日本の面影

Glimpses of Japan
失われる日本人の精神性に、将来を憂う  リンクフリー

『昔の日本はアメリカと同じくらい広かった!』
~ 日本人としての自信を持たせた祖母の言葉

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(2019.12.9)
恐ろしい法案や政策が立て続けに出てたり、今の日本の状況や人々を見てて、正直すごくツライです。みんな脳なしのゴイムにされていくことを考えると絶望的なんです。他にもいろんなことがあって、泣きそう、くじけそうにもなります。何とか子供だけはと、一筋の望みだけをつなぎたい思いで毎日います。その一心だけでここをやってます。同じ思いの方も多いのでしょうか。

とにかく私は………お婆ちゃんに会いたい、そしてあの時ではわからなかったこと、いろんなこと聞いてみたい、ずっと前から、いつもそんなことばかり考えてます。どっかにも書いてるでしょうが、私は両親が全然好きではなかったし、愛されてると愛情が感じられていたのは私にとってお婆ちゃんだけだったんです。お婆ちゃんにとっても私は初孫だったことが今ではわかってる。お婆ちゃんは後妻で入った人だったので実家にいた従兄弟たちはお婆ちゃんの直の孫ではなかった。お婆ちゃんも何人か子供を産んでますが、しかもその中で子を産んだのは私の母だけだったんです。
幼少期の夏と冬はいつもお婆ちゃんのところに行ってました。夏は蚊帳の中で寝て、お婆ちゃんの匂い、今でもしっかり覚えてます。仏壇のお供え物を食べて怒られたこともあります(でもそれも、「従兄弟から食べていいよ」と言われてたから妹と一緒に食べただけだったのですけどね。しかも今じゃ、その妹も……)。
二人で急いで電車に乗って、私が持ってた二人分の切符をなくして、駅事務所で揃って留められたこともあったり…… 忘れられない今でも心と目に焼きついてる思い出……

お婆ちゃんが学校でどんなことを教えていたのか、もうわかりません。生前の母に聞いておけばもっと何かわかっていたかもしれない。でももう手遅れでそれも出来ない。
どうしてもお婆ちゃんのことをもっと知りたい。旧師範学校、今の教育大に尋ねたりもしたのですが(空襲で焼けたこともあって)何も記録が残ってないそうです。

私はマッチ売りの少女がすごく好きなんです。最後にお婆ちゃんに会えて……抱きしめられて……
ここでも紹介してるこの絵本『女の子がだ~いすきなお話』(下画像クリック)の絵は素晴らしいものが多いのですが、「マッチ売りの少女」のお婆ちゃんに会えるところ、本当に私にはグ~ッと来てしまんです……

   

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(2011.5.24)
古代 朝鮮半島を領有していた古代日本史に関する資料が、今では希少になりつつあり、探してもなかなか見つからないようです。
このページ下から、昔の歴史教材に掲載されていた古代 東アジアの年表や地図のPDFファイルがダウンロードできます。ぜひ、お子様たちの教育にご活用ください。
高校の頃の世界史・日本史の教科書は私も残念ながら失くしてますが、なぜか副教材のこの本だけはとっていました。
もし、他にも日本府 任那などについて記載された昔の教科書や教材等お持ちの方いらしたら、ぜひ保管しておき、拡散していただければと思います。
40歳以下(団塊ジュニア以下)だと、恐らく任那が教えられておらず知らない方ばかりでしょう。40歳以上でも中には教えられてない方、多そうです。
わずか20数年前まで当たり前にあった古代日本に関する歴史教育の資料、これからは本当に希少で、重大な価値あるものになっていくかもしれません。
日本人はルーツを守らないと、完全に奴らにやられますよ。今の私があるの、そしてこんなサイトまでやってるのは、この祖母がいたおかげでもあります。

