日本の面影

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失われる日本人の精神性に、将来を憂う  リンクフリー

真実の日本の歴史 ~ 戦前教科書 尋常小学 国史より ⑧
第二十九 北條氏康

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(2019.7.5)  (戻る)
さて、前からやっおきたいと思ってましたが、中断してました戦前の歴史教科書【尋常小学 国史】の続き、いわゆる戦国時代の辺りから再開していきます。
今日のような話も、一般の方は知らなくとも、武将オタクは結構くわしかったりするかもしれない。そういう人が読まれてきた本にはその人物について、いいことも悪いこともいろんなことが出てたりするでしょう。ではどこに真実があるのでしょう。真実とはなんだと思いますか? そういう歴史上の人物たちというのはどういう人たちであったか、いくら研究しても答えというのは見つからないんです。数学や物理学のようにはいきません。永遠にそうなんです。聖徳太子が抹殺、歪曲されようとしてるように、その人物の実際はこうだったなんて、連中によって都合よくデタラメが真実のように次々改変されていくだけなんです。(現代考古学なんてデタラメに満ちていて)今のわけのわからないエセ学者だらけだと尚更。では真実はどこにあるのか…… それは戦前の教科書にあるんです。真実は、(もちろん英霊たち含め)戦前の人々はこれを読んで学んでいたということです。これは紛れもない真実です。さまざまな歴史上の話について、事実がどうだったかとかグチャグチャぬかす奴がいたりするわけですが、そんなことは私にとってまるで問題じゃないんです。古事記、日本神話を読んで「こんなのありえない」「どうせ作り話じゃん」とか唯物論者どもは言うでしょう。今じゃ縄文式土器は世界一古い土器とか、1万年以上前から存在した世界最古の文明 縄文文化とか、俗物どもをだまくらかすための工作がどしどし仕掛けられてる。私にとってそういう胡散臭い者どもの能書きたれ、どうだっていいんです。そんなのはどうせまたどんどん書き換えられて結局、ああだった、こうだったと、(邪馬台国があっちだ、こっちだ等の類の下らない話と同じように)いつまでも騒ぎ続けられるだけで、そんなものに付き合わされて日本人はどんどん暗愚になっていくんです。心の拠り所、横文字でいうならいわゆるアイデンティティーとすべきものが失われていくわけです。

真実はどこにあるのか。日本神話はおよそ二千年も前から存在し、継承されてきた、それこそが紛れもない真実です。だからそれを大切にしなければいけないんです。先人たちに思いを馳せる、尊敬の念を持つ、先人の思いや考え方につながってみたいという方は、その紛れもない真実に気づいて(そんなことわかってるという方もおられるでしょうが)、先人たちの学んでいたものを大切にされてくださいね。ここを読みさえすれば、偉大な先人たちと思いを一にすることが出来る、逆にここを読まなければ、いくらいろんな本を読んでも変な知識ばかり頭に貯めこんでいくだけで、いつまで経っても先人たちと思いがつながることは出来ないままだということ。

さて、室町幕府「足利氏の衰微」に続いての今日は、北條早雲から三代にわたって名を轟かせた戦国武将、北條氏康。

【「尋常小学 国史より」シリーズ 目次はコチラ】

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尋常小学 国史より ⑧ 第二十九 北條氏康(ほうじょううぢやす)

