子供向け番組への左翼の本格参入はヤッターマンから
~ ビデオの普及以降、作品作りが変わった
(2011.10.7)
この間、子供が、
「○○くんはドロンジョが好きなんだって。ドロンジョのオッパイをムギューしたいんだって」
と話してました。
そんなこと言ってた○○くんは、先生(保母さん)に叱られてたとのことですが・・・
私たちの世代では、幼児がそんな話、普通ならしてなかったと思います。
ヤッターマンには、やっぱり何かあります。
うちでは今、『タイムボカン』は見せても、『ヤッターマン』は子供に見せないようしてます。
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(2010.12.15)
子供に安心して見せられる番組かどうか、まずは区別するのに最もわかりやすい基準。
それは番組が、ビデオデッキが普及する前の放映だったかどうかです。
この時期を境に、作品の作り手のスタンスが大きく変わってしまっています。それまでは放映時の入魂一発勝負で作ろうとしていたものから、ビデオ商品化まで照準において、ただ、ダラダラと作品を作り続けるセールス狙いの傾向が定着し始めたのもこの頃。
それは、1976~1977年頃を境とします。
尚、ビデオの本格的普及は、1977年に松下電器から普及型のVHSビデオデッキ「マックロード」の発売がなされたところから始まります。その2年ほど前からビデオデッキ自体は発売されてましたが、本格的普及は1977年の松下の普及タイプから。
さらにこの頃は、それまで下っ端だった団塊世代が30歳を過ぎ始め、アニメ制作現場で第一線でバリバリにやり始めた時期にも当ります。要するにこの頃、日本ではアニメ制作現場スタッフの大きな世代交代が起こったのです。
実際はビデオの登場よりも、当然こっちの方が作品作りに影響を与えてます。
そのカギはヤッターマンにあります。
逆に言えば、ビデオが普及し始める前である1975年ぐらいまでのものなら、ほぼ安心して子供に見せられる作品が多いわけですが、それ以降のものは危険がいっぱいとなります。
ただし、注意すべきこととして一点。
私は最近、石森章太郎のオリジナル 『仮面ライダー』(1971年)と『サイボーグ009』(1968年)を子供と見ていますが、この頃のワルモノにナチスのハーケンクロイツやドイツ軍の紋章のようなものがやたら出てくること。
この頃、ドイツ・ナチスをワルモノにした作品、日本のみならず世界的にも多数あります。
“ナチス=独裁=悪”というイメージは、この頃の徹底したイメージ戦略により、今のように形成されたものと思われます。
『仮面の忍者 赤影』(1967年)にも、悪役で卍党(まんじ党)というのが出てきます。それを見て知っていたウチの子は、仮面ライダーとかでナチスのカギ十字が出てくると、「あっ!卍党だ!」と言ってました。
ちなみに赤影の作者は、石ノ森氏や手塚治虫と並ぶ大御所 横山光輝の作品。如何に当時の漫画界で、ナチスが悪役イメージとして定着していたか、おわかりでしょう。
石ノ森章太郎や横山光輝も左翼だったとか言うのでなく、この当時の時代背景からして、これはもう仕方ないことだと思います。
そして、昔話などの原作を茶化した作品作りがなされた典型『ヤッターマン』のタイトルについて。
以下は、『ヤッターマン』の前身『タイムボカン』(1975年・詳しくは画像クリック)の各タイトルの一部
黄門さまはステキだペッチャ
牛若丸と弁慶の大決闘だペッチャ
突撃!ヤマタのオロチだペッチャ
鶴の恩返しだペッチャ
かぐや姫は美人だペッチャ
サルカニ合戦だペッチャ
足柄山の金太郎だペッチャ
海さち山さち仲直りだペッチャ
赤い靴は悲しいペッチャ
この通り、原作を貶めるようなタイトルは、さほど見当たりません。
しかし、1977年より放映された同じタイムボカン・シリーズとされる『ヤッターマン』(詳しくは画像クリック)になると、
ヤメタイ国の女王だコロン (邪馬台国)
柿太郎の鬼退治だコロン (桃太郎)
マンジュとスシ王だコロン (安寿と厨子王)
くらい山のひよ若丸だコロン (比叡山の牛若丸)
泣き虫鉢かぶり姫だコロン (鉢かづき姫)
わらしべノン太だコロン (わらしべ長者)
あっぱれトマトコケルだコロン (ヤマトタケル)
二宮銀次郎だコロン (二宮金次郎)
どうです? わかりやすいでしょう?