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(2010.10.21 追加)
この記事に関連し、朝鮮半島の日本府 任那についてです。
朝鮮半島南部の日本府 任那の存在は、『日本書紀』や中国の『三国志』などの記載からも明らかな通り、私の時は学校で、朝鮮半島に任那日本府があったことが教えられていて、昔はそれが定説でした(恐らく1980年代頃まで?)。しかし今では、任那がなかったかのようされるのが定説となってます。
どうしてこんなことになったのか、調べてましたが、ちょうど捏造 朝鮮史観が押しつけらる過渡期に当ると思われる1978年刊行の、学研の全15巻からなる「人物群像 日本の歴史」という図鑑を取り揃え、その第一巻『古代の大王』に次の記述がありました。
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そうした日本古代史あるいは日・朝交渉史の根本的な歴史認識の改変を迫ったのは、朝鮮民主主義人民共和国の社会科学院歴史研究所所長 金錫亭(キムソクヒョン)氏が、これまでの日本古代史とは全く逆の考え方を提案したことが転機になっている。つまり、大和朝廷による南部朝鮮支配を全面的に否定する中で、むしろ、朝鮮の三韓(馬韓・辰韓・弁韓)・三国(高句麗・新羅・百済)から日本へと渡来人が移住し、その分国をつくったとするのである。(金錫亨「分国論」1963年)
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今のような朝鮮史観が押し付けられるようなったのは、ここが始まりのようです。
そして、この北朝鮮の学者 金錫亨の歴史観を発行部数1000万部ほどの新聞で連載紹介し、古代日本史関連の書籍でも取り上げ、朝鮮史観洗脳プロパガンダを大々的に図っていたのが朝日新聞であることも判明しました。

下記の通り朝鮮半島南部で、日本固有の前方後円墳が多数発見され、日本原産のヒスイが出土していることからも、半島南部の任那が当時の大和朝廷 日本の勢力下にあったこと、疑いの余地はありません

【 任 那 (みまな) について 】  (2010.10.20 Wikiより)

3世紀末の『三国志』魏書東夷伝倭人条の項目において朝鮮半島における倭国の北限が狗邪韓国(くやかんこく)であると書かれている
記紀の記述や考古学的成果、他に傍証として、広開土王碑、『宋書』倭国伝等の記述をもとに、任那日本府は倭国の軍事を主とする外交機関であり、倭国は任那地域に権益(おそらく製鉄の重要な産地があった)を有していたと考えられている。

1960年代頃から朝鮮半島では民族主義が広がり、既存説への反動から、記紀に記されているヤマト王権の直接的な任那支配は誇張されたものだとの主張がなされた。また日本でも1970年代に入り、それらに同調する主張がなされた。

しかしながら、朝鮮半島南西部で前方後円墳の発見が相次ぎ、これまでのところ全羅南道に11基、全羅北道に2基の前方後円墳があることが確認されている。
朝鮮半島の前方後円墳は、いずれも5世紀後半から6世紀半ばという極めて限られた時期に成立したもので、百済が南遷する前は金官伽耶を中心とする政治的領域の最西部であったとする説がある地域のみに存在し、円筒埴輪や南島産貝製品、内部をベンガラで塗った石室といった倭系遺物を伴うことが知られている。

そのため、ヤマト王権と深い関連を持つ集団(ヤマト王権から派遣された官吏や軍人、交易商人、ヤマト王権に臣従した在地豪族)が、伽耶地域とその西隣の地域において一定の軍事的影響力および経済的利権を有していたことについては、ほぼ確実視されるようになった。

ヤマト王権の勢力を示す他の傍証としては、新羅・百済・任那の勢力圏内で大量に出土(高句麗の旧領では稀)しているヒスイ製勾玉などがある。戦前の日本の考古学者はこれをヤマト王権の勢力範囲を示す物と解釈していたが、戦後に朝鮮から日本へ伝来したものとする新解釈が提唱されたこともあった。 しかし、朝鮮半島にはヒスイの原産地がなく、古代においては東アジア全体でも日本の糸魚川周辺以外にヒスイ工房が発見されないことに加えて、最新の化学組成の検査により朝鮮半島出土の勾玉が糸魚川周辺遺跡のものと同じことが判明し、日本からの輸出品であることがわかった。

関連記事:『日本書紀』より(古代朝鮮半島の日本府)任那について

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(2010.6)
たとえ日本が滅びても、良識ある同志なら、古き良き日本人の精神を子供には徹底的に叩き込み続けよう。

