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(2010.6.26)
保守派・右派には親米が多いが、反米の方も多いでしょう。中には、妙な反ユダヤの方も多いかもしれません。
でも、一元的な見方はいけません。ましてや無知によるものなら、尚更。
現実は一筋縄ではいきません。ご存知の方も多いでしょうが、ちょっと多面的に見てみましょう。自分もそんなエラそうに言える立場ではありませんが・・・・・
ダグラス・マッカーサーにまつわる話 時系列にマッカーサーの心情の動きを考察
マッカーサー元帥は、日本の戦争が「侵略戦争」だったとして「東京裁判」を開廷し、正に日本を断罪した張本人。日本軍と実際に戦い、戦後、GHQ(連合国軍総司令部)最高司令官としても日本に進駐、「東京裁判」を開廷して日本を断罪しましたが、その後、自身の考えを180度転換、日本の戦争は「自衛戦争」だったと言い切っています。
昭和天皇との会見に感銘を受けたマッカーサー
昭和天皇が戦後処理のためマッカーサーを訪問した際に、会談の中で昭和天皇の真摯な対応に感銘を受ける。当時、米国を除く連合国 ソ連とイギリスを中心とした大英連邦諸国は、天皇を戦犯リストの筆頭に挙げていた。
マッカーサーは、もし天皇を処刑した場合、日本に軍政を布かなくてはならなくなり、ゲリラ戦が始まる可能性を予見していたため、天皇を丁重に扱うつもりだった。
とはいえ天皇自身が、敗戦国の君主がそうするように戦争犯罪者として起訴されないよう訴えてくるのではないかと不安に思っていたが、昭和天皇は命乞いをするどころか「戦争の全責任は私にある。私は死刑も覚悟しており、私の命はすべて司令部に委ねる。どうか国民が生活に困らぬよう連合国にお願いしたい」と述べた(美和信夫『天皇研究』広池出版、『マッカーサー回想録』、朝日新聞昭和39年1月25日)。
マッカーサーは、天皇が自らに帰すべきではない責任をも引き受けようとする勇気と誠実な態度に「骨の髄まで」感動し、「日本の最上の紳士」であると敬服した。マッカーサーは玄関まで出ないつもりだったが、会談が終わった時には昭和天皇を車まで見送ったといわれる(吉田茂『回想十年』)。後にも「あんな誠実な人間は見たことがない」と発言している。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
天皇に敬意を表したマッカーサーですが、彼は日本を東京裁判で侵略国と断罪し、その上さらにパチンコ普及などで日本人を堕落させた張本人です。
『パチンコをやめろ!』 高山正之(ジャーナリスト) (Voice 2009.2)
「マッカーサーは、戦後の日本で過去に例のない専制と独裁政治を展開した。
彼はまず罪を犯した米兵への裁判権を日本に放棄させ、新聞が米兵の犯罪を報道することも禁止させた。おかげで米兵は強姦も強盗もし放題、殺人も構わなかった。調達庁の調べでは占領期間中2500人が殺された。
彼の占領政策の柱は、日本人の誇りを奪い堕落させ2度と白人支配の脅威にならないようすることだった。そのために東京裁判で日本を侵略国家に仕立て、わざと皇太子殿下の誕生日にA級戦犯の死刑を執行した。
横須賀港にあった戦艦三笠はいかがわしいダンスホールに改造された。
日本では賭博は禁止だったが、マッカーサーは朝鮮人が国に帰還するまでのあいだ、パチンコ屋をやることを日本政府に認めさせた。
賭けごとは日本人の堕落を促すと読んだためだ。さらに彼は、軍歌いっさい厳禁のなかでパチンコ屋に限って軍艦マーチを流すことを認めた。どこまでも日本を貶めた。
パチンコで日本人を堕落させる計画は彼の期待以上にうまくいった。なぜなら朝鮮人は帰還しないでパチンコ店とともに日本に居座ったからだ。経営者の95%が朝鮮人というパチンコ業界は、日本人の射幸心を煽って今も年商20兆円を稼きだしている。
対シナのODA総計6兆円をはるかに凌ぐ上がりは南北朝鮮を潤し、社民党への献金から北の核開発までを支えてきた。
一方、日本ではパチンコ屋の駐車場で子供が蒸し殺される悲劇が続く。3年前の一斉巡回で56人の乳幼児が蒸し焼き寸前で救出された。借金漬けの主婦が売春に走り、景品交換所では強盗殺人事件が後を絶たない。
