謡曲の魅力 ~ 日本人の心としての能の世界
(2014.3.24)
ここで前に紹介のキッズ伝統芸能プロジェクトによる発表会が時折、開催されていて、27・28日も浅草でやるようです(参照:http://www.dento-wa.jp/program/p02.html)。
次回の参加者募集もあると思いますし、近隣でご興味をお持ちの親御さんは注意して見ておかれるといいでしょう。
ただし、この『伝統WA感動』プロジェクト(http://www.dento-wa.jp/)でも、日本の伝統芸能とストリートダンスのコラボなんていう低俗な催しまでやられてるので、そういうのは辞めてほしいです。そんなものを誰が演出するのかも問題だし、伝統破壊にしかつながりませんから。役人や広告代理店の考えることなんてロクなものがありませんね。
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(2011.3.15)
どこも地震の話で一色ですが、全然違う話を書いてまいります。
最近、私が凝ってるのが謡曲です。謡曲とは能の詞章、脚本に当たりますが、一般にはその歌に限ったものと言ってよいでしょう。
私は元々、歌舞伎より能が好きで、能を見たことは何度かありましたが、先日、市民会館で一般の方々の謡曲を初めて拝見しまして、その中で宝生流 の「鞍馬天狗」という連吟がとても素晴らしかったので、それ以来ハマってます。
この時、謡われてたおじい様たち、迫力あって、本当にカッコよかったのに、映像で見せられないのがとても残念です。
謡曲のCDも買ってみましたが、独吟のはたくさんあるようですが、連吟(グループで唄う)で聴けるものがあまりありません。そして、観世流のCDはあっても、宝生流のものがほとんどありませんね。
でも謡曲は、CDなんかで聴くより生で見ないとなかなかその良さが伝わらないでしょう。
能の宗家はそれなりに残っていくのでしょうが、庶民レベルの謡曲とかは、やってる方も殆どがかなりのご年配だし、いったいこれからどうなってしまうんだろうって感じ。
非常に少ないですが、中にはこの種の伝統芸能で子供を対象にしたイベントもあるようです。
下記の能や筝曲、長唄や日本舞踊などのキッズ公演、来週月曜3月21日やるようですが、残念ながら今からでは観覧申込も出来ません(ただし、地震の影響で公演がどうなるかも不明です)。
日本の伝統芸能 キッズ公演発表会 http://www.dento-wa.jp/schedule/schedule01.html
講座の参加対象は小学生以上なので、うちの子も小学生になったら、こういうところで謡曲や能の世界に触れさせたい。
今、小学生の方は、次回募集が始まる時期を狙ってもよいでしょう。
私は正座が苦手で、茶道でも結構苦労してるので、私自身が謡曲やるのは正直、厳しいです。でも、子供にはそういう世界が身近にあり、その種の伝統文化を抵抗なく受け入れられる環境を作ってあげたいと考えてます。
エロ漫画や萌え系が日本の文化だなんて言ってるだけの、バカな子供を育てちゃいけませんよっ!
