真実の日本の歴史 ~ 戦前教科書 尋常小学 国史より ④
第二十五 北畠親房と楠木正行
(2017.3.29) (戻る)
北畠親房の『神皇正統記』(詳しくは右画像クリック)は世界に名だたる名著であり、ドイツの學者 ハウスホーファーはダンテの『神曲』と並ぶ東西の偉大な書物と評してます。
尚、楠公夫人が正行をさとしたエピソードは有名で、楠木正成の首が足利尊氏から送られてきて、ショックを受けた子の正行が父の後を追って自決しようとしていたところ、お母様の楠公夫人に、今、死するのでなく、父への忠義をまっとうするよう戒められた場面になります。
北畠顕家が戦死した
新田義貞が戦死する少し前に、北畠顕家(きたばたけあきいえ)もまた戦死した。さきに、顕家は、尊氏を九州に走らせてから後、ふたたび義良(のりよし)親王をいただいて陸奥に下り、霊山城(りょうぜんじょう)にたてこもっていたが、天皇が吉野に行幸をなさったことを知ると、また親王をいただいて京都へ向かい、所々で戦って敵を破った。けれども、その兵は、たびたびの戦にたいへん疲れて、都に攻め入ることが出来ず、顕家は和泉(いづみ)の石津(いしづ)で戦死したのである。時に、年ようやく二十一であった。
親房らが海路で東国へ向かった
こういうように、顕家や義貞らの忠臣がつぎつぎに戦死したが、後醍醐天皇は、御志いよいよ堅く、顕家の父 親房(ちかふさ)らにいいつけて、また義良親王をいただいて陸奥に下らせ、官軍の勢を取り戻させようとおはかりになった。親房らは、伊勢から海路で東へ向ったが、途中で大風にあい、親房の船は常陸に着き、親王の御船は伊勢に吹き戻されたので、親王はそのまま吉野へお帰りになった。
後醍醐天皇がおかくれになった
たまたま、天皇は御病におかかりになった。この時、まだ国々に朝敵がはびこって、世の中が騒がしいので、これをたいそう残念にお思いになりながら、とうとう行宮でおかくれになった。そこで、義良親王が御位をおうけつぎになった。第97代 後村上天皇と申し上げる。
親房が神皇正統記をあらわした
その頃、東国の武士はたいてい賊に味方していたので、親房は陸奥に進むことが出来ず、常陸の関城(せきじょう)で賊兵に囲まれた。親房は、昼夜 賊を討つ謀をめぐらしながら、そのひまひまに、神皇正統記(じんのうしょうとうき)をあらわし、「天照大神から後村上天皇に至るまでの御血統の由来を述べて、君臣の大義を明らかにした。そのうち、まもなく城も落ち着いたので、親房はのがれて吉野に帰り、これから楠木正行らと力を合わせて、ともどもに天皇をお助け申し上げた。
楠木正行が四條畷(しじょうなわて)で戦死した
正行(まさつら)は、さきに十一歳の時、桜井の駅で父に別れ、国に帰ってからは、よく父の遺言を守って、つねづね朝敵を滅ぼそうと心がけて、一生懸命に励んだ。ようやく成人してから後村上天皇にお仕えして、たびたび賊軍と戦って、これをうち破った。取分け、摂津の瓜生野(うりゅうの)の戦では、賊兵が大いに敗れ、先を争って逃げる時、あわてて川に落ちて流れるものが五百人余りもあった。正行は、これを見てたいへん気の毒に思い、部下の者にいいつけて、これを救わせ、一々親切にいたわって送りかえした。こういう有様で、官軍の勢はますます強くなって、今にも京都へ迫ろうとした。尊氏は大いに恐れ、高師直(こうのもろなお)にいいつけて、急ぎ大兵を率いて正行に当らせた。そこで、正行は、ただちに一族 百四十人ばかりを連れて、吉野にまいって天皇に拝謁し、また後醍醐天皇の御陵に参拝して御暇乞(いとまごい)を申し、如意輪堂(にょいりんどう)の壁板に一族の名を書きつらねて、その末に、
かへらじと かねて思へば梓弓、なき数にいる 名をぞとどむる。
という歌をしるし、死を決して河内に帰り、賊軍と大いに四條畷で戦った。この時、正行はどうかして師直を討ち取ろうと考え、たびたびその陣に迫ったが、身に多くの矢きずを受け、力もつきはてたので、とうとう弟の正時と刺しちがえて死んだ。時に、正行は年ようやく二十三であった。
正行の忠孝両全(両全とは、君主への忠義と両親への孝行をどちらも果たすこと)
前年、正行に救われた賊兵は、深くその恩に感じ、正行に従ってこの戦でことごとく討死した。実に正行のような人こそ、勇も仁もある立派な武士で、忠孝の道を全うした人といわねばならぬ。こうして、楠木氏は正行の死んだ後も、その一族は、皆、真心こめて長い間、朝廷の御ためにはたらいた。今は、四條畷神社に正行をまつってある。
この後は、親房がひとり官軍の中心となって、大いに忠義を尽くしたが、まもなく病にかかってなくなったので、これから官軍の勢はいよいよ衰えるようになった。摂津の安倍野神社や岩代の霊山神社に、親房父子をまつってある。
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