けど・・・・・
「今の多くの日本人はだらしないし、本来の日本人じゃないから安直に信用するな!」
ということも、残念ながら付け加えていかなければなりません。

私は母方の祖母から、

「戦争に負ける前の日本は、アメリカと同じくらい広かった!」

と言われたことがあります。

小学校3年生の時、足を折って入院しました。
この頃、付きっ切りで面倒見てくれていたのが、お婆ちゃんでした。

病室で聞いたその言葉は、子供だった自分に強烈な心象で残っています。
日本人としての意識と自信を決定付けた言葉です。
別に、その言葉を聞いた途端、日本人としての自信にみなぎり始めたとか、そんなんではありません。
その言葉は、生涯にわたって自分のマインドに影響し続けたということです。

変な左翼的な人たちが、他のアジアの人々のところへ行って来ては、
「悪いことをしてきて、すみませんでした」、と謝ってきたという話を聞くと、
いつも何だか知れない不愉快な気持が、若き自分にも湧き上がっていたものです。

母方は古い商家ですが、武家の出から嫁入りした祖母は師範学校(戦前の教員養成学校)の教師までやっていたそうで、私が幼い頃、祖母にそう言われていたことが、私の日本人としての誇りに、これまでどれだけつながっていたことか・・・・・

朝鮮人のババアたちが、
「自分は昔、売春婦だった!」、「日本軍に無理矢理やらされていたのだ」
と、孫たちに偉そうに聞かせるのとは、エライ違いです。

中学校で日本史教育を復活させることになったようですが、売国政府によって、これから日本の子供たち全員が、
「日本は悪いことばかりしてきた」
・・・・・そんな風に教育されていくであろうことを思うと、気が滅入ります。

自分が高校の時の、昔の貴重な歴史教材、今も持ってます(図1・2)。
それにはシッカリ、4世紀の朝鮮半島のとこに旧日本府 任那(みまな)と表示されています(図2)。
20数年前まで、古代の朝鮮半島には日本領があったと、日本では教えられていたのです。
他の教科書なんか捨ててるのに、なぜこんな本だけ残したのか・・・・・
何か今の危機を予見させる本能が働いたのか・・・・・
日本史より世界史が好きだったが、とにかく歴史は大好きだった。

そして戦前の日本、
朝鮮半島、台湾、樺太、関東州(中国)、満洲・・・・・
このあたりはみんな日本だった(図1)。
「戦争に負ける前、日本はとっても広かったんだ」
と、しっかり子供たちに教えていきましょう。

今の教材では当然、任那=日本府なんて出ていません。
この資料をお持ちでない皆さんも、PDFファイルでダウンロードできますので、プリントして子供たちに見せてあげ、「アメリカに戦争で負ける前、日本はアメリカと同じくらい広かったんだ」、ぜひ、そう教えていただきたいです。
特に小学校低学年、8歳ぐらいまでのお子さんだと、そのヒトコトの言葉、それこそ大変な心象として、お子さんの生涯に残り続けることでしょう。

そして子供たちも、そのヒトコトから、きっと何かを学ぶでしょう。
もしもアメリカに負けなかったら・・・・・、戦争しなかったら・・・・・、どうして戦争したのか・・・・・、もしも勝っていたら・・・・・、

ヒトコトから子供たちが、いろんな思考を働かせるようなるかもしれません。

この図面では中国侵略と書かれていたり、他にも植民地経営や軍部の独断的軍事行動だのと記述されてるのが気になりますが、それをちょっと手書きとかで訂正し、「侵略ではなく進出の間違いだ」、「植民地にしたんじゃない」とか、今の日本が抱える問題点を子供たちに認識させるため、そう教えておくのも、かなり効果があるように思います。むしろ小学校高学年以上なら、そういった話も、理解できるのではないでしょうか。
こういった教材を使うことで、言葉使い一つに神経を張り巡らせるようなるでしょう。

人生とは、ヒトコトの言葉で変わるもの。
“広い”という、小さな子供にもイメージしやすい、わかりやすい言葉。「日本だって広かった」
モンゴル人やローマ人は、「広い領土を持っていた」、彼らもその言葉を聞くだけで自信を持ちます。歴史の英雄になれるのです。
シンプルな言葉ほど、子供にもわかりやすい。ビジュアルがあればなおさら。
その使い道一つで、良くも悪くも、子供たちは育っていきます。

(図1) 戦前戦中の日本 (画像クリックで拡大図)

(図2) 4世紀頃の朝鮮半島/任那=日本府 (画像クリックで拡大図)

