日本の面影

Glimpses of Japan
失われる日本人の精神性に、将来を憂う  リンクフリー

まずはあなたがマスクを外すこと

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(2022.7.6)
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子供たちはマスクを外すだけで、恥ずかしいと思うまでの心の病気に既になってしまいました。政府の目的は初めからそこにあったのであり、マスクや新しい生活様式が感染症対策なんていうのは嘘っぱちのデタラメ。こうなってしまったのは、すべて大人の責任なのです。まずは大人がマスクを外すことです。たとえ周りにマスクを外している人がいなくとも、まずはあなたがマスクを外すところから始まるのです。それで身の周りの人、出会った人の、一人でも、二人でも外すようになればそれだけでいいんです。もちろんそうなっても社会は変わりません。でもマスクを外すようになったその個々の人々の人生は、この先、まったく違うものになっていきます。大人の未来なんて、たかが知れてるから、大した問題ではないかもしれない。でも、子供たちにはいろんな未来が待っていて、自分の選択次第で、全然違う未来になっていきます。子供たちの未来は、大人がマスクを外すことで変わっていくんです。マスクを着けない親なら、その子への影響は絶大です。

子供たちの未来をこんなままにしたくないのなら、考える余地などなく、何を言われようとも、どんな風に思われようとも、やるべきことに迷いはないはず。今の状況を放っておくと、マスクを外さないこれからの人たちには、出会いがない、結婚できない、子供もない、友達もいない、そんな人ばかりの時代が、そう遠くない未来に待ち受けることになります。

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◆コロナワクチンの弊害の真実性

◆究極のエコだと思う地熱発電。節電にはエアコン消すよりTVをつけないこと

◆熱中症で倒れてもコロナ患者、死んだらコロナ死にされている

◆猛暑でもマスクするバカに熱中症多発

◆コロナは茶番、テレビも茶番、選挙も茶番。それでも本物がいないわけではないのですが……

◆コロナ対策に抗議する世良公則さんと「時代遅れのRock’n’Roll Band」

◆外国ではマスク外そうキャンペーンやってるくらいなのに、死ぬまでマスクし続ける日本

◆北朝鮮はちょっとコロナごっこをやっていただけ。日本ほどバカじゃない

◆ゴム人間の実在について

◆マスクしてない人が増えた、ワクチンで家族が死んだなどと、そういうツイートが反響を呼んでいることが多いですが、ほとんどが、仮想キャラによるデマだと思っています

◆水着禁止。水泳廃止への流れ

◆マスクがクセになってしまった子供たち。可哀想すぎる

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この記事に対するコメント

  • 多分、ワクチン未接種者が結婚にしても、就職にしても優遇されてしまう社会になってしまうのではないかと危惧する。

  • 日頃から、弱者の味方のふりをする左派には卑怯者しかいない。河野太郎が推し進めていたmRNAコロナワクチン副反応に対しても彼らは冷淡だ。去年の死者の統計や、救急車の出動数の記録も目に見えて増大したというのに国は何も取り上げない。大橋眞教授や細川医師、荒川央先生やCBCニュースが庶民の味方なくらいでどこもかしこもマスク着用の羊の群れ。自民党の憲法改悪草案とかホントに頭がおかしいのだろうか。緊急事態条項込みにあれほど反対していた左派リベラル唯物論者達はどこへ行ったのだろうか。tppに反対していた安倍晋三は勿論、参政党も党内で碌に調整してないのでしょうかね。黒川氏や国守の討論の場から逃げたし、ワクチンを自分の管轄下の病院で推進している神谷や、吉野副代表を見ているとどうも『弱っちい』奴らに見えてしまう。自民の青山繁晴もワクチン賛成で自民の憲法草案に賛成の時点で既に駄目。それ以前に自民は國體破壊政党。入国管理法改正、技能実習という名の移民受け入れに加え、水道法改正で日本のインフラを売り渡した時点でオワコン。キッシンジャーやハラリやシュワブの目指すニューワールドオーダーに対抗する人間が衆愚政治の不正まみれの選挙で誕生するわけもなく日本人は同調圧力に巻き込まれながら首を締め続ける。

  • 大阪市教育行政への提言
    豊かな学校文化を取り戻し、学び合う学校にするために
     子どもたちが豊かな未来を幸せに生きていくために、公教育はどうあるべきか真剣に考える時が来ている。
     学校は、グローバル経済を支える人材という「商品」を作り出す工場と化している。そこでは、子どもたちは、テストの点によって選別される「競争」に晒(さら)される。そして、教職員は、子どもの成長にかかわる教育の本質に根ざした働きができず、喜びのない何のためかわからないような仕事に追われ、疲弊していく。さらには、やりがいや使命感を奪われ、働くことへの意欲さえ失いつつある。
    今、価値の転換を図らなければ、教育の世界に未来はないのではないかとの思いが胸をよぎる。持続可能な学校にするために、本当に大切なことだけを行う必要がある。特別な事業は要らない。学校の規模や状況に応じて均等に予算と人を分配すればよい。特別なことをやめれば、評価のための評価や、効果検証のための報告書やアンケートも必要なくなるはずだ。全国学力・学習状況調査も学力経年調査もその結果を分析した膨大な資料も要らない。それぞれの子どもたちが自ら「学び」に向かうためにどのような支援をすればいいかは、毎日、一緒に学習していればわかる話である。

