日本の面影

Glimpses of Japan
失われる日本人の精神性に、将来を憂う  リンクフリー

性善説的な視点に立った教育勅語、「修身」道徳教育の補完としては、「毒をもって毒を制す」のマキアベリズムこそ最適

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(2012.6.5)
まんまと左翼に乗せられてチベット、ウイグル問題なんかに必死になってた人は多いと思うけど、昨日のような記事でもまだわからない人たち見てると、ホントどこまでもお花畑なんだなぁって感じ。
支援してあげ、解放してやったあげく、やがては裏切られるようなバカな国になるのでなく、要は支配者として恐れられ、他国を従わせられる強国にならなければならないわけ。

1970年代、教育荒廃に陥ったアメリカが80年代のレーガン政権以降で日本の戦前の道徳「修身」を模範に教育再興を図ったこと、ご存じの方は多いと思いますが、それほどのものを持っていた日本の戦前教育が、なぜアメリカに敗北したのか・・・私は、ここで紹介する、一見、冷酷非情とも思える、マキアベリズムのようなものが欠如していたからだと思ってます。
修身教育は日本人の美徳として模範を示しているわけだけど、あれでは人が良すぎて、そのまま海外や外国人相手に適用させても絶対うまくいかず、やられてしまう。
食うか食われるか、死ぬか生きるかの厳しい海外情勢の中で勝ち残っていくには通用しない(マキアベリについては、私の三大軍師である孫子、クラウゼヴィッツと併せてコチラもご参照を)。

そこでここでも触れてますが、友愛・博愛で人間の良心に訴えてるともいえる教育勅語や「修身」道徳教育の補完として、それに相対峙する存在ともいえる、マキアベリズムこそ最適だと私は思ってます。だから私は、子供にも「修身」道徳とセットでマキアベリズムについてシッカリ教えておくつもり。
国際情勢は決してキレイごとではいかない。マキアヴェッリを知っておけば、左翼のお花畑「世界は一つ」洗脳なんかに感化されることは絶対にないでしょう。 (詳しくは右画像クリック)
これは皆様にも自信を持ってオススメします。ぜひともご参考ください。

ニッコロ・マキアヴェリ(1469-1527)はルネサンス最盛期、大航海時代初頭の16世紀の人であり、古代ギリシャ、ローマはもちろん、当時既に欧州はイスラムに侵攻された歴史まで持ち、いろんなヒントがそれまでの歴史にも凝縮されてます。

以下は、海外情勢、海千山千の国際関係で留意しておくべき、マキアベリの言葉から。
現代日本にもピッタリくるようなものが多く、非常に参考になるでしょう。
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『戦いに訴えねばならない場合に、自国民からなる軍隊をもっていない指導者や国家は恥じてしかるべきだと思う。
なぜなら、そのような軍隊をもっていないということは、自国内に兵士に使える人々がいないということではなく、自国民に、自衛のために立ち上がるという気持を起こさせることができなかったということを示す以外のなにものでもないからである。』

『わたしは、改めてくり返す。国家は、軍事力なしには存続不可能である、と。それどころか、最後を迎えざるをえなくなる、と。
もしも、あなた方が、なぜわれわれに軍事力は必要なのか、フィレンツェはフランス王の保護下にあるではないか、ヴァレンティーノ公爵チェーザレ・ボルジアだって、攻撃してくる怖れもないではないか、と言われるのなら、わたしはそのような考えほど軽率なものはないと答えよう。
なぜならすべての国家にとっては、領国を侵略できると思う者が敵であると同時に、それを防衛できると思わない者も敵なのである。君主国であろうと共和国であろうと、どの国が今までに、防衛を他人にまかせたままで、自国の安全が保たれると思ったであろうか。』

『真の防衛力とは、ハードな面での軍事力だけではない。軍の評判というのも、軍事力に数えられるべきである。
不当に戦いをいどまれたら全力をつくして闘う軍隊、と思われることは、敵をひるませる要因の一つに立派になりうる
自衛力とは、武器と戦意を合わせて計られるべきであろう。』

『指導者が心していなければならないことの一つは、よほどの切迫した情況にでもならない限り、自分より強力な者と組んで、第三者に対して攻撃を仕掛けてはならないということである。
なぜなら、たとえそれによって勝利を収めても、あなたは、自分よりは強力なパートナーの捕らわれ人になってしまうからだ。』

他者を強力にする原因をつくる者は、自滅する
これは、ただ一つの例外も存在しないと言ってよいほどの、普遍妥当性をもつ原則である。
なぜか。
それは、強力になれたのは、それをさせてくれた者の力と思慮によったからだが、いったん強力になってしまえば、その者は、それに力を貸してくれた者の力と思慮の両方ともを、自分の存亡の鍵をにぎっているとして、疑いの眼で見ないではすまないからである。』

『次の二つのことは、絶対に軽視してはならない。
第一は、忍耐と寛容をもってすれば、人間の敵意といえども溶解できるなどと思ってはならない
第二は、報酬や援助を与えれば、敵対関係すらも好転させうると、思ってはいけない。』

謙遜の美徳をもってすれば相手の尊大さに勝てると信ずる者は、誤りを犯すはめにおちいる。』

『領土拡張の是非についてだが、この問題は、拡張したいと思う国の情況次第で、答えはイエスかノーかに分かれる問題である。
まず、戦いをするだけで国力の消耗を招くような国は、たとえ戦さでは勝ちを収めても、その結果としての領土拡張からは、なんの利益も得られない。』

『過去や現在のことに想いをめぐらせる人は、たとえ国家や民族がちがっても、人間というものは同じような欲望に駆られ、同じような性向をもって生きてきたことがわかるであろう。
だからこそ、過去の状態をくわしく学ぶ者は、現在のことも容易に判断がつき、古の人々の行為を参考にして、対策を立てることもできるのである。』

敵の計略を見ぬくことほど、指揮官にとって重要なことはない
だが、このことほど優れた資質を要求される能力もないのだから、これに恵まれた指揮官は、いかに賞賛されたとしてもされすぎることはないのである。』

戦闘に際して敵を欺くことは、非難どころか、賞賛されてしかるべきことである。
人間生活一般において人を騙す行為は、きわめて憎むべきことだが、戦時は別だ。戦闘状態の中では、策略をめぐらせて敵を欺き、それによって勝利を得るのは、正面きってぶつかっていって勝利を収めるのと同じくらいに、賞賛されてよいことと思う。』

祖国の存亡がかかっているような場合は、いかなる手段もその目的にとって有効ならば正当化される
この一事は、為政者にかぎらず、国民の一人一人にいたるまで、心しておかねばならないことである。
事が祖国の存亡を賭けている場合、その手段が、正しいとか正しくないとか、寛容であるとか残酷であるとか、賞賛されるものか恥ずべきものかなどについて、いっさい考慮する必要はない。
なににもまして優先さるべき目的は、祖国の安全と自由の維持だからである。』

無理じいされて結んだ協約を破棄するのは、恥ずべき行為ではまったくない
協約が公的なものである場合、相手国の力が弱まるやいなや、破棄されるほうが当然なのだ。歴史を見れば、このような例は枚挙にいとまもないほど多いことがわかる。
君主間に結ばれた協約は、双方の力関係の変化によって、いとも簡単に破られてきたのだ。また、それを結んだ理由が消えてしまえば、すぐさま破棄されるのは実情であった。』

『長期にわたって支配下におかれ、その下で生きるのに慣れてしまった人民は、なにかの偶然でころがりこんできた自由を手にしても、それを活用することができない。活用する術を知らないのだ。
動物園で飼われた猛獣に似て、原野に放たれてもどう生きていくかを知らないので、簡単に再び捕獲されてしまう。』

『人間というものは、往往にして小さな鳥と同じように行動するものである。
つまり、眼前の獲物にだけ注意を奪われていて、鷹や鷲が頭上から襲いかかろうとしているのに気がつかない、小鳥のように。』
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そして最後にもう一つ。平和ボケ、左翼にお花畑洗脳されきった今の日本人に、これほど聞かせたい言葉はない。

一国の国力を計る方法の一つは、その国と近隣諸国との間に、どのような関係が成り立っているかを見ることである。
もしも近隣の諸国が、友好関係を保ちたいがために貢納してくるようならば、その国は強国と言えよう。
反対に、弱体なはずの近隣諸国であるのに、それらの国々に対し金銭をもって援助する関係である場合、その国家の国力は弱いと思うしかない
。』  —「政略論」—

国力を計るバロメーターとしてるものが現代の日本とは真逆ですね。他国に貢ぐのではなく、貢がせる国こそが、強い国。本来、これが当たり前でしょう。これだけで現代日本人が如何に左翼に洗脳されきってるか伺い知れます。
昔、女に貢いでるだけの“ミツグくん”や、“足”として使われるだけの“アッシー”なんてのが話題になりましたよね。今の日本って、正におバカな“ミツグくん”じゃないの?

『愛にさよならを』 カーペンターズ(1972) 詳しくは右画像クリック
Goodbye to Love – Carpenters
カーペンターズで一番好きな曲で、特に終盤のコーラス部分からがいい ^^)  本当にさようならって……

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◆家庭内における戦前の教育再現 ~ わが家で使ってる子供用教本

◆日本人なら『ねずみの嫁入り』の世界観を!~ 陰謀の黒幕を考えるのでなく全体として捉えられる感覚を持ちましょう

◆戦前の道徳教科書『修身』に見る加藤清正の武勇伝 ~ 自虐史観の正反対から見る豊臣秀吉の朝鮮侵攻

◆わが子の育て方、しつけの仕方 ~ 母親のための人間学 家庭教育の心得

◆仁・義・礼・智・忠・孝……五倫、四徳、五条、四端の心から道を修むる ~ 侍が学んだものを学び、偉大な先人たちと志を一にす

◆シナ人のモラル劣化より、日本人のモラル劣化の方が心配

◆鼻っぱしらが強い女は引っぱたかれて当たり前ぐらいにならないとね ~ 『妖怪人間ベム』に見る日本の家族愛

◆ピノキオからイッツ・ア・スモール・ワールドへの様変わり ~ ディズニーに見る子供たちだけの世界

◆世界で“オンリー・ワン”たる日本であり続ける部分と、“世界一=ナンバー・ワン”を目指すべき部分を選別しておきましょう

◆『国境がなくなって世界が一つになる』というのは、ショッカーの世界征服が完了するってこと ~ 石森章太郎の世界①

◆竹島を武力行使で即奪回せよ! そして、まずは容易に取り返せる古代における朝鮮半島の日本府“任那”を日本史上に奪還し、日本人に再教育せよ! ~ 韓土の日本領も奪回! 朝鮮半島にある前方後円墳

◆左翼メディアの日本人白痴化洗脳工作について ~ 『 人間獣化計画 』 と 『 中共対日工作要綱 』

◆日本政府は死ね死ね団に乗っ取られた! ~ 今の日本を予見した月光仮面 川内康範

◆反シナ性を利用して、チベット、ウイグル問題から保守層・保守系政治家を左翼に取り込むカラクリ

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エセ保守 捏造ノスタルジーの映画『ALWAYS 三丁目の夕日』について

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(2020.11.4)
ノスタルジーを誘うニセモノを撒き散らす極悪マスコミ。なぜか子供がこの映画を見たいと言ってきたので見たのですが……
こんなまがいの作り物の昭和30年代ではなく、普通に昭和30年代に作られた映画を見ればいいだけ。皆さん、そうしましょ。