上記図面 PDFファイル ダウンロードしてプリントできます。

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(続き)◆子供の教育、シツケは親が責任を! ~ 親が子に何を語るか。祖母の失敗に学ぶ

◆古代日本史における朝鮮半島の倭国領を歴史から取り返さなければならない! ~ 朝鮮に文化をもたらし、古代朝鮮半島南部を支配した倭人

◆竹島を武力行使で即奪回せよ! そして、まずは容易に取り返せる古代における朝鮮半島の日本府“任那”を日本史上に奪還し、日本人に再教育せよ! ~ 韓土の日本領も奪回! 朝鮮半島にある前方後円墳

◆『ぐりとぐら』 『こどものとも』の福音館は反日出版社

◆ベルマークは朝日新聞と日教組の利権 ~ 朝日新聞が嫌いならベルマークへの協力やめよう!

◆戦争を煽って日本を破滅に追いやった朝日新聞 ~戦後は日本弱体化扇動の急先鋒

◆フェミニズム家庭崩壊=左翼 朝日新聞=朝鮮 ~ 腐った反日新聞の朝日

◆国連だって日本弱体化を図る工作機関 ~ 5歳にオナニー推奨 変態 日教組と国連

◆子供をフヌケ化 宮崎アニメの左翼性 ~ 強烈な反日・共産主義イデオロギー

◆親次第で自虐史観なんてどうにでもなる ~ 日本のおかげでアジア諸国の独立が早まった・・・そんなことで喜んでるのも自虐史観の亜種にすぎない

◆こないだまで、古代日本は朝鮮半島南部を支配していたと教えられていたのに ~ 日本府 任那を消し去った売国奴学者列伝 実は朝鮮人か!?

◆消し去られる朝鮮半島の日本府 任那 ~ 子供を日本人でなく地球人に育てる驚愕の社会科教科書

◆シリーズ「戦前の小学歴史教科書準拠 学習問題から」 目次 ~ 戦前の小学歴史学習附図 全編ダウンロード出来ます。

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この記事に対するコメント

  • 【前サイトURLのこの記事へのコメント】

    すばらしいお話、ありがとうございます!
    ごん | 2010/06/11 1:53 PM

    ■最近では、マスゴミが打ち上げるアドバルーンや擬似餌のごとき反日ネタに瑣末的に反発して
    踊らされているサイトばかりで食傷気味でしたので
    本サイトの日本を腐らせている根本的存在を解明する手腕には感服いたしました。
    マスゴミの愚民化工作から脱却して明るく正しい日本の真姿を取り戻しましょう。
    愛国市民 | 2010/06/22 7:16 PM

    私の家の六畳間の壁には、昭和20年6月発行の高さ2mもある大日本交通地図があります。
    既に沖縄方面の交通は途絶したため極めて小さな扱いになっておりますが、
    帝国版図の朝鮮、台湾、満洲、樺太、千島列島はきちんと別図で掲載されています。
    確かに大日本帝国は、終戦まで偉大な支配地域を有していましたね。
    アメリカも原爆投下をしなければ、まだあと一年以上対日戦が続くと信じていました。
    愛国市民 | 2010/06/24 8:49 PM

    NHKは任那日本府は実際にはなかったとしています。
    マジキチです。

    >朝鮮半島、台湾、樺太、関東州(中国)、満州・・・・・
    >このあたりはみんな日本だった(図1)。

    南樺太は今でも日本の領土です。
    全千島列島と南樺太は、日本の領土です。
    北方4島だけを日本領と主張する自民党や民主党は売国政党です。
    ランクリ
    coffee | 2010/10/22 2:24 PM

    wikiにある
    http://ja.wikipedia.org/wiki/任那
    http://ja.wikipedia.org/wiki/任那日本府
    なんですが、任那日本府に掲載されている画像が4世紀中ごろの画像だけで物足りません。しかもなぜか対馬が新羅領になっています。(これに関してはすでに修正依頼が出ています。)
    こちらのブログで使われている4世紀末と5世紀からの任那の変遷画像をwikiに掲載することはできないでしょうか。
    どなたかwikiに詳しい方はいらっしゃいませんか。
    wikiについて | 2010/11/26 8:53 PM

    日本は世界一の國です。
    地球儀を見たって中心にあります。
    このことからも日本が世界の中心であると確信しています。
    VIVA NIPON | 2011/01/05 2:41 PM