戦国時代
応仁の乱がやんだ後、多くの大将は、めいめい自分の国に引きあげて、なほ互いに争っていたが、将軍の威勢が衰えているので、これを抑えることが出来なかった。この間に、英雄が四方にきそい起こり、およそ百年の間、国々に戦乱は、ほとんど絶え間がなかった。世にこの時代を戦国時代というのである。
北條早雲が起った
こういう時勢に、まず起こったのは、北條早雲(そううん)である。早雲は、平氏で、はじめ伊勢にいたので伊勢新九郎(いせしんくろう)といった。生まれつきすばしこい人であるから、早くから時勢を見ぬいて、家を興そうと考へ、六人の勇士をひきつれて駿河に下って来たが、その頃 東国がたいへん乱れていたのにつけいって、急に奮いおこり、伊豆を取って北條にいた。そうして、惜しげなく金銀をまいて人望をあつめ、また北條氏の子孫ととなえて、ますます士民をなつけた。早雲は、続いて相模を取ろうと考え、使を小田原(おだわら)城にやって、鹿狩といつわって箱根山を借りうけ、大勢の兵士を猟師の姿にかえて山に入りこませ、不意に小田原城に攻め寄せた。城主は大いに驚き、あわてて逃げ去ったので、早雲は、やすやすと城を奪つてここに移った。それからおいおいに相模を従えて、勢を東国に振るうようになった。
氏康の修養
早雲の子の氏綱(うぢつな)は、父に似て勇武な人で、兵を武蔵(むさし)に集め、上杉氏を破って、江戸や川越などの城をおとしいれた。氏綱の子の氏康は、十二歳の頃まではたいへん臆病であった。後、これを深く恥じ、大いにいくさのことを習って、とうとう勇気のある立派な人となり、父の後をついで、ますます勢を盛にした。
川越の戦
この頃、上杉朝定(ともさだ)や憲政(のりまさ)らが、川越城を取り返そうとして、八万の大軍をひきいて攻め寄せた。北條氏の将は、固く城を守って、半年も持ちこたえたが、そのうち、城中の兵糧がだんだん乏しくなった。そこで、氏康は、自ら小田原から助けに行ったが、その兵はわずかに八千ぐらいいの小勢であったので、敵の大軍には到底手向かうことが出来なかった。そこで、わざと仲直りを申し込んで、敵に油断をさせ、夜中に急に攻め寄せて、大いにこれをうち破った。この時、朝定は戦死した。憲政は、いったん上野に逃げかえったが、ほどなくまた氏康に攻められて、越後へ走った。
氏康はよく国を治めた
これから後、氏康はますます他の国々を攻めて、大いに領地を広めた。氏康は、戦が上手なばかりでなく、国を治めることもすぐれていて、つねづね部下をかわいがり、よく領内の人々をめぐんだ。それ故、人々は、皆 氏康になつき、他の国々からもその政治をしたって、われ先にと小田原に集って来る者が多かったということである。早雲が起ってからおよそ六十年ばかりで、その領地は、伊豆をはじめ、相模・武蔵・上野などの国々にまで広まった。

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◆真実の日本の歴史 ~ 戦前教科書 尋常小学 国史より ⑩ 第三十一 毛利元就

◆戦前は逆賊歴史学として処罰されてた、左翼学者による皇統否定の「縄文・弥生」時代の敗戦後の普及 ~ 汚染される皇室。救う手だては皇室奪回

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前教科書 尋常小学 国史より ⑥ 第二十七 足利氏の僣上

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前教科書 尋常小学 国史より ⑤ 第二十六 菊池武光

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑤ 朝鮮半島の内附 神功皇后の征伐 文物の伝来

◆戦前の絵本から ~ 真実の日本軍。最強だったその勇姿 ②

◆忠臣の象徴 楠木正成公を称える唱歌『青葉茂れる桜井の』(櫻井の訣別)を10歳の子供にピアノ弾き語りで歌ってもらいました!

◆さよなら“政治”。 民主主義を掲げる奴を信用するな! ~ “民主主義”による選挙とは、「こんなクズしかいないけど、こんなかから選んでね」というのが本質的な正体

◆丸山穂高議員の「北方領土は戦争して取り返すしかない」発言問題について ~ 北方領土問題もそれに取り巻いてるのは利権に群がるエセ島民ばかり

◆戦前の小学歴史教科書準拠 学習問題から ② 神武天皇

◆いらない性教育。子供の人格破壊を目指す日本の学校教育

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