日本の面影

Glimpses of Japan
失われる日本人の精神性に、将来を憂う  リンクフリー

真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ㉔
地方の情況 承平天慶の亂

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(2019.9.14)  (戻る)
前回の第20章から飛んで今日は第24章(承平天慶の乱)に行きます。ちなみに、第21章 藤原氏と摂政関白、第22章 菅原道真、第23章 藤原氏家門の争 朝臣の栄華、となっています。菅原道真が藤原氏に疎まれて大宰府へ流されたのは今でもよく知られた話なので、大筋は皆様もご存知であろうので次の章を優先することにしました。ただ藤原氏の栄華とその家門での争いや菅原道真についても現代歴史教育では全然教えられていない興味深い内容もこの本には詳しく出てるので何とも惜しいのですが……

さて、今日は日本史上のアンチヒーローの双璧的な感もある存在の藤原純友と平将門の登場。平将門は天皇の血筋でもあり、自ら新皇を名乗った。その首塚は都心の一等地 大手町にあり、そこを取り除こうとしたら関係者に不審死が相次ぐなど、その祟りの恐ろしさは轟き、よく知られています。GHQ占領期にもそれを撤去しようとしたところ、工事車両が転倒するなどの大事故が起こって、結局その呪いの威力を恐れて保存され、今に至ってます。

『最新 日本歴史解釈』(1917年・妻木 忠太 著)より

【目次はコチラ】

地方の不穏
班田収授の法 久しく廃止す―奈良時代に荘園各地に起る―平安奠都このかた太平約百年間―質樸(しつぼく)の風俗 漸く華美―勇壮の気風 次第に遊惰(ゆうだ)―殊に朝臣 華奢に耽りて公務を怠る(一身一家の榮華を計りて國家に心を用ゐず)―荘園の名の下に土地の兼有―口分田の制 壊(やぶ)れて荘園の増加―國庫の収入 大に減じて朝威の衰微―國司・郡司 各私利を圖(図)る―政務を顧みず―藤原保則(ヤスノリ)(コチラ参照)・紀夏井(キノナツヰ)政績著名のもの頗(すこぶ)る稀有(けう)―不法の徴税―裁判の不公平―人民貧困に陥る―負債の為に浪人となる―兵制また既に壊廢(かいはい)―盗賊 頻(しき)に蜂起―人民塗炭(とたん)の苦み―京都は太平無事―地方騒乱の兆の萠芽(ほうが)。

武士の起源
皇族に賜姓―國司の任期―國司 土着して豪族となる―豪族の富強―私に兵を蓄えて武技を練る―自営の策を講ず―家の子・郎等の称―人民その保護を受く―陰然地方豪族の首領―勢力ようやく朝臣を凌ぐ―不平の者 地方の豪族に歸頼(きらい・帰頼)す―所謂 武士の起源―源平二氏 武士中最も著名。

承平天慶の亂(乱) 平将門の反 藤原純友の反
桓武平氏の祖 平高望(タカモチ)は上總(かづさ)の國司―其の一族東國に蔓延す―将門は高望の孫 勇悍(ゆうかん)にして武藝に長ず―将門 摂政 藤原忠平に依りて検非違使を求む―遂に聴かれず―失望して下總(しもうさ)に歸(帰)り徒黨(党)を集む―朱雀天皇の時に伯父 國香(クニカ)叔父 吉兼(ヨシカネ)と隙を生ず―遂に國香を殺し吉兼を破る―天慶2年 猿島(さしま)に據(拠)りて反す―偽宮を建て自ら新皇と稱(称)す―前 伊豫(予)掾(じょう) 藤原純友(すみとも)任満ちて歸郷せず―終に海賊を率ゐて反す―朝臣 變報(へんぽう・変報)を得て大に驚く―藤原忠文 征東大将軍となる―同3年 國香の子 貞盛(サダモリ)―押領使(おうりょうし) 藤原秀郷(ヒデサト)と共に将門を誅す―翌4年 清和天皇の孫 源經基(ツネモト・経基)は小野好古(ヲノノヨシフル)等と純友を平ぐ―地方武士の朝廷に反せる始(世に承平天慶の亂)。