松戸市の市営住宅で火事があり、3人の子供が焼け死んだ。23歳の母はそのときパチンコに熱中していた。
マッカーサーの思うとおり日本人は堕落した。百害あって一利もない違法パチンコは未だ廃止もされず、悲劇を生み続け、南北朝鮮だけが笑っている。」
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【東京裁判について】
「戦争犯罪人」を処罰するために連合国側11ヶ国の裁判官によって設置された軍事法廷。昭和21(1946)年、東京市ヶ谷の旧陸軍省にて開廷。大戦時の首相東条大将を含む7名が絞首刑、16名が終身禁固刑の判決を受けた。尚、この裁判において、インド代表のパル判事は長文の意見書によって「日本無罪論」を展開した。極東国際軍事裁判とも言う。
日清戦争」(1894~1895)・「日露戦争」(1904~1905)・「満洲事変」(1931)・「日中戦争」(1937~1945)・「太平洋戦争」(1941~1945)といった大日本帝国=明治維新後の日本が戦った戦争は、すべて「軍国主義」日本による“侵略戦争”だった、とは、左翼・反日外国人が好んで主張するフレーズです。
確かに終戦直後の「東京裁判」(極東国際軍事法廷)において、日本は「侵略国家」として断罪され、その後、今に続く事となった「東京裁判史観」(自虐史観)に基づいて、「日本はこんなに悪い事をしてきました!」といった洗脳教育が実践され続けていますから、誰もが「かつて日本は近隣諸国を侵略し、多大な迷惑をかけてきたんだ」、と信じ込んでしまうのは無理なからぬことでしょう。
さらにA級戦犯の絞首刑は、当時の皇太子(現 今上天皇)の誕生日に執行するほど、日本人に対して残酷を極める仕打ちを、マッカーサーは取りました。
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しかしマッカーサーはその後、東京裁判の過ちを自ら認めています。
賢人なら、「自分は間違っていた」、そう素直に悟ることが、間々あるでのでしょう。
東京裁判後のマッカーサーについて
マッカーサーは朝鮮戦争の後に、アメリカの占領政策や東京裁判の誤りに気づき、アメリカの上院で議会証言をした。
1951年5月3日、アメリカ上院軍事外交合同委員会で、アメリカの極東政策を巡る公聴会が開かれ、そこでマッカーサーは、「日本の戦争目的は侵略ではなかった!」という証言をした。
しかし、当時の日本のマスコミは、一切それを報道しなかった。
要するにマッカーサーは「自分は日本について誤解していた。日本は自衛戦争をやったのである」と、自らの過ちを認めたのです。
マッカーサーの【米上院外交合同委員会】での証言
『太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは、共産主義者を中国において強大にさせたことだと、私は考える。東京裁判は誤りだった』
との反省の弁を述べた。
『彼ら(日本人)が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです』
≪Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security≫
マッカーサーは朝鮮戦争を戦って、日本が置かれていた戦前当時の地政学上の危機感を、身に染みて理解したわけです。
満洲国の建国も、ソ連ら共産主義勢力から朝鮮半島・日本列島を防衛するために必要不可欠な手段、日本の戦争目的は自衛のためであったと証言しています。
当のマッカーサー自身が、大東亜戦争は日本の自衛戦争だったと認め、A級戦犯による侵略戦争とした東京裁判は間違っていたという結論にまで達した。
つまり、日本には平和を犯して侵略した罪など無く、従って東京裁判自体が無効、A級戦犯なんて一人もいないと言うことになります。
しかし、日本の大手マスコミは、その事実を報道しない。
敵国の大将で東京裁判の最高責任者であったマッカーサーまでが、『大東亜戦争は侵略戦争ではなかった!』と日本人の正当性を明確に認めているのに、何故、多くの日本人が未だに『日本は侵略戦争を引き起こした!』と、いつまでも騒ぎ立てているのか!?
