日本の面影

Glimpses of Japan
失われる日本人の精神性に、将来を憂う  リンクフリー

この上なく高貴だった日本女性 ~ 明治の武士

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(2020.1.15)
下記は、前にも紹介した、小泉八雲『東の国から・心』(恒文社)より(詳しくは右画像クリック)。
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【勇子】
――ひとつの追憶――
    明治二十四年五月

誰か世に烈婦を見いだしべけんや。烈婦は価高くして、津津浦浦にいたるも、容易にあることなし。 ――ラテン訳聖書

「天子様御心配。」天の御子が宸襟(しんきん=天子の心)を悩ませたもうておられるのである。
町には、いつにない、異様な静けさがあった。万民、ことごとく喪にあるごとき、粛然たる静けさである。
(略)
「天子様御心配。」このお触れを聞いたとき、とっさに勇子の心に、響きの応ずるごとくにうかんだ考えは、自分もなにか献上したいという、燃えるような願いであった。――この願いは、矢も楯も待っていられないほど、抑えがたいものであったが、しかし、自分はいま、他家に奉公中の身である。自分のものといっては、一物も持っていないのだから、せめてお給金のうちから、ごく少しずつでも貯金でもしないことには、とうていそれは、望んでも甲斐ないことであった。けれども、それでもなんとかして、という願いは、かたときも念頭を去らない。
(略)
夜が明ける。勇子は、お日さまをおがむ。さて、早朝のしごとをすませてしまうと、勇子は、しばらくお暇を下げていただきたいと申し出た。それが許された。やがて、勇子は、とっておきの一張羅の晴着を着て、よそゆきの派手な帯をしめ、はきおろしの白足袋をはく。天子様に自分の一命をささげるのに、これならこどから見ても恥ずかしくないという身なりをととのえるためである。それから一時間ののちに、勇子は、すでに京都をさして旅にのぼっていた。汽車の窓から、勇子は、うつりゆく景色を眺めて行く。天気は上上吉である。はるか遠いかなたの方は、うっとりと眠くなるような春霞が、うす青くたなびいて、よもの眺めはいかにものんどりとしている。勇子は、遠い自分の先祖がそれを見たと同じように、生まれた国の美しい景色を眺めながら行った。西洋人の目には、古い日本の絵巻物に繰り広げられる、妖しい美しさによる以外には、見ることのできない、この国の美しさである。勇子は、しみじみ、生きていることのよろこびを感じた。が、しかし、その生が、自分が生きながらえることができた場合、さきゆき、どんなにそれが貴重なものになるだろうかということは、夢にも考えないのである。自分が死んだのちも、世界はあいかわらず、いままでのとおり美しいままでのこるだろうと考えてみても、べつに、どうといって悲しい気持もおこらない。仏教徒の厭離遁世などという考えも、べつだん、勇子の心を圧してはいない。ただひとすじに、勇子は、昔からある神道の神々に、わが一身をゆだねているのである。その神々は、いまも車窓から見える、鎮守の森のうすぐらい奥、小高い山の上の古い社から、にこやかな微笑を勇子におくっている。それが、みんな、あとへあとへと飛んでゆく。そうして、おそらく、そうした神々の中で、ただひと柱の神だけが、いま勇子のからだに宿っているのだ。
(略)
自分が死んで、黄泉(よみ)の国の家の広座敷で彼女の来るのを待っている身内のものに逢えば、まっさきに、こういわれるだろう。――「おぬし、よくぞやったのう。――それでこそ、サムライの娘じゃ。さあ、上がれ!こよいは、そなたのために、神々もわれわれとごいっしょに御会食下さるぞ!」

