日本の面影

Glimpses of Japan
失われる日本人の精神性に、将来を憂う  リンクフリー

卑劣な左翼芸術家に追放された世界の藤田嗣治~『私は日本に捨てられた』

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(2010.3)
どんな分野でも卑怯で嫉妬深く、排他的なのが左巻き。
芸術にイデオロギーなんて関係ない、なんて言うのは、芸術に無知な者の戯言にすぎない。
芸術作品とは作家のイデオロギーそのもの。

世界で最も有名な日本人の一人 藤田嗣治。
戦後、パリへ戻って、彼は日本へ戻ることは二度となかった。
日本の左巻き芸術家たちの下劣な根性を知り、藤田は日本人への強烈な不信感を持った。
容易に寝返って国を売った、卑劣な左翼芸術家たちに追放された藤田の例が端的に示すように、戦後当時、愛国的芸術家はすべて排除され、愛国心を訴えたり日本へ肯定的な作風を持つことが、日本では総てタブー視されるようなったのである。
日本では芸術界だって、左翼に占拠され粛清された。

藤田 嗣治 (ふじた つぐはる) 】fujita

現在も、フランスにおいて最も有名な日本人画家。
猫と女を得意な画題とし、日本画の技法を油彩画に取り入れつつ、独自の「乳白色の肌」とよばれた裸婦像などは西洋画壇の絶賛を浴びた。
エコール・ド・パリの代表的画家。

1886年、4人兄弟の末っ子として生まれた。
父・藤田嗣章は、陸軍軍医として最高位の陸軍軍医総監にまで昇進した人物。

1913年に渡仏しパリのモンパルナスに居を構え、隣の部屋に住んでいた”親友”と呼んだアメデオ・モディリアーニやシャイム・スーティンらと知り合う。
彼らを通じて、パスキン、ピカソ、ザッキン、アンリ・ルソー、キスリングらと交友を結びだす。
フランス社交界で「東洋の貴公子」ともてはやされた薩摩治郎八との交流は、藤田の経済的支えとなった。

パリでは既にキュビズムやシュールレアリズム、素朴派など、新しい流派が登場、日本で黒田清輝流の印象派こそが洋画だと教えられてきた藤田は大きな衝撃を受け、それまでの作風を全て放棄することを決意した。
独自技法による、透きとおるような画風はこの頃確立。
以後、サロンに出す度、黒山の人だかりができ、急速に藤田の名声は高まる。

当時のモンパルナスで経済的にも成功を収めた数少ない画家で、珍しかった熱い湯の出るバスタブも部屋に据え付け、多くのモデルが部屋にやってきてはささやかな贅沢を楽しんだという。
その中にはマン・レイの愛人であったキキも含まれ、藤田の為にヌードとなり、『Nu couche a la toile de Jouy(寝室の裸婦キキ)』は、1922年当時、8000フラン以上の値がついた。

藤田はFoujitaという名から「FouFou(フランス語でお調子者)」と呼ばれ、フランスで知らぬ者はいないほど人気を得ていた。フランスやベルギーから勲章も贈られた。

1930年代の日本帰国後は戦争画の製作を手がけ、『哈爾哈(ハルハ)河畔之戦闘』、『アッツ島玉砕』(下写真・1943)などの作品を書いたが、敗戦後の1949年、この戦争協力による批判に嫌気が差して日本を去った。また、一時はGHQからも追われていた。

藤田は陸軍関係者の多い家柄で、戦後占領軍としてGHQで美術担当に当たった米国人担当者とも友人であった故、戦争協力者として戦後、槍玉に挙げられる要素があった。

1955年にフランス国籍を取得(その後日本国籍を抹消)、フランス政府からレジオン・ドヌール勲章シュバリエ章を贈られ、後にカトリックの洗礼を受けてレオナール・フジタとなる。

国民を鼓舞するため大きなキャンバスに写実的な絵を、と陸軍報道部に求められて描いた絵は、戦場の残酷さ、凄惨、混乱を映しており、一般の戦争画の枠には当てはまらないものだった。
彼はクリスチャンの思想を戦争画に取り入れ表現したという。

戦後、日本美術会の書記長 内田巌(同時期に日本共産党に入党)などにより戦争協力の罪を非難された彼は、渡仏の許可が得られると「日本画壇は早く国際水準に到達して下さい」との言葉を残してパリへ向かい、二度と日本には戻らなかった。
フランスに行った後、「私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ」とよく藤田は語った。
その後も、「国のために戦う一兵卒と同じ心境で書いた」のになぜ非難されなければならないか、と手記の中でも述べている。

パリでの成功、そして戦後と、生前の藤田はついぞ日本社会からは認めてもらえなかった。
近年になり、やっと日本でも藤田の展覧会が開かれるようなった。

しかし、元から藤田は日本画壇に根ざして成功した人物でなく、欧州で成功。
当時の日本人画家から羨望を交えた誹謗中傷で、彼は日本で制作しにくい立場に追いやられた。
しかし、現在の美術市場で十分な評価がされている以上、美術的に正当な評価も確定したといえよう。

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(2010.12.1)
昨日、紹介のフランス映画『ラ・ブーム』(1980)には、ヒロインの資産家のお婆ちゃん?役が、「私は日本のフジタと付き合ってたのよ!」と自慢気に話すシーンがあり、当時からのフランスにおける藤田の知名度・評価の高さが伺いしれます。戦後間もない頃、公務や教職だけでなく芸術分野における愛国士まで、日本では一度、全面粛清されたということ理解しておくべきでしょう。

私はフランスに、どこまでも日本人として完成すべく努力したい。
私は世界に日本人として生きたいと願う。     藤田 嗣治

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(2013.7.12)
『レオナール・フジタ展』、渋谷東急文化村ミュージアムで、8月10日から開催されるようです。
Bunkamura ザ・ミュージアム  http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/13_fujita.html

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この記事に対するコメント

  • 【前サイトURLのこの記事へのコメント】

    ■このサイトには本日、偶然に出会いましたが、『素晴らしい』の一言です。
    より多くの方々に読んで欲しいと痛切に感じております。
    今のマスゴミ、TV、エンタメ全てが腐っています。
    いくらハイビジョンや3Dでハード面での発達をしようとも、
    『愚民どもを洗脳する装置』としてしか機能しないのであれば、
    有害無益であるとしか言えないでしょう。
    正に正鵠を得た貴殿の論考に深く感謝いたします。
    愛国市民 | 2010/06/22 6:14 PM

    父の藤田嗣章氏は、確か陸軍軍医総監だった森鴎外の後任だった方だと思います。
    コンサバ | 2010/12/01 3:09 PM

    【保守対左翼】題名のない音楽会 仰げば尊しがなぜ消えたか-1http://www.youtube.com/watch?v=s8DCM_lxNwM&feature=player_embedded

    【保守対左翼】題名のない音楽会 仰げば尊しがなぜ消えたか-2http://www.youtube.com/watch?v=8WCYPga_1UE&feature=related

    【保守対左翼】題名のない音楽会 仰げば尊しがなぜ消えたか-3http://www.youtube.com/watch?v=Bzj3fvN9s8E&feature=related
    題名のない音楽会 | 2010/12/01 10:55 PM
    海外に行くと逆に日本人を意識するかもしれません。
    coffee | 2010/12/03 10:18 PM

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