日本の面影

Glimpses of Japan
失われる日本人の精神性に、将来を憂う  リンクフリー

仏教も乗っ取る、反日・フェミ・同和・在日朝鮮人 キチガイ勢力の猛威
~ 部落差別につながるからと、廃止が進められる“お清めの塩”

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(2020.1.13)
いつもありがとうございます。
先日、コチラでも紹介した奄美の本がおもしろいんですね。再びその本から。
長田須磨『奄美の生活とむかし話』より。詳しくは右画像クリック)

【塩でお祓いをすること】
十年間も仲良く暮らしていたのに、その夫婦には子供がありませんでした。ある時、妻が夫にいいました。
「私どもには子供が恵まれないので、もしどちらかが先に死んだら埋葬しないで、大きなかめに水漬けにして納戸におくようにしましょう。そうすれば残されたものもさびしくないでしょう」
夫も、もちろんそれに賛成しました。それから五年たったある日、妻が急病にかかって死んでしまいました。
夫は妻との約束どおり、大がめに水を入れて、その中に妻をつけて納戸におくことにしました。
それから四日経ちました。夫がひとりでさびしくしていると、突然、納戸から「いるか」と妻の声が聞こえてきました。夫はびっくりして「いるよ」と答えたのでした。それから十分おきくらいに「いるか」「いるよ」問答がくりかえされることになって、夫は毎日、へとへとにつかれる毎日を送るはめになってしまいました。
そんなある日、塩売りのおじいさんがやってきました。夫は大喜びで、おじいさんにいいました。
「おじいさんの塩を全部買いましょう。だが金を人に貸してあるので、それをとってきてからはらいます。帰ってくるまで、るすをたのみます」
塩売りのおじいさんも喜んでるすを引き受けました。夫はもうひとつ、
「それから納戸から、いるか、と声がかかったら、いる、といってください」
といいおいてから出かけていきました。
おじいさんは、いわれたとおり「いるか」「いるよ」の問答をつづけているうちに、とうとうめんどうになってだまってしまいました。すると、
「いないならでていくぞ」という声とともに、かめの中から女の幽霊が出てこようとしたのでした。おじいさんはびっくりして、もっていた塩をそのかめを目がけてまき散らしますと、それっきり声はしなくなりました。
やがてもどってきた夫は、塩の代金と礼金をおじいさんにわたしました。やがて夫は後(のち)ぞえをもらって円満に暮らしたということです。
それから塩で、けがれを祓(はら)うようになったのです。

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(2015.12.27)
大安、仏滅…六曜「差別につながる」 カレンダー配布中止、大分2015.12.25 産経WEST
大分県や佐伯市などは25日、カレンダーや冊子に大安や仏滅といった「六曜」を記載していたとして、配布中止などの対応を取ったと明らかにした。県人権・同和対策課は「科学的根拠のない迷信を信じることが差別につながる場合がある」と説明する。

7万部近く作ったが…「大安」もダメ!?

六曜は古代中国で生み出されたとされ、日の吉凶に関する習わし。平成17(2005)年にも人権団体からの指摘で、大津市の職員互助会の職員手帳が問題になった例がある。

・・・杵築市はカレンダー1万2千部を25日に市内の全世帯に配布する予定だったが、六曜を削除して作り直すことを決め、臼杵市役所に事務局を置く「市農業者年金協議会」は会員らに配ったカレンダー約230部の回収を始めた。

◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆

別に私も六曜を気にするようなタイプでは全然ないけど、それでもそういうことが記載された暦には“日本”が感じられていいと思う。
「大安」「仏滅」等の言葉まで問題視するような者ども、お清めの塩にイチャモンつけてる連中と根は同じだよね。
日本人が宗教に無知、あるいは宗教を中途半端にしか理解してないから、こんな文句言われただけで「ハイ ハイ」とすぐに引き下がってやめてしまう。これを繰り返してたら、これまで培われた伝統なんていずれ消滅してしまいます。おかしな連中に叩かれただけで取りやめることが状態化したら、役人も政治家も事なかれ主義の骨のない人しかいなくなる。

大体、日本人的でない異教徒はこんなことに口を挟む資格ないわけで…… この程度のことが糾弾されて取りやめさせられる横暴がまかり通るというなら、役所等が鯉のぼり立てたり、ひな壇飾ったり、七夕の飾りつけするのだって、いずれナンクセつけられて全廃に追いやられるでしょう。日本のお祭りだって…… 今はその地ならしが奴らによって進められている。
異教徒・異邦人(中身が日本人でない連中含む)はダマってなさい! 役人はそんな奴ら相手するな!

