ジェイコブ・シフ

◆忠臣の象徴 楠木正成公を称える唱歌『青葉茂れる桜井の』(櫻井の訣別)を10歳の子供にピアノ弾き語りで歌ってもらいました!

◆戦争を煽って日本を破滅に追いやった朝日新聞 ~戦後は日本弱体化扇動の急先鋒

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古代日本史における朝鮮半島の倭国領を歴史から取り返さなければならない!
~ 朝鮮に文化をもたらし、古代朝鮮半島南部を支配した倭人

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(2013.10.22)
白村江の戦い(663)で倭国・百済連合軍を滅ぼした新羅マンセーは論外ですが、私は新羅も高句麗も、日本人からすればどっちも朝鮮人だと思ってるので、高句麗人のことを「朝鮮人ではない」とムキになって言うような人は、北の工作入ってる人ではないかと疑います。私は、北朝鮮は高句麗、南朝鮮(韓国)は新羅のゆかりで今につながってると考えてるし、日本人(倭人)からすれば、新羅人も高句麗人も外国人でしかなく、私からすれば共に朝鮮人でしかありません。
高句麗の支配域は北朝鮮に、百済を滅ぼした際の新羅の支配域は韓国にほぼ重なります。だから朝鮮は元から決して同一民族なんかでなく、北と南で二国に分かれているのは理に叶ってるわけです。韓国特有の火病については、北朝鮮より新羅系の韓国に多いのでしょうね。

百済はもともとプヨ族中心だったところに、高句麗などとの対抗上、倭国が強力に支援し始めてから、倭人中心の国になり、王家も倭系になったと見なしてます。百済王族には多くの倭人が嫁いだと思いますし、百済の王を代表する武寧王も倭国の生まれであり、倭人同然といえましょう。

逆に新羅の建国が一部の記録通り、初期の王族 朴氏・昔氏が本当に倭系だったとするなら、後の金氏が今の朝鮮人であり、事実、金氏の代から新羅と倭国の対立は激しくなり、新羅は完全に金氏朝鮮人に乗っ取られ、百済を滅ぼして朝鮮半島を統一したのだと見なしてます。
わかりやすく言えば、百済は倭人が乗っ取った国、新羅は朝鮮人に乗っ取られた国とも言えましょう。だから結果として百済は倭人の国であり、新羅は朝鮮人の国なのです。

そして新羅には女王が治めていた時期があります。優秀な宰相がいればまだいいのですが、女王はいろんな意味でアチコチからちょっかい出されて利用されやすい。対外政策をコロコロ変えながらも後に滅んでしまった新羅はじめ、これら古代朝鮮の歴史を見ていくと、当時から日本ではどうして男系継承にこだわっていたのか、古代の日本人、天皇の思いが貴方にも見えてくるかもしれません。

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(2012.4.13)  (戻る)
有名保守サイトとされてる偽装愛国工作サイトで、上っ面では日本人をさんざんマンセーしていながら、肝心な日本人のルーツの部分をよく見ると、日本人が海を渡って新羅の民族になり朝鮮人の国 百済を滅ぼしたとか、古事記の編纂者 稗田阿礼の書いた字がハングルになってたりとか、メチャクチャされてることに気づいたので、古代朝鮮半島に関しての話をこのところTwitterで書き綴ってました。

元々、古代朝鮮半島南部の支配者・先住民は倭人であったのに、高句麗らの朝鮮人が南下してきて新羅がいち早く高句麗に従属し、後に強大な唐と結んだ新羅の勃興で徐々に半島が朝鮮人に押さえられ、日本は日系 百済と共に白村江の戦いで敗れて朝鮮半島の覇権を失ってしまった
半島に取り残されてしまった倭人(日本人)のうち男は殆ど殺されたろうが、残された女子供が奴らの好き放題されたとすれば、朝鮮人の側に、倭人(日本人)のDNAを持った末裔が多数残されていることになる。

日本本土で朝鮮人のDNAを持つものは少数だろうが、あっち側には日本人のDNAを持ったものが多数いるとなれば、中には優秀な朝鮮人もいるのは、こういった理由からに思える。

すべてが朝鮮人起源と主張する、あっち側のファンタジー史観では、朝鮮半島から海を渡った朝鮮人が日本本土で豪族となり天皇も現れて日本を支配していった・・・しかし事実は全く逆で、現実はもともと先に半島にも多数いた日本人を、奴ら朝鮮人がシナと組んで侵略し、日本人のDNAを持った人々が朝鮮半島内、今の奴らの側に多数残っていることになるわけで、すべてが朝鮮起源なんてバカげた主張してる奴ら朝鮮人が、朝鮮半島での文化も実は日本人起源だったなんて、それを認めることになってしまえば、奴らの方こそ民族の根幹が揺るがされ、天地がひっくり返るような事態になってしまう

奴ら朝鮮人がこれほど必死になって日本人を貶め、朝鮮優位・朝鮮起源説を執拗に騒ぎ立てるのは、こういった、実際は古代朝鮮半島における文化発祥が日本人起源である歴史事実を完全に否定しないと、奴らの存在基盤が否定されることになりかねないからであろうように思える。

朝鮮人、特に朝鮮マンセー史観の識者なんかがこれ読んだら、図星でファビョる人が続出しそう。
古代朝鮮半島における日本人の歴史を取り返さないと、寝惚けた日本人はルーツをまるごと朝鮮人に奪われますよ。ねぶたや剣道どころでなく、あらゆる日本文化も天皇も日本人のルーツから何から何まですべて奴らに奪われます。

以下は昨日、古代朝鮮半島における倭人と朝鮮人の情勢について、twitterで私が呟いたものの一覧。

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百済・任那・新羅の勢力圏内で大量出土のヒスイ製勾玉。古代において東アジアには日本の糸魚川周辺のヒスイ工房しかない。化学組成検査により朝鮮半島で出土のヒスイが糸魚川周辺のものと同じと判明。倭国から朝鮮半島へ文化が流れていたことは明らか、というより当時の半島南部の支配者は倭人だった

朝鮮半島で見つかった日本固有の前方後円墳は5~6世紀のもので、日本本土には3世紀から前方後円墳があり、日本から朝鮮半島へ高度な文化が流入したことは明らか。百済・任那・新羅一体の朝鮮半島南部の支配者は倭人だった。高句麗らの朝鮮人が南下してくるまで

狗邪韓国(くやかんこく)は、3世紀中ごろ、朝鮮半島南部に存在した倭国の領土で倭人のいた地域。中国の正史「三国志」「後漢書」に登場。日本府 任那の前身。狗邪韓国は倭国の北岸であり、韓(馬韓・辰韓・弁韓の三地域)と倭は接している(陸続きである)と記述されている。当時は海の向こうも日本

倭国領 狗邪韓国(くやかんこく) http://bit.ly/IFg9PN のみならず、古代朝鮮半島の三韓地域(馬韓・辰韓・弁韓)には、多数の倭人、倭人の風習を持つ民族が各所にいた http://bit.ly/HzKT9q 当時から朝鮮半島南部全体が日本文化圏にあったのである

百済は朝鮮半島の倭系豪族が強大化して王族になったものと考えればいい。本土倭国の属国だったともいえる。高句麗を撃退した武寧王は九州で生まれ(日本書紀)、百済人は日系であり、渡来人なんて呼ばれてるものは半島にも多数いた日本人だったにすぎない。百済の優れた仏教美術も日本人。朝鮮人にそんな技術はない

新羅の地は南下した高句麗に早くから従属、朝鮮人にいち早く乗っ取られ、ソウル一のホテル「シーラホテル」に代表されるように、新羅(シーラ)は朝鮮人のシンボル的存在。韓国には新羅(シーラ)を冠したものが多数あるが、百済を冠したものは殆どない。朝鮮人は新羅が好きだが倭系の百済が嫌い

新羅も402年、倭国に奈忽王の子 未斯欣を人質に送って倭国の属国となり(三国史記)、一時は百済・新羅とも日本の属国だった。百済と新羅は友好関係にあったこともあるが後に激しく対立。新羅と高句麗は敵対したり手を結んだり、倭国・百済についたりシナ側についたり、当時から動きが激しい

百済も一時、高句麗の進撃に押されて高句麗についたことあるが、日本から送った武寧王の出現で高句麗を撃退した(6世紀初め)。倭国(日本)は古代においても当時から朝鮮半島諸国を服属させ、支配権を得るほどの強国だったのだ

高句麗・新羅は共に朝鮮系で、百済は日系に近いと考えればよい。新羅の朝鮮半島統一で日系 百済のみならず高句麗も滅ぼされるが、その後の新羅を滅ぼした高麗は高句麗系の末裔のようで高句麗復興を図った。朝鮮人には当時から北系(高句麗)と南系(新羅)があったと考えればよい
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上記、『後漢書』(5世紀初頭)にある「狗邪韓国は倭国の北端」とする東夷伝倭人条の記載。
「倭は韓の東南、大海中の山島によっており、およそ百余国ある。(前漢の)武帝が(衛氏)朝鮮を滅ぼしてから、三十余国が漢に使訳を通じてきた。国では皆が王を称することが代々の伝統である。そこの大倭王は、邪馬臺国に居する。楽浪郡からその国(邪馬台国)へ去ること一万二千里、その(倭の)西北端の拘邪韓国へ去ること七千余里。その地はだいたい会稽郡東冶の東にあり、朱崖や儋耳と相似しており、その法俗も多くが同じである」

また、倭国領 狗邪韓国があった3世紀頃の三韓(馬韓・辰韓・弁韓の三地域)時代についての記録は魏志韓伝にも残ってます(くわしくはこちら参照)。
当時の三韓諸国(全部合わせると80カ国ほどになる)の人々が、倭人と共通・関係すると思われるいくつかの記述は下の通り。

辰韓 ・弁韓とともに鉄の産出が多く、韓は無論、倭もワイ(高句麗人)も採取にやってくる。
    ・男女とも倭(人)に近く、文身をしている。
    ・戦いは歩戦で行う。
    ・城柵がある。

弁韓 ・馬韓や辰韓には無い城郭がある。
    ・衣(食)住は辰韓と同じであり、言葉も法俗(しきたり、慣習)もよく似ている。

馬韓 ・各国には長帥がいて、大国の君主は「臣智」、小国 の君主は「邑借」という。
    ・国中の邑々には「天君」という司祭がいる(「天君=あめぎみ」と読む可能性がある)。

尚、辰韓は後の新羅、馬韓は後の百済、弁韓は後の任那の地域に、ほぼ重なります。
ちなみに狗邪韓国は朝鮮半島の最も対馬に近い位置にあったと思えるし、そこから邪馬台国までの道筋についての記録は右図のように残っている。

尚、フェミや左翼が女王だったと大騒ぎして利用しようとする邪馬台国の卑弥呼ですが、実は卑弥呼が女王だったわけでなく、女神 天照大神を祀る今の天皇であったにすぎないのではないかという件について。
実際は下の投稿内容のような感じだったように私も思えてしまう。シナが邪馬台国と呼んだのも、倭国(大和国・ヤマトコク)のことでしょう。
邪馬台国が、九州だの畿内にあっただの、どうでもいい論議で大騒ぎしてるのも左翼の攪乱工作っぽいし・・・

戦前の歴史教育の識者と思え、この方の歴史に関する投稿は注目に値するものが多いです。
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2012/ 3/30 18:08 [ No.4789587 / 4813097 ]  天命  (Yahoo!掲示板より

邪馬台国の卑弥呼というのは【日の御子】で、天照大神をお祀りする現存の天皇であった。

このことを日本の古代の役人が、歴史と伝承を混ぜ合わせながら、いまの福岡県の入り口まで来た中国からの使者に語った。それが魏の国の使者には、歴史のように聞こえたのであろう。 それをもとにして【魏志倭人伝】が記された。

不確実性の上にファンタジーを繰り広げれば、そう理解することもできる。
(投稿者のID/ニックネーム:tennmeitennmei)
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【古代日本史 関連記事】

(戻る)◆こないだまで、古代日本は朝鮮半島南部を支配していたと教えられていたのに ~ 日本府 任那を消し去った売国奴学者列伝 実は朝鮮人か!?

◆未来の歴史教科書より ~ ルーツを守らない日本人の未来

◆朝鮮人は、朝鮮半島に住んでいた古代日本人を蹂躙した侵略者!