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(2012.2.6)
昭和ノスタルジーがテーマの『ALWAYS 三丁目の夕日』という映画、名前ぐらい聞いたことある方多いでしょう(詳しくは右画像クリック)。
一作目がまあまあいいなと思って、2作目も私は見ましたが、2作目は殆ど内容すら覚えていない。二つともDVDで。
そして、およそ10年ぶりくらいの映画館になったと思いますが、『ALWAYS 三丁目の夕日’64』というのを見てきました。

1作目は昭和32年頃の設定、この“64”の方は昭和39年の設定。
完璧と思える当時の街・家屋の風景をCGで再現し、初公開時は大変な話題となり大ヒットしてます。
しかし、その内容、今回の“64”を見てハッキリわかったが、日の丸とかいっぱい出てきて一見、保守層が喜びそうな風に作られているが、巧妙な偽装保守・エセ保守的な映画だと思えばいい。

この映画は主に、小説家崩れで駄菓子屋を営む東大卒の男(吉岡秀隆)と、自動車修理業を営む男(堤真一)一家のお話。
街の様子、テレビの登場やオリンピック開催が出てくる場面など、一見、ノスタルジックで「昔はよかった」的なイメージを醸し出そうとしてるかに見えますが、自動車修理工場に入ってくる従業員が何と女(堀北真希)。
町の自動車修理工場に技術者として若い女が就職してくること自体、冷静に考えれば大変な違和感あるし、さらに今回の“64”でその女は自らアプローチした医者の男と結婚するわけですが、結婚しても女は自動車修理工場を辞めず、工場社長 堤の妻(薬師丸ひろ子)が「これからはそういう時代よ」なんて言っていて、これって完全にフェミ推進のプロパガンダ映画じゃん、ってことがハッキリわかりました。昭和39年にそんなこと普通の人は絶対言わねえよ。

それ以外にも、駄菓子屋の男(吉岡)とくっつくのが子持ち女(小雪)で、しかもその子も実は小雪の子ではない。そして実の子でもないのに吉岡のその子への入れ込みようが半端でなく、不自然極まりないです。
同じく、自動車修理工場の堤へ、女子従業員にすぎない堀北との結婚を医者が申し込むわけですが、父親でもないのに堤の堀北への入れ込みよう、これもオーバーすぎて極めて滑稽。

大家族はもちろん、血のつながった正常な家族があまり出てこず、いわばゴチャ混ぜ友愛の“家族ゴッコ”に近いものばかり。
加えて堀北の結婚相手の医者が貧しい人を救うため無料診療やっていて、そのせいで何度か病院をクビにされたことあるとか、さりげなく「弱者を救え」の左翼イデオロギーを織り込んでたり、いやらしいところも感じられます。

何かとオーバーアクションで大げさなストーリー展開が私には見るに耐えません。こういうオーバーでちょっと喜劇的でもある展開って、恐らく“寅さん”辺りから目立って持ち込まれだしたのではないかと思うのですが、“寅さん”も最近改めて見てみたのですが、街の風景は確かにあの当時のままで懐かしいけど、あんなオーバーな展開、あたかも“寅さん”を中心に世界が回ってるかのような演出は現実感が全くなく、こんなの見てたらきっとバカになってしまうだろうなってことで、きっとオモテ向きには保守風な人情を打ち出してる“寅さん”シリーズ、あの当時の年配層をパッパラパーにするためのものだったんだろうって、最近は思ってます。“寅さん”映画も、“結婚”とかでなく、地に足つかない中年オヤジのバカバカしい恋がテーマでしたよね。

『三丁目の夕日』、原作は保守崩れの腐れ出版社 小学館の『ビッグコミックオリジナル』に掲載されている漫画。制作には“赤い保守”読売の他、もちろん反日左翼マスコミの司令塔 電通だって強力に入り込んでいる。
監督は『宇宙戦艦ヤマト』を“女”を前面に打ち出して実写再現・演出した山崎貴。
この『ALWAYS 三丁目の夕日』もフェミの影が強くチラついてるし、プロデューサーも監督も知ってか知らずか、奴ら左翼に翻弄されて作ってるんでしょう。

こんな映画を見たら、町の風景は確かにあの通りだけど、何も知らない若い人だと、当時の人々がああだったのかって勘違いするし、完全にダマされますよ! 要するに巧妙に捏造された昭和ノスタルジーの左翼プロパガンダ工作映画と思えばいい。あるいは保守やノスタルジーを食い物にしてるだけの単なる商業主義映画とも言える。

これを見たことで、もう今の映画は変なイデオロギーのスリ込みばっかりで完全にダメなんだということがハッキリわかりました。私はもはや新作の映画館とは決別宣言します。やっぱり古い映画と昔のテレビ番組だけDVDで見てれば、もうあとは要りませんね。

こんな映画を見て、「すごくイー、イー」って言ってる人たちって、もう完全に奴らに操られてるって感じ。こんなのじゃなく、ぜひ本当に当時作られた古い映画を見てみてくださいね。古い映画を見てない、知らない、だからこんな風にみんなバカになって奴ら腐れマスコミにやられっぱなしなんですよ。

この“三丁目の夕日”シリーズを見るくらいなら、まだ、お台場にある昭和期の商店街を再現した「台場一丁目商店街」にでも行った方がずっといいし、映画なら本当に昭和20~30年代にでも作られたファミリーもので未来を予見させるところが散見できる、商業主義に毒されておらずオーバーアクションもない小津安二郎 映画とか見た方が断然いいですからね。

映画『ALWAYS 三丁目の夕日’64』 (2011) 予告編

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(2012.10.16)
この映画では自動車修理工場に住み込みで勤める主役ヒロイン(ろくちゃん)が、原作では男だったのが女に改変されてるということを知って驚きました。フェミ左翼の捏造、粘着性はまさに狂人のレベル。
映画のみならずテレビでも、昭和期はもちろん各時代で、さも当時の女が「これからは女の自立の時代よ!」なんて息巻いてたかのよう捏造するキチガイドラマばっかりなんでしょうね。
お若い方は、変なドラマ見て間違った歴史観を持たないよう気をつけてくださいね。歴史捏造は、何もシナ、チョンに限らないし、それを牽引してる日本のフェミ・左翼の方が凶悪ですよ。

この映画上映時は関連本がたくさん出回ってたし、さも昭和期ノスタルジーを煽ってるよう見せて、実はフェミ左翼の捏造史観をバラ撒くのが奴らの目的なんですよ。昭和期の懐かしい風景とか見せながら、奴らは肝心のところを誤魔化し、よくわからない新しい世代の人々をダマして洗脳していくわけ。

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(2013.10.2)
まもなく公開、個人的には全然見るつもりありませんが、ゼロ戦がテーマということでネット上では非常に話題の映画『永遠の0』(原作:百田 尚樹)。
愛国右翼的な作品だとして持ち上げられ、左翼マスコミや宮崎駿などの左翼文化人らからは叩かれるという茶番劇が繰り広げられてますが、ここの映画『ALWAYS 三丁目の夕日』のような方式でフェミ化されたり、ゼロ戦や当時の社会状況が貶められたり歪められる可能性が高いので要注意でしょうね。しかも、左翼系 講談社の作品ですから。
またここの、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』予告編を見ればおわかりですが、東京オリンピックで湧く当時の日本の状況がヤケに誇張されていて、今回また東京オリンピックが開催されるわけですが、この雰囲気も何か非常に嫌なものを感じます。

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◆世界が憧れた日本の家族の絆 ~ 小津安二郎映画に見る世界

◆溝口映画『山椒大夫』=「安寿と厨子王」に見る日本人の価値観 ~ 左翼は日本の価値観に反する

◆橋下さんって、親子・里親卍絡み子育て=コミューン教育プロパガンダ、の手先なんだね

◆フェミニズム・アニメと単に強い女が出てくるアニメの違い ~ 反日ドラマと仮想敵を日本にしただけのドラマの違い

◆特攻隊の青春群像 映画『決戦の大空へ 』と、フィリピンの神風記念碑

◆プリキュア洗脳されたパッパラパー母娘たち ~ こんなのが今の女性の目標!?

◆もはや日本文化の区別、正常な判断すら出来なくなった、おバカな日本人!~ 中国の英雄 孫悟空を冠した『ドラゴンボール』の奇妙さにすら気づけない

◆保守・排外系団体に、人権左翼やフェミ左翼がいっぱい紛れ込んでますね ~ 引っぱたくことは覚醒作用を起こす

◆ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の愛した日本 ~ ドラマ『日本の面影』より①

◆天皇陛下万歳! 大日本帝国万歳! ~ 愛国者なら大ヒット作『明治天皇と日露大戦争』は必見!

◆本家ディズニーも顔負け! 日本人なら初期の東映アニメは見ておきたい

◆“日本海”が歌詞に多数含まれる、ましょう!!

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大日本帝国の唱歌を歌い継ごう! ②
~11月3日は明治節。明治天皇の遺徳を子供たちと共に祝おう!
『明治節』を9歳の子供にピアノ弾き語りで歌ってもらいました!

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(2016.11.2)
明治節は、戦前、明治期と同じく、偉大な大日本帝国 明治天皇を称え、その御威光にあやかるためにも、大帝の御真影を前に教育勅語奉読の上、『勅語奉答』唱歌、及び大帝にピッタリの勇壮な素晴らしい唱歌『明治節』を歌い、用意した紅白饅頭も食する予定です ^^) 大帝はきっと喜んで下さります。皆さんもやれば、きっと家の空気が変わりますよ。(下の明治天皇の御真影画像クリックで拡大写真が開きます。プリント等にご利用くださいませ)

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(2015.11.2)
明日11月3日は、戦後から文化の日とされてしまいましたが、もともとは明治天皇を祝う『明治節』です。

1893年(明治26)、文部省は小学校における祝祭日儀式の歌を選定し、『祝日大祭日唱歌』を公布しました。「年のはじめの ためしとて」で始まる『一月一日』、そして『紀元節』と『天長節』の歌です。
四方節(1月1日)、紀元節(初代天皇 神武帝の即位日、2月11日)、天長節(昭和天皇の誕生日、4月29日)の祝日に加え、1927年(昭和2)には明治天皇の遺徳をたたえる明治節(明治期の天長節にあたる明治天皇の誕生日、11月3日)が新設され、四大節(しだいせつ)としてお祝いされるようになります。
四大節の日には、家の門柱に国旗が掲げられ、小学生はよそ行きの正装で登校、式典では天皇皇后陛下の御真影(写真)開扉、君が代斉唱(2回)、御真影に最敬礼し、教育勅語奉読、校長の訓話の後、祝日の唱歌を歌い、御影閉扉で式を終えることとなります。厳粛な儀式が終わると、生徒たちは担任の先生から紅白のお菓子をもらって下校していました。
以下、『明治節』歌詞。

『明治節』  作詞:堀沢周安 作曲:杉江秀

アジアの東、日いずるところ
ひじりの君の 現れまして
ふるき天地(あめつち) とざせる霧を
おおみ光に 隈なくはらい
教えあまねく 道あきらけく
治めたまえる み代とうと

恵みの波は 八州(やしま)にあまり
御稜威の風は 海原越えて
神の依っせる 御業(みわざ)をひろめ
民のさかゆく 力をのばし
外(とつ)国々の ふみにも著(しる)く
留めたまえる 御名(みな)かしこ


秋の空すみ 菊の香たかき
今日の佳き日を 皆ことほぎて
定めましける 御憲(みのり)を崇め
諭(さと)しましける 詔勅(みこと)を守り
代々木の森の 代々とこしえに
仰ぎまつらん おおみかど

うちの9歳の子供にピアノ弾き語りで歌ってもらいました。
現代日本人は誰も知りませんが、素晴らしい歌なので、ぜひ皆様も背筋を正して、先人の思いと共に、お子様たちと一緒にご斉唱されてくださいね。

『明治節』  9歳 ピアノ弾き語り
恐れ入りますが1番と3番のみの収録です。


そして、これが戦前実際に使用されていた、当時の文部省発行のピアノ伴奏付 祝祭日儀式用唱歌楽譜。入手しましたので、ここに公開いたします(画像クリックで拡大)。

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◆大日本帝国の唱歌を歌い継ごう! ⑧ 10月30日は教育勅語発布日 ~ 教育勅語を称える、唱歌『勅語奉答』を10歳の子供にピアノ弾き語りで歌ってもらいました!