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(2015.4.17)
実は先月、母が他界して、福岡の実家に帰ったりで神経が疲れましたが、その時の葬儀に思うものがありました。
実家とは宗派も異なるのですが、今の私の家では既に生前墓地を作ってあって、そこで葬儀したらどうなるのかな、なんて考えたりして…… 私のは浄土宗系の寺なのですが浄土宗の公式サイトを見てみたら、あまりにひどい内容で愕然としてしまいました。時々届く会報のようなものも、やたらと「世界」を連呼してたりで何かイヤなものは前々から感じていましたが……

私にとっては、とっても久しぶりの葬儀だったのですが、前と違って何に違和感持ったかというと、私が子供の頃は葬儀の後、家に戻った時、家に入る前に塩を体に振りかけられてたんですね。けれどこの度、他の親戚たちと話してたら、今は「死は汚いものでないから、塩を撒かないようになってきている」と言われ……私はこの言葉に「エッ!?」と、何かイヤなものを感じて、ウチに帰ってきて早速、塩が撒かれなくなった経緯を調べてみたら、やっぱりこういうところにまで、こういう奴らが暗躍してるのかって、いつもながら私の勘の鋭さに感嘆してしまいました ^▽^;

葬儀の後の「清めの塩」を、部落差別などにつながってるからと糾弾
お清め塩の廃絶を目論む、狂気の同和、在日、フェミ左翼集団!


【浄土宗のサイトより】
清めの塩をなくした理由が浄土宗公式サイトに載ってました。塩を撒くのは、何と同和部落差別につながってるなんて超絶コジツケされてるではありませんか!
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【清めの塩について】 http://jodo.or.jp/jinkendowa/kiyomenoshio.html

「清めの塩」という慣習は、この「塩」の作用に注目して始まったものと考えられ、「災い」や「穢れ」から、塩の殺菌作用を浄化作用として用いることにより「清め」て、自分は免れるという発想から生まれたようです。
しかしながら、今日では単なる迷信であり気休めであると言い切っても構わないでしょう。
(略)
「畏れ」や「穢れ」の観念は、同和問題において重大な意味を持ちます。「穢れ」という考え方が即差別につながるものではありませんが、社会の制度として取り入れたのが部落問題の根源であると言えます。

なぜ差別が起こるかということを考える時、「清めの塩」もそうですが、他人より少しでも優位であろうとする、人間の本質的な衝動にその源があるのです。

自分の心の内側を見つめることは、差別をなくすために大切なことです。従って「清めの塩」は、単に慣習であると理解し、私たちお念仏を信じる者には不要な行為と考えましょう。
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奴らはこうやって、昔からの伝統的価値観、習わしを、差別的で非科学的だなどと批判をなし、日本の精神的儀礼をとめどなく破壊していってるわけです。