◆消し去られる朝鮮半島の日本府 任那 ~ 子供を日本人でなく地球人に育てる驚愕の社会科教科書

◆古代日本が朝鮮半島を領有していた事実をもっと広めなければなりません

(続き)◆『日本書紀』より、「(古代朝鮮半島の日本府)任那滅亡」

(始めから)◆竹島を武力行使で即奪回せよ! そして、まずは容易に取り返せる古代における朝鮮半島の日本府“任那”を日本史上に奪還し、日本人に再教育せよ! ~ 韓土の日本領も奪回! 朝鮮半島にある前方後円墳

◆『昔の日本はアメリカと同じくらい広かった!』~ 日本人としての自信を持たせた祖母の言葉

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(2012.11.2)
日本人の、縄文人と朝鮮半島から渡ってきた弥生人混血説を裏付け 遺伝子解析で
2012.11.1 中国新聞
日本列島の先住民である縄文人と、朝鮮半島から渡ってきた弥生人とが混血を繰り返して現在の日本人になったとする「混血説」を裏付ける遺伝子解析の結果を、総合研究大学院大(神奈川県)などのチームがまとめ、日本人類遺伝学会が編集する1日付の国際専門誌電子版に発表した。
これまでも同様の研究結果はあったが、今回は1人当たり最大約90万カ所のDNA変異を解析し、結果の信頼性は非常に高いとしている。
チームはこれまで公開されている本土出身者(主に関東居住者)、中国人、欧米人など約460人分のDNAデータに、アイヌ民族と沖縄出身者の計71人分を新たに加えて解析した。その結果、アイヌ民族と遺伝的に最も近いのは沖縄出身者で、次が本土出身者と判明した。本土出身者は韓国人とも近かった。
この結果は、日本人全般が縄文人の遺伝子を受け継いでいる一方、本土出身者は弥生人との混血の度合いが大きく、混血しながら北海道や沖縄方面に広がっていったと解釈できるという。
日本人の起源は縄文人がそのまま各地の環境に適応した「変形説」、縄文人を弥生人が追い出して定着した「人種置換説」も知られているが、総研大の斎藤成也さいとう・なるや教授(遺伝学)は「研究結果は混血説のシナリオに一致した」と説明している。
チームは今後、縄文遺跡で見つかる人骨のDNAを分析するなどし、日本人のルーツの解明を進める。

◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆

ホラホラキタキタ 日本人の朝鮮由来説の捏造持ち上げ!
どこの誰かも知れない胡散臭い研究集団、こんなことまで必死に各誌で報道して、奴らはこうやって、日本人のルーツを根こそぎ奪っていくんだよ。ルーツさえ奪えば日本がどんなに立派な文化を持っていようとも、奴らはすべて朝鮮由来だって教えられるからね。
だから慰安婦や南京問題なんかより、こっち古代史の方が何百倍も重大なの。古代史に敏感であれ!

「今から千年以上前の古代史なんてどうだっていいじゃん。本当かどうかも怪しいものだ」なんて思ってる人いそうだけど、古代の歴史書を冒涜するのは、今、現代のことで教えられてるものが1000年経ったら「こんなのウソ、きっと作り話ばかり。」なんて言われて、今リアルに起こってる歴史についての記述がすべて葬り去られるのと同じことなんだからね。
日本書紀にしろシナの歴史書にしろ、当時の人々がリアルで書いたものなわけで、古代当時の彼らがどれだけ精魂込めて、真剣な思いで書き綴ったものであるか、それをよく考えてね。だから古代・過去も現代も未来も、全部同じ、つながってるんだよ。古代を大切にしないのは、現代人の思いを未来で葬り捨て去るのと同じなんだよ。

大体、上の報道の弥生人が朝鮮半島から海を渡ってきたなんてのはデタラメだし、古代当時は全く逆で、史実の通り、日本本土から海を隔てた朝鮮半島南部にかけて日本人が支配していたというのが事実。

古代でこれだけの史実が残っていて、朝鮮人と日本人は何の関係もない全く別の人種だ、なんてのはありえないんだよ。
奴ら朝鮮人側の主張は日本のルーツがすべて朝鮮にあるのだと・・・ネトウヨや情報弱者は短絡的に反発して、「日本人と朝鮮人は全く別の人種で何の関係もない」なんてヌカスけど(確信的な攪乱工作員もそう持っていく)、本当は奴ら朝鮮のルーツこそが日本人由来のものが多数あるのだということ。古代朝鮮半島の覇権争いで日本が勝利していれば、今の朝鮮半島も日本人の国だったわけだろうけど、要するに今の朝鮮人ってのは日本人になりそこなった、中途半端にしか日本人の血の混じってない、いわば出来損ない民族なんだってこと。この事実を知れば奴らはファビョるし、それが広まるのを恐れて、ありもしない朝鮮ルーツの捏造プロパガンダ、日本叩きをあれだけ必死にやってるってこと。そうしないと、奴らのいう“朝鮮民族(韓民族)”というのは消滅してしまうわけなんだから。

それと、古代朝鮮半島の日本領 任那が新羅(朝鮮人)に滅ぼされたこととか、子供たちにシッカリ教えろよ! 欽明天皇の命の元、新羅と戦って散った古代日本の英雄 イキナのことも!
そして、日本はイザナギ様とイザナミ様によって作られた国であるぞよ。

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◆戦後の歴史教育を捨てよう。 歴史教育 再興 ① 永久保存版 戦前の国史(日本史)学習年表

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑦ 朝鮮半島の変遷。韓土の形勢 任那 日本府の滅亡

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑤ 朝鮮半島の内附 神功皇后の征伐 文物の伝来

◆天照大神が女神だからと女系天皇を主張するノーナシ左翼を一網打尽に論破、撃沈さす! ~ 男系継承を堅持したアマテラスとスサノオの子供たち

◆仏教も乗っ取る、反日・フェミ・同和・在日朝鮮人 キチガイ勢力の猛威~ 部落差別につながるからと、廃止が進められる“お清めの塩”

◆誰か石原慎太郎さんの朝鮮史観洗脳を解いてあげて! ~ 石原さん、日本人のルーツ観が間違ってますよ!

◆萌え系 日本神話がひどい件

◆亡国のシナリオ ② ~ 日本を、過去に滅んだロマノフ朝やハプスブルク帝国になぞらえたパターン

◆エセ保守 捏造ノスタルジーの映画『ALWAYS 三丁目の夕日』について

◆国旗、国歌だけあっても最低の入学式

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この上なく高貴だった日本女性 ~ 明治の武士

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(2020.1.15)
下記は、前にも紹介した、小泉八雲『東の国から・心』(恒文社)より(詳しくは右画像クリック)。
◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆
【勇子】
――ひとつの追憶――
    明治二十四年五月

誰か世に烈婦を見いだしべけんや。烈婦は価高くして、津津浦浦にいたるも、容易にあることなし。 ――ラテン訳聖書

「天子様御心配。」天の御子が宸襟(しんきん=天子の心)を悩ませたもうておられるのである。
町には、いつにない、異様な静けさがあった。万民、ことごとく喪にあるごとき、粛然たる静けさである。
(略)
「天子様御心配。」このお触れを聞いたとき、とっさに勇子の心に、響きの応ずるごとくにうかんだ考えは、自分もなにか献上したいという、燃えるような願いであった。――この願いは、矢も楯も待っていられないほど、抑えがたいものであったが、しかし、自分はいま、他家に奉公中の身である。自分のものといっては、一物も持っていないのだから、せめてお給金のうちから、ごく少しずつでも貯金でもしないことには、とうていそれは、望んでも甲斐ないことであった。けれども、それでもなんとかして、という願いは、かたときも念頭を去らない。
(略)
夜が明ける。勇子は、お日さまをおがむ。さて、早朝のしごとをすませてしまうと、勇子は、しばらくお暇を下げていただきたいと申し出た。それが許された。やがて、勇子は、とっておきの一張羅の晴着を着て、よそゆきの派手な帯をしめ、はきおろしの白足袋をはく。天子様に自分の一命をささげるのに、これならこどから見ても恥ずかしくないという身なりをととのえるためである。それから一時間ののちに、勇子は、すでに京都をさして旅にのぼっていた。汽車の窓から、勇子は、うつりゆく景色を眺めて行く。天気は上上吉である。はるか遠いかなたの方は、うっとりと眠くなるような春霞が、うす青くたなびいて、よもの眺めはいかにものんどりとしている。勇子は、遠い自分の先祖がそれを見たと同じように、生まれた国の美しい景色を眺めながら行った。西洋人の目には、古い日本の絵巻物に繰り広げられる、妖しい美しさによる以外には、見ることのできない、この国の美しさである。勇子は、しみじみ、生きていることのよろこびを感じた。が、しかし、その生が、自分が生きながらえることができた場合、さきゆき、どんなにそれが貴重なものになるだろうかということは、夢にも考えないのである。自分が死んだのちも、世界はあいかわらず、いままでのとおり美しいままでのこるだろうと考えてみても、べつに、どうといって悲しい気持もおこらない。仏教徒の厭離遁世などという考えも、べつだん、勇子の心を圧してはいない。ただひとすじに、勇子は、昔からある神道の神々に、わが一身をゆだねているのである。その神々は、いまも車窓から見える、鎮守の森のうすぐらい奥、小高い山の上の古い社から、にこやかな微笑を勇子におくっている。それが、みんな、あとへあとへと飛んでゆく。そうして、おそらく、そうした神々の中で、ただひと柱の神だけが、いま勇子のからだに宿っているのだ。
(略)
自分が死んで、黄泉(よみ)の国の家の広座敷で彼女の来るのを待っている身内のものに逢えば、まっさきに、こういわれるだろう。――「おぬし、よくぞやったのう。――それでこそ、サムライの娘じゃ。さあ、上がれ!こよいは、そなたのために、神々もわれわれとごいっしょに御会食下さるぞ!」

勇子が京都に着いたのは、昼であった。彼女は、なによりもまず宿を見つけて、それから、腕のきいた女髪結の家をさがした。
「おそれいりますが、これをよく研いでいただきたいのですけど……。」そういって、勇子は女髪結に一挺の小さな剃刀をわたした。(剃刀というものは、女の身だしなみには、なくてはならぬ道具である。)「研ぎ上がるまで、わたくし、ここで待っております。」そういって、勇子は、いま買ってきたばかりの新聞紙をひろげて、帝都の記事を読みはじめた。勇子が新聞を読んでいるあいだ、店のものたちは、親しずからにうっかり声もかけられないような、しとやかなうちにも、どことなく犯しがたい、凛としたところのある勇子のようすに気おされて、みな、ものめずらしそうに、彼女のことを遠巻きに眺めていた。勇子の顔は、がんぜない三つ子のそれのように無心であったが、新聞に出ている聖上御憂慮の記事を読んでゆくうちに、肚(はら)のなかでは、しきりと先祖の御霊(みたま)がちくちくとうごいていた。「早くわたしにも時節がくればいい。」これが、先祖の御霊に答える、彼女の存在であった。「でも、なにごとも、早まっては駄目。じっと待つこと、じっと待つこと。」やがて、注文どおり、手落ちなく研ぎ上げられた小さな剃刀をうけとると、勇子はわずかばかりの代をはらって、それから宿へ帰ってきた。
宿で、勇子は、二通の書面をしたためた。一通は、自分の家にあてた書き置き、一通は、帝都にある高官にあてた、りっぱな訴願状で、これには、自分は数ならぬ賤(しず)の身であるが、正(まさ)なき非行のつぐないのために、みずからすすんで、うら若い一命をささげまつる。願わくは、わが微衷のほどを酌まれて、どうか天子様には御宸襟のおん悩みをしずませられ給えかしと、切々の祈りが書きこめられた。
勇子が、ふたたび宿をたちいでたのは、夜の引きあけの、ちょうど空もまだ今が暗いさなかという時刻であった。おもては、墓地のようにしんとしずまりかえっていた。町の灯かげもちらりほらりで、その光りもうすれていた。自分の下駄の音だけが、いやに高く耳につく。見ているものは、星のかげばかりであった。
まもなく、御所の奥ふかい門が、勇子の目のまえにあった。まっくらなその影のなかへ、勇子はそっとしのびいって、口のうちに祈祷をとなえながら、そこにぴたりと跪坐(きざ)した。それから、古式のとおりに、丈夫で、しなやかな絹の腰紐をほどくと、着物の上からぎゅっとそれでからだを結わえて、ちょうど両膝の上のところで結び目をとめた。それは、かりにもサムライの娘ともあろうものが、自分には無意識な苦悶の刹那に、たとえどんなことが起ころうとも、手足をとりみだした、見苦しい死にざまを見せてはならないためであった。支度がすむと、勇子は心を澄まし、手もと狂わず、ひと突きに、吭笛(のどぶえ)をかき切った。切り口からは、血がどくどくと脈を打って噴きでた。サムライの娘は、こういうことに、けっして手もとをあやまるようなことはない。動脈と静脈のありかを、ちゃんとこころえているからである。

日がのぼったころ、巡査が勇子を発見したときには、彼女は、もうすっかり冷たくなっていた。例の二通の遺書と、それに、五円なにがしかはいっていた(この金で、勇子は、自分を埋葬してもらうつもりでいたのである)貧しい小さな財布とが発見された。やがて、死体とこまこました遺品とは、人の手によって取りかたづけられた。