勇子が京都に着いたのは、昼であった。彼女は、なによりもまず宿を見つけて、それから、腕のきいた女髪結の家をさがした。
「おそれいりますが、これをよく研いでいただきたいのですけど……。」そういって、勇子は女髪結に一挺の小さな剃刀をわたした。(剃刀というものは、女の身だしなみには、なくてはならぬ道具である。)「研ぎ上がるまで、わたくし、ここで待っております。」そういって、勇子は、いま買ってきたばかりの新聞紙をひろげて、帝都の記事を読みはじめた。勇子が新聞を読んでいるあいだ、店のものたちは、親しずからにうっかり声もかけられないような、しとやかなうちにも、どことなく犯しがたい、凛としたところのある勇子のようすに気おされて、みな、ものめずらしそうに、彼女のことを遠巻きに眺めていた。勇子の顔は、がんぜない三つ子のそれのように無心であったが、新聞に出ている聖上御憂慮の記事を読んでゆくうちに、肚(はら)のなかでは、しきりと先祖の御霊(みたま)がちくちくとうごいていた。「早くわたしにも時節がくればいい。」これが、先祖の御霊に答える、彼女の存在であった。「でも、なにごとも、早まっては駄目。じっと待つこと、じっと待つこと。」やがて、注文どおり、手落ちなく研ぎ上げられた小さな剃刀をうけとると、勇子はわずかばかりの代をはらって、それから宿へ帰ってきた。
宿で、勇子は、二通の書面をしたためた。一通は、自分の家にあてた書き置き、一通は、帝都にある高官にあてた、りっぱな訴願状で、これには、自分は数ならぬ賤(しず)の身であるが、正(まさ)なき非行のつぐないのために、みずからすすんで、うら若い一命をささげまつる。願わくは、わが微衷のほどを酌まれて、どうか天子様には御宸襟のおん悩みをしずませられ給えかしと、切々の祈りが書きこめられた。
勇子が、ふたたび宿をたちいでたのは、夜の引きあけの、ちょうど空もまだ今が暗いさなかという時刻であった。おもては、墓地のようにしんとしずまりかえっていた。町の灯かげもちらりほらりで、その光りもうすれていた。自分の下駄の音だけが、いやに高く耳につく。見ているものは、星のかげばかりであった。
まもなく、御所の奥ふかい門が、勇子の目のまえにあった。まっくらなその影のなかへ、勇子はそっとしのびいって、口のうちに祈祷をとなえながら、そこにぴたりと跪坐(きざ)した。それから、古式のとおりに、丈夫で、しなやかな絹の腰紐をほどくと、着物の上からぎゅっとそれでからだを結わえて、ちょうど両膝の上のところで結び目をとめた。それは、かりにもサムライの娘ともあろうものが、自分には無意識な苦悶の刹那に、たとえどんなことが起ころうとも、手足をとりみだした、見苦しい死にざまを見せてはならないためであった。支度がすむと、勇子は心を澄まし、手もと狂わず、ひと突きに、吭笛(のどぶえ)をかき切った。切り口からは、血がどくどくと脈を打って噴きでた。サムライの娘は、こういうことに、けっして手もとをあやまるようなことはない。動脈と静脈のありかを、ちゃんとこころえているからである。

日がのぼったころ、巡査が勇子を発見したときには、彼女は、もうすっかり冷たくなっていた。例の二通の遺書と、それに、五円なにがしかはいっていた(この金で、勇子は、自分を埋葬してもらうつもりでいたのである)貧しい小さな財布とが発見された。やがて、死体とこまこました遺品とは、人の手によって取りかたづけられた。

ことの顛末は、ただちに、電光のごとく、数百の都市につたえられた。
帝都の各大新聞は、この報道をうけとると、冷眼皮肉な、世の中の裏ばかり見たがる記者たちは、思い思いに、あらぬ想像を馳せて、こうした犠牲的行為にありがちな動機――かくれた罪状とか、家庭の悩みとか、失恋とか、そういうものを探しだそうとして躍起になった。けれども、そういうものは、なにひとつ発見されなかった。勇子のひとすじな生活の中には、匿された秘密も、弱味も、汚名も、なにもなかったのである。ひらきかけた蓮の花の清らかさ、それさえ、勇子の操にくらべれば劣るものであった。そこで、冷酷皮肉な記者たちも、サムライの娘にふさわしい、りっぱなことだけを、記事に書くよりほかに手がなかった。
天の御子も、このことを聞こし召されて、民草が、いかに陛下のことを愛し奉っているかを知ろし召されて、おそれ多くも、以後、宸襟を悩ませられることをとどめられたもうたのであった。
時の大臣たちも、王座のかげで、たがいに囁きあった。「将来、いろいろに物は変ってゆくだろうが、しかし、国民のこの赤心だけは変るまいな。」[赤心(せきしん)=嘘いつわりのない、ありのままの心]

それにもかかわらず、政府は、例の高等政策というやつで、頬かぶりをして、いっさい知らぬ顔をしてすましたのである。

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