これを読んだだけで、ここの読者なら、「同和(や朝鮮人)が騒いでるのなら、尚更、こりゃ葬儀後には体に塩をかけるべきだな」と思われることだと思います。

それとなぜ私が身を清めることにこだわるかというと、日本神話の言い伝えも重視しているからです。死んだイザナミを連れ戻そうと黄泉の国に行ったイザナギは、殺されそうになった後、死者の国 黄泉の穢れを洗い流したことで、アマテラスやスサノオら偉大な神様を産むわけですね。黄泉の国と死臭……つまり、「死」は新たなものを生み出すにあたって必要なものであったわけですが、それはただ黄泉の国に行けばいいというのではなく、穢れを落とす作業がないと、新たな命が生まれてこなかったことを意味してるんです。
だから、特に子供を産む女性はもちろん、子供だって男性だって、葬儀の後には絶対に身を清めた方がいいのだと私は読み解いてます。死は、別に汚らわしいものでないというのは理解できますが、けれども、それを新たな命につなげるには、何かで浄化する儀式が必要なんだということです。
だから私の読者でしたら、葬儀の後はぜひとも必ず体に塩を振りかけてからお家に入ってくださいね。昔は清めの塩というのが葬儀でよく配られたものですが、今では殆どそういうのはなくなってしまったようです。今回も東京に帰ってきてスーパーで塩を買い、玄関先で皆、体に塩を振りかけてからお家に入りましたよ。特に子供たちは、これから健康な子を産み育てなければならない大事な身、尚更、この儀式が絶対に必要に思います。

今の日本の少子化傾向に、清めの塩の儀礼がなくなったことが全く関係ないと言い切れるでしょうか。別れる間際、「生まれてくる人々をたくさん殺してやる」と言い放った女神 イザナミに対して、「それならより多くの子供を産んでやる」と言い返した男神 イザナギの心意気を大切にしましょう。黄泉の国のイザナミの力が強くなりすぎると、バランスが崩れ、きっと日本人は衰退します。

葬儀の後の清めの塩をかけないようにというのを、わざわざ宗派を超えて辞めさせるための協定まで結ばせた勢力さえいます。なぜ奴らが(同和・在日朝鮮人等反日団体が中心になって)ここまでして、「差別を助長する行為だ!」とわけのわからないナンクセをつけ、葬儀の後の清めの塩の儀礼を廃絶させようとしてるのか、考えられてみてください。

また日本は、仏教徒でも初詣には誰もが神社参りするほど、数々の神社がどこにでもあるような、世界でも稀有な神仏融合のうまくいってる国であったはずですが、この浄土宗のサイトでは、「このことは仏教とは何の関係もない神道から来ている」等と主張されてる部分が何かとあったりで、やたら神道を敵視してる論調も見られました。こういうところに左翼や国際金融勢力の、民衆や組織同士の対立を煽ろうとする巧みな情報操作が強く見受けられます。

このこと以外にも、浄土宗には人権同和室なんてものまで設置され(コチラ参照)、そこの見解は、「どこのフェミ・反日団体なんじゃい!」と思えるほど、ひどい内容で満ちてます。

セクハラは人権侵害だと認めないと、時代の流れに取り残されるとのたまう
教義に関係ない主張を喚き散らす、仏教団体に巣食っている女権カルト平等信者たち

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【セクシャル・ハラスメントについて それは“レッドカード”!】
(浄土宗公式サイトから) http://jodo.or.jp/jinkendowa/sexual_harassment.html

世界人権宣言は採択から60年を迎えました。その取組みは年々前進してきています。
今回は、多用な人権問題(差別問題)の中でも、身近なセクシャル・ハラスメント、女性差別問題について考えてみましょう。
我が国においては女性差別撤廃について、1986年男女雇用機会均等法(1999年・2007年大幅改正)、同じく1996年6月には男女共同参画社会基本法が施行されました。
またこの頃の1989年、「セクハラ」という言葉が流行語大賞を受けました。
「それってセクハラ!!」と指摘すると、「何いってるんだ!」という言葉が平気で反ってくる、そんな時代でした。
たとえば、服装について「センスがない」などの発言を平気でしたり、職場内で男性同士が性的な会話を繰り返したり、また女性の容姿や肉体に関することをあれこれ言ったり、さらには挨拶で「スピーチとスカートは短い方がいい」なんていうことも平気でした。
それから20年・・・・・この種のハラスメントは人権侵害と位置付けられ、それはとりもなおさず女性差別問題という共通の理解が定着しました。

したがって「まだ結婚しないの!?」
「仕事なんかやめてお嫁に行けば!?」
「結婚しても働くの!?」
「子供はまだ!?」
といった心ない言葉は、今では自分の「無知」をさらけだすことになります。

