日本の面影

Glimpses of Japan
失われる日本人の精神性に、将来を憂う  リンクフリー

敗者の名誉を重んじた日本人 ~ 日本で切腹が存在した意味

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(2012.11.18)
江戸期の女子教育、本当の大和撫子としての厳しい教えに対して、当時の男子へ求められていたのこそ武士道ですからね。
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」(『葉隠』より)、立派な死に方こそが、日本で最大の美徳とされていたってこと。
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新渡戸稲造  『武士道』  より  (詳しくは右画像クリック)

左近と内記という、それぞれ二十四歳と十七歳になる兄弟が父の仇を討つべく、家康を襲おうとした。しかし無念にも家康の陣屋に突入する前に捕らわれてしまった。家康は彼の命を狙った若者たちの勇敢さを讃え、彼らに名誉ある死を与えるように命じた。
この刑の宣告は、兄弟の一族すべての男子に命ぜられたので、二人の若者の末弟であるわずか八歳の八麿も同じ運命であることを言い渡された。そしてこの三名は処刑が行われることになっている寺へ引き立てられていった。その場に立ち会った医者がその一部始終を日記に残している。そこには次のような情景が書かれている。

「最後の時を迎え、三人が一列に着席した時、左近は末なる弟に向い『八麿よりまず腹切れい。切損じなきよう見届けてくれよう』といった。幼い弟は答えて、いまだ「切腹」を見たことがないので、兄たちの作法を見て、その後に続きたい、と申し述べた。二人の兄は涙ながらに微笑んで『よくぞ申した。それでこそ我らが父の子なるぞ』といった。そこで二人の間に末弟八麿を座らせ、左近は自分の腹の左側に短刀を突き刺していった。
『見よや八麿、会得せしか。あまりに深く掻くべからず。仰向けに倒れるがゆえに。前にうつ伏せ、膝を崩すべからず』
内記も同様に腹に刃を突き刺しながらいった。『目をカッと開けよや。さもなくば女の死顔に似たるぞ。切尖が腸(はらわた)に触るとも、力たわむとも、勇を鼓して引き廻せ』と。八麿は二人の兄を交互に見た。二人が果てると、八麿は静かに上体を露わにして、両側から教えられた範に従って従容として死に就いた」

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私含め、特に同年齢のお子様をお持ちの方だと、これを読むだけで心が共感、涙が溢れてくるものかと存じます。
フィクションではないし、当時の武家の男子、小さくともどれだけ立派であったことか。子供が斬首されるとはどういうことか、ここの『子連れ狼』の動画とか、わかりやすいでしょう。
日本人の文化、歴史、精神基盤、そのDNAを少しでも思い出しましょう。

尚、女が自決するのは、やはり貞操とかを守るためであるべきで、命をかけて貞操を守ることが、かつての武家の女子教育では説かれ続けてました。
女なら夫への忠誠心や純潔を守るための自決、男なら主君や目上の者への忠義による自決。

また主君や目上の者の仇としての復讐は美徳にされますが、下の者、たとえば妻や子が殺されたということへの復讐は、あまりいいものではないとされたようです。
上の例は、正に父上の敵討ちですよね。

男も女も、かつての日本人にとって死に方はとっても大切なものでしたが、反面、死にたいと思う時こそ、逆に生きなければいけないとも説かれてます。
だから死にたい、逃げ出したいと思って死ぬのは、本来なら武士道に反することにもなってしまうわけで、そのような自殺の類、決して日本人的なものとはいえません。死んだほうがマシだと思ってる時こそ、あえて生き抜いてみせようとする方が賞賛に値するわけです。
だから日本人だからという安直な自殺礼賛は間違いともいえます。たとえ日本人でも自殺(自害)には、そのための忠義が必要だということ。

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(2010.6.18)
諸外国では、戦で負けた敗者の長は、一般に処刑される。
しかし日本では、およそ中世以後では、罪人等を除いて処刑というものは基本的に存在しない。
敗者といえども、その名誉を尊重し、敵将の処刑はせずに自害させる。
 
これが日本で切腹が存在していた、真髄と見る。
 
他国なら、いずれにしろ、敗者の長や一族は皆殺しにされる。
切腹という行為だけを見て、それを野蛮とは考えず、広い目で、他国での皆殺しと日本での切腹を見比べて、どっちが野蛮かをよく考えていただきたい。
切腹がいかなる理由で存在し、それがあったことでいかに人間の尊厳が保たれていたか、冷静に評価してほしい。
 
ただし、戦時中の元では、切腹にこじつけて、この自害の精神が乱用された感はしますが……人の命の重みが軽んじられた。
しかし、武士道本来の教えでは、犬死になど否定している。
 
敗者の将はどっちみち死ぬ運命だが、日本では、敗者のなぶり殺しや、さらし者にしないことが、美徳とされてきた。
日本には、古来から敗者を賛美し、その尊厳を非常に重んじる風潮があったということだ。
こんなしきたりがあったのは、世界広しといえ、日本ぐらいだろう。
 