ことの顛末は、ただちに、電光のごとく、数百の都市につたえられた。
帝都の各大新聞は、この報道をうけとると、冷眼皮肉な、世の中の裏ばかり見たがる記者たちは、思い思いに、あらぬ想像を馳せて、こうした犠牲的行為にありがちな動機――かくれた罪状とか、家庭の悩みとか、失恋とか、そういうものを探しだそうとして躍起になった。けれども、そういうものは、なにひとつ発見されなかった。勇子のひとすじな生活の中には、匿された秘密も、弱味も、汚名も、なにもなかったのである。ひらきかけた蓮の花の清らかさ、それさえ、勇子の操にくらべれば劣るものであった。そこで、冷酷皮肉な記者たちも、サムライの娘にふさわしい、りっぱなことだけを、記事に書くよりほかに手がなかった。
天の御子も、このことを聞こし召されて、民草が、いかに陛下のことを愛し奉っているかを知ろし召されて、おそれ多くも、以後、宸襟を悩ませられることをとどめられたもうたのであった。
時の大臣たちも、王座のかげで、たがいに囁きあった。「将来、いろいろに物は変ってゆくだろうが、しかし、国民のこの赤心だけは変るまいな。」[赤心(せきしん)=嘘いつわりのない、ありのままの心]

それにもかかわらず、政府は、例の高等政策というやつで、頬かぶりをして、いっさい知らぬ顔をしてすましたのである。

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◆陛下の靖国参拝こそが核心。総理や閣僚の参拝は本質問題ではない

◆本物の“大和撫子”入門 ③ ~ 我の否定、徹底した自己犠牲精神 新渡戸稲造『武士道』より

◆敗者の名誉を重んじた日本人 ~ 日本で切腹が存在した意味

◆日本人の歴史の血と骨であった仇討ちについて真剣に考えてみよう

◆ヘナチョコ男とパッパラパー女はいらない ~ 命とは尊く儚いもの

◆日本女性の魅力を引き出す、着物での美しい所作、歩き方 ~ 映画『忠臣蔵』より

◆戦後の歴史教育を捨てよう。 歴史教育 再興 ① 永久保存版 戦前の国史(日本史)学習年表

◆本当の浦島太郎は……

◆戦前の絵本から ~ 真実の日本軍。最強だったその勇姿 ②

◆特攻隊の青春群像 映画『決戦の大空へ 』と、フィリピンの神風記念碑

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前教科書 尋常小学 国史より ④ 第二十五 北畠親房と楠木正行

◆さよなら“政治”。 民主主義を掲げる奴を信用するな! ~ “民主主義”による選挙とは、「こんなクズしかいないけど、こんなかから選んでね」というのが本質的な正体

◆“恥の文化”から“恥知らずの文化”に成り下がった日本

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戦前の道徳教科書『修身』に見る加藤清正の武勇伝
~ 自虐史観の正反対から見る豊臣秀吉の朝鮮侵攻

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(2012.5.16)
右のオススメにも載せてある、前にもご紹介した戦前の道徳教育『修身』教科書(詳しくは右画像クリック)、いつも学校へ行く前に子供と読んでます。
うちの子は毎朝、「行ってまいります」と言って学校に出かけてますよ~
時々、「行ってきます」になることもありますが、「“行ってまいります”の方がカッコいいよ」ってヨイショして、「行ってまいります」と言って出かけるのを見ると、わが子ながらホレボレしてしまいます ^▽^) もちろん毎朝、玄関で送ってあげてます。毎日が、戦時下で出征する子供を送り出すようなのとほぼ変わらない厳粛な気分で、1日が始まります。

毎朝、「お母さん、行ってまいります」と言って出かける子供を見てると、きっと皆さんの気持ちも変わっていくだろうと思います。逆に、お母さんがご主人を送り出す時は、毎日、敬意を示して送ってさし上げてくださいね。そして、ご主人が帰ってきたら必ず出迎えて上着をとってあげたりするだけで、家の中に全然違う空気が生まれますよ。

今朝の『修身』教科書は、日本の武将を代表する勇猛果敢な加藤清正の朝鮮侵攻にまつわるエピソード。テーマは「信義」(右写真クリックで原文や槍を携えた豪快な清正の挿絵が見れます)。ただ、この話は私も詳しく知らず、この内容だけではわかり難いところも多かったので、よく調べてみたので後に子供にも補足しようと思います。

それにシナ(明)と朝鮮を敵として戦う話なので、学校で子供が気安く話してしまうと余計なトラブルに巻き込まれかねないので、子供には注意しておくよう言いつけてあります。
でも、“世界はお友達”でなく、昔の日本の武将がシナ・朝鮮と命がけで戦っていた・・・リアルな日本の歴史の話だし、子供はノリノリで聞いてましたよ。

加藤 清正(かとう きよまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。肥後国熊本藩初代藩主。別名 虎之助(とらのすけ)
豊臣秀吉の家臣で、賤ヶ岳の七本槍の一人。その後も各地を転戦して武功を挙げ、肥後北半国を与えられ、秀吉没後は徳川の家臣となり、関ヶ原の戦いの働きによって肥後一国を与えられて熊本藩主となりました。
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朝鮮侵攻(文禄・慶長の役)における加藤清正の痛快な活躍  2012.5.16 wiki参照

豊臣秀吉の命により、文禄元年(1592)に始まる文禄・慶長の役で、日本は朝鮮へ出兵した。

文禄の役では二番隊主将となり鍋島直茂、相良頼房などを傘下に置いた。同じく先鋒である小西行長率いる一番隊とは別路をとり、4月17日の釜山上陸後は行長と首都漢城の攻略を競い、5月3日南大門から漢城に入城した。漢城攻略後は一番隊や黒田長政の三番隊と共に北上し臨津江の戦いで金命元等の朝鮮軍を破る。その後黄海道金郊駅からは一番隊、三番隊とは別れ東北方向の咸鏡道に向かい、海汀倉の戦いで韓克誠の朝鮮軍を破り、咸鏡道を平定。現地の朝鮮人によって生け捕りにされていた朝鮮二王子(臨海君・順和君)を捕虜にした。
更に清正は朝鮮の国境豆満江を越えて、満洲のオランカイ(兀良哈)へ進攻。しかし当地は明への侵攻路から外れている上に得る物が乏しいため、早々に朝鮮領内へ引き上げ、咸鏡北道を帰順した現地朝鮮人の統治域とし、日本軍は吉州以南に布陣した。日本軍の去った咸鏡北道では朝鮮人の義兵が起こり、吉州を攻撃したがこれを撃破する。その後、明軍が現れた京畿道方面に配置転換が命じられ咸鏡道を引き払い漢城に入った。

文禄2年(1593)6月の第二次晋州城の戦いで加藤軍は北面からの攻城を担当し、亀甲車を作り、配下の森本一久・飯田直景が、黒田長政配下の後藤基次と一番乗りを競い城を陥落。

明・朝鮮と本格的な交渉が始まると、清正は主に惟政らに秀吉の講和条件を伝えた。だが秀吉の条件は明にも朝鮮にも到底受け入れられるものではなかった。このため、秀吉の命令を無視してでも和睦を結ぼうとする小西行長・石田三成らは、清正が講和の邪魔になると見て、彼を秀吉に讒訴。清正は京に戻され謹慎となる。増田長盛が三成と和解させようとしたが、清正は断っている。しかし慶長地震の際、秀吉のいる伏見城へ駆けつけ、その場で弁明したことにより許された。

慶長2年(1597)からの慶長の役では、左軍の先鋒となった小西行長に対し、右軍の先鋒となる。再び朝鮮に渡海する際、行長は明・朝鮮軍側に清正の上陸予想地点を密かに知らせ、清正を討たせようとしている。しかし敵の李舜臣はこれをワナだと判断して出撃せず、清正は攻撃を受けなかった

日本軍の作戦目標は先ず全羅道を徹底的に撃滅し、さらに忠清道へも進撃することと、その達成後は後退して拠点となる城郭群を建設することであった。西生浦倭城を発った清正は全羅道に向かって西進し、朝鮮軍の守る黄石山城を陥落させると、全羅道の道都全州を占領。次に忠清道鎮川まで進出し、ここに最初の作戦目標を達成した。

日本軍の諸将は築城予定地まで後退。清正は西生浦倭城の東方に新たに築城される蔚山(うるさん)の地に入り、自ら縄張りを行った後、加藤安政等を配備して西生浦倭城に移った。蔚山倭城の建設は帰国予定の浅野幸長と宍戸元続等の毛利勢(毛利氏は他に梁山倭城の築城も担当)が担当した。加藤清正は西生浦倭城に加え蔚山倭城の守備担当であった。

慶長2年(1597)12月、完成が間近に迫った蔚山倭城へ5万7千人の明・朝鮮軍が攻め寄せて蔚山城の戦いが始まると、清正は急遽側近のみ500人ほどを率いて蔚山倭城に入城した。未完成で水も食糧も乏しい状況で、毛利秀元や黒田長政等の援軍の到着まで明・朝鮮軍の攻撃に10日ほど耐え、この戦いを明・朝鮮軍に2万人の損害を与える勝利へと導いた。慶長3年(1598)9月にも再び蔚山倭城は攻撃を受けるが、この時には城も完成しており、前回ほど苦戦せずに撃退した。

清正は朝鮮の民衆から「犬、鬼(幽霊)上官」と恐れられた。なお、朝鮮出兵中に虎退治をしたという伝承が残り、そこから虎拳という遊びの元になった。セロリを日本に持ち込んだとされており、セロリの異名の一つが「清正人参」である。

京都市左京区の大徳寺総見院には清正が朝鮮より持ち帰ったとされる朝鮮石を彫り抜いて作られた掘り抜き井戸が残る。
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ちなみに加藤清正を明・朝鮮軍に売り渡そうとしたり、奴らのスパイになっていたようにさえ思える小西行長について。

◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆

小西 行長(こにし ゆきなが)  2012.5.16 wiki参照

泉州堺の商家に生まれ、一時期は宇喜多氏に仕え、後に豊臣秀吉の家臣となったキリシタン大名。
朝鮮での戦いが長引き、戦意を喪失した明軍と兵糧不足に悩む日本軍との間の講和交渉の際、行長は石田三成と共に明との講和交渉に携わり、明側の講和担当者・沈惟敬らと共謀し、秀吉には明が降伏すると偽り、明には秀吉が降伏すると偽って講和を結ぼうとする。この時、行長家臣の内藤如安(明側の史料では小西飛騨)が日本側の使者として明の都・北京に向かった。
この結果、明の使者が秀吉を日本国王に封じる旨を記した書と金印を携えて来日する事になった。これは日本国王が明の臣下になることを意味するもので、秀吉が求めていた講和条件は何ら含まれないものだった。これを秀吉に報告する段階で行長は、書を読み上げる西笑承兌に内容をごまかすよう依頼したが、承兌は書の内容を正しく秀吉に伝えた。このため講和は破綻、この講和交渉の主導者だった行長は秀吉の強い怒りを買い死を命じられるが、承兌や前田利家、淀殿らのとりなしにより一命を救われる。
文禄・慶長の役の際、加藤清正と先陣を争った。関ヶ原の戦いにおいては西軍の将として奮戦したが敗北し、切腹を拒否して斬首された。

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◆家庭内における戦前の教育再現 ~ わが家で使ってる子供用教本

◆古代日本史における朝鮮半島の倭国領を歴史から取り返さなければならない! ~ 朝鮮に文化をもたらし、古代朝鮮半島南部を支配した倭人

◆『昔の日本はアメリカと同じくらい広かった!』~ 日本人としての自信を持たせた祖母の言葉

◆親次第で自虐史観なんてどうにでもなる ~ 日本のおかげでアジア諸国の独立が早まった・・・そんなことで喜んでるのも自虐史観の亜種にすぎない

◆保守は教育勅語の復権で一致団結を!~左翼価値観に風穴を開けるべし

◆失われた日本人の精神性と天皇の祈り① ~ 信仰とは信条を持つこと。神を信じる否かは関係ない ~ 母と子が父の無事を祈る『里の秋』

◆日本人の美意識が結集!溝口健二『雨月物語』~ 品が悪くなった日本女性

◆日本神話の絵本について ~ 子供たちに日本と天皇へ愛着を持たせましょう

◆自虐史観は日本人共通の唯一の宗教だった ~ 自虐史観からの脱却は日本における宗教革命

◆東京都の尖閣諸島買い取りがヌカ喜びにならないように ~ 目立つ情報に踊らされず、左翼の次なる手を常に警戒しよう

◆性善説的な視点に立った教育勅語、「修身」道徳教育の補完としては、「毒をもって毒を制す」のマキアベリズムこそ最適

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『日本書紀』より、「(古代朝鮮半島の日本府)任那滅亡」

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(2013.7.4)   (戻る)
『日本書紀』(720年)は、日本最古の正式な歴史書(詳しくは右画像クリック)。
これには、倭の官家(みやけ)が治める古代朝鮮半島南部の任那や百済はじめ、新羅や高句麗などとの激しい攻防の記録が、実に生々しく記載されてます。

