日本の面影

Glimpses of Japan
失われる日本人の精神性に、将来を憂う  リンクフリー

真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑰
和氣淸麻呂(朝廷に於ける僧侶の勢力)

 ←はじめにクリックお願いします m(__)m

(戻る)
戦後、現代歴史教育では教えられなくなった和氣淸麻呂(ワケノキヨマロ・和気清麻呂)の忠節。戦前は専横極めた蘇我氏や藤原氏に加え、道鏡による皇室乗っ取りの危機を救ったということで、とても重要な人物とされていました。女帝 称徳(=孝謙)天皇に取り入った僧 道鏡は意のままに権勢をふるい、自らが天皇になろうとまでしましたが、和氣淸麻呂によってそれは食い止められました。今の義務教育でもきちんと教えるようにして、日本人は危機意識に目覚める必要があります。国民から皇族までたぶらかそうとするマスコミは悪の組織。皇室自身も平和ボケとでもいうか、危険な状態にあると思います。エラそうな言い方ではありますが、きっと多くの方が同じことを感じておりましょう。

『最新 日本歴史解釈』(1917年・妻木 忠太 著)より

【目次はコチラ】

孝謙天皇
聖武天皇の皇女 孝謙天皇の御即位―佛教の御信仰―藤原不比等の孫 仲麻呂 信任せらる―仲麻呂 姓名を恵美押勝(エミノオシカツ)と賜わる―仲麻呂 威権を振う―天武天皇の皇孫 淳仁天皇に御譲位―孝謙上皇 尚 政を聴断(ちょうだん)し給う。

藤原仲麻呂の反
僧 道鏡 孝謙上皇の御親任をうく―道鏡の威権 日に加わる―仲麻呂 叛きて兵を近江に挙ぐ―仲麿の誅―淳仁天皇 廃せられ給う(淡路に遷幸)―太上皇の重祚(じゅうそ・一度位を退いた天子が再び位につくこと)称徳天皇。

僧 道鏡の無道
道鏡 太政大臣禅師となる―法王の位を授かる―飲食・衣服天皇の供御(くご)に准ず―恣に大政を決す―太宰主神習宜阿曾麻呂(ダザイノカムツカサスゲノアツマロ)道鏡に媚ぶ―宇佐八幡大神の神託を佯(いつ)わる―道鏡を皇位に即かしむれば天下泰平ならんと奏上す―道鏡 遂に非望を懐(いだ)く。

和氣淸麻呂の忠烈
天皇 阿曾麻呂の言に惑わせ給う―淸麻呂を宇佐に差遣―路豊永(オホヂノトヨナガ)・藤原百川(モモカワ)淸麻呂を勵(励)ます―淸麻呂 帰りて神教を奏上す―淸麻呂 大隅に流さる―淸麻呂の姉 廣蟲(ヒロムシ・法均尼)また備後に流さる―道鏡 遂に非望を遂ぐる能わず。

光仁天皇
称徳天皇の崩御―藤原百川等 天智天皇の皇孫を皇太子に立て奉る(光仁天皇)―道鏡の貶斥(へんせき・官位を下げて退けること)造下野薬師寺別当(ぞうしもつけのやくしじべっとう)となる―阿曾麻呂の左遷(多褹島守・種子島守)淸麻呂の召還(本官に復せらる)―法均尼(ホウキムニ)の召還―皇太子の即位―淸麻呂の重用―護王神社。