◆大日本帝国の唱歌を歌い継ごう! ① ~『広瀬中佐』を9歳の子供にピアノ弾き語りで歌ってもらいました!

◆大日本帝国の唱歌を歌い継ごう! ③ 11月23日は新嘗祭 ~『新嘗祭』を9歳の子供にピアノ弾き語りで歌ってもらいました!

◆大日本帝国の唱歌を歌い継ごう!④ ~ 天皇陛下のご生誕を祝う『天長節』 9歳 ピアノ弾き語り

◆大日本帝国の唱歌を歌い継ごう!⑥ ~ 神武天皇が即位、日本建国の日とされる『紀元節』 9歳 ピアノ弾き語り

◆『君が代』と『越天楽』を子供に弾いてもらいました!

◆天皇陛下万歳! 大日本帝国万歳! ~ 愛国者なら大ヒット作『明治天皇と日露大戦争』は必見!

◆今日は天皇誕生日(天長節)、謹んでお祝い申し上げます

◆キュートな教育勅語のご紹介 ~ 9歳 教育勅語 読誦

◆日本が好きな親なら子供には教育勅語! ~ 小学生以上なら暗唱できるよう覚えさせてみませんか?

◆日本神話の絵本について ~ 子供たちに日本と天皇へ愛着を持たせましょう

◆天照大神が女神だからと女系天皇を主張するノーナシ左翼を一網打尽に論破、撃沈さす! ~ 男系継承を堅持したアマテラスとスサノオの子供たち

◆『ぐりとぐら』 『こどものとも』の児童書 福音館は反日出版社 ~ 天皇を貶め、自虐史観に満ちた子供向け絵本

◆失われた日本人の精神性と天皇の祈り① ~ 信仰とは信条を持つこと。神を信じる否かは関係ない ~ 母と子が父の無事を祈る『里の秋』

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戦前の小学歴史教科書準拠 学習問題から ⑦ 天智天皇と藤原鎌足

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(2019.4.17) (戻る)
現代の蘇我氏こそ、今の邪な民主主義政権。だから天皇親政を取り戻した大化の改新は、戦前までの歴史教育において建武の中興と並んで最重要事項だったのです。ここの読者はもうわかっていただけてるでしょうが。(天智天皇と藤原鎌足について詳しくはコチラもご参照を

尋常小学国史附図 第五学年用(1925年・立川文明堂)より 国史 問題

「戦前の小学歴史学習問題」 目次はコチラ

【天智天皇と藤原鎌足】
一 蘇我氏の無道なりし點(点)をあげよ。
二 中大兄皇子等が如何にして蘇我氏を亡し給ひしかをのべよ。
三 大化の改新とはいかなることか。
四 天智天皇 兵をいだして百濟をすくはさせ給ひしことを語れ。
五 大寶律令とはいかなることを定めしものか。
六 藤原鎌足の大功につき語れ。
解答 ↓
(クリックで拡大)

(今日の難語句)
陵(みさゝぎ):天子様のお墓
蹴鞠の御遊(けまりのおんあそび):まりをけるあそび
貢物(みつぎもの):ぞくこくから毎年時をきめて品物を本國へ奉つて来ること
大極殿(だいごくでん):天皇が政治をとらせ又 儀式を行はせ給ふごてん
誅(ちゅう)せんとし:殺さうとし
君臣(くんしん)の別:君と臣のわかち
政治にあづかり:まつりごとにくわんけいして
律令(りつりょう):はふれい
姓(せい):みやうじ

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(戻る)◆戦前の小学歴史教科書準拠 学習問題から ⑥ 聖徳太子

◆戦前の小学歴史教科書準拠 学習問題から ⑤ 仁徳天皇

◆戦前の小学歴史教科書準拠 学習問題から ② 神武天皇

◆戦前の小学歴史教科書準拠 学習問題から ① 天照大神 ~ 戦前の小学歴史学習附図 全編ダウンロード出来ます。

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑪ 蘇我氏の無道

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑫ 大化の新政

◆戦後の歴史教育を捨てよう。 歴史教育 再興 ① 永久保存版 戦前の国史(日本史)学習年表

◆天皇陛下万歳! 大日本帝国万歳! ~ 愛国者なら大ヒット作『明治天皇と日露大戦争』は必見!

◆戦前は逆賊歴史学として処罰されてた、左翼学者による皇統否定の「縄文・弥生」時代の敗戦後の普及 ~ 汚染される皇室。救う手だては皇室奪回

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑭ 天智天皇 律令の選定

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑬ 蝦夷の服属 韓土の変遷(百済 高麗の滅亡・新羅の朝鮮半島統一)

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ゴミを何十億円も出して買うバカ ~ デタラメ、醜悪作品を大傑作として持ち上げて売りつける悪徳商人、それを買うパッパラパー金持ち

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(2020.10.31)
エゲつないアニメ映画『鬼滅の刃(きめつのやいば)』が大人気だと屑マスコミがいっせいに持ち上げてるのもこれとおんなじ。本日、観客動員数1000万人突破と大騒ぎしてるけど(爆笑)、日本のこんなニュースや集計なんてデタラメなんですよっ! すべて無視無視。日本人ならハロウィンも無視が正解。馬鹿騒ぎしてるのは、どれもこれもアッチ系。ありもしないコロナを「コロナ怖いんだよ~。マスク、消毒、検温して、声はあげちゃダメ。みんなで集まるのも危険だよ~(イーヒッヒ) こんな(“鬼滅”のような汚らしい)作品が今、大人気なんだよー(イーヒッヒ)」と、メディアや政府に言われるまま真に受けて従ってるだけなのが、思考停止ノーナシに成り下がった今のバカ日本人。

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(2019.11.27)
ジャン=ミシェル・バスキアという黒人画家の作品。27歳で死んだ天才画家とされ、その人物像を描いたという映画が1996年に公開され、当時は誰も聞いたことのなかった名前だが、とにかくバスキアの作品は「スゴイ」「スゴイ」と、宣伝がすごかった。ジミー大西についても、「絵がスゴイ」とやたらマスコミが騒いでたのもちょうどその頃だったような気がする。ジミーについてもやたらスゴイと持ち上げられてはいたが、確かにうまい気もするのだが、そんなにすごいか? ってのが私の本心であった。バスキアにいたっては、やたらそのインパクトある名前だけが独り歩きしてたが実際の作品を見て、やっぱり同じように「そんなにスゴイか?」ってのが本心に私にはあった。世界的芸術家だとやたら持ち上げられてた村上隆とかの作品も、やっぱり「そんなにスゴイか?」であった。私はアート好きだったし当時の私の周りもアート好きが多かったが、日本人芸術家が世界で人気だとされて嬉しがらないのは非国民のように思われかねないので(今じゃ村上とか実はアッチ系なんだと思ってるが)、口には出せなかった。
そして今、バスキアの作品を見てもどこがいいのかさっぱりわからない。いったいこんなものを何十億、何百億円も出して買ってなんになるのか。これは株と同じで、やたら高い値段でグルである仲間同士で売買のキャッチボールやりながらべらぼうに値段を吊り上げていき、最後はすべて高値で売り抜け、バカに高値掴みさせて後はモヌケの殻としていくパターンと同じではないか。最後に高値掴みで買った者はどうしようもなくなる。オモテ向き百億円で流通してるからと外の者が本当に百億円で買ったとしても、それが本当に百億円の価値があるかどうかは関係ない。もっとバカがいて運よくそれを百億円でさらに買ってくれる者がいたとしても儲けものと思って虚空の投機市場に深入りしないことだ。
どこからどう見ても私にはただのゴミ作品にしか見えない。これ……その辺のヘタクソなウォールペイントレベルでしかねえだろ。まだ街中や昔のNYの地下鉄の落書きとかの方がマシなものがありそうだ。

ZOZO元オーナーの前沢も、バスキア(『無題』)なんかに123億円も使って、やっぱりバカなのだろう。きっとこれもいつか無価値にしかならない。
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バスキア絵画に123億円 ゾゾタウン前沢氏が落札 2017.5.19 産経新聞
米国人画家バスキアの無題の作品が18日、ニューヨークで競売に掛けられ、衣料品インターネット通販「ゾゾタウン」を運営するスタートトゥデイ社長の前沢友作氏が、約1億1050万ドル(約123億円)で落札した。
競売大手サザビーズによると、6千万ドルの予想価格を大幅に上回り、米国人芸術家の作品の落札額として過去最高。前沢氏は昨年5月にもバスキアの作品を約5730万ドルで落札し、話題となった。
バスキアはニューヨーク生まれのハイチ系。建物などに落書きする「グラフィティ・アート」で人気を集めたが、薬物の過剰摂取により1988年に27歳で死去した。落札されたのは1982年の作品で、縦183.2センチ、横173センチ。オイルスティックと呼ばれる絵の具などで頭蓋骨のような絵柄を描いたもの。

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こんな絵↓を123億円!!!も出して買ったそうです(笑)(笑)(笑)


売りつけた奴は笑いがとまらん、イー ヒッ ヒッ ヒ
次のニュースは……北九州市立美術館、本当に百億円で売れるというなら、絶対今のうちに売っておくべきだ。そして入場無料デーなんかを増やして、市民に還元すればいい。一応、売ったバスキア作品のレプリカもとりあえず作っておいて、そんなのでも展示してればいいではないか。