日本人は、世界に誇れるこんな立派な精神に、これまで長い間育まれてきたのである。
 
日本が敗者の尊厳を重視するのは、やはり天皇の存在が大きかった。
たとえ天下分け目の戦いに勝っても、日本では王や国の支配者にはなれない。
将軍、関白・・・・・国を統治するに必要な資格は、常に天皇の任命を受けなければならなかった。
このことが勝利者が、残虐で傲慢な独裁者にならず、敗者の尊厳を重んじる、徳の深い人格者たらんとされることを常に求められることにつながっていたのだろう。
 
天下分け目の戦いでも、それをさらに上で見ている者が常にいる。それが日本における天皇の存在である。
いかなる戦いに勝とうとも、天皇の上にはなれず、天皇を怒らすことはできない。
だから日本では、最後の勝利者でも、他国のようにすべての権限を持って傍若無人に振舞ったりすることはできなかった。
 
日本の武将、軍人などがストイックで、決して傲慢におごらずにいたのは、平家物語の存在も大きい。
「おごるもの久しからず」
いかなる状況においても、日本の武将たちはこの言葉を、常に信条に置いていた。
 
武士は常に体を鍛え、贅沢に染まってはならない。これも武士道の真髄である。
武士の食事は、上級武士も下級武士も、その食事はとても質素で、基本的にほとんど変わりがなかったという。
 
正に質実剛健。米国大統領 セオドア・ルーズベルトが日本人に感銘を受けた武士道の基本精神である。
ルーズベルトは、新渡戸稲三の『武士道』を読んで、これは素晴らしい本だと言って、身の周りの者に、何十冊と配って読ませたという。

『 武士の振る舞い 礼法 』  武道は、礼に始まり、礼に終わる 

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◆本物の“大和撫子”入門 ③ ~ 我の否定、徹底した自己犠牲精神 新渡戸稲造『武士道』より

◆性善説的な視点に立った教育勅語、「修身」道徳教育の補完としては、「毒をもって毒を制す」のマキアベリズムこそ最適

◆武士の子女教育カリキュラム ~ 貝原益軒『和俗童子訓』より

◆本物の“大和撫子”入門 ② ~ 貝原益軒『和俗童子訓』【女子を教ゆる法】より

◆日本人の心を奪われた日本人 ~ 世界最強だった日本軍 ~ 守るものを失った日本人

◆映画『Sayonara』 愛を貫いて死を恐れない、ヤマトナデシコ~ 変れば変るもの。日本人の美意識

◆自虐史観は日本人共通の唯一の宗教だった ~ 自虐史観からの脱却は日本における宗教革命

◆溝口映画『山椒大夫』=「安寿と厨子王」に見る日本人の価値観 ~ 左翼は日本の価値観に反する

◆心の拠り所と守るべき人を持たなくなった日本人 ~ 親も兄弟姉妹も、友達も学校もみんな嫌い

◆階級社会なくして日本は存立し得ない ~ 古来から存在した皇室

◆『昔の日本はアメリカと同じくらい広かった!』~ 日本人としての自信を持たせた祖母の言葉

◆保守の基本は『三匹の子ぶた』~日本をワラの家にしてしまう亡国 民主党日本政府

◆日本人の美的センスは世界一!~日本人はジャポニスムを忘れてしまった?

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この記事に対するコメント

  • 【前サイトURLのこの記事へのコメント】

    戦時中・戦後すぐに、いざとなったら 自害 するための「短剣」や「毒」を懐に入れていた話など…聞いてましたが、切腹とは結びつきませんでした
    今の日本国民、いや、私でも「いざとなったら」…出来るだろうか…
    きっと、出来ない
    「命を大切に」
    間違いではない、と思う…が
    本当に「命を大切に」しているなら、自らの生きざまも 大切にしなくてはいけない
    ダラダラしょうもない生き方をしても、恥ずかしいだけ
    穢れなき生き様、生き方
    つまりは 死に様を潔く
    日本国民の 清く貴く強い生きざまは 無くしてはなりませんね
    もちろん、「死」までは 必死で生きるからこその 散り際なのでしょうが…櫻のように…人として 一番進歩したのが「日本人」だと思ってます
    サファイアさんのブログで、別の部分が 覚醒し始めました
    ありがとうございます
    マカロン | 2011/04/22 11:02 PM

    やはり柔道剣道などの「武道」だけではなく、野球やサッカーその他の「スポーツ」で
    たとえ甲子園や花園のような大舞台で勝利しても、ガッツポーズしたり馬鹿みたいに喜ぶべきではないと思います。
    もちろん、勝利した当事者しかいない場所ではいくら喜んでも構わないと思いますけど、敗者や第三者の前では慎んでほしいものです。
    今の高校野球も、それが無ければ最高なんですけどね…(今時の若者の割に女々しい人は少ないですし)。
    えんどー | 2012/11/18 6:57 PM

    武士道は、日本人にとっても非常に厳しいと感じますが、その美しさも理解できます。
    でも、やはり八歳の子のことを考えると胸が張り裂けそうです。
    coffee | 2012/11/20 12:39 AM

    今のチャラチャラと軽薄な平等主義より日本の教育は仁を尽くすような教育に戻すようにしたいですね。
    マスゴミで軽薄な感動が作られていますが、違和感を感じます。子
    けい | 2015/09/10 6:06 PM

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