以下は『日本書紀』の任那(みまな)についての記述から。
新羅の侵攻により、徐々に倭国は朝鮮半島内の勢力圏を失っていきます。きっとこれを読めば、当時の朝鮮半島に支配域を持っていた古代日本人、天皇陛下らの無念の思いが痛いほど伝わってくることでしょう。
古代日本と朝鮮半島の関係、民族の根幹に関わる、これだけ詳細な史実を教えないどころか、デタラメの捏造朝鮮史観を教えている日本の学校教育は狂ってます。朝鮮スリ寄り歴史学者らは万死に値します。
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【聖明王 任那復興の協議】
百済の聖明王は任那の早岐(かんき)らに語って、
「日本の天皇(すめらみこと)の意志は、もっぱら任那の回復を図りたいということである。どんな策によって任那を再建できるだろうか。皆が忠を尽くして御心を安じようではないか」といった。
任那の早岐らが答えて、「先に再三新羅とは話し合いましたが、まだ返事もありません。また相談したことを新羅に告げても、回答することもないでしょう。今皆で使いを遣わして、天皇に申しあげましょう。任那を復興しようということの大王(聖明王)のお考えに異議はございません。しかし任那は新羅に国境を接していますので、恐れることは卓淳(とくじゅん)らと同じ滅亡の運命にさらされないかということです」

・・・(聖明王は)「昔、新羅は高麗(当時の高句麗のこと)に助けを乞い、任那と百済を攻めたけれども、勝てなかった。新羅がどうして独力で任那を亡ぼすことができようか。今自分がお前たちと力と心をあわせ、天皇の威力に頼れば、任那はきっと復興できる」といった。

【新羅謀略の戒め】
聖明王は任那に対して、
「世の中でもあとをつぐ者は、父祖の業を担って、それを盛んにし、功績を成し遂げることを尊ぶ。だから今からでも、先祖の図った親交を尊重し、天皇の詔勅に従って、新羅が掠めとった国、南加羅・喙己呑(とくことん)らを奪いかえし、もとの任那に返し、日本を父とも兄とも立てて永く仕えようと考えている。これこそ自分が物を食べても旨からず、寝ても安からぬ程の気掛りである。過ちを悔い今後を戒め、気を配って行こう。新羅が甘言を用いて策略することは、天下周知である。うっかり信用して、すでに計略にはまっていた。

任那の国境は新羅に接しているから、警戒をおろそかにはできない。計略にはまれば、国を失い家を亡ぼし身は虜となる。自分はこれが心配で安心できない。聞くところでは任那と新羅が策を決定する際も、(新羅は)土壇場で蜂や大蛇のような本性を表すと、世の人はいう。
禍いの兆しは、人々の行動を戒めるために現れるのである。天災は人々にその非を知らせる。天の戒めはまさに先祖の霊の知らせである。禍に遭ってから悔い、亡んでから興そうと思っても及ばない。今われと共に天皇の勅を承って任那を立てよう。

・・・誠心を尽して任那を栄えさせたい。天皇に仕えることは昔のように、今後のことを充分配慮し、はじめて安泰がある。
今、日本府が詔のまま任那を救えば、天皇からもほめられ賞禄もあろう。日本の諸卿は長く任那の国に在って、新羅に交わり、新羅の実状はご存知である。任那を侵し、日本の力をはばもうとするのは久しいもので、今年のみではない。だがあえて新羅が動いていないのは、近くは百済を警戒し、遠くは天皇を恐れてである。朝廷を巧みにあやつり、偽って任那と親しくしている。新羅が任那の日本府に取入っているのは、まだ任那を取れないから、偽装しているのである。今その隙間をうかがい兵をあげ討ちとるのがよい。天皇が南加羅・喙己呑を建てよと勧められることは、近年のことだけではない。新羅がその命に従わぬことは、卿らもよく知っている。天皇の詔を承って、任那をたてるためにこのままでよいことはない。卿らが甘言を信じて偽りにのせられ、任那国を亡ぼし、天皇を辱めたてまつることのないよう充分慎んで欺かれないように」
といった。

【日本への救援要請】
五月八日(552年)、百済・加羅・安羅は、中部徳率木刕今敦(ちゅうほうとくそつもくらこんとん)・河内部安斯比多(こうちべのあしひた)らを遣わして奏上し、「高麗(高句麗のこと)と新羅と連合して、臣の国と任那とを滅ぼそうと謀っています。救援軍を受けて不意を突きたいと思います。軍兵の多少についてはお任せします」といった。
(天皇は)詔して、「今、百済の王、安羅の王、加羅の王、日本府の臣らと共に使いを遣わして、申してきたことは聞き入れた。また任那と共に心を合わせ、力を専らにせよ。そうすれば、きっと上天(あめ)の擁護の福を蒙り、天皇の霊威にあずかれるであろう」といわれた。

【任那の滅亡】
二十三年(562年)春一月、新羅は任那の官家(みやけ)を打ち滅ぼした。総括して任那というが、分けると加羅国(から)、安羅国(あら)、斯二岐国(しにき)、多羅国(たら)、率麻国(そつま)、古嵯国(こさ)、子他国(こた)、散半下国(さんはんげ)、乞きん国(こっきん)、稔礼国(にむれ)の合わせて十国である。

夏六月、(天皇は)詔して、
新羅は西に偏した少し卑しい国である。天(きみ)に逆らい無道で、わが恩義に背き、官家をつぶした。わが人民を傷つけ、国郡(くにこおり)を損った。
神功皇后は、聡明で天下を周行され、人民をいたわりよく養われた。新羅が困って頼ってきたのを哀れんで、新羅王の討たれそうになった首を守り、要害の地を授けられ、新羅を並み外れて栄えるようひきたてられた。神功皇后は新羅に薄い待遇をされたろうか。わが国民も新羅に別に怨があるわけでない。しかるに新羅は長戟(ながきほこ)、強弩(つよきゆみ)で任那を攻め、大きな牙、まがった爪で人民を虐げた。肝を割き足を切り、骨を曝し屍を焚き、それでも何とも思わなかった。

任那は上下共々、完全に料理された。王土の下、王臣として人の粟を食べ、人の水を飲みながら、これをもれ聞いてどうして悼まないことがあろうか。太子・大臣らは助け合って、血に泣き怨をしのぶ間柄である。大臣の地位にあれば、その身を苦しめ苦労するものであり、先の帝の徳をうけて、後の世を継いだら、胆や腸を抜きしたたらせる思いをしても奸逆をこらし、天地の苦痛を鎮め、君父の仇を報いることが出来なかったら、死んでも子としての道を尽くせなかったことを恨むことになろう」
といわれた。

【伊企儺(いきな)の妻 大葉子】
捕虜にされた調吉士伊企儺(つきのきしいきな)は、人となりが猛烈で最後まで降伏しなかった。
新羅の闘将は、刀を抜いて斬ろうとした。ムリに褌(はかま)をぬがせて、尻を丸出しにし、日本の方へ向けさせて大声で、「日本の大将、わが尻を喰らえ」と言わせようとした。すると(伊企儺は)叫んで言った。「新羅の王、わが尻を喰え」と。責めさいなまれても前の如く叫んだ。そして殺された。
その子の舅子(おじこ)も、また父の屍を抱いて死んだ。伊企儺の言葉を奪えぬことこのようであった。諸将もこれを惜しんだ。

その妻の大葉子も、また捕虜にされていたが、悲しみ歌って、

「からくにの きのへにたちて おほばこは ひれふらすも やまとへむきて」
韓国の城の上に立って大葉子は、領巾(ひれ。肩にかけた飾りの白布。これを振るのは惜別の行為)を振ろう。日本の方へ向って。

ある人がこれに和して歌った。

「からくにの きのへにたたし おほばこは ひれふらすみゆ なにはへむきて」
韓国の城の上に立って大葉子は、領巾を振っておられるのが見える。難波の方へ向いて。
伊企儺について詳しくはコチラもご参照を


夏四月十五日(571年)、(欽明)天皇は病に伏せられた・皇太子は他に赴いて不在であったので、駅馬を走らせて呼び寄せた。大殿に引き入れて、その手をとり詔して、「自分は重病である。後のことをお前にゆだねる。お前は新羅を討って、任那を封じ建てよ。またかつてのごとく両者相和する仲となるならば、死んでも思い残すことはない」といわれた。
この月、天皇はついに大殿に崩御された。時に年(みとし)若干。
五月、河内国古市に殯(もがり)した。
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この通り、欽明天皇は最後まで任那復興を夢見ながら亡くなられます(百済の聖明王は554年に戦死)。
任那十国は、天皇を奉る藩のようなものだったといえましょう。
日本書紀には任那、当時の朝鮮半島の情勢が詳細に記述されており、上記は一部引用にすぎません。
任那(日本府)滅亡後も、日本は百済を拠点に朝鮮半島内における勢力圏を持ち続けますが、白村江の戦い(663年)で倭・百済連合軍と唐・新羅連合軍が対決、日本(倭国)は敗北し百済も滅亡。それにより日本は朝鮮半島内における覇権を完全に失ってしまいました。

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◆朝鮮人は、朝鮮半島に住んでいた古代日本人を蹂躙した侵略者!

(戻る)◆古代日本史における朝鮮半島の倭国領を歴史から取り返さなければならない! ~ 朝鮮に文化をもたらし、古代朝鮮半島南部を支配した倭人

◆こないだまで、古代日本は朝鮮半島南部を支配していたと教えられていたのに ~ 日本府 任那を消し去った売国奴学者列伝 実は朝鮮人か!?

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑦ 朝鮮半島の変遷。韓土の形勢 任那 日本府の滅亡

◆神棚と天照大神について ~ 日本神話 “アマノイワト”伝説の美しい絵本から

◆イザナギとイザナミに見る、日本における男女のあり方 ~ 日本神話を題材に

◆日本神話の絵本について ~ 子供たちに日本と天皇へ愛着を持たせましょう

◆失われた日本人の精神性と天皇の祈り① ~ 信仰とは信条を持つこと。神を信じる否かは関係ない ~ 母と子が父の無事を祈る『里の秋』

◆性善説的な視点に立った教育勅語、「修身」道徳教育の補完としては、「毒をもって毒を制す」のマキアベリズムこそ最適

◆日本の童謡の世界は比類ない最高のもの ~ それと子供には神話絵本も!

◆日本が好きな親なら子供には教育勅語! ~ 小学生以上なら暗唱できるよう覚えさせてみませんか?

◆日本神話が題材のスペクタクル巨編 映画 『 日本誕生 』について

◆天照大神が女神だからと女系天皇を主張するノーナシ左翼を一網打尽に論破、撃沈さす! ~ 男系継承を堅持したアマテラスとスサノオの子供たち

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『昔の日本はアメリカと同じくらい広かった!』
~ 日本人としての自信を持たせた祖母の言葉

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(2019.12.9)
恐ろしい法案や政策が立て続けに出てたり、今の日本の状況や人々を見てて、正直すごくツライです。みんな脳なしのゴイムにされていくことを考えると絶望的なんです。他にもいろんなことがあって、泣きそう、くじけそうにもなります。何とか子供だけはと、一筋の望みだけをつなぎたい思いで毎日います。その一心だけでここをやってます。同じ思いの方も多いのでしょうか。

とにかく私は………お婆ちゃんに会いたい、そしてあの時ではわからなかったこと、いろんなこと聞いてみたい、ずっと前から、いつもそんなことばかり考えてます。どっかにも書いてるでしょうが、私は両親が全然好きではなかったし、愛されてると愛情が感じられていたのは私にとってお婆ちゃんだけだったんです。お婆ちゃんにとっても私は初孫だったことが今ではわかってる。お婆ちゃんは後妻で入った人だったので実家にいた従兄弟たちはお婆ちゃんの直の孫ではなかった。お婆ちゃんも何人か子供を産んでますが、しかもその中で子を産んだのは私の母だけだったんです。
幼少期の夏と冬はいつもお婆ちゃんのところに行ってました。夏は蚊帳の中で寝て、お婆ちゃんの匂い、今でもしっかり覚えてます。仏壇のお供え物を食べて怒られたこともあります(でもそれも、「従兄弟から食べていいよ」と言われてたから妹と一緒に食べただけだったのですけどね。しかも今じゃ、その妹も……)。
二人で急いで電車に乗って、私が持ってた二人分の切符をなくして、駅事務所で揃って留められたこともあったり…… 忘れられない今でも心と目に焼きついてる思い出……

