日本の面影

Glimpses of Japan
失われる日本人の精神性に、将来を憂う  リンクフリー

真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑪
蘇我氏の無道

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(2017.2.13)  (戻る)
天照大神の岩戸隠れの時、出てきたアマテラスに太玉命(フトダマノミコト・斎部氏の祖)と共に鏡を差し出した天児屋根命(アメノコヤネノミコト)が藤原家の祖である……日本神話には、皇家だけでなく中臣鎌足(藤原氏)もつながっていたことがよくわかります。今の学校では中大兄皇子が誰の子であるとか、天智天皇や藤原鎌足の家系についてもほとんど教えませんよね。皇室の歴史にまつわる、とても生々しい記録がここにはあります。あの皇室の祖先が実際に起こした事件として、ある意味、とてもおもしろいところと言ってもいい。現 皇族の方々はこういうところもしっかり学ばれているのでしょうか。悠仁様ら今の皇子様たちが、もしもよく知らないというなら……日本の歴史の重みを知ってほしいものですね。
皇室の人々はずっとその地位や権力にふんぞり返ってたわけではない。武士のように命かけて戦う人も数多くいた。日本武尊(ヤマトタケル)命はもちろん、仲哀天皇、神功皇后の御親征もそうだし、蘇我氏に立ち向かった中大兄皇子もそう。建武の中興の護良親王だって。皇族にも命かけて日本のため、先祖に恥じないよう殉じた方々もいるから、人々の尊敬を集める皇室の維持が出来た。単に地位に安んじてただけでは今の日本はなかったはずです。今の教育ではその辺りのこともまるで教えない。

尚、建国した神武帝以後、開花天皇まで8代分の記録が古事記にはまるで残っていません。それは蘇我氏が追い詰められた際、蘇我蝦夷が自らの大邸宅に火を放ち、その時に正史たる『天皇記』や『国記』のような典籍が焼けてしまったことによります。完全焼失する前、焼け残っていた『国記』の一部を船恵尺(ふねのえさか)がすばやく取り出し、中大兄皇子に奉納します。その後、焼け残った史書と他にあった『帝紀』等の史書を付け合わせてまとめるよう天武天皇が群臣に勅し、驚異的な記憶力でそれら典籍を誦習した稗田阿礼の誦を元に、太安万侶によって編纂されたものが古事記なのです。だから今のエセ歴史学者が言うような、記録の残っていないこの期間の天皇史なんて嘘っぱちだなんて言い分こそ、テキトー論のデタラメなのです。神武天皇以後、開花天皇までの歴史は確実に存在します。記録のある部分は正確に残しましたが、わからない部分を勝手に捏造したり書き換えるとか、そんなこと当時の人々は絶対に出来ませんでした。だからこそその間が空白になってしまったのです。アホ共が言うように古事記がウソで塗り固められたものなら、当然、その8代分も都合よく書いてるはずだし、空白になんかなるはずないじゃないですか。空白であることこそ、古事記の内容が真実である証なのです。

今の蘇我氏は……これが敗戦後の(民主主義)政権です。安倍政権や自公政権といったものに限らず、あくまで専横極まる現体制です。戦前は違ってました。戦争するのはもちろん、条約結ぶのも他国におカネをバラ撒くのにも当然、陛下の承諾が必要だったのです。桜田門外の変は、陛下の意に反して幕府が勝手に他国と条約を結んだことが発端ですよ。もしもすべて御前会議、陛下の承諾が必要となれば、今のようなとめどない売国政策というのは絶対にありえないのです。国民に憎まれるそのような愚かな勅命を陛下が下せるはずないからです。政治家は無責任なヤリ逃げしてばかりですが、陛下は逃げることが出来ないのですよ。
明治維新はこの大化の改新や、建武の中興の後醍醐帝の天皇親政への思いの実現でもありました。今後も陛下を覚醒させることが出来れば、ガラッと変わりますよ。この中臣鎌足のように、誰かがそれを成し得れば。