源平二氏の出世
定盛・秀郷・経基 皆鎮守府将軍に任ず―武将の權(権)漸(ようや)く重し―源平二氏の武名 最も著(あら)わる―亂乱毎に源平二氏 常に藤原氏の爪牙(そうが)となる―平氏に坂東(バントウ)八氏―源氏に多田・宇多・大和等の諸氏―源平二氏の勢力ますます加わる。


○荘園の起と其の増加
荘園は其のはじめ荒蕪(こうぶ・土地が荒れはてて雑草の生いしげること)の田野を皇族・廷臣に賜わり、各これを開墾して別業とせしに起因す。後には賜田・功田(こうでん・特別の勲功者へ給与された田地)等の輸租(ゆそ)田をも或は社寺に寄附し、或は権門(官位が高く権勢がある家)・勢家に転売譲与して荘園となすに至る。荘園は国司不入の地にして租税を納めせざるを以て。王政弛み藤原氏権を専らにするに及び、勢力家は盛にこれを有し人民日に塗炭の苦をなすに至る。されば朝廷しばしば之が禁令を下し給うも制すること能わず、その弊害ますます甚だしくなりぬ。後冷泉天皇の頃、伊賀の如きは国中三分の二は荘園となり、また藤原忠実(タダザネ)は大隅に島津の荘を立てて国中の半を占め、終(つい)に日向三分の一と薩摩四分の三とを包有するにいたりしと云う。
○紀夏井
大納言古佐美の曾孫なり。人となり温雅聡敏にして才智に富む。文徳(もんとく)天皇の時、累進して右中弁となる。その志をとる忠直にして、時に規諫(いさめ)を上り又事に臨みて渋滞(とどこおる)せず、よりて天皇に重ぜられ、内外の機務に補益する所多し。天皇の崩後出でて讃岐守となるや政化大に行われ吏民これに安んず、留る二年、人々殷富にして倉廩(そうりん=米ぐら)充実せしと云う。貞観7年 肥後守に任ず。然るにその翌年 異母弟 豊城伴善男(とものよしお)の事に與し夏井これに坐して土佐に流さる。肥後の境を出づるや其の民 各路をさえぎりて悲泣し、讃岐をすぐる老幼道に迎えて哭し、哭聲相接して数十里にお呼びしと云う。如何に善政を施ししかを相見するに足る。
○皇族賜姓
天武天皇の御代に、皇胤(こういん=天皇の男系子孫)には眞人(マヒト)の姓を賜うの定めありしが、桓武天皇は庶皇子 岡成(オカナリ)に長岡朝臣の姓を、安世(ヤスヨ)に良岑(ヨシミネ)朝臣の姓を賜いて臣下に列し給う。是れ皇族賜姓の始とす。尋(つい)で嵯峨天皇は皇子多くして食邑(しょくゆう=諸侯や家臣などに賜った土地)を累すを思召し給いて、皇子に源朝臣の姓を賜い、また清和天皇は平城天皇の皇孫に在原(アリワラ)、桓武天皇の皇孫に平朝臣の姓を賜い、清和天皇以後は皇子・皇族皆 源朝臣の姓を賜えり。中にも嵯峨・清和・村上の三源氏栄え、平氏には桓武天皇の曾孫 高望(たかもち) 王の後裔(子孫)盛となる。
○家の子郎党
家の子は、家門の子 即ちその家に生れ出でたる庶子及び分家末裔の族を云う。中古王政の弛むに従いて豪族 地方に起り、各土地を併せて兵馬を蓄うもの多く、其の氏族の繁昌するに及び、本家を総領と呼び、族類を家の子と云うに至る。而して其の家 従のものを称して、郎党と呼びしなり。
○平高望
桓武天皇の皇子 葛原(カズラワラ)親王の子 高見王の子なり。宇多天皇の寛平元年、平の朝臣の姓を賜わりて上総介に任ぜらる。後、その子孫 大に東国に繁栄するに至る。
○平貞盛
桓武天皇の皇子 葛原親王の玄孫なり。父 国香 常陸大掾(だいじょう)たりしが、承平(じょうへい)5年 姪(古くは「甥」の意味も表わす)の将門の為に殺さる。是に於て貞盛 下野(しもつけ)の押領使 藤原秀郷(ヒデサト)と共に之を攻め、天慶三年 遂に註滅す。功を以て従五位 上鎮守府将軍に任ぜらる。後丹波・陸奥の守を経て従四位下に叙す。子孫 、駿勇にして東国の国司に任ぜらるるもの多し。他日 平氏の勃興は、蓋(けだ)し貞盛 子孫の繁衍(はんえん=増え広がる)せるに在り。