何がセクハラにあたるのか、その定義はむずかしいところですが、いずれにしても、上記のような例は“レッドカード”なのです。

私たちは「差別をしない感性」と共に、「差別を見抜く感性」を身につけ、時代の変化に素早く対応をしていかないと、周りから取り残されてしまいます。
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本来、宗教というのは時代の流れに左右されない確固たる精神基盤を築くためのものであるはずなのに、キチガイ フェミや左翼の推し進めた、日本解体政策の最たるものである男女雇用機会均等法や男女共同参画法がやたら持ち上げられてます。“セクハラ”なんて、人々の対立を煽って、日本分断工作を推し進める国際フェミ左翼勢力に押し付けられた造語、なんでこんな、本来なら仏教教義とは何の関係もないようなことを、デタラメなコジツケ解釈なして、公式見解として認める必要があるのでしょう。今の仏教界の僧侶たちの精神性の底の浅さ、幼稚で近視眼的な主張を繰り広げる暴力的な勢力に容易に取り込まれてしまう危うさを如実に示しています。

浄土宗の怒涛の反日・左翼的、カルト人権・平等を主張する論文はさらに続きます。

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【浄土宗平和アピール】 http://jodo.or.jp/jinkendowa/jodo_heiwa.html

(略)
わたしたちは、そのこころを受け、浄土宗が世法(せほう)の国策に従いいかなる言動を行ってきたか、歴史的検証を行うことこそ、世界平和の実現に、あらためて必要なことだと確信します。

わたしたちは、自らの愚(おろ)かさを自覚したうえで、戦争責任について自省(じせい)し、アジア太平洋地域の人々の人権と尊厳を侵し、戦争による惨禍と多大なる犠牲を強いたことを、ここに深く懺悔(さんげ)します。

わたしたちは、法然上人の念仏の教えにより、再び同じ過ちを犯さないこと、すなわち被爆国広島の地において非戦(ひせん)・非核武装(ひかくぶそう)を誓い、未来に向かって慈(いつく)しみにあふれた共生(ともいき)・平和の社会を創るために行動することを、ここに宣言します。
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【浄土宗21世紀人権アピール】
http://jodo.or.jp/jinkendowa/21c_jinken/index.html

わが国では、日本国憲法のもと、すべての国民は基本的人権の享有を妨げられず、個人として尊重され、法の下に平等です。しかしながら、21世紀を迎えた今日においても同和問題をはじめとして、民族・人種・性別 ・障害などによる差別や人権問題が未だに克服されていません。


国際連合では、21世紀を人権の世紀とするために、1995年から2004年までを「人権教育のための国連10年」と宣言し、人権文化を築きあげる活動が世界各地で進められています。
このような動きを受けて、わが国においても人権教育・人権啓発を重要課題として取り組んでいます。
ときあたかも、浄土宗では『21世紀浄土宗劈頭宣言』を発表し、宗祖法然上人の念仏を通した真実の生き方を世界に広げ、共生社会を具現することを宣言いたしました。

しかしながら、浄土宗には、開宗以来800年余の永い歴史の中で、み教えに反して時代と迎合し「差別 戒名」を付与するなど、差別に加担した消すことの出来ない恥ずべき事実があります。残念ながら、現代においても浄土宗教団の中に差別 の体質が残っており、これらのことを率直に認め反省せざるを得ません。それは近年、本宗僧侶による差別 事件が起こったことでも明らかです。

わたしたちは、このようなことを深く懺悔するとともに、あらためて宗祖の万人平等の教えに立ち返り、同和問題をはじめとする全ての差別 問題に対し、固有の経緯等を十分認識し、その解決に取り組まなければなりません。
そして、今こそ、地球上に住む全ての人々が自由で平等に生存する権利を確立し、豊かな社会を築いて行けるよう、釈尊の教え、法然上人の導きのもと、手と手をつなぎ、その輪を広げて行くことこそが、わたしたちの果たさねばならない使命なのではないでしょうか。
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【浄土宗としての部落差別問題に対する考え】
http://jodo.or.jp/jinkendowa/buraku_discrimination.html