この通り『ヤッターマン』では、原作や登場人物を茶化したタイトルばかりになります。オリジナルを全く知らずに、いきなり最初にこれらを見た子供たち、どんな影響を受けるでしょうね?
特に、“トマトコケル”なんて日本神話の英雄をコキおろしたタイトル・・・奴ら左翼の下劣な品性が伺い知れ、今見ると非常に腹が立ちます。
権威や神を貶めるのこそ、左翼の常套手段。
もしも欧米で、こんな風にキリストを茶化した番組が大々的に放映されたりしたら、どうなってしまうでしょうね。
原作やモデルとなる人物への敬意とかも全く感じられないし、当時の制作者がとても面白がって番組を作っていたこと、伺い知れます。
また、“わらしべノン太”というタイトルからも、制作者の特徴が顕著に伺えます。“ノンポリ”(政治闘争していた全共闘らの学生に対して、政治参加しない学生層のことを指す)という言葉に代表されるように、いわゆる全共闘左翼世代が多用したものに、“ノン”という言葉があります。
他にも“ノン気”(のんけ)とか、これはいわゆる同性愛者・ホモではない、ソノ気のない正常な性意識を持ってる人のことを指す言葉。
要するに『ヤッターマン』より前の日本のアニメ作品については、子供たちにとって、将来に向けて生きる信条とすべきメッセージが、概ね常に訴え続けられていましたが、これ以降の作品では、その種のメッセージがなくなり、単に子供を楽しませるだけのものが、主流になっていったということです。
つまり、それまで教育上の観点からも配慮して作られていたものが、これ以降は刹那的な遊園地のような作品ばかりになってしまったということ。
子供向け番組による、左翼の人間堕落化の精神侵略が本格的に始まったのは、間違いなくこの頃からです。
そして、初めて子供向けアニメで恋愛をメインテーマにした『キャンディ・キャンディ』も1976年の10月からで、ほぼ同時期の放映。
その後の人気作『うる星やつら』(1981年)になると、今見るとセックスを連想させる、かなりきわどいシーンが盛り沢山です。『キューティーハニー』(1973年)の頃は、ちょっとハダカが出てもセックスを連想させるものは、さほどありませんでした(今のものではなく当時のもの)。
そして、それまでスポーツものでは所謂“スポ根”が主流とされていた中、努力の大切さを説くよりもエンターテインメントを主眼とし、野球モノで人気を博した『ドカベン』の放映も1976年の10月から。
その後の80年代になると、スポーツものにまで恋愛・女が絡み始め、『タッチ』(1985年)のような作品も登場、人気を得ました。
別に『ドカベン』や『キャンディ・キャンディ』とかまで、それほど有害だとは言いませんが、この頃からすれば革命的な出来事であり、好んで子供に見せるべき作品には思えません。
たとえば『ゲゲゲの鬼太郎』なんかも、1960~70年代まではおどろおどろしく、非常に教訓めいた内容でしたが、80年代のものでは明るくエンターテインメント的な作り込みが追求され、主題歌の雰囲気なども非常に軽い内容となってます。
80年代ものを見て育った方には、納得いかない部分もあるでしょうが、私も60年代のオリジナルを見て育ったわけではありません。しかし、60年代のオリジナルに忠実なモノクロ鬼太郎の世界に比べると、世界観の奥深さ、怖さはその後の作品の比ではありません。
このブログが伝えたい最大のメッセージは、これまで左翼に作られてきた価値観の中で育てられてしまってきたことに、一刻も早く皆さんに気づいていただき、これまでの誤った価値観を捨て去ってほしいということです。
間違ったまま次世代の子供たちに引き継がせてはなりません。
『 歌の贈りもの 』 バリー・マニロウ (1975)
I Write The Songs – Barry Manilow
1970年代半ば、魅力的な声で大人気だったバリー・マニロウ(詳しくは右画像クリック)。私の大好きな歌です。元はキャプテン&テニールも歌っていたのですが、バリーの歌で大ヒット、世界的に知られるようなりました。彼の歌をよく聴くことあっても、歌ってるのを見るのは初めてという方、多いのではないでしょうか。 カッコイー! ^▽^)
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