汚らしいデザインや映像、作品のゴリ押しは、日本に限らず世界中で推し進められている。一般人なんて芸術だの音楽だの、どうせ大多数は見る目なんて持たない。クズ作品でも暗黒金融勢力の御用専門家・評論家が「これがいい」とか「流行ってる」とか言えば、それに従って振り回されてるだけである。草間弥生についても世界での評価がやたら高いと言われてたが、やっぱり私は「そんなにスゴイか?」であった。「うんこドリル」なんてのが流行る日本、日本人の感性ももう終わってる。世界総ゴイム化計画は着々と進められているのだ。
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375万円が“100億円のお宝”に? 35年前購入のバスキア絵画 2019.11.27 西日本新聞
北九州市に“100億円のお宝”があるのをご存じだろうか。市立美術館(同市戸畑区)所蔵のジャンミシェル・バスキア作「消防士」。バスキアの作品は近年価格が上昇しており、同館が35年前に375万円で購入したこの油彩画は、今や「オークションに出せば100億円を超える」との専門家の声もある。同館の審美眼が光った結果だが、購入の経緯には、予算に限りがある公立の美術館ならではの工夫があった。
バスキアは米国人で、1981年デビュー。ポップカルチャーの要素を取り込んだ即興的作風で知られる。88年に27歳で不慮の死を遂げたこともあり、カリスマ的な人気を誇る。2年前、ネット衣料品通販大手「ZOZO(ゾゾ)」の前沢友作社長(当時)が、無題の作品を1億1050万ドルで落札し、話題を集めた。
「消防士」は83年作で、縦164・8センチ、横230センチ。バスキアと交際していた女性のけんかを火消し役の消防士が止めに来ている絵とされる。同館では1年のうち半年ほど展示しているが、現在は貸し出し中。
    ◇   ◇ 
同館が購入した1984年当時、バスキアは一般には無名に近い存在。1983年に東京の小さなギャラリーで開かれた日本初の個展で、当時の学芸員が目を留めた。
同館の那須孝幸学芸係長は「バスキアが初期に、描きたいものを自由に描いた勢いのある作品」と評価。公立美術館が所蔵品を売り出すことはほぼないが「美術関係者には『無題』より高値で落札されるのでは、と言う人もいる」と話す。
都内の大手美術品買い取り会社の猪羽恵一副代表も「バスキアは価格が急騰している。オークションに出ないと分からないが『無題』と同程度で落札されてもおかしくない」とみる。
北九州市立美術館は74年の開館以来、「最新美術を購入して所蔵品を増やす」のが伝統で、現代美術の紹介に定評がある。特にバブル経済で美術品が高騰し、人気の印象派の絵画などが購入しづらくなると、比較的安値で購入できる現代美術の作品により目を向けるようになった。評価が定まっていない作品が多いが、前衛芸術家の草間弥生さんやイタリアの抽象画家フランチェスコ・クレメンテさんらの価値をいち早く見いだし、購入後さらに評価を高めた芸術家も多いという。
    ◇   ◇ 
特に草間さんは日本の公立美術館として初めて美術展で紹介するなど早くから着目。1988年に200万円で購入したアクリル画「南瓜(かぼちゃ)」など大作4点を所蔵している。南瓜も現在購入すれば数億円はするという。
市美術館普及課や猪羽さんによると、近年は中国人バイヤーの増加や世界的な超富裕層の出現で、美術品は全体的に価格が上昇。市の美術品取得基金は財政難のため、ここ10年ほど一般会計からの繰り入れはない。2018年度末残高は約6700万円と財源が切迫していることもあり、本年度は作品購入を見送った。
現代美術の場合、購入後に価値が落ちる作品もあり、見極める眼力が一層求められる。那須係長は「保護する価値のある文化資源をこれからも見いだしたい」と語る。

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して、そのひゃくおく円以上するという絵がこれ↓(笑) こんなのを375万円も出して買ったってのもイッちゃってるが……

今のテレビ局や映像・CM制作会社は汚らしいデザインの作品や番組しかないから、実はただ汚らしい無価値なものでも価値ある作品と喧伝してフレこまれればマスコミも実業界も政治家・役人もバカしかいないから、すぐダマされる! 画家のヒトラーも「今はこんな絵がすごい価値で流行ってるんですよ」と言われれば、民衆の腐りきった感性はついにユダヤ金融に脳髄まで侵されてここまで堕ちたかと、おったまげるであろう。

「バカにはわからない、素晴らしい作品なんですよ!(イー ヒッ ヒ)
『ハダカの王様』の世界が現実になってんだよ。ひゃ ひゃ ひゃ ひゃ ひゃ ひゃ ひゃ ひゃ ひゃ ひゃ ひゃ ひゃ ひゃ ひゃ ひゃ ひゃ ひゃ ひゃ ひゃ ひゃ ひゃ ひゃ ひゃ ひゃ ひゃ

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◆幼児期に触れるものによって、音痴にも醜悪な美的センスにもなりうる

◆くるぶし出し靴下の強制に見る、ファッションセンスも破壊される日本人

◆幼児教育・保育の無償化で韓国・朝鮮に支配される日本 ~ 朝鮮人は色キチガイで虚栄心の塊

◆ヒトラーが画家を目指していた頃、ナチス台頭期のドイツに行ってみよう ~ 帝政崩壊とルール占領、ハイパーインフレ

◆『シオン議定書』 – 第二次世界大戦を勃発させた人間獣化計画の基本文書

◆キムチ臭いデザインのハイジやミッキー、ピーターパンに北斗の拳 ~ キモカワ 『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』の魔の手

◆日本人の美的センスは世界一!~日本人はジャポニスムを忘れてしまった?

◆朝鮮ピンクに注意! ~ もはや極刑に処すべきひどさの朝鮮系色使い

◆子供に襲いかかる美的センス破壊攻勢との戦い

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◆子供をフヌケ化 宮崎アニメの左翼性 ~ 強烈な反日・共産主義イデオロギー

◆プリキュア洗脳されたパッパラパー母娘たち ~ こんなのが今の女性の目標!?

◆AIと工作員に支配されたネット、バカ製造装置のスマホ中毒者に溢れた世界 ~ そして人々はムーンショット計画でバーチャル空間に閉じ込められる

◆「イケメン」なんて言葉は朝鮮語! 日本語にそんな言葉ありません!~ 貧脳になる、マスコミが流行らせた使ってはいけない言葉

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『フランダースの犬』のネロは不幸だったと思いますか?
~ 唯物史観、拝金主義で教えられないこと

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(2010.7)
『フランダースの犬』のネロは、不幸だったと思いますか?

自分の見方は逆です。確かに可哀そうかもしれません。
でも、不幸ではなかったでしょう。異論がある人もいるかもしれませんが、彼自信の中で、彼は幸せだったのです。

そして、彼は天国に行ったのです。こんな風に、子供が小さいうちに教えておくことこそ大切です。唯物史観や拝金主義では、決して教えることができません。

ウチの子には基本的に今のTVはほとんど見せないし、自分も今、殆ど見ていません。子供に見せるものは1日1時間位に限り、昔の子供向け番組のDVDが主体です。

TVアニメ『フランダースの犬』(詳しくは右画像クリック)は50話ぐらいで長かったですが、これを毎日1話ずつ見せ、他のも合間に見せながら、結果的に4、5ヶ月かけて全部見たと思います。
子供もこのお話は大好きで、そして、ネロは天使に天国に連れていってもらったと教えています。

もしも、生まれてくるなら、あなたは、

・金持ちでも傲慢な、アロアの父親がいるような家
・金持ちでも、意地汚くズル賢いハンスのような父親がいる家
・貧しくても、ネロの優しいおじいさんがいるような家

どれがいいですか?
結果的に、ネロが先に死んでしまったというところは無視して考えてください。
あくまでどんな家に生まれたいか? どんな家族がいる家に生まれたいかで考えてください。

どれがいいですか?
話をよく知らない方だと、分かりにくいかもしれませんね。
もっとわかりやすくいうなら、

・お金があって毎日500円の小遣いを子供にくれるけど、1年に1回も子供と遊んでくれるかどうかもわからない父親
・月に300円しか小遣いはくれないけど、毎日子供と遊んであげる父親

どちらの父親が好きですか?
どちらの子供が、いい子に育っていくと思いますか?
欲張りな人なら、毎日500円小遣いくれて、毎日遊んでくれる父親がいいと言うかもしれません。
しかし、現実はそう簡単にいかないでしょう。

とても難しい質問に思えますか? それとも、答えは簡単ですか?

やはり問題は、自分を受け入れてくれ、本当にわかってくれる家族がいるかどうか。
違いますか?
まず一番に考えるのは、家族への愛情、家族からの愛情がある家、違いますか?

幸・不幸とは、あくまで主観的なもの。
たとえネロには両親がいなくとも、少なくともおじいさんとのささやかな幸せがあったのではないでしょうか? きっと彼は、それに満足してます。

ネロは短い間だったけど、おじいさんやアロアの愛情をたっぷり受けていられた。
彼はそれだけで、存在価値、生きた価値があったのです。
ネロは、優しいおじいさんとアロアとのかけがえのない思い出の中で死んだ。
それが、死んだネロの微笑みに表われているのです。自分は幸せだったと。

しかし、物質文明の中、上っ面の愛情?だけ、本物の愛情を受けずに育つ子供が、山ほどいます。
そして、お金・モノしかくれず、親とまともに遊んでもらうことを知らずに育った人も、当然ながら、子供と遊ぶ術を知りません。お金をあげることはできても、愛情表現の仕方がわからないのです。
だから、その子が大人になったら、やっぱり同じように拝金主義、唯物史観の親にしか概ね成りません。
彼らは親に猛烈な反発、不満を抱きながら育っていきますが、結果、自分もお金のモノサシでしか判断できない人間になるのです。
これが悲劇の連鎖。

育児(子供の毎日の身の回りの世話)は母親がやるべきものと、私は書いてますが、父親は決して教育を母親任せにしてはなりません。
通常の子供の世話は女に任せても、父親は決して子供に無関心にならず、シッカリした教育方針を立てて仕切ってあげてください。
特に重要なのが、小学校低学年ぐらいまでの幼児期。
母親も、子供のことは自分の役だとかいって、決して父親を排除してはいけません。
父親は、遊んであげても変な馴れ合いにならず、しっかり子供から畏敬される存在になりましょう。もちろん、母親が父親をシッカリ立てるというサポートがない限り、それは実現できません。

こういうところにさえ気をつけていれば、さほど子供がメチャクチャに育っていくようなことはないように思います。

◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆
フランダースの犬

イギリスの作家ウィーダの書いた児童文学作品(1872年発表)。ベルギー フランドル地方が舞台。
原作ではおじいさんに先立たれたネロは、愛犬のパトラッシュと共に死ぬが、米国版のアニメでは、何とネロは死なず、ハッピーエンドに仕立てられている。日本のアニメは原作に倣う。
舞台となったベルギーでは、この物語はさほど知られておらず、小さな子供を見殺しにするような風習はないとして、英国人作家の書いたこの作品に対するベルギー人の反発もあるという。

[あらすじ] 少年ネロは、おじいさんと忠犬パトラッシュと3人?暮らし。村の実力者の一人娘であるアロアと仲睦まじかったが、家格の違いから望まずして距離を置かされることとなる。そして、優しかったおじいさんが亡くなる。
絵画コンクールでネロの才能を認めた著名な画家が、彼を引き取り養育しようと村を訪れたが、ネロは既に大家のハンスに家を追い出され、クリスマスを迎えた翌朝、アントワープの大聖堂 ルーベンスの絵の前で、パトラッシュと固く抱擁したまま冷たくなっていた……口元に安らかな微笑を湛えて。

TVアニメ『 フランダースの犬 』 (1975)  主題歌&第1話

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(2011.1.21)
以前この記事を書いて、アニメではアロアとの楽しいひとときや、優しいお爺さんとの場面が盛り沢山だけど、原作にそんな場面はほとんどなく、惨めな少年の物語にすぎないと言ってきた方がいましたが、私は原作も読んでます。

TVゲームで育ってイマジネーションが貧困な方だと、原作読んでもそんな発想しか思いつかないのかもしれませんが、優れた日本人の感性で想像力やイマジネーションを駆使すれば、当時の優れた制作スタッフがアニメのような世界を作り上げたのは、ごく当然に思います。要は、ネロがアロアといつも楽しく遊んでいたという一行だけからでも、どれだけイマジネーションを膨らませられるか。
言っとくけど、イマジネーションを膨らませるというのは、左翼お得意の曲解とは全く違うからね。

写真はウチにある『フランダースの犬』の原作本。イラスト:金 斗玄(ソウル生まれ)、発行:講談社。
日本のアニメ・キャラと、この本のイラストのキャラ、断然アニメの方かいいでしょう?
やっぱり日本人の勝ち!
この本、あとで気づいて不愉快に思ったが、イラストぐらい日本人のもの使えよ!
しかし、左翼 講談社は朝鮮人が好きだねえ。

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◆『松本零士 父に見た本物のサムライ魂』 子供には宮崎アニメでなく松本零士

◆命より大切なもの、それが “人間の尊厳”~『 母に捧げるバラード 』に見る、日本のおっかさん 真の保守精神 ~ スポットが当てられる幼児遺棄事件、もっと広く深く見て!