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     現在の「運営に関する計画」も、学校協議会も手続き的なことに時間と労力がかかるばかりで、学校教育をよりよくしていくために、大きな効果をもたらすものではない。地域や保護者と共に教育を進めていくもっとよりよい形があるはずだ。目標管理シートによる人事評価制度も、教職員のやる気を喚起し、教育を活性化するものとしては機能していない。

     また、コロナ禍により前倒しになったGIGAスクール構想に伴う一人一台端末の配備についても、通信環境の整備等十分に練られることないまま場当たり的な計画で進められており、学校現場では今後の進展に危惧していた。3回目の緊急事態宣言発出に伴って、大阪市長が全小中学校でオンライン授業を行うとしたことを発端に、そのお粗末な状況が露呈したわけだが、その結果、学校現場は混乱を極め、何より保護者や児童生徒に大きな負担がかかっている。結局、子どもの安全・安心も学ぶ権利もどちらも保障されない状況をつくり出していることに、胸をかきむしられる思いである。

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     つまり、本当に子どもの幸せな成長を願って、子どもの人権を尊重し「最善の利益」を考えた社会ではないことが、コロナ禍になってはっきりと可視化されてきたと言えるのではないだろうか。社会の課題のしわ寄せが、どんどん子どもや学校に襲いかかっている。虐待も不登校もいじめも増えるばかりである。10代の自殺も増えており、コロナ禍の現在、中高生の女子の自殺は急増している。これほどまでに、子どもたちを生き辛(づら)くさせているものは、何であるのか。私たち大人は、そのことに真剣に向き合わなければならない。グローバル化により激変する予測困難な社会を生き抜く力をつけなければならないと言うが、そんな社会自体が間違っているのではないのか。過度な競争を強いて、競争に打ち勝った者だけが「がんばった人間」として評価される、そんな理不尽な社会であっていいのか。誰もが幸せに生きる権利を持っており、社会は自由で公正・公平でなければならないはずだ。

     「生き抜く」世の中ではなく、「生き合う」世の中でなくてはならない。そうでなければ、このコロナ禍にも、地球温暖化にも対応することができないにちがいない。世界の人々が連帯して、この地球規模の危機を乗り越えるために必要な力は、学力経年調査の平均点を1点あげることとは無関係である。全市共通目標が、いかに虚(むな)しく、わたしたちの教育への情熱を萎(な)えさせるものか、想像していただきたい。

     子どもたちと一緒に学んだり、遊んだりする時間を楽しみたい。子どもたちに直接かかわる仕事がしたいのだ。子どもたちに働きかけた結果は、数値による効果検証などではなく、子どもの反応として、直接肌で感じたいのだ。1点・2点を追い求めるのではなく、子どもたちの5年先、10年先を見据えて、今という時間を共に過ごしたいのだ。テストの点数というエビデンスはそれほど正しいものなのか。

     あらゆるものを数値化して評価することで、人と人との信頼や信用をズタズタにし、温かなつながりを奪っただけではないのか。

     間違いなく、教職員、学校は疲弊しているし、教育の質は低下している。誰もそんなことを望んではいないはずだ。誰もが一生懸命働き、人の役に立って、幸せな人生を送りたいと願っている。その当たり前の願いを育み、自己実現できるよう支援していくのが学校でなければならない。

     「競争」ではなく「協働」の社会でなければ、持続可能な社会にはならない。

     コロナ禍の今、本当に子どもたちの安心・安全と学びをどのように保障していくかは、難しい問題である。オンライン学習などICT機器を使った学習も教育の手段としては有効なものであるだろう。しかし、それが子どもの「いのち」(人権)に光が当たっていなければ、結局は子どもたちをさらに追い詰め、苦しめることになるのではないだろうか。今回のオンライン授業に関する現場の混乱は、大人の都合による勝手な判断によるものである。

     根本的な教育の在り方、いや政治や社会の在り方を見直し、子どもたちの未来に明るい光を見出したいと切に願うものである。これは、子どもの問題ではなく、まさしく大人の問題であり、政治的権力を持つ立場にある人にはその大きな責任が課せられているのではないだろうか。

    令和3(2021)年5月17日

    大阪市立木川南小学校 

    校 長 久保 敬

  • 分かっているし賛同しているけど
    会社や学校に迷惑かかると思うと
    恐くてノーマスク出来ない。

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