『最新 日本歴史解釈』(1917年・妻木 忠太 著)より

【目次はコチラ】

蘇我入鹿 父子の無道
物部氏滅亡後の蘇我氏の強大―推古天皇 御即位に及び馬子 外舅(ヲヂ)を以て専恣(せんし)を極む―馬子の死後 其の子 蝦夷(エミシ) 大臣となる―蝦夷 舒明(ジョメイ)天皇を立て奉りて政を執る―舒明天皇の皇后 皇極(コウギョク)天皇の御即位―蝦夷の子 入鹿 父子共に朝政を専にす―蝦夷 益(ますます)驕横(きょうおう)を極む―聖徳太子の御子 山背大兄王(ヤマシロオホエノオウ)の威名―入鹿の僭上(せんじょう・身分を越えて出過ぎた行いをすること)父にまさる―入鹿 山背大兄王を滅す―入鹿父子 第宅(ていたく・邸宅)を宮城(きゅうじょう・天皇の住居)に擬す(見立てる)―宮門(みかど)と呼び其の子を王子(ミコ)と唱う。

中大兄皇子
中大兄(ナカノオホエ)皇子は舒明(ジョメイ)天皇の皇子―聡明にして学を好み給う―常に蘇我氏の専横を憤り給う。

中臣鎌足
中臣氏は天児屋根命(アメノコヤネノミコト)に出づ―鎌足 忠良にして識見(しきけん)あり―鎌足また常に蘇我氏の無道を憤る―法隆寺 蹴鞠(しゅうきく・けまり)の会―鎌足 中大兄皇子に親み奉る―皇子と共に南淵請安(ミナブチショウアン)に学ぶ―蘇我石川麿(ソガノイシカワマロ)等を援となす。

蘇我氏の本宗 滅ぶ
蝦夷父子の警戒 頗(すこぶ)る厳重―中臣鎌足等 機を待つ―三韓 進調(しんちょう)の日―入鹿 剣を解きて大極殿(だいごくでん)に登る―天皇の出御―入鹿 天皇に侍し奉る―蘇我石川麿 三韓の表文(ひょうもん)を読む―皇子 鎌足と共に不意に入鹿を討ち給う―入鹿 遂に誅に伏す―皇子 更に兵を遣わして蝦夷を諭し給う―蝦夷 自焚(じふん)して死す―蘇我氏の宗家 茲(ここ)に亡ぶ。

〇南淵請安
推古天皇16年 小野妹子に従い、高向玄理(タカムコノゲンリ)等 八人と共に支那に留学し舒明天皇の12年 高向玄理と新羅を経て帰朝しぬ。中臣鎌足の中大兄皇子と蘇我氏討滅の謀をめぐらすや、皇子と共に書を手にし自ら周孔の教を請安の所に学び、其の途中に大事を図り、以て之を滅したり。
〇蘇我石川麿
馬子の子 倉麿(クラマロ)の長子なり。中大兄皇子の蘇我氏を誅滅(ちゅうめつ)せんとし給うに当り、石川麿の女を納れて妃とし、以て石川麿を輔(ほ・たすけ)とし給う。かくて翌4年、大事を挙げ給うに及び、石川麿 進んで韓の表文を讀(読)む。かくて蘇我氏 誅に伏し、孝徳(コウトク)天皇 即位し給うに及び、大化元年 石川麿 右大臣に登庸(用)せられて金策を賜わる。尋(つい)で同4年、蘇我日向の石川麿を皇太子に譖(しん)する(そしる)や、皇太子 之を信じて石川麿を責め給いしかば、遂に自殺して卒(しゅっ)しぬ(死ぬ)。

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◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑭ 天智天皇 律令の選定

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑰ 和氣淸麻呂(朝廷に於ける僧侶の勢力)

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑨ 聖徳太子 支那へ使節派遣

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑧ 佛教の伝来と蘇我 物部 両氏の争

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑦ 朝鮮半島の変遷。韓土の形勢 任那 日本府の滅亡

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ④ 日本武尊 成務天皇

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑤ 朝鮮半島の内附 神功皇后の征伐 文物の伝来

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑬ 蝦夷の服属 韓土の変遷(百済 高麗の滅亡・新羅の朝鮮半島統一)

◆本物の“大和撫子”入門 ③ ~ 我の否定、徹底した自己犠牲精神 新渡戸稲造『武士道』より

◆戦前は逆賊歴史学として処罰されてた、左翼学者による皇統否定の「縄文・弥生」時代の敗戦後の普及 ~ 汚染される皇室。救う手だては皇室奪回

◆忠臣の象徴 楠木正成公を称える唱歌『青葉茂れる桜井の』(櫻井の訣別)を10歳の子供にピアノ弾き語りで歌ってもらいました!

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この記事に対するコメント

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    6月に放送されたプリキュアで「男の子だってお姫様になれる」という台詞が登場し、ネット上で話題になって名言だと絶賛されています。
    このことに関して見解を伺いたく思います。
    悠斗 | 2018/08/21 12:22 PM

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