本物の“大和撫子” 入門 ① ~ 『女大学』より
(2012.8.10)
『女大学』(おんなだいがく)とは、江戸時代中期から女子教育に用いられるようなった江戸時代のベストセラー。貝原益軒(かいばら えきけん)が著した『和俗童子訓』(詳しくは右画像クリック)の【女子を教ゆる法】部分を元にして、1716年に刊行された教訓書。
ここでいう「大学」とは四書五経のひとつである大学のことで、今の教育機関の大学のことではない。
『女大学』では、女性の誠を19か条にまとめ、これらを幼少の頃からよく教えこむことが肝要で、嫁入り道具を立派にすることより、こうした教育のほうが婦人を幸せに導くのである、と説かれている。明治期以前の日本における女のあり方を説いた書といえる。
そして明治末期になって『女大学評論』『新女大学』を著し、従来の『女大学』を封建的だとして徹底的にいち早く否定したのこそ、実は福澤諭吉である。福澤の『新女大学』では、いわゆる男女平等色が非常に強くなっており、それまでの日本が男尊女卑と断じられ、それによって『女大学』は以後、古い女子教育の考え方”とされるようなってしまった。非常に欧米的でありフェミ的ともいえるイデオロギーのハシリを、福沢が脱亜・欧米マンセーで日本に持ち込んだという感は否めない。
また三島由紀夫は、ギャグ混じりでしょうが『反貞女大学』(背徳の女大学)なるものを著し、女へ浮気のススメまでしてますが、そして不倫を成就するには夫を選べと・・・三島ってのは男色家であったりコワれてる側面も多く、いろいろ曲者ですね(この女装シーンの出てくる映画『地獄に堕ちた勇者ども』を絶賛する三島の気持とか、なぜかわかりやすく感じてしまう)。
「ある女は心で、ある女は肉体で、ある女は脂肪で夫を裏切る」という三島の有名な言葉がありますが、結局、三島自身が女に裏切られたことが相当あったから、こういう言葉が出てきたんだと思うし、女に裏切られるというのは、やっぱりその男自身に何か原因があるかもと考えるべきでもあって、そういうところから三島は確かに女に裏切られやすいタイプの男だった気がしないでもないわけで、女へ「夫の選択から入念に行え」なんて指南するより、まずは男である三島の方にこそ「女を見る目を養え」って言ってやりたいような・・・
大先生とされている福澤諭吉や三島由紀夫のような大御所を私ごときが論破してしまうようでは、いったい何なのかって感じですが・・・
下記は『女大学』 19か条。(詳しくは右画像クリック)
良妻賢母、自分に厳しく人に尽くす、当時こんな教育を幼い頃から受けていた日本女性“大和撫子”が、世界が憧れる最高の女性たちであったのは当たり前ですね。
中でも「不妊は離縁されるべき」、人権左翼からするととんでもない暴論だろうけど、一つ大事なこと言っておくと、子供が出来ないなら家は絶えますからね。家がなくなるってのは、それまで継承されてきたものがすべて消え去るってことなわけで、そんなので喜ぶのは普通、左翼ぐらいしかいないわけで。
養子をとればいいだろ、と言うかもしれないけど、血のつながってない子供では、とる意味ないよね。せめて同じ血筋、親類の子から養子にしたりしないといけないはずだけど、少子化でそれさえ今じゃ大変困難だよね。
これだけ読むと、子供が生まれないからと当時は平気で離縁される女がゴロゴロいたようにも感じるけど、実際そんなことだけで簡単に離縁してたのかというと、それは全く違っていたようです。側室をとる手だってありましたし。
勝手な都合で女を切り捨てようとする男への厳しい戒めとしては、お岩さんの『東海道四谷怪談』のような当時の舞台で大人気だった作品とかに伺えます。
要は分相応ということでしょう。子供が産めなくても気立ていい女だったら大切にすべしと貝原益軒翁も説いてるわけで、だからといって今のフェミみたいに「子供産まなくて何が悪い! 人権侵害だー!」なんて開き直って下品にワメいたりしてる連中はカス、最低なわけで。
それと念のため補足しておきますが、「歌舞伎や神社仏閣等、人の多く集まる場所へ若い女は行くな」とありますが、これは要するに今の社交場のようなところへ若い娘が行くべきでないということですね。当時の歌舞伎や神社仏閣は日本の伝統芸・文化を見に行くというより、今のディスコやパーティ催しのような社交場としての意味合いがあったわけで、現代の歌舞伎や神社仏閣の位置づけイメージとは全く異なります。
