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(2012.11.21)
平等教、国王殺しを引き起こしたフランス革命 (1789)に思想的な影響を最も与えたジャン=ジャック・ルソー (1712-1778)ですが、子供の小学校のPTAからの配布物とかに、今年はルソー生誕300年ということで、ルソーが立派な教育者だと紹介され、「幼い頃に欲しいものばかりあげると子供をダメにする」、「どんなことにも耐えられる人間に子供を育てなければならない」といった言葉だけ取り上げてたりで、一見、親も喜びそうな保守風イデオロギーを持ってるかのようカムフラージュ、さりげなくルソーがマンセーされたりしてます。
こういうのから、教員や日教組のみならず、PTAでまで左翼が巧妙に暗躍していることが伺えます。
言葉の端々だけ取り上げれば、一見、保守風なこと、ルソーは確かに言ってはいます。そしてジェンダーフリーについても、ルソーは否定的な言葉を残してます。
しかし、上のような言葉だけ見ると、確かに保守っぽい感じに捉えられてしまうわけですが、ルソーの思想基盤は、そもそも個人主義や自由が一番にあるのであって、一般的な保守層が子供に求めるベクトルとは、その向きが全然違います。要するに子供に頑張らせようとする方向が、私のような者とはまるで違うわけです。
子供に手を加えるのは悪、文明や社会も悪
早期教育も悪とし、刹那的な人生に導きかねない、ルソーの教育理念
教育学の古典とされるルソーの『エミール』 (1762・詳しくは右画像クリック)の冒頭、
「万物をつくる者の手を離れる時、すべては良いものであるが、人間の手に移るとすべてが悪くなる・・・こんにちのような状態にあっては、生まれた時から他の人々の中に放り出されている人間は、誰よりも歪んだ人間になるだろう。偏見、権威、必然、実例、私たちを押さえつけている一切の社会制度がその人の自然な姿を絞め殺し、その代り、何ももたらさないことになろう」
ルソーは「人間が人間を堕落させる」と言い、さらに『学問・芸術論』 (1750)では「文明が人間を堕落させる」、『社会契約論』 (1762)では「本来、人間は生まれながらにして自由であるが、いたるところで鉄鎖につながれている」等、主張しています。
このようにルソーの教育論には「人間の手に移るとすべてが悪くなる」、つまり「子供に人間の手を加えるな」、「極力自然のまま育てよ」といったイデオロギーが流れており、ルソーのこのような教育理念は“消極教育”と呼ばれています。
子供に余計な事をしないで、子供が内なる自然に導かれて伸びようとする時、何かを学ぼうとする時、教育者や親は子供の成長が歪められないよう見守ってやるだけでいい、そして、少しだけ手助けしてやるだけでいい。これがルソーの“消極教育”論の基本、根底理念です。
もう一つ、ルソーの大きな特徴としては“早期教育”の否定で、彼はいわゆる早期教育を「不確実な未来のために現在を犠牲にする残酷な教育」(『エミール』 )と主張しています。
「子供は明日にも死んでしまうかもしれない。そうなると、その子は未来の幸せを少しも享受すること無く、ただ未来の為の我慢、未来の為の努力という苦しさしか体験しないまま人生を終えてしまうことになるのだ。だから教育者は、子供の現在の幸せを第一に考えるべきであり、それだけで、子供の自然な姿を大切に育くめ、立派に成長させていけるのだ。」
なんてことをルソーは言ってます。
ルソーによると、どんな子供でもある時期になれば自ら学ぶべきものを得る能力を持っているので、あえて早期教育を行ったり、周りから発育を促したりする必要はないとのこと。
「自然に決められている習得の時機をねじまげるような教育を行えば、子供は必ず悪い方へ成長してしまう、だから出来る限り自然に委ねて放っておきなさい」と、ルソーは言ってるわけです。