お婆ちゃんが学校でどんなことを教えていたのか、もうわかりません。生前の母に聞いておけばもっと何かわかっていたかもしれない。でももう手遅れでそれも出来ない。
どうしてもお婆ちゃんのことをもっと知りたい。旧師範学校、今の教育大に尋ねたりもしたのですが(空襲で焼けたこともあって)何も記録が残ってないそうです。

私はマッチ売りの少女がすごく好きなんです。最後にお婆ちゃんに会えて……抱きしめられて……
ここでも紹介してるこの絵本『女の子がだ~いすきなお話』(下画像クリック)の絵は素晴らしいものが多いのですが、「マッチ売りの少女」のお婆ちゃんに会えるところ、本当に私にはグ~ッと来てしまんです……

   

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(2011.5.24)
古代 朝鮮半島を領有していた古代日本史に関する資料が、今では希少になりつつあり、探してもなかなか見つからないようです。
このページ下から、昔の歴史教材に掲載されていた古代 東アジアの年表や地図のPDFファイルがダウンロードできます。ぜひ、お子様たちの教育にご活用ください。
高校の頃の世界史・日本史の教科書は私も残念ながら失くしてますが、なぜか副教材のこの本だけはとっていました。
もし、他にも日本府 任那などについて記載された昔の教科書や教材等お持ちの方いらしたら、ぜひ保管しておき、拡散していただければと思います。
40歳以下(団塊ジュニア以下)だと、恐らく任那が教えられておらず知らない方ばかりでしょう。40歳以上でも中には教えられてない方、多そうです。
わずか20数年前まで当たり前にあった古代日本に関する歴史教育の資料、これからは本当に希少で、重大な価値あるものになっていくかもしれません。
日本人はルーツを守らないと、完全に奴らにやられますよ。今の私があるの、そしてこんなサイトまでやってるのは、この祖母がいたおかげでもあります。

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(2010.10.21 追加)
この記事に関連し、朝鮮半島の日本府 任那についてです。
朝鮮半島南部の日本府 任那の存在は、『日本書紀』や中国の『三国志』などの記載からも明らかな通り、私の時は学校で、朝鮮半島に任那日本府があったことが教えられていて、昔はそれが定説でした(恐らく1980年代頃まで?)。しかし今では、任那がなかったかのようされるのが定説となってます。
どうしてこんなことになったのか、調べてましたが、ちょうど捏造 朝鮮史観が押しつけらる過渡期に当ると思われる1978年刊行の、学研の全15巻からなる「人物群像 日本の歴史」という図鑑を取り揃え、その第一巻『古代の大王』に次の記述がありました。
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そうした日本古代史あるいは日・朝交渉史の根本的な歴史認識の改変を迫ったのは、朝鮮民主主義人民共和国の社会科学院歴史研究所所長 金錫亭(キムソクヒョン)氏が、これまでの日本古代史とは全く逆の考え方を提案したことが転機になっている。つまり、大和朝廷による南部朝鮮支配を全面的に否定する中で、むしろ、朝鮮の三韓(馬韓・辰韓・弁韓)・三国(高句麗・新羅・百済)から日本へと渡来人が移住し、その分国をつくったとするのである。(金錫亨「分国論」1963年)
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今のような朝鮮史観が押し付けられるようなったのは、ここが始まりのようです。
そして、この北朝鮮の学者 金錫亨の歴史観を発行部数1000万部ほどの新聞で連載紹介し、古代日本史関連の書籍でも取り上げ、朝鮮史観洗脳プロパガンダを大々的に図っていたのが朝日新聞であることも判明しました。

下記の通り朝鮮半島南部で、日本固有の前方後円墳が多数発見され、日本原産のヒスイが出土していることからも、半島南部の任那が当時の大和朝廷 日本の勢力下にあったこと、疑いの余地はありません

【 任 那 (みまな) について 】  (2010.10.20 Wikiより)

3世紀末の『三国志』魏書東夷伝倭人条の項目において朝鮮半島における倭国の北限が狗邪韓国(くやかんこく)であると書かれている
記紀の記述や考古学的成果、他に傍証として、広開土王碑、『宋書』倭国伝等の記述をもとに、任那日本府は倭国の軍事を主とする外交機関であり、倭国は任那地域に権益(おそらく製鉄の重要な産地があった)を有していたと考えられている。

1960年代頃から朝鮮半島では民族主義が広がり、既存説への反動から、記紀に記されているヤマト王権の直接的な任那支配は誇張されたものだとの主張がなされた。また日本でも1970年代に入り、それらに同調する主張がなされた。

しかしながら、朝鮮半島南西部で前方後円墳の発見が相次ぎ、これまでのところ全羅南道に11基、全羅北道に2基の前方後円墳があることが確認されている。
朝鮮半島の前方後円墳は、いずれも5世紀後半から6世紀半ばという極めて限られた時期に成立したもので、百済が南遷する前は金官伽耶を中心とする政治的領域の最西部であったとする説がある地域のみに存在し、円筒埴輪や南島産貝製品、内部をベンガラで塗った石室といった倭系遺物を伴うことが知られている。

そのため、ヤマト王権と深い関連を持つ集団(ヤマト王権から派遣された官吏や軍人、交易商人、ヤマト王権に臣従した在地豪族)が、伽耶地域とその西隣の地域において一定の軍事的影響力および経済的利権を有していたことについては、ほぼ確実視されるようになった。

ヤマト王権の勢力を示す他の傍証としては、新羅・百済・任那の勢力圏内で大量に出土(高句麗の旧領では稀)しているヒスイ製勾玉などがある。戦前の日本の考古学者はこれをヤマト王権の勢力範囲を示す物と解釈していたが、戦後に朝鮮から日本へ伝来したものとする新解釈が提唱されたこともあった。 しかし、朝鮮半島にはヒスイの原産地がなく、古代においては東アジア全体でも日本の糸魚川周辺以外にヒスイ工房が発見されないことに加えて、最新の化学組成の検査により朝鮮半島出土の勾玉が糸魚川周辺遺跡のものと同じことが判明し、日本からの輸出品であることがわかった。

関連記事:『日本書紀』より(古代朝鮮半島の日本府)任那について

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(2010.6)
たとえ日本が滅びても、良識ある同志なら、古き良き日本人の精神を子供には徹底的に叩き込み続けよう。

けど・・・・・
「今の多くの日本人はだらしないし、本来の日本人じゃないから安直に信用するな!」
ということも、残念ながら付け加えていかなければなりません。

私は母方の祖母から、

「戦争に負ける前の日本は、アメリカと同じくらい広かった!」

と言われたことがあります。

小学校3年生の時、足を折って入院しました。
この頃、付きっ切りで面倒見てくれていたのが、お婆ちゃんでした。

病室で聞いたその言葉は、子供だった自分に強烈な心象で残っています。
日本人としての意識と自信を決定付けた言葉です。
別に、その言葉を聞いた途端、日本人としての自信にみなぎり始めたとか、そんなんではありません。
その言葉は、生涯にわたって自分のマインドに影響し続けたということです。

変な左翼的な人たちが、他のアジアの人々のところへ行って来ては、
「悪いことをしてきて、すみませんでした」、と謝ってきたという話を聞くと、
いつも何だか知れない不愉快な気持が、若き自分にも湧き上がっていたものです。

母方は古い商家ですが、武家の出から嫁入りした祖母は師範学校(戦前の教員養成学校)の教師までやっていたそうで、私が幼い頃、祖母にそう言われていたことが、私の日本人としての誇りに、これまでどれだけつながっていたことか・・・・・

朝鮮人のババアたちが、
「自分は昔、売春婦だった!」、「日本軍に無理矢理やらされていたのだ」
と、孫たちに偉そうに聞かせるのとは、エライ違いです。

中学校で日本史教育を復活させることになったようですが、売国政府によって、これから日本の子供たち全員が、
「日本は悪いことばかりしてきた」
・・・・・そんな風に教育されていくであろうことを思うと、気が滅入ります。

自分が高校の時の、昔の貴重な歴史教材、今も持ってます(図1・2)。
それにはシッカリ、4世紀の朝鮮半島のとこに旧日本府 任那(みまな)と表示されています(図2)。
20数年前まで、古代の朝鮮半島には日本領があったと、日本では教えられていたのです。
他の教科書なんか捨ててるのに、なぜこんな本だけ残したのか・・・・・
何か今の危機を予見させる本能が働いたのか・・・・・
日本史より世界史が好きだったが、とにかく歴史は大好きだった。

そして戦前の日本、
朝鮮半島、台湾、樺太、関東州(中国)、満州・・・・・
このあたりはみんな日本だった(図1)。
「戦争に負ける前、日本はとっても広かったんだ」
と、しっかり子供たちに教えていきましょう。

今の教材では当然、任那=日本府なんて出ていません。
この資料をお持ちでない皆さんも、PDFファイルでダウンロードできますので、プリントして子供たちに見せてあげ、「アメリカに戦争で負ける前、日本はアメリカと同じくらい広かったんだ」、ぜひ、そう教えていただきたいです。
特に小学校低学年、8歳ぐらいまでのお子さんだと、そのヒトコトの言葉、それこそ大変な心象として、お子さんの生涯に残り続けることでしょう。

そして子供たちも、そのヒトコトから、きっと何かを学ぶでしょう。
もしもアメリカに負けなかったら・・・・・、戦争しなかったら・・・・・、どうして戦争したのか・・・・・、もしも勝っていたら・・・・・、

ヒトコトから子供たちが、いろんな思考を働かせるようなるかもしれません。

この図面では中国侵略と書かれていたり、他にも植民地経営や軍部の独断的軍事行動だのと記述されてるのが気になりますが、それをちょっと手書きとかで訂正し、「侵略ではなく進出の間違いだ」、「植民地にしたんじゃない」とか、今の日本が抱える問題点を子供たちに認識させるため、そう教えておくのも、かなり効果があるように思います。むしろ小学校高学年以上なら、そういった話も、理解できるのではないでしょうか。
こういった教材を使うことで、言葉使い一つに神経を張り巡らせるようなるでしょう。

人生とは、ヒトコトの言葉で変わるもの。
“広い”という、小さな子供にもイメージしやすい、わかりやすい言葉。「日本だって広かった」
モンゴル人やローマ人は、「広い領土を持っていた」、彼らもその言葉を聞くだけで自信を持ちます。歴史の英雄になれるのです。
シンプルな言葉ほど、子供にもわかりやすい。ビジュアルがあればなおさら。
その使い道一つで、良くも悪くも、子供たちは育っていきます。

(図1) 戦前戦中の日本 (画像クリックで拡大図)

(図2) 4世紀頃の朝鮮半島/任那=日本府 (画像クリックで拡大図)

上記図面 PDFファイル ダウンロードしてプリントできます。

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(続き)◆子供の教育、シツケは親が責任を! ~ 親が子に何を語るか。祖母の失敗に学ぶ

◆古代日本史における朝鮮半島の倭国領を歴史から取り返さなければならない! ~ 朝鮮に文化をもたらし、古代朝鮮半島南部を支配した倭人

◆竹島を武力行使で即奪回せよ! そして、まずは容易に取り返せる古代における朝鮮半島の日本府“任那”を日本史上に奪還し、日本人に再教育せよ! ~ 韓土の日本領も奪回! 朝鮮半島にある前方後円墳

◆『ぐりとぐら』 『こどものとも』の福音館は反日出版社

◆ベルマークは朝日新聞と日教組の利権 ~ 朝日新聞が嫌いならベルマークへの協力やめよう!

◆戦争を煽って日本を破滅に追いやった朝日新聞 ~戦後は日本弱体化扇動の急先鋒

◆フェミニズム家庭崩壊=左翼 朝日新聞=朝鮮 ~ 腐った反日新聞の朝日

◆国連だって日本弱体化を図る工作機関 ~ 5歳にオナニー推奨 変態 日教組と国連

◆子供をフヌケ化 宮崎アニメの左翼性 ~ 強烈な反日・共産主義イデオロギー

◆親次第で自虐史観なんてどうにでもなる ~ 日本のおかげでアジア諸国の独立が早まった・・・そんなことで喜んでるのも自虐史観の亜種にすぎない

◆こないだまで、古代日本は朝鮮半島南部を支配していたと教えられていたのに ~ 日本府 任那を消し去った売国奴学者列伝 実は朝鮮人か!?