    私が小学生に上がったのは丁度90年代初頭で、ちょうど任那が教えられなくなり始めたころでしたね。教科書はもちろんのこと、その頃から愛読していた歴史教育漫画ですらも、日本の文化は朝鮮由来と教えていました。
    歴史には残酷な現実もあるという事実が心に痛すぎて、そういうことを直視しようとしないでスルーばかりしてきてしまいましたが、大切な日本の歴史とそのルーツ、改めて学び直していかなくてはいけないと実感しています。
    サウンドQ | 2011/10/06 6:53 PM

    中国と言う、世界の中心と言う呼び方を止めよう!
    世界の殆どの国で「支那=チャイナ」と呼称され、支那が世界制覇を目論む中華思想を迎合する事になる。
    日中友好条約締結した時に、日中記者交換協定と言う、支那に取って不利な報道を行わない協定が出来、反すれば支那報道が出来なくなる(情報提供しない)。
    支那&朝鮮は世界中に嫌われる「嘘吐き」、歴史を捏造して反日教育を行い、立場や場合で親日の振りをするが、支那&朝鮮に親日の人は居ません。
    出来るだけ関わりを持たず、親日の国と仲良くするのが子供や孫の為。
    名無し | 2012/09/07 11:59 AM

    20代後半の私は任那地域の存在は衝撃です。
    すぐにPDFファイルを保存しました。

    今をぎりぎり生きておられる世代はやはり本当の日本の姿を知っているように思います。
    私の母も、父親(私の祖父)が朝鮮人をかなり嫌っていたと言っていました。
    その時は私もインターネットで色々と調べて知っていたので納得しましたが、もしそうでなかったらただの差別だと聞く耳を持たなかったように思います。
    祖父はインターネット閲覧などしないので、経験と実感を通じて得た大切な情報を持っていると思います。
    葉っぱ | 2013/06/24 12:08 AM

    私たちが知らなければいけない大切なこと書いてくれてありがとうございます。先週にやっとこちらのサイトにたどり着きました。残念ながらPDFはDLできませんがキャプチャーで保存しました。
    いくつかの記事を読んで保守を装った左翼の見分け方も大体ですが分かりました。チベットやウィグルに必要以上の同情をかけるのもおかしいと思っていました。それよりも日本国内がおかしくなっていますから、他国を救うことに心血を注ぐよりも何故欠落した法体制など大切で急がなければいけないことに触れないのか、例えば日本国籍の大安売り、日本人を装って政治に介入していますよね、恐ろしい!!!外人への土地売却問題、パチンコ問題などなどそれらを先に解決しなければ日本は戦うこと無しに侵略されてしまいます。随分長く記事の更新はされていらっしゃらないようですが、教えられることが多いので今一生懸命読んでいます。機会があれば記事の更新、お願いいたします。ありがとうございました。
    りんご | 2017/06/17 11:57 AM

  • クソ支那と南北クソチョンは嘘つきの泥棒民族、ハッキリ分かるものです

    あ、クソロシアもか

    日本にも倫理観や常識の無いバカが多くなったな

    余所のヒトモドキ共の嘘を盲信して自国叩きか

  • お気持ちわかります。
    政治家も経済界も金、金、金で、かくもあっさり日本を切り売りしていき、信も無ければ義もない。
    果たして、娘たちが子供を産むころ、この国はいったいどういった体なのか、日本と呼べる国なのか。
    正直言って、不安でしかないです。
    私は、父方の祖父に会いたいです。初の内孫だった私をかわいがってくれた。70過ぎてから、ワーープロを使い始め、戦友達に連絡を取り、戦友会を作り未手記を集めて手作りの会報雑誌を作り、80を過ぎてからはパソコンも始め、92歳で大往生するまで自分の信念をもって生きていました。
    その会報誌を制作する手伝いをしながら、戦場での日本人の生き方、考え方を知り、日本は悪くなかったんじゃないのかと小学生のころから思っていました。
    今なら、ロデムさんのおかげで少しばかり本当の知識も増え、もっと色々なこと深く話せたのにと仏壇に手を合わせるたびに思います。
    私はロデムさんみたいな人がいることにかすかな
    未来への希望を感じます。
    なるべく沢山の人にここを見て思考ある日本人として目覚めてほしいです。
    これからもどうぞ宜しくお願いします。

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