これらのことから、ルソーの児童教育手法とは、私や一般的な保守系教育者が唱えるような「子供は幼いうちから厳しく躾けるべき」といったこととは、正反対の主張であるのに加え、子供に人為的な締め付けが入ることを一切否定するルソーの教育論とは、現代日本で“ゆとり教育”や“個人中心思想”の推進された有力な背景理論にされてるともいえます。
文明のない野生の“自然人”こそ、自己愛に満たされた最良の人間像
キリスト教的世界観の否定
人によって異なった子供期の存在を主張する、個別的な教育観の始祖
さらにルソーの『人間不平等起源論』 (1756)では、文明から最も離れた野生状態に最も近い“自然人”こそ、理想的な人間像として描かれてます。
その“自然人”を律するのは“自己愛”だと主張、実際そのような人間は、動物とあまり変わらないのだと私は思いますが、ルソーが言うには
「人間が、動物同様本能に従って行動するなら、本能で足りないところは理性で補いながら生きていくだろう。彼らの最大の目的は生存ということであり、生きていくのに必要な範囲を超えて欲することはない。“自然人”は互いに自立して、かつ平等であり、完全に自由な状態にあった。だから人が人を支配し、従属させるということもない。自然状態にあっては、人は自分だけで満ち足りていられるからである。」
要するに自然でいることこそ、“自己愛”に満ち足りた幸福な人間でいられるということらしいです。
このように、ルソー思想の“自然人”とは、現代に生きている我々“社会人”とは対極の存在であり、つまり“社会人”の属性と考えられるものをすべて剥ぎ取って、最後に残った人間性の核ともいえるもの、それだけ持つ者を、最も人間らしい“自然人”としてるわけです。このような“自然人”こそ理想だとして、文明は悪で人間を堕落させるものだから、文明以前の自然な状態に回帰することこそ、人間に求められるべき最も正しいあり方なのだと、ルソーは説いてます。
つまりルソー教育の目指す方向、これまで人間の築いてきた社会や社会的な人間の否定であるわけで、これは正に人間の獣化というべきものであり、ここに書いてるような人間獣化計画 へも完全に重なってしまいます 。
さらにルソーは、私有財産について、こう述べてます。
「ある土地に囲いをして<これはおれのものだ>と言うことを思いつき、人々がそれを信ずるほど単純な理由づけを見出した最初の人間が、政治社会の真の創立者となった」(『人間不平等起源論』 )
「政治社会こそが支配と服従、持てる者と持たざる者の対立を持ち込み、人々の間を引き裂き、不平等を持ち込んだのだとし、その根本的な原因は、土地の所有に始まる私有財産への執着であり、人々は自分の私有財産を守る一方、あわよくば他人の私有財産を横領しようと企むなど、人々は次第に強欲かつ邪悪になり、表面上はおとなしく装っても内面では他人をだまそうと虎視眈々となっている」
「人間が政治社会を作ったのは、土地や財産の所有を保証し、みんなの安全を守るため、というのが表向きの理由とされているが、実際には、守られているのは富者の財産だけであり、財産を持たぬものは、富者によって奴隷化され、抑圧されているだけなのだ」
といったところが、ルソーの主張です。
ここまで書けば、ルソー思想がフランス革命 を引き起こした要因、フランス革命 を正当化するイデオロギーの本体であったということ、おわかりになってくるのではないでしょうか。
またルソーは、人民にこそ主権が存すると言う“人民主権”の概念を打ち立て、その後の民主主義の進展や普通選挙制の確立にも大きな影響を与えています。
今日の記事を読んで、ルソー思想の魔力に憑りつかれる方も中にはいるかもしれません。自由、平等、私有財産や富者の否定・・・画期的でもあり、ルソーの思想って確かに魅力的ですよね。でも、富者への妬みを煽る共産主義的なものでもあり、これらこそ甘い幻想で掻き立てて人間を破滅に導くワナ、人を暗黒面に引き落とす、悪魔教のようなものだと私は考えてます。(尚、ルソーの後のマルクス=エンゲルス『共産党宣言』 は、1848年の発表)