法然上人を宗祖と仰ぐ浄土宗は、21世紀を迎え、平和、環境、倫理、教育、人権、福祉などの諸問題に取り組み、住職、寺族一丸となって法然上人の心を家庭に、社会に、世界に広げていくことを誓い、宗祖法然上人の念仏を通した真実の生き方を世界に広げ、共生社会を具現する「21世紀浄土宗劈頭宣言」を発布しました。
その劈頭宣言をうけ、人権教育 ・人権啓発を重要課題として取り組みを進めるため浄土宗においても、21世紀を人権の世紀と捉え、すべての人々の幸せを願って「浄土宗21世紀人権アピール」を発表し啓発活動を進めてまいりました。

しかしながら、教団には永い歴史の中で、宗祖のみ教えに反して時代に迎合し「差別戒名」を付与し、今なお、すべての差別戒名墓石を改正出来ない現実があります。また、近年本宗僧侶による差別事象が起こったことでも明らかなように、浄土宗教団の中にある差別の体質が改善できていない状況です。
部落差別は、人間の自由と平等という基本的人権の侵害に関わる社会問題であり私ども浄土宗僧侶は、宗祖の説かれた「愚者の自覚」に立ち返り「共生」の教えのもと、平等化他行を実践し、部落差別をはじめとする一切の差別を許さない教団として、地球上に住む全ての人々が自由で平等に生存する権利を守り、平和で豊かな社会を築いて行けるよう、手と手をつなぎ、その輪をひろげていくことこそが、わたしども教団が果たさなければならない使命であり、教団を上げて取り組んでまいりたいと存じます。

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このように浄土宗のサイトは、どこの左翼・反日団体? どこの同和・在日朝鮮人団体のサイトかと思えるような、ア然とする内容で満ちてます。
しかも、この浄土宗には、モロに人権同和室や平和協会http://jpa.jodo.or.jp/なんてのまであって、正に反日左翼団体そのままの連中が本尊事務局に巣食って牛耳っているようですね。
日本のキリスト教団に強大な反日勢力が既に巣食っていること、ここで詳しく触れてますが、仏教も完全に狙われてます。有力な宗教や政治団体は必ず狙われるのです。

浄土真宗や禅宗や日蓮宗とかも、きっとどこも同じでひどいことになってるのではないかという気がします。浄土真宗はさらにひどく、同和・部落団体の主張に同調して、清めの塩廃止に早くから熱心に取り組んでたとか。
ウチと同じように、檀家として特に関わってるところある方は、ヒト事では済まないでしょうし、一度確認されてみた方がいいと思います。
そしておかしなこと書かれてたり、変な兆候があるようでしたら、実際にお寺や本山へ抗議の声を届けることも必要に思います。
ウチの浄土宗についても本山や有力な寺院へ、公式サイトを見たところ、変な勢力が蔓延ってるぞ、ということで抗議していってみようと思います。

『元祖 天才バカボン』(1975)より 「死んだ ザマミロ ナンマイダ」
少し前に子供がこれ(オリジナル「天才バカボン」から「元祖 天才バカボン」)をしばらく見てました。赤塚漫画は確かに凄く面白いのですが、ナンセンスがすぎてて、子供がこれ見てマネするとパッパラパーになります。けれど単なるギャグ作品に終わらず、時にノスタルジックなところも中にはあったりで、なかなか捨て置きがたい作品なんですね(詳しくは右画像クリック)。
私の母の葬儀で和尚さんがお経読んでる最中、何とこの動画の場面をフッと思い出してしまい、思わず「ブッ」と吹き出しそうになってしまいました (*ノ▽ノ) 私が子供だった当時は興味もなく殆ど見てもいなかったのですが、この『元祖 天才バカボン』は再放送での視聴率まで20%を超えるなど、継続的に大変な人気があったようです。

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◆最も有害なのは反日法案より今のフェミニズムだと早く気づいて!~ 聖書を曲解、悪用してフェミニズム運動に利用する狂ったキリスト教団

◆萌え系 日本神話がひどい件

◆「原爆は天罰!」公明党=創価学会教祖 池田大作の歴史観~朝鮮人の発想だろ

◆「女は若い時に結婚して子供を産むべき」と発言した市議に謝罪させるのでなく、それを女性蔑視・人権侵害と騒ぐ連中こそ退場、粛清すべき!