◆消し去られる朝鮮半島の日本府 任那 ~ 子供を日本人でなく地球人に育てる驚愕の社会科教科書

◆シリーズ「戦前の小学歴史教科書準拠 学習問題から」 目次 ~ 戦前の小学歴史学習附図 全編ダウンロード出来ます。

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消し去られる朝鮮半島の日本府 任那
~ 子供を日本人でなく地球人に育てる驚愕の社会科教科書

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(2011.6.6)
ちなみにNTTドコモがイメキャラ使用する韓国アイドル KARA(から)の名前の由来ですが、これは加羅(から)から来ています。

かつて古代日本は朝鮮半島を領有し、その地域は任那(みまな)と呼ばれていました。日本が朝鮮半島を領有していた事実は、日本書紀はもちろん三国志などにも記録されています。
このことは1980年代まで日本の学校でも定説として教えられていたのですが、古代 朝鮮半島に日本領などなかったとする朝鮮捏造史観の押し付け教育が始まって以後、教えられなくなってしまってます。なので今の30代以下の殆どの方が、この歴史的事実を知りません。

古代の朝鮮半島に日本領なんてなく、まとまってない地域があっただけというのが朝鮮側の歴史観であり、その地域のことを捏造 朝鮮史観では加羅(から)や伽耶(かや)と呼んでいます。
つまり、KARA=加羅とは、かつての日本領 任那と呼ばれる地域の、朝鮮半島に日本領なんてなかったとする韓国側の呼称
奴らが日本へ強力にプッシュする、朝鮮アイドル KARAのネーミングには、このように極めて政治的、朝鮮捏造史観を日本に定着させる教育上の狙いなど、深い意味があります。

日本では今後、朝鮮半島を任那半島とでも呼んでいったほうがいいですね。
加えてオホーツク海は北日本海、東シナ海は南日本海、いっそのこと太平洋も東日本海とでも呼んでいいくらいでしょう ^^)
次はこちらから、MIMANA=みまな(任那)というアイドルでも送り込みましょっか。

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(戻る)  (2011.5.16)
このところ古代日本が朝鮮半島を領有していた事実を強くPRしてますが、そんな昔のことなんて、どうだってよさそうに言ってくる人が多いのに、案の定という感を覚えます。
恐らく、古代日本が朝鮮半島に領有していた任那にこれほど触れたサイトは他の保守系サイトにはなかったよう思うし、偽装右翼にとって、この話はとっても痛いはずだからです。もちろん朝鮮系エセ右翼のみならず、今では正確な古代日本史が教えられていない日本人も非常に増え、ことの重要性もわからない多くの天然工作員が生まれてしまっている模様。

そもそも古代日本のルーツを侵されることは、日本民族の存立に関わってきます。わかる人にはわかるでしょうが、このことは枝葉末節的な南京大虐殺や従軍慰安婦等の戦争責任問題等より遥かに重要であり、奴らは古代日本と朝鮮半島の歴史、つまり日本のルーツを壊すことに最大限、力を注いでいます。
そして日本のルーツを奪われるということは、ズバリ、天皇を奪われることにも直結します。奴らは天皇まで狙っているんです。

いくら日本国内で「朝鮮人は最低だ!」とか騒いでも、それだけでは国際的に見ても何の効力もありません。
しかし、古代日本が朝鮮半島を領有していた事実を強くアピールし、このことが日本及び世界に向けて再度広まることは、現代日本における歴史教育はもちろん、国際的に見ても、いろんな意味で日本の正当性を主張することにつながり、奴ら朝鮮人の捏造史観も完全に論破できるようなります。

このところ任那に関する記事を書き続けて、古代日本が朝鮮半島を領有していた事実を教えられていない、知らない方が如何に多いか、あらためてよくわかりました。しかし20数年前まで、このことは定説として教えられていたんです。ここに無関心でいることは、完全に奴らへの敗北につながります。

これらのことから、奴らが歴史教育で本当に目をつけられたくないところ、古代日本史の重要性が見えてきました。
変な風にやたら日本はスゴイとか騒いでる偽装右翼の目的が、何となくわかってきたのです。それだけでは日本人がマスターベーション的にやってるだけで、奴らにとっては痛くも痒くもありません。子供たちへの教育にも関係なく、これでは今の子供たちに対して何もやってないに等しいです。
しかし、朝鮮半島に日本府 任那があった歴史に触れられると、奴らにとっても対岸の火事では済みません。子供たちの教科書にだって大きく関わってきます。
このことに気づいたのは、実は私もつい最近です。

日本府 任那を日本史に取り返さないとマジやばいよ!
すべては朝鮮由来!? 教科書での“渡来人=朝鮮人”マンセーも深刻!

韓国で初めて万博が開催された時(大田EXPO1993)、私は初めて韓国へ取材で行きました。その時は、あるイベントで知り合った韓国人の紹介で、梨花女子大という日本のお茶の水女子大のような韓国の名門大学の日本語を専攻していた学生を、経費も安くなりそうに思って通訳スタッフとして採用しました。もちろん当時の私は今のような嫌韓的感情は持ってなかったし、日本人を嫌ってる韓国人がこれほど多いことなんて知りませんでした。ソウルのカラオケパブで私は日本語の歌を堂々と歌ってきましたが、普通の韓国人が日本人に持つ感情を知っていたなら、そんなこと恐らくしなかったでしょう。

通訳の卵だった学生の彼女に、私が朝鮮半島で古代日本が領有していた任那の話に触れた時、彼女が言うには韓国ではそういう風に教えられておらず、伽耶(かや)と呼ばれる当時はまだまとまっていない地域があっただけと教えられてると言われました。
私が“伽耶(かや)”という名称を初めて聞いたのはその時です。“伽耶(かや)”は今の日本では加羅として教えられ、韓国どころか今や日本の学校教育でも日本府 任那とは教えられていません。
しかし伽耶とは、あくまで現代の韓国人が名づけた名称であり、考古学上の文献に“加耶”という文字は一切出てきません。
朝鮮半島内の一部地域が当時の日本 倭国の一部(任那)であったことは、日本書紀はもちろん、中国の三国志にも記載されてます。

Tatsuyaさんが、中学生のお子さんの社会の教科書を調べてくださいました。
以下は現代日本の教科書からの引用。

新編 新しい社会 歴史 (東京書籍) より
(日本の中学校の半分は、東京書籍の歴史教科書を採用しています)

【古代までの日本】
1 文明のおこりと日本の成り立ち
大王の時代  中国・朝鮮との交流
大和政権は、百済や、小国が分立していた加羅(任那)地方の国々と結んで、高句麗や新羅と戦いました。

この通り、日本が領有していた日本府 任那を教えないどころか、さらに史実と逆に、日本が新羅らを攻撃して脅かしたような記述になってます。実際は古代日本人が住んでいた地域を唐・新羅連合軍に滅ぼされてます

次に渡来人についての記述。

【大陸文化を伝えた渡来人】
朝鮮の諸国との交流がさかんになると、朝鮮半島から日本列島に、一族でまとまって移り住む人々が増えました。
こうした渡来人は、鉄製の農具を広め、かんがい用の大きなため池をつくる技術のほか、かたい質の土器(須恵器)や高級な絹織物をつくる技術を伝えました。
渡来人はまた、漢字を伝えて、朝廷の記録や外国への手紙の作成にあたるなど、財政や
政治でも活躍しました。
漢字とともに、儒教の書物も伝えられました。
6世紀半ばに仏教を日本に伝えたのも渡来人でした。

この通り「渡来人マンセー!」、まるですべてが朝鮮人から伝わったように、完全に朝鮮人を褒め称えてます。
既に韓国では、古代において韓国人が日本本土に渡っていくつかの地域を支配したとまで教えられてます。いずれ日本でも、朝鮮人が海を渡って天皇となり、日本を支配したと表立って言われだすでしょう。日本の朝鮮系右翼は今でもそう信じてますし。

そして、最後に「現代の日本と世界」についての記述。

第7章 現代の日本と世界  2 国際社会と日本  これからの日本と世界
【世界の一体化と日本の役割】
世界の一体化が進むなかで、日本がどのように生きていくのか、これが21世紀の大きな課題となっています。
日本国民として、同時に国際社会に生きる人間(地球市民)として、よりよい社会づくりを考えていきましょう。

この通り、今の教科書は完全に、子供たちを日本人でなく “地球市民 = 地球人” に洗脳するためのツールと化してます。

今の日本の歴史教育が如何にひどいものであるか、よくおわかりでしょう。小さな頃からこんな風に教わってきた私より下の世代では何の違和感も持たないでしょうが、私から上の方々だと、違和感どころか大変驚かれるはずです。
近代の自虐史観からの脱却も大切ではありますが、それより最重視すべきはルーツとなる古代日本史です。正しい日本人の歴史を取り返さなければなりません。それと、“子供の地球人化”を防がなければなりません。
お子さんお孫さんをお持ちの方は、至急、子供の教科書をチェックして、歴史観を修正させましょう。子供の教育は親がするしかないんです。   (続く)

これら歪んだ朝鮮史観のプロパガンダを図っていたのが朝日新聞であったこと、さらには古代の朝鮮半島内に倭国(日本)が支配していた地域があったことを示す、日本にしかない前方後円墳や日本原産でしかないヒスイが半島内の遺跡から出土していることも、ここに詳しく書いてます。

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(続き)◆未来の歴史教科書より ~ ルーツを守らない日本人の未来

(戻る)◆朝鮮人は、朝鮮半島に住んでいた古代日本人を蹂躙した侵略者!

(始めから)◆竹島を武力行使で即奪回せよ! そして、まずは容易に取り返せる古代における朝鮮半島の日本府“任那”を日本史上に奪還し、日本人に再教育せよ! ~ 韓土の日本領も奪回! 朝鮮半島にある前方後円墳

◆韓国アイドル KARA のギュリが、「福山雅治に惚れさせたい!」とラブ・コール

◆『昔の日本はアメリカと同じくらい広かった!』~ 日本人としての自信を持たせた祖母の言葉

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑤ 朝鮮半島の内附 神功皇后の征伐 文物の伝来

◆排外デモで逮捕者が出たっていうけど ~ 日本が韓国へ謝罪、日韓慰安婦合意・安倍政権糾弾デモに行ってきました!

◆“地球” “平和” “命” に注意! ~ 左翼に乗っ取られる保守系団体の典型例

◆『ぐりとぐら』 『こどものとも』の児童書 福音館は反日出版社 ~ 天皇を貶め、自虐史観に満ちた子供向け絵本

◆今の宮崎駿/ジブリ作品は本当に日本のアニメなのか!?~ ディズニーだって、創価の配下?

◆日本人で韓国好きが62%!・・・って ~ NHKの偏向報道どうすればいい?

◆反日マスコミの本丸は電通!~メディアをウラで操る電通を攻撃すべし

◆反日企業の雄 ヤフー、ソフトバンクの正体 ~ 男をイヌに仕立て貶める!

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ヒトラーが画家を目指していた頃、ナチス台頭期のドイツに行ってみよう
~ 帝政崩壊とルール占領、ハイパーインフレ

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(2015.02.10)

第一次世界大戦敗戦後の、今の世界の通説では極悪国家だったとされているナチス ドイツですが、実際のところ、ナチスが台頭する前のドイツとはどんな風だったのでしょう。

強国だったドイツ帝国もオーストリア帝国もオスマン=トルコ帝国も、敗戦国はすべて第一次世界大戦で滅び、領土の多くを失い、皇位も廃絶、共和国としてスタートすることになりました。加えて有名なロシア革命も起きます。
ドイツは払えるはずもない巨額の賠償金をフランス等宛に支払うようヴェルサイユ条約で命じられましたが、支払いが滞り、フランスは「賠償金を支払わないならルール地域をよこせ!」と、ドイツの工業生産の中心たるルール地方へベルギーと共に侵攻、占領するという暴挙に出ます。あのフランスがですよ。こんなこと学校の世界史では習っていませんよね? そしてそのフランスには、莫大な戦費を英米から借りていたため、ドイツに返してもらったカネを英米に返さなければならない事情もありました。要するに、とどのつまりの債権者は英米だったのです。
フランスがルール工業地帯を占領すると、ストライキの多発などで状況はいっそう悪化、ドイツは賠償金を支払どころではなくなり、ドイツ経済は大混乱、通貨増刷でハイパーインフレに陥ってしまいました。

これから日本はインフレ目指していくということで、公務員を除く庶民にはツライ未来になりそうな感じもありますが……
ちなみに当時この頃のドイツの激しいインフレの状況が、前にコチラでも紹介した、ドイツ留学中だった鈴木鎮一氏の著作に克明に記されています。

『愛に生きる~才能は生まれつきではない』(1966)より
(詳しくは右画像クリック)
『わたしが留学していた第一次世界大戦後のドイツは、やがてヒトラーが出なければならないような、あの大戦争が起こらなければどうしようもないような、恐ろしいインフレと、それに伴う悪質な内外人の跳梁がありました。たとえば、わたしのような一学生をつかまえてさえ、
「五階建ての大きなビルが売りに出ている。一万円も出せば手にはいりますがどうです」
という話を持ちこむ者もいたほどです。わたしは、金儲けに来ているのではない、といってそれを拒否しましたが、それでも、ドイツの老婦人から頼まれて、名器グァルネリウスを、わずか二千円で手に入れるということが起こりました。
ひとは運がよかったとうらやむでしょう。しかし、それは決していいことではなかった。思うに、いつの時代においても、不当の利のあるところには、ひとは知らずして何らかの禍根をつくるのです。