祭り囃子を体験できる機会は、みなさんの地元にもきっと多いと思いますが、謡曲になると接せれるところが限られてくるかもしれません。でも、謡曲の世界も本当に素晴らしいんです。そして謡曲は歌舞伎の世界と違って、女性でも入れます。でもヤマトナデシコなら、男性をちゃんと立てなきゃダメですよ。
子供には謡曲のサワリだけでなく、ある程度きちんとやらせたいと思ってるので、上のキッズ向け講座なんか、とてもいいものに思えます。
左翼は、こういう日本の伝統芸能、文化や神話の世界まで乗っ取って、金儲けにしようと企んでくるので、いろいろ心配ではありますが・・・
謡曲と言っても何だかわからない方が、多数を占めてるのではないかという気がしますが、野村萬斎で人気の『ややこしや』だって、能を元にしたもの。でもこの『ややこしや』、服装はちゃんと和装してもらわないと、子供が勘違いしそう・・・
美しい筝曲はじめ、尺八、三味線、謡曲から民謡、そして雅楽まで収録されていて、邦楽の入門用に最適。逆にこれだけ聴けば、日本の伝統音楽の概要が理解できるでしょう。奏者のクォリティも高いです。(詳しくは左画像クリック)
宝生流舞囃子 『猩々』
YouTubeでは、なかなかいい映像が見つかりません。これは謡曲というより、能です。謡曲を敷居高そうに思う方も多いでしょうが、私が見た公演の方々、一般人でしょうが本当に素敵でした。
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(2012.9.8)
三島由紀夫は「日本精神」とは抽象的なものでなく、あくまで現実世界に存在するものであり、何より守るべきはそれらだと言っている。三島は能を例にそれを説明
【哲学者 適菜収 他にも守るべきものがある】 より (2012.9.7 msn産経ニュース)
8月10日、韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領が、竹島に不法上陸した。さらに天皇陛下の訪韓について「死亡した独立運動家への心からの謝罪が必要」と発言。越えてはならない一線を越えた。今回の件で一番損をしたのは韓国だろう。国際的な立場も危うくなった。一方、得をしたのは民主党の現政権だ。これまで領土問題を放置しておいて、こうした事態が発生すれば、テレビカメラの前で激高してみせる。どうも、茶番にしか見えない。そもそも、領土以前にもっと大切なものが失われているのではないか?
作家の三島由紀夫(1925~1970年)は、一番重要なものは国土ではないという。
「地域共同体が崩壊してしまった中で、いったい国とは何かを問われると、仕様がないから国土だといい、その国土を外敵から守るのが防衛だ、と答える。しかし、その国土というのは単なる地面であって、これは日本がたとえ共産政権になったとしても、何んの変りもない」(『栄誉の絆でつなげ菊と刀』)
それではなにを守るのか?
三島は「日本というものの特質で、それを失えば、日本が日本でなくなるというもの」であるという。それは“日本精神”などといった抽象的なものではない。あくまでも現実世界に存在するものだ。三島は能を例に出して説明する。
「日本の美は最も具体的なものである。世阿弥がこれを『花』と呼んだとき、われわれが花を一理念の比喩と解することは妥当ではない。それはまさに目に見えるもの、手にふれられるもの、色彩も匂いもあるもの、つまり『花』に他ならないのである」(『小説家の休暇』)
わが国の「美」は概念化を拒絶する。「個別から普遍へと向わず、むしろ普遍から個別へ向って、方法論を作らずに体験的にのみ探求を重ね」(同右)るような精神。われわれが守らなければならないのは、こうした日本の伝統であり美意識である。美術、文芸、料理そして歌舞伎、狂言、能、文楽といった芸能にそれは具体的な型として現れている。
7月26日、文楽協会への補助金凍結を表明していた大阪市の橋下徹市長は、近松門左衛門原作の『曽根崎心中』を鑑賞し、終了後には、「ラストシーンでグッとくるものがなかった」「演出不足だ。昔の脚本をかたくなに守らないといけないのか」「演出を現代風にアレンジしろ」「人形遣いの顔が見えると、作品世界に入っていけない」などと持論を展開した。長年にわたり引き継がれてきたものが理解できなければ、自分の側を変えるべきだと思うのが真っ当な人間の態度である。
現在、わが国の本能に総攻撃が仕掛けられている。市場原理による伝統の破壊である。後日橋下市長はツイッターで文楽を大衆娯楽と決めつけた上で、「自称インテリや役所は文楽やクラシックだけを最上のものとする。これは価値観の違いだけ。ストリップも芸術ですよ」と頓珍漢(とんちんかん)な発言で恥の上塗りを重ねた。