◆ドラえもん、仮面ライダーだって、今や子供を左翼洗脳で堕落させる道具

◆女の子には“赤い靴” ~ 親不孝娘を描いたアンデルセン童話のダイナミズム

◆保守は教育勅語の復権で一致団結を!~左翼価値観に風穴を開けるべし

◆腐った価値観を決定づけたもの ~ 節操ない男女観とセックスに毒された日本人

◆心の拠り所と守るべき人を持たなくなった日本人 ~ 親も兄弟姉妹も、友達も学校もみんな嫌い

◆日本人の美意識が結集!溝口健二『雨月物語』~ 品が悪くなった日本女性

◆反日マスコミの本丸は電通!~メディアをウラで操る電通を攻撃すべし

◆子供向け番組への左翼の本格参入はヤッターマンから ~ ビデオの普及以降、作品作りが変わった

◆イザナギとイザナミに見る、日本における男女のあり方 ~ 日本神話を題材に

◆『君が代』と『越天楽』を子供に弾いてもらいました!

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真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ②
神武天皇

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(2016.10.20)  (始めから)
『最新 日本歴史解釈』第二章、今回は神武帝が日向を出発しての東征による長髄彦(ナガスネヒコ)らとの戦いから大和までの平定、(かしはら)橿原宮の造営と神武天皇 即位の大礼(日本建国)や國造・縣主の地方官任命等までになります。
同じ妻木さん作成の学習年表、及び神武天皇の即位式の映像もコチラに掲載してますので、ご参照くださいませ。

『最新 日本歴史解釈 』(1917年・妻木 忠太 著)より

【目次はコチラ】

天皇の御東征
神武(ジンム)天皇は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の御曾孫-天皇初め日向に居給ふ―東方諸國の酋長(しゅうちょう)―各割拠して互に争う―東方平定の御計策―皇兄 彦五瀬命(イツセノミコト)と謀議―皇兄及び皇子と共に東征―御東征の順路―高島宮(タカシマノミヤ)―皇軍の浪速(ナニワ)到着。

大和地方の平定
登美(トミ)の長髄彦(ナガスネヒコ)―国見(クニミ)の八十梟師(ヤソタケル)― 饒速日命(ニギハヤヒノミコト)―ナガスネヒコ ニギハヤヒノミコトを奉じて皇軍を防ぐ― イツセノミコトの負傷―皇軍、路を転じて大和に向かう―道臣命(ミチノオミノミコト)・大久米命(オオクメノミコト)の嚮導(きょうどう)―金鵄勲章の由来―ヤソタケル・土蜘蛛(ツチグモ)等の土賊―ナガスネヒコの誅―土賊の服従―大和地方の平定。

御即位の大禮(たいれい)
畝傍山(ウネビヤマ)の東南、橿原(カシハラ)に奠都(てんと)―橿原の神宮―御即位の大禮―五十鈴媛皇后(イスズヒメコウゴウ)の御冊立―紀元元年と紀元節―論功行賞―祭政一致(さいせいいっち)―中央政府の組織―天種子命(アメノタネコノミコト)・天富命(アメノトミノミコト)・可美眞手命(ウマシマデノミコト)―國造(クニノミヤツコ)・縣主(アガタヌシ)等の地方官―皇祖天神を鳥見山(トミノヤマ)に祭る。

〇東方諸国の状
天孫既に降臨し給いし後、御子孫代々西辺に居給いしを以て、東方の遠き地は未だ皇澤(こうたく)にうるおわず、村々に長ありて各疆(サカイ)を分かち、これに拠りて互に相争い、人民為に業に安んぜざりき。天皇かつて此の東方にて政治をなすに美しき地あるを聞き給いしかば、此の苦しめる人民を安んぜんとし、皇兄・皇子どもとはかりて東方平定のことを決し給う。
〇神武天皇御東征順路
皇軍日向を出でて豊予海峡をすぎ、豊前の宇佐及び筑前の遠賀川口をへて安芸の埃(エ)の宮(所在未詳)に至り、翌年備前の高島の宮(備前見島湾口高島か)に出る。天皇此の宮に居給うこと三年、其の間に戦船をそろえ兵食をそなえ、将に一挙に東方を平らげんとし給う。かくて皇軍は海上より進みて難波埼(大阪市の南方より大阪城辺に至れる高地の古称なり)に至る。此の沿岸の潮流はやきを以て、此の國を浪速(ナミハヤ)と名づけらる。今の大阪地方なり。此の浪速(ナミハヤ)をなまりて難波(ナンバ)と云い、又浪速を一に浪華(ナニワ)とも書するに至る。次いで皇軍浪速より東方生駒(イコマ)山をこえて、大和に入らんとせし時、大和の登美(生駒郡富緒村)のナガスネヒコこれを孔舎衛坂(くさえざか)(クサカ河内中河内郡)に逆へ撃ち、皇軍利あらず。皇兄 イツセノミコト負傷し給う。天皇軍を返し更に紀伊に至り給いし時、命軍中に薨(こう)じ給う。皇軍やがて熊野(紀伊)に至りしに、山中行くべき道なし。天忍日命(あめのおしひのみこと)(コチラ参照)の曾孫 道臣命や、八咫烏の嚮導(きょうどう)によりて、わづかに大和の吉野川筋に出て、宇佗郡より西に向かいて大和の平野に出づること得たり。
〇長髄彦(ナガスネヒコ)
ナガスネヒコは登美の酋長なり。皇軍の来るを聞き、其の君とせる饒速日命(ニギハヤヒノミコト)を奉じてこれを逆へうつ。其の後、皇軍しきりに勝ち、ニギハヤヒノミコトまた大儀を覚りて皇軍に降らんとせしが、ナガスネヒコの性剛愎(ごうふく)にして物を解せず、ミコト即ちナガスネヒコを誅して帰順す。
〇国見の八十梟師(ヤソタケル)
八十梟師(ヤソタケル)は八十建とも書す。其の八十は数多きの意にて、師は威勢ありて猛勇のものを云う。其の国見岳(大和)に在るを国見のヤソタケルと云い、磯城(シキ大和)に在るを磯城のヤソタケルと云い、又熊襲(九州)に在るを熊襲八十梟師(クマソヤソタケル)と呼ぶが如し。
〇饒速日命(ニギハヤヒノミコト)
ミコトは天神(天つ神)の子にして、早く天上より降れるものなり。ナガスネヒコに推され其の妹を娶りて可美真手命(ウマシマデノミコト)を生む。皇軍来るに及び、ナガスネヒコ 天神の子に両種なしとしてこれに抗し奉る。天皇すなわち天神の証を示し給いしも、ナガスネヒコなお剛腹(ごうふく)にして改むること能(あた)わず。ニギハヤヒノミコトよりてこれを誅し、其の衆と共に帰順す。天皇其の忠を賞してこれを用い給う。天皇 ウマシマデノミコトをして物部(武士)を統べしめ給い、子孫世々相ついで仕え奉る。物部氏の祖是れなり。
〇道臣命(ミチノオミノミコト)
初め日臣命(ヒノオミノミコト)と称す。天皇御東征の際、熊野の山路すこぶる険悪にして皇軍進むこと能(あた)わず。此の時ヒノオミノミコト其の部下を率いて路を啓(ひ)らき、八咫烏(ヤタガラス)の向かう所にまかせて進み宇陀(大和)に至ることを得たり。天皇其の忠勇を賞して、名を道臣(ミチノオミ)と改めしめ給う。かくて賊 兄猾(エウカシ)を討ち給うや、ミチノオミノミコトをして其の状を察せしめ、又大宴を設けて国見岳の余薫(よくん)を誘わしめ給う。天皇即位の翌年功を賞し給うに当たり、ミチノオミノミコトに宅を賜りて寵遇(ちょうぐう)し給い、又其の部兵をして畝傍山(ウネビヤマ)の附近に居らしめ給う。大伴氏の祖は此のミチノオミノミコトなり。
〇金鵄勲章(きんしくんしょう)の由来
皇軍既に国見岳のヤソタケル及び賊兄磯城等を滅し遂にナガスネヒコに逼(せま)りしも、未だ勝つこと能(あた)わず、怱(たちま)ち天曇りて雨降り、金色の鵄(とび)飛び来たりて天皇の弓弭(ゆみはず)に止まる。是れより皇軍大いに振るい、ナガスネヒコまた戦うこと能(あた)わず、遂にニギハヤヒノミコトによりて誅に伏しぬ。此の金鵄(きんし)の瑞(しるし)は、即ち今日の金鵄勲章の由来なり。明治23年の紀元節に下し給える詔(みことのり)の中に「天皇戡定(かんてい)の故事に徴し金鵄勲章を創設し将来武功抜群の者に授興し云々」と見え、其の故事とのたまえるは神武天皇 大和戡定(かんてい)の時に霊鵄の瑞(しるし)ありしことと推し奉らるるなり。
〇土蜘蛛(ツチグモ)
土ごもりの約にて上古(じょうこ)に穴居(けつきょ)の夷族の猛く暴くして人を害(そこな)うものの称とも云い、又高尾張(大和)に在りし土蜘蛛が、身体短くして手足長く、あたかも短人に似たりと伝えられたれば、其の人種の形の蜘蛛に似たるものの名とし、他もこれになぞえて呼びしとも云う。
〇橿原神宮(かしはらじんぐう)
宮址(きゅうし)は、神武天皇の大和地方を平定し給いて後、宮殿を経営せしめ給いし地にして、今の大和高市郡畝傍山の東南に在り。明治22年、此の宮址を調査してここに橿原神宮を建て、神武天皇を奉祀(ほうし)す。社殿は京都御所の温明殿(うんめいでん)及び神嘉殿(しんかでん)を移して営みしなり。神宮は明治23年3月20日官幣大社(かんぺいたいしゃ)に列せらる。
〇五十鈴媛皇后(イスズヒメコウゴウ)の冊立(さくりつ)
天皇既に即位の大禮(たいれい)を橿原宮に行わせ給い、貴族をえらびて皇后とせんとし給い、此れにイスズヒメノミコトを皇后に冊立し給う。皇后の父は大国主命の子 事代主命(コトシロヌシノミコト)にしてスサノオノミコトの孫に当らせらる。
〇紀元元年と紀元節
神武天皇即位の大禮(たいれい)を行わせ給いしは、辛酉(しんゆう)の年の正月朔日(さくじつ)にして、大正6年を去る実に2577年の昔に在り。正月朔日を太陽歴に換算して正に2月11日に当たる。明治5年11月、此の即位の年を以て我が紀元元年と定められ、翌年1月更に即位日を祝日とし、尋(つい)で此の日を紀元節と名付けらる。
〇論功行賞(ろんこうこうしょう)
神武天皇即位の二年 群臣の功を定め賞を行い給う。ミチノオミノミコトは宅地を賜わりて殊に寵せられ、珍彦(ウヅヒコ)を倭國造(やまとのくにのみやつこ)に、劔根(ツルギネ)を葛城國造(かつらぎのくにのみやつこ)に、又 弟猾(オトウカシ)を猛田の縣主(アガタヌシ)に、弟磯城(オトシキ)を磯城の縣主に各任じ給い、又ヤタガラスも嚮導(きょうどう)の功を以て賞せらる。
〇祭政一致
上古に於ける政治は、其の天神地紙(てんじんちぎ)を祭るを以て重なるものとす。故に古来 祭(まつり)と政(まつり)とは一致なりとの称あるなり。
〇中央政府の組織
当時の朝官は世襲にして、中央政府の組織もすこぶる簡易(かんい)なり。即ち天種子命(アメノタネコノミコト)は、天富命(アメノトミノミコト)と共に祭祀を主(つかさど)りて朝政を輔佐し、又ミチノオミノミコトは、オオクメノミコトと共に各部下の将士を率いて宮門を護衛し、ウマシマデノミコトは、其の部下の将士を率いて殿内に宿衛せり。
〇天種子命(アメノタネコノミコト)
ミコトは天児屋根命(アメノコヤネノミコト)の孫なり。神武天皇の中国平定に仕え、天皇平定の後に鳥見(とりみ)の山中に皇祖天神を祭り給う時にこれを輔け奉り、又アメノトミノミコトと共に祭祀を主(つかさど)りて朝政を佐(たす)け奉る。
〇天富命(アメノトミノミコト)
ミコトは太玉命(フトタマノミコト)の孫なり。山材を採りて皇孫の為に宮殿を作り、齋部(いんべ)の諸氏を率いて種々の賽鏡及び木綿・麻等を作らしめ、又アメノタネコノミコトと共に祭祀を主(つかさど)りて朝政を輔佐し奉る。
〇大久米命(オオクメノミコト)
久米氏は其の祖 高皇霊尊(タカムスビノミコト)に出づ。神武天皇御東征の時、オオクメノミコトはミチノオミノミコトと共に軍に従いて功あり。平定の後もミチノオミノミコトと共に各部下と率いて、宮門を警衛し奉る。
〇國造・縣主(クニノミヤツコ・アガタヌシ)
國(国)造・縣(県)主は中央政府の朝官に対し、地方官の名称なり。其の國造の造は御臣の義にして、國造の治むる区域は、略後世の郡に同じ、又縣主の県は、朝廷の御耕田を云い、また田舎をも云う。縣主は其の県(後の郡位のもの)を治むる長官にして、当時は畿内の御耕田を掌(つかさど)るものを云う。要するに國造・縣主は、皆世襲の職にして、其の職掌(しょくしょう)は土地を領して人民を治め、神紙(じんぎ)を奉りて田賊を貢するにあり。