・・・1920年(大正9年)の10月27日です。わたしは23歳になっていました。
すでに書いたように、ときのドイツは恐ろしいインフレで、ほとんどお金を使わないですむありさまでした。日本の十円が六百マルクから始まり、やがて百億、千億マルクに変化していったのです。わたしは予定の一年間をいつか忘れてしまい、むろん一万五千円でやれたわけではありませんが、とうとう八年間ドイツで勉強することになりました。』

こんな中で、ヒトラー率いるナチスが政権を取っていきました。
そして第二次世界大戦が始まり、初期のドイツはまさに電光石火のごとく快進撃、フランスをはじめ欧州をほぼ制圧します。
第一次世界大戦で失位した最後のドイツ皇帝 ヴィルヘルム2世(1851-1941)はドイツ軍がパリを陥落したのを見て、ヒトラーに祝電を打ち、手紙で「今活躍しているドイツ軍の将軍たちはかつて私の教え子だった者たちである。ある者は少尉として、ある者は大尉として、ある者は少佐として私のもとで世界大戦を戦ったのだ」と誇らしげに語っています。ヴィルヘルム2世は独ソ戦が始まる直前に死去。ナチスによるユダヤ人迫害については、それを憂慮した手紙(娘宛)が残っています。

映画『アドルフの画集』は、前にも何度か触れてますが(コチラコチラ参照)、ヴェルサイユ条約の頃(1918)を舞台とした、画家を目指していたアドルフ・ヒトラーを描いた作品です。巷ではヒトラーをキチガイのように描いたプロパガンダ映像ばかり溢れてますが、ヒトラーがとっても人間ぽく描かれている私の大好きな映画。もちろんヒトラーを人間的に描いてるということで、一部から激しい批判の声も挙がったそう。
下は実際にヒトラーの描いた絵です。 (コチラ参照


私はドイツ人ではないのに、なぜかこの映画中のヒトラーの演説が模された場面、何度見ても、いつもホロリとしてしまいます。下記はその演説シーンより。

『以前、散歩をしていた時、ある人物に出くわしたのだ
黒い長衣を着て 黒髪を垂らしてた
最初の疑問はこうだ 「これがユダヤ人?」
その人物を見てるうちに 私の疑問は変わっていった
「こいつがドイツ人か?」と
ユダヤ人どもがいるだけで 文化はすべて汚染されてしまう
腐った肉を切ると そこには何が?
ウジ虫がいるはずだ それがユダヤ人
人が町を造るようになり ユダヤ人が現れた
ユダヤ人は迎え入れられ そしてすぐに経済活動を始めたのだ
つまり金貸し業
ユダヤ人は今 大勢いる
商業も金融も独占しているのだ!
そして第2段階へ
ユダヤの特色を薄め ドイツ的な特色を前面に
何と我々ドイツ人に 成りすましているのだ!
文化が汚染された
美術も文学も演劇もだ
宗教もあざけりの的
倫理観も道徳も否定され
ドイツ娘は 娼婦にされたのだ 娼婦だ!
ユダヤ人は本来の姿を現し 吸血鬼と同じ存在になっている
奴らは血をすする吸血鬼なのだ
ドイツ人の血を吸う 吸血鬼だぞ
吸血鬼のユダヤ人ども!』

ここにある「ユダヤ人」という言葉を「朝鮮人」に置き換えると、今の日本の状況に何とピッタリ当てはまってしまうことでしょう! 特に「ドイツ娘が娼婦にされてしまった」という言葉、意味がわからない人も多いかもしれないけど、これこそ今の日本娘にピッタリ当てはまってしまうことも見過ごしてはいけません。フェミニズム、拝金主義に洗脳されてる人ではすぐにはピンとこない。
そう。「結婚相手の男の年収は○百万円以上じゃないと。」「仕事はやればお金もらえるけど、お金ももらえない家事や子育てなんて評価されるわけでもなく、やってもしょうがないし」なんて恥ずかしげもなく言ってる人たちのことですよ!

けれどユダヤ人は本当に頭がいいのかもしれないけど、朝鮮人にそれほどの頭脳はないはずで、朝鮮人、奴らを操ってる勢力がいること、決して看過してはいけない。朝鮮人にしか目が向かなくなるようだと、ナチス ドイツの二の舞になってしまうのでしょう。
ナチス ドイツのユダヤ迫害、これはヒトラー=ナチスを徹底的にコケにしたチャップリン映画とかで逆上し、ユダヤ人排除がますますエスカレートしていったのが真実ではないでしょうか。その辺の陰謀論でよくある、ヒトラーがユダヤ自演の工作員だったとかいうのはデタラメで、ナチスドイツを挑発してますます反ユダヤ感情を焚き付け、当時は欧州事情に関心のなかったアメリカ人の反ナチスドイツ感情まで呼び起こして対立を激化させたユダヤ人、その張本人こそチャップリンらであって、チャップリンは第一級の工作員として多大な働きをしたのです。
ナチスは、当初は捕らえたユダヤ人を穏便にどっかに追い出そうとしてたけど、チャップリン映画『独裁者』をはじめとする英米の反ナチスプロパガンダで、他国による受け入れがままならなくなったため、それにブチ切れたヒトラー、ナチスドイツではユダヤ人への扱いがかえって乱暴になり、収容所で死ぬ人も増えた。それでもあっち側の映画とかにあるようなガス室だの大虐殺というのはウソっぱち。
ナチス ドイツはあれだけのユダヤ人を捕まえたけど、何も変わらず、結局負けた。雑魚のユダヤ人をいくら何十万人捕まえてもどうにもならないし、そもそもユダヤ人という括りで見てはいけない。ドイツや世界を動かすほどの金融勢力を牛耳るユダヤ人を含むグループなんて、他のところでピンピン元気にしてたってこと。

映画『アドルフの画集』(2002)より  詳しくは右画像クリック
監督: メノ・メイエス 出演: ジョン・キューザック 他
2002年のハンガリー、カナダ、イギリス合作映画。日本では2004年2月7日に公開。この映画はフィクションだと思ってましたが、どんな文献が参考にされたのかは知りませんが、かなり事実を元に作られてるようで、全くのフィクションというわけではないようです。これに出てくるユダヤ人画商のモデルというのも、映画とは異なりながらも、ヒトラーの周りにきっといたんだと思います。

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(2016.11.22)
第一次世界大戦後のドイツ経済の凄まじさ、ドイツでは1914年から1923年までの10年間で、何と一兆倍の大インフレとなりました(対ドル換算。右写真は給料として支給された札束)。なぜこのようなことが起こったかというと、最大の原因は、ドイツが戦勝国への巨額の賠償金を負わされ、その支払いのため、とにかく紙幣を刷りまくったからです。

では、今の日本でも、日本の借金は千兆円を超えたけど気にする必要はないなんて言う人もいるわけですが、その種の人がそう言う理由に「国にとって、紙幣(お金)なんて刷ればいくらでも出来るから」というのがあります。そんなこと平然と言ってる奴ら、当時のドイツ経済を知っていれば、その正体、その目的、ピンとくるのではないでしょうか。

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◆マイケル・ジャクソンやデヴィッド・ボウイのような天才たちと共に、ヒトラーと対話してみませんか?

◆人間 真実のヒットラー ~ ヒトラー本と絵本『ヒットラー』から

◆日本破壊・売国バラ撒き“クールジャパン”国策で支援されるキチガイ劣悪音楽・アニメ・デタラメ日本文化(=暗黒勢力・朝鮮文化)

◆朝鮮ピンクに注意! ~ もはや極刑に処すべきひどさの朝鮮系色使い

◆亡国のシナリオ ① ~ GDPの倍、国家税収の20倍以上の借金でさらに借金を増やせと叫ぶ売国奴

◆亡国のシナリオ ② ~ 日本を、過去に滅んだロマノフ朝やハプスブルク帝国になぞらえたパターン

◆左翼メディアの日本人白痴化洗脳工作について ~ 『 人間獣化計画 』 と 『 中共対日工作要綱 』

◆『シオン議定書』 – 第二次世界大戦を勃発させた人間獣化計画の基本文書

◆現代の紛争や不可解な流行、ゴリ押し 行き着くところはユダヤ国際金融 ~ ユダヤ人や朝鮮人は被害者や弱者なんかではない

◆専業主婦がいなくなれば、TV・ラジオはもたない ~ マヌケ腐れマスコミ ~ 米国911テロと、ビル爆破工事の酷似

◆戦前の道徳教科書『修身』に見る加藤清正の武勇伝 ~ 自虐史観の正反対から見る豊臣秀吉の朝鮮侵攻

◆古代日本史における朝鮮半島の倭国領を歴史から取り返さなければならない! ~ 朝鮮に文化をもたらし、古代朝鮮半島南部を支配した倭人

◆朝鮮人による朝鮮人叩き。いわゆる“在日認定”のカラクリ ~ 左翼による左翼叩きの目論見まで  ≪工作員入門≫

◆朝鮮人というより問題はパチンコ。国連も左翼も朝鮮パチンコが支配

◆うるさい街宣右翼 実は反日朝鮮人 ~ 愛国心を貶める反日分子たち

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こないだまで、古代日本は朝鮮半島南部を支配していたと教えられていたのに
~ 日本府 任那を消し去った売国奴学者列伝 実は朝鮮人か!?

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(2011.7.15)  (始めから)
今のように何でもかんでも朝鮮由来みたいな歴史観が日本で教育されるようなったのは、1980年代に始まり、90年代に入れば、気づかぬうち、その捏造史観教育工作がほぼ完了されてたように思います。
そして、その発端となったのが、北朝鮮の歴史学者 金錫亭(キムソクヒョン)がこれまでの日本における歴史観と真逆の歴史観を主張したことに始まり、それを大々的に日本へ広めたのが朝日新聞であったこと、私は書いてます。

もともと私の世代まで、古代朝鮮半島において、日本は任那(みまな)をはじめとする支配地域を持っていたと教えられていたし、すべての文化が朝鮮半島から渡ってきたといった今のような教え方はされていませんでした。古代日本が朝鮮半島南部を支配していたというのは常識だったんです。
南京大虐殺や従軍慰安婦なんて話もありませんでした。

当時の日本における教科書の記述は以下の通り。

写真は当時の日本の中学校の教科書 (画像クリックで拡大)
1972年版 中経出版『日本の歩みと世界』(監修:豊田武)より

(以下、この教科書の記述より)
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4世紀の後半になると、大和朝廷は、朝鮮半島に勢力を広げた。そのころの朝鮮半島には、北に高句麗、その南に新羅と百済が国を建てていた。大和朝廷は、まとまりの遅れていた南の任那をおさえ、そこを足場に、一時、百済・新羅を従えて高句麗と戦った。
いっぽう、5世紀には、中国が南と北とに分かれた(南北朝時代)。大和朝廷は、朝鮮半島南部における日本の立場を認めてもらおうとして、南の王朝にたびたび使いを送った。

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1990年代以降の歴史教育を受けて育った世代からすれば、きっと目から鱗の内容でしょう。その後の白村江の戦い(663年)で唐・新羅連合軍に、倭・百済連合軍が敗れるまで、日本は朝鮮半島内に多大な勢力圏を持っていたのです。
つまり当時の朝鮮半島南部の多くの地域は、日本の支配下にあったということ。。
当時、任那はもちろん百済の王や官僚だって、日本人(倭人)が多数を占めていたわけ

しかし、その後はどんな風に教えられるようなったか。
以下は小学館の『日本歴史館』(1993年発行)という分厚いカラー図鑑の記述から。手元に今の歴史教科書がありませんので、うちにある歴史書からの引用です。
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倭は朝鮮半島内での対立構造によって、その援助が強く期待されることが多く、積極的にその対立に関わった。およそ6世紀の初めまで、そうした構造は維持される。
倭国はそのような関係のもとで、伽耶の南部諸国および百済から先進の文化・技術を入手し、その見返りとして兵力を提供した。そうした出兵で、朝鮮半島内の抗争に巻き込まれることになるが、およそ支配を及ぼすような関係ではなかった。


・・・日本では『日本書紀』の記事のままに伽耶諸国を“任那”ということもあるが、それは本来の正しい用法ではなく、伽耶の一国(金官国)の別の呼び方にすぎない。
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この通り、倭国が朝鮮半島に支配を及ぼしていたどころか、進んでいた半島の技術を入手するため倭国が兵力を提供したとか、それまでの日本における歴史観から180度転換のムチャクチャな論説がなされています。
正に朝鮮学者 金錫亭(キムソクヒョン)の主張そのままなわけで、今の教科書はどこもこれに倣っています。こんな内容で今の日本の歴史教育では子供たちに教えられているわけです。

そもそも、“朝鮮半島から先進の文化・技術を入手するため”なんてことのために、その見返りとして国民の命を献上してまで海を隔てた半島にまで膨大な兵力を提供する・・・そんな非現実的、バカなこと、絶対にありえません!