そしてルソーのこういった論法、いろんなところで応用出来ますよね。たとえば「女は男の奴隷にされてる」と騒いで、男に対する女の妬み意識を増幅させたりとか・・・
革命とは、そうやって起きるんです。
さらにルソーはキリスト教的世界観、つまり人間は生まれながらに罪深い存在であり、その罪を悔い改めながら生きていかねばならない、という考え方をも真正面から批判した思想家でもあります。
人間は生まれながらに悪ではなく、生まれた時は皆、善であり、社会が人間を悪に仕立て上げるのだと考え、また子供には子供特有の世界があり、そしてそれは成長に応じて異なってくるという各々の子供期が存在することを主張。つまり“発達”の概念を初めて導入した教育論者といえ、それゆえ個人主義や左翼系教育者にとってルソーは、近代教育学の祖とされています。
人間がいつ何を学ぶべきかは、予め自然によって決められていて、自然は変えようがないので、教育者は子供の中の自然に合わせて、何を何時どう教えるかを決めていかなければならないのだと、ルソーは言ってるわけです。そしてそのような思想に基づき、子供の持つ能力を最大限発揮させるためには、早くに社会から隔離し、理想的な環境の中で育てていくべきなんだと。
二十歳で男爵夫人の愛人に
親としての情が欠片も感じられない、ルソーの生涯
わが子を全部、孤児院に入れる
ルソーは1712年、スイス ジュネーヴの時計職人の子に生まれ、母は8日後に死去。7歳頃から父と共に小説や歴史の書物を読み、この頃、理性よりも感情の優位を説く思想の基礎を築き、1725年に父と兄が家を出てしまい、ルソーは牧師や法律家に預けられた後、彫金工に弟子入りするなど苦しい体験を経た後に出奔、放浪生活を送り、様々な職業を経験しますが、どの職業にも落ち着くことができませんでした。
1732年にジュネーヴを離れ、ヴィラン男爵夫人に庇護されながら、さまざまな教育を受け、孤独を好む一方で膨大な量の読書をし、教養を身につける。夫人の愛人でもあった、この時期については、生涯でもっとも幸福な時期だったと晩年回想している。
【右の絵は、トーマス・ローランドソン『性実習の風刺画』(1808-1817)より。ルソーとは関係ありません】
夫人と別れた後、1740年から1741年にかけてリヨンのマブリ家(哲学者コンディヤックの実兄・歴史家)に滞在、マブリ家の家庭教師を務める。
1745年、下宿の女中テレーズ・ルヴァスールを愛人として事実婚、10年間で5人の子供を産ませるが5人とも孤児院へ送った。このようなエピソードから、ルソーは“矛盾の人”ともいわれる。
『エミール』 を書いた教育思想家として歴史に名を残す偉人とされているが、父親としては無責任なルソーの経歴。
ルソーの矛盾は、彼の子供時代が影響しているのでしょう。自身が父親へ反発すると同時に、父親としての意識が欠如、父親の理想像を描けなかったルソー。もっと尊敬できる愛情に満ちた父親との出会いがあったなら、きっと彼の人生も著作も全然違うものになっていたことでしょう。
極度のマゾヒズムや露出癖、知的障害者に性的虐待を行い妊娠させては次々に捨てるなど、性倒錯傾向も顕著で、狂人めいた私生活を送っていたルソー。自身の著書『告白』 などでそれら様々な行動についても具体的に触れており、少年時代は強姦未遂で逮捕されたこともある。
尚、ルソーは音楽家でもあり、日本でもよく知られる童謡『むすんでひらいて』の旋律、実はルソーの作ったオペラ楽曲が元になってます。そして、この曲は英語で「I’m so happy.」というタイトルでも知られます。ひたすら「幸せよ!(I’m so happy.)」と言うだけ、さすがにいつもいつもこんなに幸せなはずはないわけで、私には何か奇妙でおかしな歌詞に思えます。ルソーが作詞したわけではないのですが、もしかして躁病的な気質だったのではないかとさえ思えるルソーなら、こういう歌詞つけても、個人的には全く違和感ないよう感じます。