(続き)戦前の日本史教科書準拠 参考書より ③ ~ 崇神天皇と垂仁天皇

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(始めから)◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ① 神代 皇基の遼遠

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ④ 日本武尊 成務天皇

◆大日本帝国の唱歌を歌い継ごう!⑥ ~ 神武天皇が即位、日本建国の日とされる『紀元節』 9歳 ピアノ弾き語り

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑥ 仁徳天皇と雄略天皇 顕宗 仁賢 両天皇 

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より はしがき・もくじ

◆戦前は逆賊歴史学として処罰されてた、左翼学者による皇統否定の「縄文・弥生」時代の敗戦後の普及 ~ 汚染される皇室。救う手だては皇室奪回

◆戦前の小学歴史教科書準拠 学習問題から ② 神武天皇

◆サルが人になったとする進化論と、日本人・陛下がサメの子孫とした日本神話、あなたはどっちを信じますか?

◆昨年の国内旅行から ~ 奈良、京都、宮島、姫路、萩……

◆戦後の歴史教育を捨てよう。 歴史教育 再興 ① 永久保存版 戦前の国史(日本史)学習年表

◆古代日本が朝鮮半島を領有していた事実をもっと広めなければなりません

◆四国各所でハングルのシールが貼られまくり、それを剥がすよう促した紙が貼られていたということですが

◆日本人なら世界遺産(ユネスコ)よりも国立公園!

◆保守は教育勅語の復権で一致団結を!~左翼価値観に風穴を開けるべし

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子供の英語教育についてです

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(2020.10.28)
日本の伝統的素養が何もないまま、ただ英語だけ出来るようになったり、グローバル化しか頭にないチャラい奴になったり、猛勉強してもどうてもいいようなことしか覚えていないから、今の日本の役人、政治家や教育者はじめとするエリート層は、守るべき日本が何もわかっていないパッパラパーばかりになってしまったのです。英語教育の前に修身教育儒学や武士道教育勅語などを子供が小さい頃からたたきこんでおきましょうね。日本の昔話や神話もたくさん読み聞かせて、昔からある童謡・唱歌もいっぱい歌いましょう。日本精神的土台がないまま欧米の先進学問なんかをいくら学んでも、ろくな人間にならないのだと、西郷隆盛や橋本佐内ら覚者たちはずっと昔から警告していたんです。

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(2018.3.9)
幼い子供に英語教育をすることについて、いろいろ批判があったりもします。はじめに、私の結論として、小学校で英語教育する必要はない気がします。でも、各家庭ではやっておいた方がいいと思います。ただし、家庭でやるといっても、親が英語がわかる家でないと当然、子供に教えることも出来ません。それに、英語はそういう教室に通わせたからといって、ほとんどの人がそれだけで英語が出来るようになるわけでは決してないであろうということ、私は確信もって断じておきます。でも英語は、出来ないよりは絶対に出来た方がいいと思います。また子供の耳の能力は大人より高いし、小さい頃から英語感をつかむ環境というのは、ないよりはあった方がいい。日本語が出来ないうちにやるのは逆効果だと主張する人もいますが、だからこそ日本語や日本語感については先んじて英語以上に徹底的にそういうのがつかめる環境に子供を置いて、感性を研ぎ澄まさせればいいんです。それも、今の学校でやってくれないなら親がやるしかない。だから今の親、特に母親は自己実現だの自分らしく生きるだの言って、子供放ったらかしで外に働きになど行ってる場合ではないのです。
また、私が子供に英語が出来るようなってほしい理由として、将来、日本語で書かれたまともな本が日本には少なくなる可能性すらあると思っていて(韓国人があえて漢字を読めなくなるよう教育して過去の伝統的な本を捨てさせてきたのと同様)、英語版ならそういう本も残っていそうに思うからです。
外国人に大変な感銘を与え、映画『ラスト サムライ』の企画にまでつながったのに日本語版は絶版のアイヴァン・モリス著『高貴なる敗北』だって、英語版(The Nobility of Failure)なら今でも読むことが出来ますし、『武士道』(新渡戸稲造)や『武士の娘』(杉本鉞子)のような世界に名だたる名著も、原文は英語であり、子供がそういうのを原書で読めるようになってほしいとの願いも、私は持っています。

子供の国語力育成のため、子供の乳幼児期には日本の絵本の読み聞かせが実質的に毎日の日課となってたし、幼児向けの言葉(国語)の問題集なんかも用意してやってました。何でもいいから与えるというのでなく、その内容には神経を使ってました。高いものがいいというわけでもなく、今は知りませんが、100均で売ってる教材にも非常にいいものが当時はあったりしました。私の努力の甲斐あってか、ウチの子は国語については抜群の成績あげられる実力を持ってます。親に放ったらかしで育てられ、私が国語で一番苦労したから、子供には国語が得意になってほしいとの思いが私にはかねてから強くあったし、それが実際に実を結んだということで、そういう親の努力の必要性、私は確信持って重要だと言い切れます。だけれども、子供からはそういう親の努力への感謝というものが、残念ながら全くと言っていいほど感じられません(苦笑)。それにテストでいい点とれても、それで立派な人間になるかは全く別問題で、今の日本では東大出てる人間のクズがゴロゴロいて、そんな奴らが政治家や役人にたくさんなってるという話を今朝もしたばかりです。子供の中学受験が無事に終わり(これについては後ほど詳しいこと書く予定です。→コチラに書きました)、みんなが憧れるような学校に行けるからと舞い上がらず(最近、子供が傲慢になってきてて実はウチで困ってます)、これまで以上に身を引き締めて、「自分のために生きるだけのクズになるな」と、口がすっぱくなるほど、このところ子供に言い続けてます。

ちなみに漢字については小学校卒業レベルの漢検5級を4年生の頃に修了できました。子供に漢検を受けさせたのはこの時、一度のみです。中学受験勉強時に漢字については大して力を入れなくともいいよう、ひと通り済ませておきたいという思いが私にあったから、あえて中学受験に必要な小学校卒業レベルの5級を早めに終えさせていたわけです。ただ漢検については、中学受験に有効と思ってやらせただけで、今後受けることはないかもしれませんね。
漢検学習に使用した教材は、学研の『国語 漢字 中学入試の最重要問題』と、漢検では書き順が大きなウェイトを占めるため、小学館の『陰山メソッド 徹底反復 書き順プリント』というものです(詳しくは下の各画像クリック)。あえて漢検用の教材というのは購入しませんでしたが、ネットで漢検がらみの問題をいくつか拾い集め、漢検形式の試験に馴らさせるためやらせておきました。

      
さて、話を英語に戻しますが、うちの子は小学3年生で英検5級、4年生で4級、5年生で3級と獲ってきてます。一応、すべて一発合格です。英検3級ということはつまり、小学5年生で中学卒業(高校受験)レベルの英語を既に習得してることを意味します(右画像クリックで拡大)。当初は6年生までのうちに準2級まで終わらす目標だったのですが、塾での受験勉強が本格的になり、英検どころではなくなって結局、準2級は受けずに終わりました。そして中学受験も終わった今、3級までの復習をやり返し(ほとんど忘れちゃってるようです)、ようやく準2級受験のための準備に入ってます。

尚、高校生までの私自身は英語は偏差値70レベルで一番の得意科目でした。でも当時は英会話やヒアリングの教育というのが全然なかったし、大学(法学部)行ったら英語は大してやってないので、結局、実用的な英語はまるで出来ないというのが実情です。英検3級でもリスニング試験があるし、今の私は3級のリスニングさえ落ちそうに思ってます。ちなみに私自身は英検やTOEIC、TOEFL等、語学関係の試験は一度も受けたことありません。私の頃はヒアリングと言ってましたが、今は一般にリスニングと言ってるようですね。某社のヒアリングマラソン教材買っても結局やらずじまいでしたが、昔の英会話教材は今と違って会話内容や言葉遣いがよく、少し前にそれらカセットテープからCDに落としました。最近のNHK英語教材も見たことあるのですが、今の英会話教材も日本の学習資料同様、言葉遣いや題材がひどいんです。内容が乱暴で品が悪かったり、非常にフェミ臭かったりもして、いわば洗脳教材となってます。なので、英語教材も昔のを入手した方がいいですよ。昔から持ってるものは絶対にとっておいてください。