○藤原秀郷
左大臣 魚名の後なり。田原藤太と称す。駿勇にして武略あり。初め罪を以て配流せられしが、尋(つい)で下野掾となり押領使となる。将門の叛するや、貞盛と共に之を誅す。功を以て従四位下に叙し功田を賜わる。尋で下野・武蔵の国守となり鎮守府将軍に任ぜらる。子孫多く顯(あらわ)れ、関東の一豪族たり。明治16年 秀郷 正三位を贈られ、その霊を祀れる唐澤山神社(下野国安蘇郡)は23年 別格官幣中社に列せらる。
○源經基
清和天皇の皇子 貞純親王の長子なり。親王は清和天皇の六皇子なるを以て世に經基を六孫王と称す。後 源朝臣の姓を賜わる。經基 武略ありて弓馬に達す。朱雀天皇の時 武蔵介となる。時に平将門の異謀あるを予知して密に之を奏せしが、朝廷 疑いて納れ給わず。其の叛するに及び、嘉賞(かしょう=よしとして褒めたたえること)して従五位下を授け、藤原忠文に従いて之を討たしめ給う。途中 将門の誅を聞きて還る。尋で大宰権少弐追捕凶賊使となり、小野好古に従いて藤原純友を討す。好古 師を班すに及び、朝廷 特に經基をして餘党を掃討せしめ給う。賊党 悉(ことごと)く平ぎ、信濃・美濃・但馬。武蔵等の守介を経て鎮守府将軍となり、天歴年中 上野(こうずけ)介に任じ應和元年四十五歳にて卒す。
○藤原忠文
左大臣 緒嗣(オツグ)の曾孫なり。累進して天慶二年 参議に任ず。将門の叛するや、征夷大将軍となりしが、途中 其の誅を聞きて還る。尋で征四大将軍となりて純友討伐の命をうけしが、既に誅に伏せしを以て行くを果さず。後天歴元年七十五歳にて卒す。中納言正三位を贈らる。
○小野好古
篁(タカムラ)の孫にして大宰大弐 葛絃(クズオ)の子なり。承平年中 昇殿を聰され、従五位上に叙せらる。藤原純友の叛するや、山陽・南海両道の追補使となり、源經基と進んで之を誅平す。後、太宰大弐・参議等を歴へて應和二年従三位に叙す。安和(あんな)元年八十五歳にて薨ず。
○坂東八平氏
桓武天皇の皇子 葛原親王に出でたる平氏(桓武平氏)の末流にして、坂東(相模足柄以東)地方の豪族なる千葉・三浦・土肥・大庭・梶原・秩父・上總・長尾の八氏を云う。
○猿島
下總国猿島郡(茨城県管轄)石井郷(今の石井町附近)に在りし地名なり。天慶二年 平将門 下總に拠りて叛し、常陸・下野・上總・安房・武蔵・相模・伊豆にその勢を逞しくし、遂に自ら新皇と称して偽宮を猿島に造り文武百官を置く。翌年 伯父 国香の子 貞盛及び藤原秀郷の為に誅せらる。今 偽都・偽宮の古跡 観るべきのものが存せざるも、また其の所なること推知せらる。

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