〇和氣淸麿の誠忠
備前の人にして、其の先は垂仁天皇の皇子 鐸石別(ヌデシワケ)命に出づ。称徳天皇の御代に、従五位下 近衛将監となる。神護景雲3年、大宰府の神祇を掌れる習宜阿曾麻呂 道鏡に媚び、宇佐八幡の神教といつわり、道鏡をして皇位に即かしめ給わば天下太平ならんと奏上す。道鏡 之をききて非望をいだく。天皇 淸麻呂を宇佐に遣わして更に神教を請わしめ給う。時に道鏡 淸麻呂を誘うに利を以てせしが、淸麻呂 路豊永の言を聞きて深く心に決する所あり。其の宇佐より帰るや、直に神教をのべて、道鏡の如き無道の人は早く除くべきことを奏上す。道鏡 大に怒り、淸麻呂の本官を奪いて大隅に流し、遂に其の途中に之を殺さんとす。既にして称徳天皇 崩じ給い、道鏡の奸悪(かんあく)あらわれて造下野薬師寺別当に貶せられ、淸麻呂は召還されて本官を復せられる。かくて桓武天皇の御代に、平安奠都の地を相(みる)し従三位民部卿に任ぜられて功田二十町を賜わり、延暦18年 67才にて薨ず。其の薨ずるや、天皇 正三位を贈り給い、孝明天皇の御代神に祭りて護王大明神と崇め給い、明治31年 朝廷更に正一位を贈り給う。護王神社は京都市に在りて明治7年 別格官幣神社に列せらる。
〇路豊永
先は敏達(びだつ)天皇の皇子 難波王に出づ。天武天皇の御代に眞人の姓を賜わる。豊永 嘗て道鏡の師たり。淸麻呂の宇佐に赴くに当り。淸麻呂に語りて曰く、道鏡 若し天位に登らば吾 何の面目あって其の臣たる可けんや、吾二三子と共に今日の伯夷(ハクイ・支那の殷の人・殷滅び遂に餓死す)とならんのみと。淸麻呂深く其の言を然りとし、決心する所ありて常に忠烈の志を懐しきと云う。
〇藤原百川
式部卿 宇合の子にして幼より器度あり。神護年 中山陽道 巡察使となり、奏して本道の郡傳路 遠くして民苦多きを以て驛(駅)送に復せんことを請い、また長門の豊浦・厚狭(あさ)等 養蠶(蚕)によきを以て、調銅を停めて綿を諭(さと)せしめんことを乞いて許さる。孝謙天皇 崩じ給いて皇嗣 未だ定らざるや、百川は白壁(シラカベ)王(天智天皇の皇孫)を立てんとす。右大臣 吉備眞備 異義ありしを以て、百川 兄 良継 及 従兄 左大臣 永手と密議して白壁王を迎え立つ。之を光仁(こうにん)天皇とす。寶亀2年 大宰師となり、尋(つい)で参議に拜す。天皇 皇太子を廃し給うに及び、百川 山部王を立てんことを奏請す。衆議為に頗(すこぶ)る紛紜(ふんうん・物事が入り乱れること)たりしが、百川 固く前議を執り殿前に立つ四十餘日に及ぶ。天皇 其の誠悃(せいこん・まこごろがこもっていること)に感じて遂に其の請を許し給う。尋で従三位式部卿兼中衛大将となり、内外の機務に輿聞す。同10年 48歳にて薨ず。天皇 悼惜して従二位を贈り給いしが、延暦2年 朝廷 更に右大臣を贈り給う。
〇法均尼
旧名を廣蟲(ヒロムシ)と云い、淸麻呂の姉なり。人となり貞順にして節操なりしかば、孝謙天皇に愛信せらる。天皇 落飾し給うに及び、廣蟲また薙髪(ちはつ・髪をそり落とすこと)して法均(ホウキム)と改む。藤原仲麻呂の誅せらるや、之に黨(とう・党)して斬に当てられしもの数百人に達す。法均 天皇に諌め奉り、其の死を減じて流に處(処)す。乱後 飢疫して民間に棄児多し、法均 人を遣わして之を收養する八十三児に及ぶ。尋で淸麻呂大隅に流さるに当り、法均また備後に流さる。光仁天皇 踐祚(せんそ・皇嗣が天皇の地位を受け継ぐこと)に及び、召し還されて従四位下典蔵となる。天皇 嘗て嘆称(たんしょう・優れたものとして感じ入ること)し給うて曰く、諸侍従は毀譽(きよ・貶すことと誉めること)紛紜たりしに、法均 人の短を言わずと。かくて正四位上典侍に進み、延暦18年 70歳にて卒(しゅつ)す。天長2年正三位を贈らる。

(続き)◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑱ 平安奠都 蝦夷の鎭定

  ← 応援クリック宜しくお願いします m(__)m

—————————————————————————–
(戻る)◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑯ 聖武天皇 奈良時代の佛教文物

◆戦前の小学歴史教科書準拠 学習問題から ② 日本武尊

◆いらない性教育。子供の人格破壊を目指す日本の学校教育

◆日本の繁栄を信じて、ふるい立った英霊たちの思いにつながりましょう ~ 貴方も英霊たちの本当の仲間になるために

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前教科書 尋常小学 国史より ④ 第二十五 北畠親房と楠木正行

◆ほざくな! ニセ秋篠宮! ~ 朝日/北朝鮮に拉致されスリ替えられた、世界小市民として皇室破壊、日本解体に利用されるニセ秋篠宮家

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑪ 蘇我氏の無道

◆マスコミの売国クズぶりは前から腹立たしいが、特にこの国賊クソ朝日のしつこい超偏向報道ぶりはなんだ!!

◆【超拡散希望!】 婚外子相続差を違憲とした裁判官を裁こう!

◆今のまま側室を設けると、皇室崩壊を招きそう ~ 三船敏郎の愛人 喜多川美佳と、その娘 三船美佳に見てみよう

◆次期宮内庁長官は創価系!? ~ 女性宮家の創設どう思う? ~ 狙われる皇室。皇室乗っ取り警報!

トップ | 真実の日本の歴史 上代 ~ 中世 | permalink | comments(0) |

コメントする