それでは、英検受験に当って、うちが実際に使った教材です。詳しくはそれぞれ文字または下画像をクリックしてください。

5級では旺文社の『英検予想問題ドリル』のみ。

4級では、一ツ橋書店というところの『英検合格!小学生のテキスト&問題集』と、旺文社の『英検予想問題ドリル』

3級では上記、一ツ橋書店『英検合格!小学生のテキスト&問題集』と、旺文社『英検予想問題ドリル』に加え、旺文社の『英検面接完全予想問題』を使用。

        
そしてすべての級で、上記に加え、英検サイトでダウンロードできる直近の過去問をやらせておきました。もちろん子供まかせでなく、勉強の仕方はすべて私が指示してます。テキスト読みの際は当然、子供に読み上げさせ、発音や読み方について何かあればこちらで指摘しながらやり、テキストが終わったら問題集に進むというやり方でした。
また英検教材とは別に、英語学習に楽しみを加えるため、ジェイ・リサーチ出版というところの『やさしい英語で読む 世界の爆笑物語』といったCD BOOKの類(詳しくは右画像クリック)を3年生頃から読ませたりヒアリングさせていたことを、一応つけ加えておきます。

準2級は結果もまだどうなるかわからない状況ではありますが、3級の時の3種の教材をそのまま使用していくつもりです。準2級までは発音等を間違って覚えないよう私の立ち合いの元でテキスト読み上げなどをさせ、問題集の進め方も指示していくつもり。2級以後は、「(とにかく)勉強のやり方を守れ」と言いつけ、もう子供自身で進めさせていく予定です(尚、一ツ橋書店の『英検合格!小学生のテキスト&問題集』があるのは準2級までで、2級以上はありません)。

最後に申し上げておきますが、英語教育に関心ない方は、今日の話は無視していいと思います。家で商売やってたり、手に職あれば英語なんて全く必要ないという方だってたくさんおられるでしょうし、子供達への日本の昔話などの読み聞かせは絶対に必要だと考えてますが、英語についてはあえて家庭でやらなければならないものでもないでしょう。どの家庭でも出来るというものでもないと思いますし、それより正しい日本語を守っていくことが英語教育なんかよりずっと大事だと思ってます。でも、余力ある家なら英語をどんどんやらせていいでしょうし、もしも高学歴なお母さんなら尚更。せっかくそれまでやってきた学習は自分の社会進出のためだったなんてのでなく、実は子供の教育のためだったというのであれば、十分納得いくのではないでしょうか。かつて武家の女性が刀の使い方を習得していたのは、自分が社会に出て輝くためなどではなく、男の子が出来た時に教えるためでした。たとえ子供に女の子しかいなくとも子孫さえ絶えなければ、いずれ男の子が生まれるでしょうし、たとえ子孫をまたいでも女の子はいずれ来るその時のため学習していればいいのです。自分が社会に出て子育てないがしろになれば子孫は絶えてしまいます。  (続き・英検2級に中一で合格!)

ナショナル パナカラー クイントリックス テレビCM(1974) 坊屋三郎
往年の松下電器、カラーテレビ普及時の有名なコマーシャルですね。外人は日本人のように正しい英語をしゃべれません(笑)

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(続き)◆英検2級 中一合格への道 ~ 続「子供の英語教育についてです」

◆本来の日本人の作法、立居振舞を子供たちに習得させましょう ~ 学校教育に責任転嫁したり期待しすぎてはいけません

◆武士の子女教育カリキュラム ~ 貝原益軒『和俗童子訓』より

◆“道徳教育”と称して進められる、これからの日本人家畜化教育について ~ もはや大多数の家畜化は逃れらない

◆うちの音楽教育

◆子供の中学進学にあたり ~ お受験レポート

◆1970年代初頭までの青春ドラマも見ておきたいね

◆日本が好きな親なら子供には教育勅語! ~ 小学生以上なら暗唱できるよう覚えさせてみませんか?

◆竹島を武力行使で即奪回せよ! そして、まずは容易に取り返せる古代における朝鮮半島の日本府“任那”を日本史上に奪還し、日本人に再教育せよ! ~ 韓土の日本領も奪回! 朝鮮半島にある前方後円墳

◆戦後の歴史教育を捨てよう。 歴史教育 再興 ① 永久保存版 戦前の国史(日本史)学習年表

◆わが子の育て方、しつけの仕方 ~ 母親のための人間学 家庭教育の心得

◆左翼教育者が持ち上げる、フランス革命を引き起こしたルソーの人間獣化思想 ~ ルソー生誕300年で、日教組やPTA左派が暗躍中

◆保育園拡充・幼稚園との一元化に発せられる、反日教育集団 日教組の思惑 ~ 保育園・幼稚園にまで、反日左翼教育の魔の手が及ぶ!

◆大日本帝国の唱歌を歌い継ごう! ⑧ 10月30日は教育勅語発布日 ~ 教育勅語を称える、唱歌『勅語奉答』を10歳の子供にピアノ弾き語りで歌ってもらいました!

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高貴だった日本女性 ~ 子供の想い出を胸に生きる
阿弥陀寺の比丘尼 小泉八雲『心』より

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(2020.10.27)
【あみだ寺の比丘尼(びくに)】
おとよの夫は、おとよのまたいとこで、たがいに思い思われた中で婿にきた男である。その夫が、領主に呼ばれて京へのぼった時、おとよは、ことさらさきざきのことなど案じもしなかった。おとよは、ただ心ぼそいと思った。が、両親もそばにいることだったし、それに、このことはじぶんではおくびにも出さなかったが、おとよには、生みの親よりもはるかに愛着の深い、小さなせがれがあったのである。のみならず、おとよは、ふだん自分のする用がたくさんある体だった。いろいろ家の切りもりにも当たらなければならなかったし、絹や木綿の機を織る仕事もいっぱいある身だった。
おとよは、日に一度ずつ、いつも決まった時刻に、留守の夫のために、夫がふだん寝起きしていたなじみのふかい部屋へ、きれいな塗りもの膳に手落ちなく整えた、蔭膳をすえた。蔭膳というのは、先祖代々の霊や神棚にそなえる、お供え膳のまねことのようなものである。このかげ膳は、いつも必ず、座敷の東側に供えられた。そして膳の前には、型のように、夫の敷きなれた座ぶとんが敷かれた。膳を東向きにするのは、夫が東の方へ旅立ったからである。おとよは、膳のものを下げる前に、いつも忘れずに、小さな汁椀のふたをとって、そのふたの内側に湯気がたまっているかどうかをあらためて見た。供えた汁椀のふたの内がわに湯気がたまっていれば、旅に出ている人は無事息災だというのである。湯気がたまっていないと、その人は死んでいるのである。つまりそれは、その人のたましいが食べ物を求めに帰ってきたというしるしなのである。おとよは、来る日も来る日も、椀のふたに、湯気のしずくが大きな玉になっているのを見た。
子供は、おとよが常住(じょうじゅう:永遠不変なこと)のよろこびであった。まだやっと三つであったが、この子は、よく神様でなければほんとの答えは御存知ないようなことばかり、好んで聞きたがった。子供が遊びたいといえば、おとよはいつもしかけた仕事の手をおいて、いっしょに相手になって遊んでやった。子供が眠くなると、おとよは、きまっておもしろい話をしてきかせたり、余人にはとてもわからないようなことを尋ねる子供の問いに、いちいち克明に答えてやったりした。夕方になると、仏壇や神棚に、小さなお灯明があがる。すると、おとよは、片言まじりに、子供に父親の無事を祈ることを教えてやるのである。そんなことをしているうちに、やがて、子供が床に寝つく。するとおとよは枕元へ仕事をもってきて、がんぜない子供の寝顔を、いつまでも、いつまでも、見守って飽きないのである。どうかすると、眠っている子供が、夢の中でにっこり笑ったりすることがある。それを見ると、おとよは、これはきっと観音さまが夢の中で、坊やといっしょに遊んでいらっしゃるのだとこころえて、「世上一切の祈願の音声(おんじょう)を常住に観じ給う」あの処女菩薩に向かって、さっそく口の中でお経の文句をとなえるのだった。
春になって、毎日、うち晴れた天気が続くようになると、おとよは、よく子供を負ぶっては、ダケヤマ(嵩山)へ登った。こういう遊山を、子供は大へんよろこんだ。あれは何、これは何と、母親からおもしろい物を見せてもらえるほかに、いろいろのおもしろい物を聞かしてもらうことができたからである。爪先あがりの細い径(こみち)が、藪や森の中を抜けて、だらだらとのぼっていく。ときには、草の生えた斜面を通ったり、そうかと思うと、おもしろい形をした岩の根かたを回ってゆくこともある。そうして、そこにはさまざなの物語をしべの奥にひそめた花だの、木精(こだま)を宿した大きな木だのがあった。山鳩がクルー、クルーと鳴いているかと思うと、土鳩がオワォ、オワォと悲しそうな声で鳴いていたり、蝉が、ミンミン、ジージー、カナカナ鳴いていたりした。

(略)

こうした参詣の日に、おとよと子供が家に帰りつくのは、いつもたいてい、夕闇が静かにあたりを立ちこめる頃であった。道のりもかなりあったし、それに往きも帰りも、町をかこむ渺々(びょうびょう)とした水田を小舟で渡らなければならなかったので、ずいぶんお練りの道中であった。そんなわけで、どうかすると帰りみちには、星かげや蛍火がふたりを照らすこともあったし、ときには月さえのぼることがあったりした。そんなとき、おとよはいつもしずかな声で、お月さまを歌った出雲の国のわらべ歌を、子供にうたって聞かせるのだった。

ののさん(あるいは、お月さん)いくつ
十三 ここのつ
それはまだ 若いよ
わかいも 道理
赤い色の 帯と
白い色の 帯と
腰にしゃんと 結んで
馬にやる いやいや
牛にやる いやいや

すると、あたりがとっぷりと水いろの夜に暮れきるまで、幾里も幾里も果てしなくつづく、一面の水田から、しずかに泡立つような蛙の合唱がわきおこってくる。まるでそれは、大地の底からわきおこるような一大合唱であった。おとよは、蛙のことばを、いつも子供に言ってきかせるのだった。――「ほらね、メカユイ、メカユイ。――目がかゆいよ、ねむくなったよって、蛙が鳴いてるだろ。」
そうして、こうしているうちは、なにもかもがほんとに楽しい時であった。

やがて、そうこうしているうちに、わずか三日のあいだに、永遠の神秘に属する生と死とをつかさどる神の摂理が、つづけざまに二度までも、おとよの心を打ちのめしたのである。まず最初に、おとよは、自分があんなにいくどとなく無事を祈ったやさしい夫が、とうとう不帰の客となった――この世の借りものである一切の形骸から、もとの塵にかえってしまったことを知らされたのである。それからまもない二度目の時には、おとよは、自分の子供が、漢方医の手でも醒ますことのできない、深い眠りについたことを知らされたのである。おとよがこれらの出来事をさとったのは、一閃(いっせん)、キラリとひらめく稲妻の光の中で、物の形をパッとさとったのと同じであった。そして、この二つの稲妻の閃(ひらめ)きと閃きの間も、それからその先も、ともにいっさいは神の慈悲なる絶対無明の闇であった。
やがて、その闇もいつとなしに去ってしまうと、ようやくのことで起き上がったおとよは、こんどは、「おもいで」という百年の仇敵に行きあった。この仇敵以外のものの前では、おとよは、あいかわらず依然と同じように、いつもにこやかな、愛くるしい顔をしていられたのである。けれども、この「おもいで」という客と差し向かいになると、おとよは、つくづく自分の無力を感じた。おとよは、よく畳の上に小さなおもちゃを並べてみたり、小さな着物を広げてみたりして、じっとそれを打ち眺めては、小声でなにか話しかけたり、物も言わずにひとりでにたにた笑ったりした。けれども、その微笑は、いつもかならずその果ては、激しいむせび泣きに終わるのが常だった。そうして、畳に頭をすりつけては、たわいもない問いを神仏にかけるのが癖のようになった。