この19か条、現代に生きる私からしても至極まっとうな内容に思いますが、人によっては「男尊女卑だー!」「女にだけ厳しすぎる!」とか騒ぐ人いそうですが、これに対して男に求められていたのが武士道であって、『女大学』と全く同時期である1716年頃に刊行された『葉隠』の言葉に代表されるように「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」が、当時の武士の男へは普通に求められ、それこそ武士のあるべき姿であったわけで。
『女大学』より、『葉隠』のその言葉だけ誇大解釈されたりした方がよっぽど危険なように思えるし、三島由紀夫が敬愛した『葉隠』でもあるわけですが、男色の楽しみ方なんてのまであって、そういう変なところにまで三島が感化されたあげく、自決にまで至ってしまった感も否めません。
ぜひここをご覧の親御さん、特に女の子をお持ちの方は、娘さんに『女大学』について「江戸期、昔の女の子の基本はこんなだったんだよ。これが本当の大和撫子というものなんだよ」って、教えておいてあげましょうね ^▽^) (続く)
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【 『女大学』 十九か条 】
一~三条は、女子教育の在り方。
四~一九条は、婦人の在り方。
(一) 女子は成長して、嫁に入り、夫と親に仕えるのであるから幼少のころから過保護にしてはならない。
(二) 容姿よりも心根の善良なことが肝要で、従順で貞節そして情け深くしとやかなのがよい。
(三) 女子は日常生活全般なに亘り、男女の別をきちんとしなければならぬ、幼少といえども混浴などもってのほか。
(四) 七去の法。(淫乱・嫉妬・不妊・舅に従順でない・多弁・盗癖・のある嫁は離縁されるべき)
(五) 嫁いだら夫の両親を実の親以上に大切にせよ。
(六) 妻は夫を主君として仕えよ。
(七) 夫兄弟や親戚を敬愛せよ。
(八) 夫に対して嫉妬心を抱くな、感情的にならず冷静に話し合う事。
(九) 無駄話はするな。人の悪口、他人の悪評を伝えるな、気をつけないと家族、親類の不和を招く元になる。
(一〇)婦人は勤勉でなければならぬ。歌舞伎や、神社仏閣等人の多く集まる場所に行くのは四十歳未満の婦人は好ましくない。
(一一)神仏に頼って祈りすぎてもいけない。人事を尽くせ。
(一二)万事倹約を旨とせよ。
(一三)主婦がまだ若い場合は、みだりに若い男に近づいてはならない。たとえ夫の親戚や下男であっても。
(一四)衣服はあまり目立たず、分相応に、清潔を保つこと。
(一五)夫方の付き合いを重視せよ。自分の親への勤めを果たすときでも夫の許しを得ることが肝要である。
(一六)みだりに他人の家へ出入りするな、普段は使いをやるのがよい。
(一七)召使を置く場合でも、任せきりでなく、自分の労苦をいとわずやるのが、婦人のつとめである。
(一八)おしゃべりな下女は解雇し、しつけはきちんとし、褒美をやるときは、けちけちしないで与えよ。
(一九)主婦の心の持ち方をのべている。従順であれ・怒り恨むことなかれ・人の悪口をいうな・ねたむな・思慮浅くするな。
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(続き)◆本物の“大和撫子”入門 ② ~ 貝原益軒『和俗童子訓』【女子を教ゆる法】より
(終り)◆本物の“大和撫子”入門 ③ ~ 我の否定、徹底した自己犠牲精神 新渡戸稲造『武士道』より
◆早期セックスを青少年に煽るマスコミ・左翼なのに、仕事持つ健全な男性が女子高生と交際したら犯罪者にされるというダブルスタンダード
◆“なでしこジャパン” に精神侵略を感じ取れる人って、どれだけいますかね?
◆DVやセクハラは存在しないが、虐待は存在する ~ 女権洗脳の次に来る、子供の権利洗脳
◆わが子の育て方、しつけの仕方 ~ 母親のための人間学 家庭教育の心得
◆安直に女性の自由や自立を煽るフェミニストは、詐欺犯罪者も同じ!
◆結婚に魅力がなくなってリスクになった ~ 本来、結婚や花嫁ってのはね
◆美人はバカで性格悪いのが多い!? ~ 大切なのは、家族の幸せを願う自己犠牲精神
◆失われた日本人の精神性と天皇の祈り① ~ 信仰とは信条を持つこと。神を信じる否かは関係ない ~ 母と子が父の無事を祈る『里の秋』