さらにマッカサーは、ここまで日本人を擁護して証言しています。
(1951.5.3、朝鮮戦争における中国海上封鎖戦略について上院軍事外交共同委員会で)
「はい。 太平洋では、私たちは彼らを迂回し包囲しました。日本は八千万に近い膨大な人口を抱え、それが4つの島に犇いているのだということを理解して頂かなくてはなりません。その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。
潜在的に、日本の擁する労働力は、量的にも質的にも、私がこれまでに接した何れにも劣らぬ優秀なものです。
歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は、人間が怠けているときよりも、働き、生産しているときの方がより幸福なのだと言うこと、つまり労働の尊厳と呼んでも良いようなものを発見していたのです。
これまで巨大な労働力を持っていると言う事は、彼らには何か働く為の材料が必要だと言う事を意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らは手を加えるべき材料を得ることが出来ませんでした。
日本原産の動植物は、蚕をのぞいてはほとんどないも同然である。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、錫(すず)がない、ゴムがない、他にもないものばかりだった。その全てがアジアの海域に存在したのである。もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が日本で発生するであろうことを彼らは恐れた。
したがって日本が戦争に飛び込んで行った動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。」
マッカーサーのこの証言は、自分にはまるで、罪の許しを請う、神父に対する罪人の懺悔のようにも思えてしまいます。
恐らく戦後まもない頃、日本人憎しで彼自身が日本人に対して激しい報復を取ったことを悩み続け、きっと彼の心情も穏やかならぬものがあったのだと思います。
個人的にですが、自分はアメリカ人が好きか嫌いかと言われれば好きです。自分が信義を通せば、それなりに相手も信義を通してくるからです。
しかし三国人には、それが通用しないというのが、正直な所感です。
そして今も、マッカーサーに端を発した朝鮮人のパチンコ利権と日本人に対する堕落扇動は、脈々と続いています。その魔の手は、マスコミを筆頭に、日本人の堕落だけでなく日本解体までを目論む、いわゆる日本を蝕む左翼勢力の資金源の根幹となっているのです。 (続く)
小笠原流 流鏑馬(やぶさめ) 2009年5月 南アルプス市
日本の武道は小笠原流に起源を発するといわれてます。重い内容の気分転換に、美しい日本の伝統的な馬術と弓技をご覧ください。
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(2013.2.9)
親米・反米でグループ分けなんてナンセンス。
でも、リベラルなオバマ政権で危ういアメリカですが、アメリカには今も信用、仲間にすべき人々、派がたくさんいると思ってます。
これはどういうことかというと、フランスで革命が起こった 時、フランスのライバル国であるにも関わらず、革命の余波を脅威に感じた英国やスペインらがフランスの王党派(反革命派)のシンパだったのと同じ。
私がアメリカの左翼を応援することはありえませんが、アメリカの保守派とは味方として仲よくしておかなければならないと考えてます。「米国こそ真の敵」なんて発想は愚かなこと。
時事ネタに一喜一憂してはいけませんが、東京では去年からこんな教材が配られてたのですね。
私がここで取り上げる前は、このマッカーサ-の証言が日本で殆ど知られておらず、当時はかなりのアクセスがありました。
他の府県もマッカーサー証言の載った教材を配ってほしいものです。教科書にも載せるべき。
でも、朝鮮起源に乗っ取られた古代史など、そっちの方が日本のルーツに係る問題 であり、重要に思ってます。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 「日本は自衛戦争」マッカーサー証言 都立高教材に掲載 贖罪史観に一石 (2012.3.30 産経 )
日本が対米戦争に踏み切った理由について、連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官だったマッカーサーが1951(昭和26)年、「主に自衛(安全保障)のためだった」と述べた米議会での証言が、東京都立高校独自の地理歴史教材の平成24年度版に新たに掲載される。日本を侵略国家として裁いた東京裁判を、裁判の実質責任者だったマッカーサー自身が否定したものとして知られる同証言を、公教育の教材が取り上げるのは初めて。
昭和の戦争での日本を「侵略国家だった」と断罪した東京裁判に沿う歴史観は、「日本国民は…政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」で始まる憲法前文にも反映され、「軍隊を持たず」という国際社会でも異質な国家体制の前提となってきた。歴史教育は「贖罪(しょくざい)史観」一辺倒となり、子供たちの愛国心を育んでこなかった。その歴史観が絶対ではないことを示すマッカーサー証言の公教育での教材化は、戦後日本の在り方に一石を投じそうだ。
証言は、朝鮮戦争で国連軍やGHQの司令官職を解任されたマッカーサーが1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公聴会に出席し、朝鮮戦争に介入した中国への対処に関する質疑の中で言及。連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。
都の教材は、この部分の証言を英文のまま掲載し、《この戦争を日本が安全上の必要に迫られて起こしたととらえる意見もある》としている。
教材は、江戸時代以降の日本の歴史を、東京の歩みとともに紹介する『江戸から東京へ』。都教委が都立高校の全生徒に平成23年度から配布している。都民の意見をもとに改訂した24年度版は、全新入生約4万3千人に配布する予定。
『江戸から東京へ』に掲載されたマッカーサー証言については、月刊「正論」5月号(3月31日発売)が詳しく紹介している。
渡部昇一・上智大学名誉教授の話「連合国から東京裁判の全権を委任されたマッカーサー自身が米議会で『日本の自衛戦だった』という趣旨の証言をしたことは、村山談話に象徴されるように東京裁判を背負ったままの日本にとって“超重大”であり、すべての日本人が知るべきことだ」
【村山談話】 戦後50年の平成7年8月15日、当時の村山富市首相が発表。わが国が「遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」たとし、「痛切な反省の意」「心からのお詫(わ)びの気持ち」を表明。以後の内閣もこの見解を踏襲してきた。
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