◆神棚と天照大神について ~ 日本神話 “アマノイワト”伝説の美しい絵本から

◆イザナギとイザナミに見る、日本における男女のあり方 ~ 日本神話を題材に

◆失われた日本人の精神性と天皇の祈り② ~ 何事も試練として受け流す

◆四国各所でハングルのシールが貼られまくり、それを剥がすよう促した紙が貼られていたということですが

◆「道主貴(みちぬしのむち)」 玄界灘の三女神を祀る宗像大社を訪ねて

◆消されたウィンピーとキチガイ博士 ~ なんでもかんでも差別! 言葉狩り? 殺されるイメージ表現

◆アンパンマンやなせたかしと人権左翼や狂った法務省との深い関わり

◆DVやセクハラは存在しないが、虐待は存在する ~ 女権洗脳の次に来る、子供の権利洗脳

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この記事に対するコメント

  • 【前サイトURLのこの記事へのコメント】

    まあ、あの創価学会だって、一応は仏教ですからね
    もはや何でもアリの世の中ですなあ(-_-;)
    通りすがり | 2015/04/17 3:54 PM

    いつも、ありがとうございます。
    お母様のご冥福、心よりお祈りいたします。
    馴染みのある宗派ですが、地域によって偏りがあるのでしょうか。
    抜粋された内容をザット拝見させていただきましたが、気持ちが落ち着いたり、ありがたくなるような感じではなく、どちらかと言うと、攻撃的なエネルギーを感じてしまいました。
    お寺でこんなお話を今まで聞く機会は皆無だったので、ほんとうに驚きました。
    お寺の大切な役目は、仏道を伝えることだと思うのですが・・。
    ひよこ | 2015/04/17 7:14 PM

    六曜が根拠あるかどうか知らんが、迷信を信じる日本人への差別だろ。
    うどんかるた「強いコシ色白太目まるで妻」でも、一件の苦情で回収騒ぎになったけど、内容そのままで販売。
    おいでまいでは、「色白でスタイルの良い女性」が問題になったけど。スタイルの良い悪いは人それぞれだろう。
    ねるとなあじゅ | 2015/12/27 10:44 AM

    少し前(2017年7月)のテレビ番組で「お墓参り検定」としてお墓参りの正しい作法を紹介する中で、お清めの塩の話が出ていました。
    “検定”なので問題形式だったのですが、結論としてはお墓参りの後のお清めの塩は必要ないとのことでした。
    私も「お墓参りの後はお清めの塩はしないよなぁ」と思いましたが、出演していたお坊さん曰く、お清めの塩は神道由来のもので、仏教にはもともと穢れという概念はない、よって仏教のお葬式では例えお清めの塩を貰ったとしても振る必要はない、とのことでした。「え、お葬式の後も必要ない?」と疑問に思いました。
    これって、今後お清めの塩という文化、習慣を無くす、もしくは差別と絡めて糾弾していく流れの第一歩(いや、もう二歩、三歩目?)なのかも・・・?と感じました。
    (サファイアさんが記事にお清めの塩のことを書いていたのを知っていたので、注意深く聞きました)
    サファイアさんの驚異のアンテナによる気付きから二年、ついにお清めの塩の件がテレビデビューしましたね。
    他にはお墓参りで写真を撮影してSNSにアップして良いかどうかで、「良い」と言っていて、それがきっかけでSNSを見た人がお墓参りをしなくちゃなと思ってくれれば良いと、それと個人情報が卒塔婆などに書いてあるのでその点を注意するように、とのことでした。
    私だったらお墓の前でイエーイって写真は撮りたくないし、墓地で写真を撮る気にならないし、記念として撮ったとしてもその写真をSNSにアップする人の気が知れないのですが・・・。
    ちなみに、テレビ番組は「林修の今でしょ講座 お墓参り検定2017」、浄土宗光琳寺の副住職・井上広法先生によるお話でした。
    葉っぱ | 2017/08/28 9:04 PM

  • 最近よりこの傾向が強まりましたね。哲学や文学の忘却と共に偽科学や憶測による偽情報がより出回ってしまいましたね。

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