たとえ国土を侵食されても、日本人が日本人であることの誇りを失わない限り国が滅びることはない。しかし伝統の破壊者に対し日本人が拍手喝采を送るようになったとき国家は内部から崩壊するのである。(哲学者 適菜収・てきなおさむ)
私もここで、「国を守ろう!」 「一つになろう!」とか言ってるだけでは、保守かどうかなんてわからず共産主義者や左翼とも違いがないと書いてますが、上の記事にある三島の言葉は、私の言ってたことと全くもって同じ内容ですね。
日本人が守るべきは何より“日本人の心”。そしてそれは能をはじめとするさまざまな日本文化に内包され、その精神は今のところ各々その種の伝統文化の中に辛うじて生き残っています。本来の日本人に戻るには、やっぱりこの種の伝統芸・文化に馴染むのが一番いい。
それだと敷居が高く感じられる方も、私がサイトで紹介してるような古い日本映画などを見れば、たくさんの“日本精神” “日本人の美意識”というものを伺うことができます。ぜひ伝統芸に触れたり、古い日本映画を皆様にはたくさん見てほしいです。既に私たちが“日本人”でなくなってしまってることに、早く気づかなければいけません。
このエントリー・タイトルにある「謡曲」と言っても、何だかピンと来ない方がたくさんおられると思いますが、謡曲とはつまり、能の脚本部分のことで、能楽堂のように大規模な舞台演出がなくとも、一人でやったりグループでやったり、誰もが手軽に能を謡って楽しみ、演じるためのものです(能の入門本については右画像クリック)。
能の演目の形式は、下のような五番立てとなってます。、
【初番目物(脇能物)】 神を祝福する「高砂」「鶴亀」「老松」などの演目
【二番目物(修羅物)】 修羅道に落ちた武将の霊をシテ(主役)とする「頼政」「実盛」「朝長」などの演目
【三番目物(鬘物 かつらもの)】 女性をシテとする「井筒」「羽衣」「関寺小町」などの幽玄能と呼ばれる演目
【四番目物(雑能)】 他のジャンルに入らないもの。狂女物「隅田川」「道成寺」や「善知鳥」などの演目がある
【五番目物(切能)】 天狗や鬼神、鬼女などが出てくる「紅葉狩」「黒塚」「鞍馬天狗」などの演目
能の代表作の一つに『弱法師』(よろぼし)というのがありますが、これなんかぜひ、子育て中の親御さんには知っておいていただきたい作品。
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【弱法師 あらすじ】 河内の高安通俊には一人息子がいた。ある人物のざん言を信じて通俊は息子を追放してしまうが、後に悔いて天王寺で貧しい人へ施しを行っていた。そこへ前世の親不孝の罪の報いで盲目になってしまったと嘆く、弱法師という盲人が杖をついてやってくる。通俊は弱法師がわが子だと気づく。弱法師は盲目でも美しい景色が心眼で見えると言ってヨロヨロ歩き周っているが、人にぶつかっては笑いものとなっている。夜が更けて人がいなくなった頃を見計らい、通俊は弱法師に名を尋ね、「俊徳丸」という返事を聞き、里に連れ帰る。
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能には歌舞伎や文楽などと重なる演目が多いけど、生々しい演出の歌舞伎などに比べ、能ではそういう愛憎の誇張されたスキャンダラスな要素が捨てられ、内面性の表現が追及されています。
江戸期を代表する子育て指南書 貝原益軒の『和俗童子訓』では、歌舞伎や小唄、浄瑠璃のようなものは、成長期の若い娘に見せるべきでないとされ、『源氏物語』のような恋愛志向の強すぎる文学も読ませるべきでないと書かれています。歌舞伎や三味線の小唄などには不倫や心中、毒殺など陰鬱な内容のものも多く、そのドロドロした愛憎劇が、成長期の若い娘に見せるには不適切だと言ってるわけです。
時代こそ違え、貝原益軒の主張は私がここで書いていることと非常によく似ています。歌舞伎などに比べれば、子供に見せるにも能(謡曲)はかなり健全といえるでしょう。ひとまとめに伝統文化や古典と言っても、もちろんどれも守るべき日本の伝統・文化であるわけですが、子供に見せるという視点からすると、それに適したものやそうでないものさまざまだということ。日本文化に親しむ上で、一つ念頭に置いておいたほうがいいでしょう。
ここで紹介のキッズ伝統芸能体験、継続して定期的に募集されてるようです。能や筝曲等、子供たちが体験・習得できますので、近隣(東京)の方は参加されてみるのもよいかと。
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