(略)

こうして、春は去り秋は来たり、いくどかの季節が去っては来たりして、やがておとよの父親は、娘にもういちど婿を迎えてやろうと思い立った。そして、母親にいった。
「うちの娘にも、あれでもういちどせがれでもできたら、あれにとっても大きな喜び、わしらにとっても大喜びだがのう。」
ところが、物のわかった母親は、それに答えていった。――
「あの娘は、けっこうあれでしあわせでいますよ。再縁するなんて、とてもあの娘には思いもよりません。この節じゃ、すっかりもう、苦労も罪もなんにも知らない、ほんのねんねえになってしまいましたもの。」
おとよが、真の心の痛みを覚えぬようになったことは、事実だった。ところが、だいぶ前からおとよは、どんな品にかぎらず、きわめて小さなものに、ふしぎな嗜好を見せはじめていた。最初はまず、自分のふだん寝起きする蒲団が、どうもこれでは大きすぎると言いだしたのである。おそらくこれは、添い寝する子を亡くしたあとの、空虚な感じからいうのであったろうが、そのうちに、だんだん日がたつにつれて、他の品でも、何によらず大きすぎるように思われてきだしたのである。げんに、住んでいる家からしてがそれで、長年住みなれた座敷やら、見慣れた床の間やら、床の間にある大きな花瓶やら、――しまいには、日常つかう膳椀のような什器までが、大きすぎるように思われてきた。飯をたべるにも、おとよは子供の用いるような、ごくちいぽけな椀から、お雛さまのような箸で食べたがった。
こうしたことにも、おとよは、家では親たちから慈愛ふかく、なにごとも気まかせにされていた。そうして、ほかのことにはかくべつ変った選り好みはなかったのである。そんなわけで、年とった親たちは、暇さえあれば、しじゅう娘のことで、折につけては談合した。とうとうしまいに、父親がこんなことを言いだした。
「うちのおとよも、あの分じゃ、いまさら見ず知らずの赤の他人といっしょに暮らすのも辛かろう。といって、わたしたちももう寄る年なみだ。おっつけ、あれを跡にのこしてゆくことは知れている。まあ、あれひとりで身すぎとでもいうことになれば、まず尼さんにでもするよりほかに、道はあるまいぞ。どうだな、ひとつあれのために、小さな堂でも建ててやることにしては。」
そのあくる日、母親は、おとよに尋ねてみた。――
「おまえね、尼さんになるのは、おいやかい? 尼さんになって、小さな須弥檀(しゅみだん)だの、小さなご本尊さまをお供えしてさ、ごくもうちんまりとしたお堂で、おまえ、暮らす気はないかい? お父っあんやおっ母さんも、しじゅうそばにいてあげるんだよ。おまえがもしその気がおありなら、お坊さんにお願いして、おまえにお経をおしえていただくようにするけどねえ。」
おとよは、それを希望した。そして、ごく小さな尼の法衣を一枚こしらえてくれ、といって頼んだ。けれども、母親はいった。――
「そりゃおまえ、ほかの物なら、なんでも小さくしてこしらえて上げられるけれど、法衣だけはだめだよ。尼さんというものはね、大きな法衣を着なければいけないものなんだよ。お釈迦さまが、そうおきめになったんだからね。」
そういわれて、おとよはようやくのことで、よその尼さんたちと同じ法衣を着ることを承知したのである。

やがて、両親はおとよのために、むかしあみだ寺という大きな寺のあった境内に、一宇の小さな庵寺を建立した。そして、この庵寺も、おなじようにあみだ寺と呼び、名のごとく、あみだ如来を本尊に安置し、ほかの諸仏も勧進した。堂には、ごく小さな須弥檀に、おもちゃのような仏具をそなえた。ちいさな経机に、ちいさな経本、小さな衝立、ちいさな鐘、小さな掛け物などが、そこに並べられた。そして、おとよは、両親のみかまったのちも、この庵寺でながく暮らした。ところの人たちは、おとよのことを、あみだ寺の比丘尼と呼んだ。
おとよは、毎日、朝の托鉢(たくはつ)をすませてしまうと、小さな機台の前に坐るのがならわしであった。けれども、おとよの織る手織りの布は、とても満足な用には立たないような、織り幅の狭いものであった。それでも、おとよが織った手織り地は、彼女の身の上を知っている幾軒かの商店主が、きまって買いとって行った。そういう商店主たちは、おとよに、ごく小さな茶わんだの、小さな花瓶だの、庭におく枝ぶりの変った盆栽などを贈り物にした。
このおとよが、一ばんおおきな楽しみにしていたことは、子供たちと仲よしになることだった。それには、おとよはいつも事欠かなかった。いったい、日本の子供の生活というものは、たいていはお寺の境内で過ごされるもので、このあみだ寺の境内でも、ずいぶん多くの楽しい幼少年時代が過ごされたものである。おなじ町内の母親たちは、みんなこの寺の境内で、自分たちの子供を遊ばせることを好んだ。そのかわり、比丘尼さんのことを決して馬鹿にしてはいけないよと、子供たちにくれぐれもよく注意してやった。母親たちは、よく言い言いした。「どうかするとね、妙なまねをなさるようなことがあるかもしれないけれど、それは前に一度、あの比丘尼さんは、ご自分にかわいい坊ちゃんがおありになったのを、お亡くしになったもんだから、その辛さが、お母さんとして胸いっぱいにおありになるんだからね。だから、おまえたちも、比丘尼さんには、ようくおとなしくして、失礼のないようにしなくちゃいけないよ。」
子供たちは、みなおとなしかったけれども、相手を敬うという意味では、あんまり礼を欠かない方だとはいえなかった。固苦しい行儀を守るよりも、子供たちは、万事よろしきようにやることをこころえていた。それでもかんしんに、おとよのことを「比丘尼さん、比丘尼さん」と呼んでは、ていねいにお辞儀だけはするのだが、それはその時こっきりで、そうでない時は、自分たちと同じ仲間並みにあつかった。そして、一緒に仲間に入れては、いろんな遊びをするのだったが、おとよの方では、子供たちに小さな茶わんでお茶を出したり、豆粒ぐらいな餅を山とこしらえてやったり、そうかと思うと、子供たちの人形の着物に、木綿や絹の布地を、わざわざ織ってやったりした。そんなわけで、おとよは子供たちにとって、肉親の姉のようになった。
ところで、そうやって毎日のように、おとよと一緒に遊んでいた子供たちも、いつのまにか、おとよと昔のように遊ぶには、もうすっかり成人した大人になってしまい、あみだ寺の境内を去って、それぞれ世の中の辛い仕事にたずさわるようになり、やがて父となり母となって、こんどは自分たちの子供を代りに遊びによこすようになった。そして、そういう子供たちも、親たちがしたと同じように、みんな比丘尼さんのことを好くようになった。こんなふうにして、あみだ寺の比丘尼は、このお寺が建てられた時分のことをおぼえている人たちの、子供や、孫や、曾孫たちといっしょに遊ぶまで、長生きをしたのである。
近所の人たちも、おとよが不自由な思いをしないようにと、何かにつけてよく目をかけてくれた。そんなわけで、おとよのところには、いつでもおとよが自分一人で事足りる以上の、余分な喜捨があった。したがって、おとよはそれらの子供たちに、なんとか思うままの親切をつくしてやることができたし、犬・猫のような動物などにも、ありあまるほどの餌をやることができた。小鳥たちは、お堂の中に巣をつくって、おとよの手から餌をついばんだ。おとよは、そういう小鳥たちに、仏さまの頭などに止まってはいけませんよ、といって教えた。

おとよの葬式がすんでから、幾日か経った後のことである。ある日、わたくしの家へ大ぜいの子供たちが、打ちそろって訪ねてきた。九つばかりの女の子が、みんなに代って、次のように述べた。
「おじさん、わたいたち、お亡くなりになった比丘尼さんのことで、お願いがあってきたんやで。比丘尼さんのお墓に、大へん大きなお石塔が立ったの。とても立派なお墓やわ。でも、わたいたちも、みんなして、ごく小さな小さなお墓をひとつ立ててあげたいと思うんです。比丘尼さんがまだ生きてござった時分に、お墓ならごく小さなお墓が好きやて、よくいうてござったでね。で、石屋さんに聞いたら、お金さえ出せばこしらえたる、いいのをこしらえたる、いうんです。そげすて、おじさん、おじさんもいくらか出してごすなさいな。」
「ああ、出しますとも」とわたくしは言った。「でも、あんたがた、これから、遊ぶところがなくなってしまったでしょう。」
すると、女の子は、にこにこ笑いながら、答えた。
「いいえ、わたいたち、やっぱりあみだ寺の御境内で遊ぶわ。比丘尼さんは、あすこに埋められてござるでね。きっと、わたくしたちの遊んでいるのを聞いて、喜んでごしなさるわ」

◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆

ずっと前から載せたいと思っていた、私がとても心をつき動かされたエピソード。何度か紹介していますが、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の『東の国から・心』(恒文社)より(詳しくは右画像クリック)。

昔は独身となった女性は出家して尼になる人も多かったわけですが、今はその選択肢さえ難しくなりました。こんな時代でも、実際に尼になれたような人はある意味、恵まれてるように思えます。

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◆この上なく高貴だった日本女性 ~ 明治の武士

◆本当の浦島太郎は……

◆“男の浮気” と “子供の死” には覚悟をしておいた方がいい ~ 本当に強い女性とはこういうこと。女としてのポジション確認

◆武士の子女教育カリキュラム ~ 貝原益軒『和俗童子訓』より

◆子育て、死生観が変わる。読んでおきたい日本の古典 ~ 『土佐日記』と、一茶の俳句

◆失われた日本人の精神性と天皇の祈り① ~ 信仰とは信条を持つこと。神を信じる否かは関係ない ~ 母と子が父の無事を祈る『里の秋』

◆「イケメン」なんて言葉は朝鮮語! 日本語にそんな言葉ありません!~ 貧脳になる、マスコミが流行らせた使ってはいけない言葉

◆ヘナチョコ男とパッパラパー女はいらない ~ 命とは尊く儚いもの

◆ブースカとロボコンを見てる子はいい子に育つ!

◆映画『Sayonara』 愛を貫いて死を恐れない、ヤマトナデシコ~ 変れば変るもの。日本人の美意識

◆幼い子には、やっぱりお母さんの子守歌を毎晩、聴かせてあげましょうね!

◆失われた日本人の精神性と天皇の祈り③ ~ 日本人の精神性は世界随一であった

◆フランス革命ネタです。“暗殺の天使”シャルロット・コルデーと「マラーの死」

◆アバズレ主婦増産のため、左翼マスコミからの贈り物

◆わが子の育て方、しつけの仕方 ~ 母親のための人間学 家庭教育の心得

◆そもそも、生きるとは辛いもの ~ ピープル・ハブ・ザ・パワー

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