この「I’m so happy.」と絶妙なコラボ、会話が成立するのが、あの詐欺事件で逮捕された新興宗教 法の華三法行 福永法源の「最高ですか?」という言葉。
仮に、ルソー自身が「I’m so happy.」とひたすら言い続ける歌詞をつけたものとして、あの法の華 福永法源と会話したなら、こんな感じになるでしょう。
福永法源 「最高ですか?」
ルソー 「I’m so happy.」
福永法源 「最高ですかー!?」
ルソー 「I’m so happy!」
福永法源 「サイコーですかぁ?」
ルソー 「I’m so happy!!」
よかったら、実際に下の音声動画で遊んでください ^▽^)
「最高ですか!?」 福永法源(法の華) I’m so happy.(むすんでひらいて)ルソー 作曲
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(2013.7.15)
脱亜論の反中韓的な部分はじめ、福澤諭吉の一文を過剰に取り上げ、福澤なんかが保守派の師であるかのような、本来、左翼がお得意の超絶曲解。
ネットでよく見かける福澤マンセーの手口というのは、ここのPTAからのプリントで回ってきた、普通の親が好みそうな、ルソーの一文だけ取り上げてルソー・マンセーしてるやり口とまるで同じです。
ちゃんと福澤の本を読まれてるようなまともな日本的な保守派であるなら、福澤なんかを持ち上げること、絶対にありえません。
福澤諭吉マンセー……そういうの見ただけで、どっかで聞きかじったことを晒すだけの恥ずかしげもないただの無知か、某金融勢力筋の下っぱなんだってことが丸出し、私からすりゃミエミエ。
それぐらい、福澤諭吉のイデオロギーはひどい です。
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(2019.12.12)
下記でリンクを張ってあるルソーの女子教育についての論文集ですが、ただいま現在【ジャンージャック ・ ルソーの 『エミール』 における女子教育論】(四部作)の【その一覧】というところ以外、ダウンロードリンクが開けなくなってます。ダウンロードしたファイルを私は持ってますが、ここでダウンロード公開するのはまずいでしょうね。ご関心ある方は今取れるファイルだけでも早めにダウンロードしてください。
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(2015.4.8)
危険な思想のルソーだけど、女性の自立を主張するようなフェミニズムだけは完全否定していて、概略すると「男女の違いがあるからこそ人間は存続出来て、女性は家庭と子供を大切にし、夫に認められることによってはじめて本当の幸せな自己実現が得られる」といった風な(『エミール 第五篇』 )、凄くまっとうなことを、女子教育についてだけは主張してるんだよね。過激なフェミニストの福沢諭吉 なんかより、まだルソーの方がずーーっとマシですよ。
ルソーを盛んに持ち上げる左翼やフェミニストこそ、ルソーの本をちゃんと読んだらどうだろうね。特に日教組や教育関係者なら尚更。
ルソーを持ち上げるリベラル連中が男女平等や女性の自立を主張してたら、ルソーを以てあいつらのフェミを完全論破できます。あいつら、『エミール』 の第五篇だけは完全に無視してんだよね。だからルソーの『エミール』 は一度読んでおく価値ありますよ。敵の思考法を知っておくためにも。
これらの論文なんかわかりやすい。 小沼和、佐藤良吉 作(PDFで読めます)
【ジャンージャック ・ ルソーの 『エミール』 における女子教育論】 (四部作)
この論文は四部に分かれてます。【その一覧】
【ジャンージャック ・ ルソーの 『エミール』 における自然的男女不平等感と女性教育論】
【ジャン-ジャック・ルソーの『エミール』における教育観とその男女論と結婚論】
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