ちなみにこの本の古代史の執筆者  現:京都教育大学名誉教授 和田 萃(あつむ)
1944年、満州国遼陽市生まれ。生後間もなく日本に移り、奈良県磯城郡田原本町で育つ。京都大学文学部卒業、日本古代史の専門家とされてるらしい。その筋では権威があるのでしょう。

きっと今では、この種の反日自虐 左翼 売国奴 歴史学者というのがゴロゴロいるんでしょうね。
この種の売国歴史学者の名前、情報ご提供いただければ、売国奴 歴史学者列伝として、どんどん追記していきたいと思います。

南京大虐殺や従軍慰安婦問題より前に、すべてが朝鮮由来とされる朝鮮従属の現代日本の歴史観、こっちの方が何百倍も重大です。
カギは近代史より、古代史にあります。
何より守るべきは、古代日本、古代朝鮮半島における倭国の先人たちが支配した地域。
日本人のルーツ、ここを守らないと、日本人は奴らにそれこそ根こそぎ奪われます

このこと、ぜひ政治家や関係機関など、みなさまからも各所へご進言いただければと思います。
ここのURL https://nihon-omokage.com/?p=832 を貼り付けてのメール攻勢も非常に有効です。

尚、和田萃は、上田正昭という歴史学者の門下だそう。上田は韓国から勲章までもらってるね。

【以下、Wikiより 2011.7.16現在】
上田 正昭(うえだ まさあき、1927年4月29日 – )は兵庫県出身の日本の歴史学者。
京都大学名誉教授、大阪女子大学名誉教授、西北大学名誉教授。勲二等瑞宝章。修交勲章崇禮章(韓国から)。
門下生に千田稔(国際日本文化研究センター名誉教授)、和田萃(京都教育大学名誉教授)、井上満郎(京都産業大学教授)、灘本昌久(京都産業大学教授)、田中俊明(滋賀県立大学教授)などがいる。
教科書に竹島を記述することについては「するべきでない」と発言。
八木晃介、水野直樹らと一緒に「朝鮮学校を支える会」の呼びかけ人となっている。

(続く)

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(続き)◆古代日本史における朝鮮半島の倭国領を歴史から取り返さなければならない! ~ 朝鮮に文化をもたらし、古代朝鮮半島南部を支配した倭人

(戻る)◆未来の歴史教科書より ~ ルーツを守らない日本人の未来

(始めから)◆竹島を武力行使で即奪回せよ! そして、まずは容易に取り返せる古代における朝鮮半島の日本府“任那”を日本史上に奪還し、日本人に再教育せよ! ~ 韓土の日本領も奪回! 朝鮮半島にある前方後円墳

◆『日本書紀』より、「(古代朝鮮半島の日本府)任那滅亡」

◆消し去られる朝鮮半島の日本府 任那 ~ 子供を日本人でなく地球人に育てる驚愕の社会科教科書

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑦ 朝鮮半島の変遷。韓土の形勢 任那 日本府の滅亡

◆子供には生の声、楽器音を聴かせましょう ~ ボーカロイドなんかダメ

◆個性の追求、結婚できない無縁社会の到来 ~ 漱石に見るネコの意味するもの

◆売国企業はユニクロだけじゃない。言い始めればキリがないし、もっと現実を見なければなりません

◆朝鮮人は、朝鮮半島に住んでいた古代日本人を蹂躙した侵略者!

◆古代日本が朝鮮半島を領有していた事実をもっと広めなければなりません

◆日本が朝鮮人の植民地に!売国 民主党政権 ~ 犯罪率4倍!朝鮮人の実態

◆排外デモで逮捕者が出たっていうけど ~ 日本が韓国へ謝罪、日韓慰安婦合意・安倍政権糾弾デモに行ってきました!

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朝鮮人は、朝鮮半島に住んでいた古代日本人を蹂躙した侵略者!

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(2018.9.30)
言論弾圧のtwitter、アカウント停止で見れなくなっててtwitter貼ってるとこ全部なおさんといかんね。めんどくさ。あんなクズシステム使わんどきゃよかったわ。朝鮮人はやることが汚い。

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(2016.1.23)
昨日、で紹介しましたが(詳しくは右画像クリック)、明治天皇の信頼が厚く、教育勅語に大きな影響を与えた儒学者 元田永孚(もとだながさね)が明治天皇の勅命を受けて作成した勅撰修身書『幼学綱要』にある、伊企難のエピソード挿絵です。『幼学綱要』については、またいつか詳しく取り上げたいと思ってます。

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(2012.10.23)
ここで紹介の『国語副読本』や戦前の道徳教育『尋常 小学修身書』をずっと子供に読ませてましたが、小学校高学年向けにまで進んでくると、ちょっと一年生には厳しくなってきたので、もっぱら今は『日本人を育む 小学国語読本 低学年用』(詳しくは右写真クリック。高学年用もあります)という本を子供に毎朝、読ませてます。これには日本の昔話から日本神話、平家物語のような古典、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』のような近代文学までいろんなお話が収録されていて、しかも全文フリガナ付きなので子供だけで声を出して読み進めることだって出来るし、親にとっても非常にありがたいです。国生みの部分は話がハシ折られて物足りないところもあるのですが、日本神話は他の絵本や本で補足すればよいでしょう。
この本は日本人的な感性を育めそうな材料がいろいろちりばめられていて、平易で短い文章だし、別に小学生に限らず、中高生とかに入門用で読ませるにもなかなかよさそうです。

今日はこの本にある、古代当時の日本と新羅の生々しい関係が伺えるエピソードをご紹介します。
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新羅と戦った古代日本軍の将 【伊企難(いきな)】  (『日本書紀』より)


欽明天皇の二十三年、日本が新羅を攻めた時のことです。
伊企難は大へん勇敢な武士でしたが、不幸にも捕虜となり、新羅の大将の面前に引き立てられました。
「その方、もし褌(ふんどし)をはずし、尻を日本に向けて、日本の大将! わが尻を食らえ! と叫んだら許してつかわそう」
と言われました。伊企難は、
「よろしい! 申しましょう!」
と、早速尻をまくって、新羅の大将の方に尻を向けて、
「新羅の大将! わが尻を食らえ!」
と二度も三度も大声で叫びましたから、伊企難はとうとう殺されてしまいました。

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私は最初、内容も知らず何気なしに子供に読んでもらっていたのですが、話の重さを知って感動のあまり涙がこぼれそうになりました・・・
「いいぞ、いいぞ、偉いぞ、イキナ。これが本物の日本人、日本男児だー! おのれ、憎っくき新羅、朝鮮めー!」って思いでいっぱいに・・・

これこそ本物の歴史、忘れてならない、古代日本人の新羅(今の朝鮮系)への思ひなんですよ!
正史とされる『日本書紀』に記載、こういう凄く大事なことを教えない現代日本の学校教育というのは犯罪的なんですよ。
私も含めてですが、日本人が自国の歴史を知らなさすぎるってこと、思い知りました?
偉大な先人の思ひにつながることが出来ましたか? 日本人は古代史、日本のルーツをシッカリ守りましょう!
(尚、欽明23年は西暦562年、任那(みまな)が新羅に滅された年であり、欽明天皇は最後まで任那復興を夢見ながら亡くなりました。)

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(戻る)   (2011.5.14)
古代において、日本は朝鮮半島の一部を領有し、当時の半島にはたくさんの日本人が住んでいました。
古代 日本人が住んでいた日本文化圏といえた地域は日本本土のみならず、朝鮮半島でも日本府 任那(みまな)を中心に、当時の親日国 倭人の支配していた百済にまで及びます。

そして、任那と百済は、当時の大国 唐と朝鮮人の国 新羅の連合軍によって滅ばされ、その後、朝鮮半島は新羅に占領されることとなります。

そして更には、唐・新羅の連合軍が日本本土にまで侵攻してくる恐れがあったため、日本(倭国)を守ろうとした当時の古代日本人の遺跡が九州にはたくさん残っています。

私は九州生まれで、実家の近くには古代日本の外交舞台となっていた広大な大宰府政庁跡はじめ、当時の日本を取り巻く状況を生々しく語る史跡がたくさんあります。もっと古い吉野ヶ里遺跡など、数多くの遺跡も残されてます。

九州に大宰府政庁が置かれたのは7世紀初め(日本書紀)。当時、朝鮮半島内にいた日本人は、唐と手を結んだ新羅の侵略に追い詰められます。白村江の戦い(663年)において、百済・倭国連合軍と唐・新羅連合軍は陸・海に亘って激しい会戦を繰り広げますが、倭国(日本)は敗れ、百済も滅びます。日本は翌664年(天智4年)、筑紫・壱岐・対馬に防人を置き、大宰府から約1.5kmの場所に防衛戦としての土塁、長大な「水城(みずき)」も築きました。

朝鮮半島から命からがら日本本土に逃げ延びた古代日本人は、その後も残忍な唐・新羅連合軍の脅威に怯え、防波堤となる九州にたくさんの防衛線を張ったのです。
古代日本人がシナ・朝鮮人に抱いていた感情、日本人は決して忘れてはなりません。先人の築いた防衛拠点は、後の元寇ではもちろん、そのまま現代日本の国防にも通じているように思えます。

海を渡ってきた日本人を今では渡来人(帰化人)などと呼んで、奴らはすべての文化が朝鮮から渡ってきたような主張をしてますが、もともと渡って来た彼らは朝鮮半島に住んでいた当時の日本人。
奴らは日本のルーツを根こそぎ奪おうとしています。われわれ日本人はそれに対抗するため、日本本土のみならず朝鮮半島内にいた先人たちの残した日本のルーツを守らなければなりません。

朝鮮人を身近に感じる必要はないでしょうが、日本が領有し、多くの古代日本人が住んでいた朝鮮半島を、日本人はもっと身近に感じなければなりません。日本府 任那を歴史教育に復活させましょう。
日本が領有していた朝鮮半島を侵略し、歴史の歪曲・捏造まで図る奴らへ、徹底した対抗意識を持ってください。

やたら朝鮮半島への嫌悪感を持たせ、「朝鮮には手を出すな」と騒いで日本本土と半島の境界意識を煽ろうとするのは、古代日本が半島を領有していた事実から目を逸らさせるための、奴ら朝鮮系エセ右翼の攪乱戦略です。奴らが守ろうとしているのは、日本ではなく朝鮮半島、それにまんまと乗せられないでください。
(続く)


博多の方から太宰府市に入ってまもなく、道路や線路を横切って木立に覆われた丘が続きます。それが664年、唐・新羅の侵攻に備えて築かれた防衛施設 水城、いわば日本版 万里の長城。今も水城跡に咲いては散る“桜花” 、美しい。

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(続き)◆消し去られる朝鮮半島の日本府 任那 ~ 子供を日本人でなく地球人に育てる驚愕の社会科教科書

(戻る)◆古代日本が朝鮮半島を領有していた事実をもっと広めなければなりません

◆『日本書紀』より、「(古代朝鮮半島の日本府)任那滅亡」

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑦ 朝鮮半島の変遷。韓土の形勢 任那 日本府の滅亡

◆人権侵害救済法案 ~ どうしてこんな売国法案が日本政府から出されるのか

◆『昔の日本はアメリカと同じくらい広かった!』~ 日本人としての自信を持たせた祖母の言葉

◆日本の民謡ばとっても明るい気分にしてくれます ~ 東北への応援歌

◆イザナギとイザナミに見る、日本における男女のあり方 ~ 日本神話を題材に

(始めから)◆竹島を武力行使で即奪回せよ! そして、まずは容易に取り返せる古代における朝鮮半島の日本府“任那”を日本史上に奪還し、日本人に再教育せよ! ~ 韓土の日本領も奪回! 朝鮮半島にある前方後円墳

◆自虐史観は日本人共通の唯一の宗教だった ~ 自虐史観からの脱却は日本における宗教革命

◆「 日本は朝鮮人のもの!」 朝鮮人が参政権獲得に決起 ~ 亡国 民主党政権

◆少子化は自虐史観に関連性あり!? ~ 日独伊 敗戦三国のみが異常な少子化傾向

◆「国を守ろう!」、「一つになろう!」 ・・・これって左翼のスローガンにもなるってわかってます?

◆言論弾圧企業 思想統制ファシズムの twitter

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